やっぱり最初が肝心ですよね?
「こんにちは!」
私は体力の限界ではあったが、風雨にさらされたギルドの木戸を開けて、可能な限り元気よくあいさつをした。だが私の予想に反して何の返事もない。
前のギルドではみんな元気に挨拶を返してくれましたけどね。それに中は薄暗く、活気と言うものが全く感じられない。ここがギルドだと聞いてきたのだけど、私は何か間違えたのだろうか?
そうだとすれば、私から端って逃げようとする人たちを捕まえて、一生懸命に道を聞いてきた甲斐がないと言うものだ。
「依頼なら、そちらのテーブルにある依頼票を書いてもらえます?」
奥から受付担当のものらしい声が響いた。気のせいだとは思うが、あまり親切そうには聞こえない。それに明かり窓が少ないせいだろうか? 私のことを依頼人と間違えている。
「いえ、こちらのギルドへの、所属の手続きをお願いしたいのですが……」
ともかく最初が肝心です。私はなるべく愛想よく声を掛けてみた。
「えっ、登録希望なの!?」
受付の奥から再び声が上がった。目が慣れてくると実は奥のホールには人がそれなりに詰めているらしく、革の鎧の前をはだけたおっさんたちが、一斉にこっちを見つめている。
その視線がどうも粘っこくて気持ちが悪いが、とりあえずそちらにも愛想笑いだ。それにこの人たち相手なら、私の発する匂いもお互い様という事に出来そうな気がする。
「お嬢さんが?」
受付から出てきた、少しやつれた感じの女性が私に声を掛けて来た。確かにギルドの制服を着てはいるのだが、何パリッとしていないというか、全体的に着崩れた感じがする。むしろ酒場のお姉さんと呼んだ方が、よほどにぴったりだ。それもどちらかと言えば、裏通りにあるやつが似合っている。
「もしかして新人さん?」
「いえ、冒険者としての登録自体は、前にいたギルドでしてあります」
よく見てくださいよ。ちゃんと細身の剣に革の鎧を着ています。鎧と髪の毛について言えば、今はかなり残念な状態ですけどね!
「それじゃ、ギルド証を出してもらえる。それとこちらの申し込み票に氏名と経歴を書いてもらえるかしら?」
そう言うと、髪を無造作に後ろに束ねただけの女性は一枚の用紙をカウンターの上へ置いた。そして私が背負っている荷物へと視線を向ける。
「それって、あなた一人の荷物じゃないわよね。他のパーティーのメンバーは?」
外で誰か待っているとでも思ったのだろうか、女性が背後の木戸の方へと視線を向けた。
「いえ、私一人です」
「これ全部、本当にあなたの荷物?」
女性が驚いた顔をした。次にこちらを疑わしそうな顔で見つめる。もしかしてどこかから、かっぱらって来たとでも思っていませんか?
でも確かに多すぎですよね。本当にこんなには要らなかったんですけど、別れ際にお姉さま方があれも必要だとか、これも必要だとか、涙ぐんで渡してくれたもんですから、断るに断れなかったんですよ。それに途中で捨てる訳にもいかないですよね?
「宿が決まるまでの間、こちらで預かってもらってもいいでしょうか?」
「ええ、いいわよ。宿なら一応ここの部屋も空いているけど?」
「助かります!」
本当に助かった。これ以上は一歩も歩ける気がしない。
「ただ短期滞在者向けだから決して安くはないわよ。だからここに腰を据えるつもりなら、どこか別に宿を探した方がいいと思う」
そう言うと、女性は私に料金表を出してきた。えっ、銀貨一枚ですか? しかも一泊と書いてある。一ヵ月とは言いませんが、一週間の滞在費ではないですよね?
「これって、割引とかありませんかね?」
「ありません。それに前払いです」
うう。大した蓄えがあるわけではないので、さっさと宿を見つけないといけない。私は奥から出てきた人に背中に担いでいた荷物をお願いすると、渡された羽ペンで受付票に名前を書いた。
おじいさまには悪いが、今回もミドルネームはパスさせていただく。氏名欄の下には前に所属していたギルドとパーティーを記述する行がある。
ミストランド/神話同盟
とりあえず経歴を書き込んで受けつけのお姉さんに出す。私が見ていない間、鼻をつまんでいたような気がしたのだけど、多分気のせいだろう。
「ちょっとあんた!」
だが私の受付票を受け取ったお姉さんは、そう声を上げると、怪訝そうな顔をして見せた。あれ、何か綴り間違いでもありましたか?
「ミストランドが最初!?」
そう呟いてから私のギルド証を見て、さらに首をひねって見せる。最初に登録したギルドから発行されるギルド証には、ミストランドの紋章、百合の花と雲に乗る幻獣の紋章が描かれている。つまり私の書いていることに嘘はない。
「へえー。あんたって見かけによらず、あんな大手でやっていたのね。だけど――」
そう言うと顔をしかめながら私の耳元へと顔を寄せた。すいませんね。やっぱり匂います? 何日もお風呂に入れなかったうえに、雨に濡れてしまいましたからね。
「うちがいくら場末なギルドだからって、嘘はいけないよ」
そう囁くと、私に向かって指を一本立てて、それを登録票の神話同盟と書かれた場所へ置いた。
「こんな場末でも、ミストランドの神話同盟が誰かぐらいはちゃんと知っているわよ」
その言葉に思わず耳の後ろが熱くなる。短期間で首になったとはいえ間違いなく、私はあの嫌み男がリーダーを務める神話同盟の一員だった。それがまるっきり嘘だと思われるとは!
いや、ここにその名前を書いた私が間違いでした。あんな嫌み男の存在は、私の黒歴史は全てなかったことにして、ここから冒険者としての第一歩をまた新たに始めるのです!
私は受付から新しい登録票を取り出すと、そこに自分の名前、今度はおじい様からもらったミドルネーム入りも含めて書いた。
ミストランド/ソロ
そう経歴欄に書き込んで自分の黒歴史を抹消する。受付のお姉さんは私の書いた登録票を受け取ると、それにサインをした。そこにはサラ・アフリートと書いてある。どうやらこのお姉さんの名前はサラさんらしい。
「サラさん、よろしくお願いします」
私は彼女に頭を下げた。彼女は私のあいさつに小さく肩をすくめて見せただけだが、どうやら悪い人ではなさそうだ。きっと自己表現が苦手なだけなのだろう。
「おい、この荷物を持ち込んだのは君か?」
その時だ。受付の奥から事務服姿の男性が私たちの前へ飛び出して来た。そして私が持ち込んだ荷物の中身を指さす。
えっ、ちょっと待ってください。勝手に人の荷物を確認するとか、何をしてくれているんですか? それには私の着替えもまだ入れっぱなしなんですよ。
「宝物や魔道具の偽物を持ち込むのはご法度だよ!」
男性はそう告げると、エミリアお姉さまとリリスさんが押し付けてきた、箱のいくつかを指さした。そこには封印だろうか、何やら複雑な幾何学模様が描かれている。
私はそこで大事なことを思い出した。これらの良く分からないものをくれた時に、エミリアお姉さまが正式な譲渡書類だと言って手渡してくれたのがあったのだ。
確か、鎧の内ポケットにそれがあったはず。ちょっと恥ずかしいが、胸元の紐を解いて中からその書類を取り出した……。
『あれ?』
そこにあるのは雨に濡れて、単なる紫の染みになり果てた紙の束だ。
「あの~、一応これが元の持ち主から頂いた譲渡証なんですけど――」
男性は私の手から譲渡証をひったくるとそれを開いた。だがやはり私の目からは、それは単なる紫の染みになり果てた姿にしか見えない。
「水に濡らすだなんて、一体何をしたんだ?」
「道中、通り雨に会ってしまいまして……」
天気が悪いのは、私のせいではないですよね?
「用紙は正式なものだけど、これでは確認が取れない。中を改めさせてもらうけどいいかい?」
「あ、はい。でもあの――」
「なにか?」
男性職員は私の問いかけに、じろりとこちらを睨んで見せる。下着も入っているので、それには触らないで欲しいと言いたかったのだが、何か言うともっとややこしいことになりそうだ。
しょうがない。本体を見られるわけではないから、下着は諦めることにする。
「いえ、なんでもありません」
「うちの説明をするけどいい?」
男性職員の後姿をしょんぼりと眺めていた私に、サラさんが声をかけてきた。
「はい。お願いします」
「うちは仕事の斡旋はするけど、パーティーの斡旋はしない。だからどこかのパーティーに属したいのなら自分で声を掛けて頂戴。それと、食事はホールの奥で料理人に言えば出してくれる」
そう言うと、何人かの冒険者がたむろしている広間の奥の方を顎でしゃくって見せた。
「それって、宿泊費に含まれます?」
私の問にサラさんが首を横に振って見せる。これは宿だけではなく、自分で自炊できる環境をいち早く成立させないとすぐに文無しになってしまう。
「だけど、部屋にある水桶の流し場は宿泊費の内だよ。食べるにせよ、誰かに声をかけるにせよ、汗を流してからにした方がいいと思うね」
「はい」
私は素直にうなずいた。やっぱり相当に匂っていますよね? 街で私が声をかけようとした人たちが、ダッシュで逃げていく訳だ。
私はとっても薄い自分の財布から、銀貨を一枚取り出して彼女へ渡した。サラさんは鍵を私に渡すと、広間の反対側にある通路の方を指さす。私は鍵を手にそちらへ向かってとぼとぼと歩き出した。
誰かが値踏みするように、こちらをじっと見つめる視線も感じるが、今はそんなのはどうでもいい。さっさと汗を流して、せめて一刻はベッドに横にならせてもらう。
「ギャ――――」
なんだろう。背後から誰かの叫び声が聞こえる。黒虫でも見つけましたか? もう、ギルドの人間なんですから、黒虫ぐらいで驚いてはいけませんよ。
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