おさがり
おさがり文化が復活しているという記事(注1)を読んだ。
復活の前に消え去ったことを認識していなかったので、興味深く読んだ。
なぜ認識していなかったかといえば、顔を出すコミュニティでおさがり文化は普通だったからだ。
自分の名前でないものが刺繍された袴をはいた子どもはたくさんいた。
刺繍されている名前の当人は、あれをはいていた頃の可愛らしさなんてものはなくなり、かわりにたくましくなっている。
私もそれなりにおさがりをもらっている。
子供向け全集(注2)は叔父のお下がりだった。叔父は姉(すなわち私の母)からのお下がりでこの全集を手にし、そのまま実家(=私の祖父の家)に置いていき、それが世代を超えて戻ってきたことになる。
ホラ吹きな祖父は、全集の中からいくつかの話を読み聞かせてくれた。
もっと読んでくれと頼むと、自分で読みなさいと全集をくれた。
母から叔父に叔父から私のところにまわった全集はイトコのところまでいった。
世代を超えたおさがりゆえに、漢字や言葉遣いはかなり難しかったはずだが、気がつけば、むさぼるように読んでいた。
漢字を読むのに困らない(書けないだろと言われたら困るが、そこは目をつぶってほしい)のは、たぶん、これが原因だ。
そういえば、教員であった祖父は孫の好奇心をうまいぐあいに掻き立てるのが得意だったようで、色々なことのさわりも教えてもらった。
もっと教えてと頼むと「自分で考えなさい」と本をくれた。
考えてみればなかなかうまいやりかただ。なお、教員がホラを吹きまくるのはいかがなものかという点についてはぎゅっと目をつぶる。
そういえば、本のおさがりは他の人からももらった。
常に本を片手に歩いていた小学生の頃の私に用務員のお兄さんは一冊の文庫本をくださった。
星新一のショートショートだった。
短いのに面白い話がてんこもり、むさぼるように読み、本屋で別の一冊を買ってもらった。
たしか中学年の頃だろう。教科書で読んだ作品を見つけて知り合いにあったかのようにはにかむ頃には私の本棚には星新一の文庫作品ほぼすべてが並んでいたはずだ。
どうにも何かをあげたくなる顔をしているらしい。
それは年をとってもかわらない。
大人になったにも関わらず、本をもらうことはあったし、本以外ももらっている。
「サイズが大きすぎたから」、「そんなみっともないのを着ているなら、これをやる」と先輩方が稽古着や袴をくださった。
言動と顔が貧乏くさいだけなのかもしれない。
注1:「服やおもちゃ、子ども用品の「お下がり」文化が復活していた? リユースサイト活況、専門店も #令和の親」、『千葉日報』、2023年10月8日。(2023年11月23日参照)
https://www.chibanippo.co.jp/news/local/1113178
注2:私がもらった子ども向け文学全集のラインナップはカバヤ文庫というもののラインナップとけっこう被っている。どうして私がこのようなことを知ったかというと下記エッセイで紹介されていたからである。カバヤ文庫シリーズは全一九回、知らないことばかりでとても面白かった。まったく知らないことをライトに読ませてもらえるのもエッセイの素晴らしさだ。なお、「じゃあ、お前のエッセイに役立つ知識があるのか」と笑った方のところには夜中に私の生霊がおもむき、枕元で耳なし芳一を朗読するので覚悟しておくように。
倉沢トモエ「55 カバヤ文庫のはなし。①(*追記してリンクを追加しました!)」、『倉沢の読書帳。』
https://kakuyomu.jp/works/16816700426989514413/episodes/16817330664788167046
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