歪み



 電車が夢見が丘駅に止まる。駅に停まっている間は、鬼が来ることはない。しばらくして、ホームを駆け登るえみちゃんが見えた。


「……えみちゃん!」


 私が何か言う前に、えみちゃんが私を頭ごと抱きしめた。


「大丈夫。もう大丈夫やで」


 えみちゃんが降ろされていなくて安心したはずなのに、涙が止まらなかった。


「そんな泣かんとって。どないしたん?こんな夜中に」

「あ……えっと…」


 どうやって伝える?どこから話せばいい?そもそも信じてもらえるん?

 さっき両親と話したことを思い出して、口に出したくても声が出ない。怖い。でも、言わな。言わな、何も変わらんよ。それでええの?


「あの、な……信じてもらわれへんかもしれんのやけど」


 目を見て言うことはできなかった。けれど、頭上から降ってきた声は、凛としていた。



「信じるよ」



 私は、煌めく鞭に叩かれたような気持ちで顔を上げる。そこには、真っ直ぐな目をしたえみちゃんがいた。


「ひかりの言うことやったら、信じるよ」

「……ありがとう」

「どんなにひどいことでも、世界中の誰もが否定するようなことでも、私だけは、味方やから。…って、なんか安っぽいラブソングみたいで、自分で言うてるのに恥ずかしなってきた!と、も、か、く!なんでそんな泣いてるんか知らんけど、いっつも人前では絶対に泣かんのやから、なんかあったんやろ。一緒に考えよう。やから」


 まっすぐな瞳のまま、えみちゃんは私の手をそっと包んだ。


「やから、私でよければ話してほしい」


 私は全てを打ち明けた。今朝話したことは、夢ではなく現実だったこと。私はえみちゃんや両親にひどいことをしてしまって、その先にみんなが電車から降ろされてしまう未来があること。

 えみちゃんは否定せずに、私の話をちゃんと最後まで聞いてくれた。


「話はわかったわ。わかったけど、これからどないしよう……そんな、鬼止めるなんてできひんやろうし。大体、大人には見えへんやんか」


 そう。問題はそこにある。大人は鬼の存在を忘れていく。


「ってことは、えみちゃんもまだ見えてるん?」

「うん。ずっと見えてる。乗り換えた電車、そのあとすぐにふっ飛ばされたわ。平静装ってたんやけど、実はかなり動揺してた」 


 えみちゃんがふっと視線を落とす。指先が震えている。お姉ちゃん、久々にこっちの電車に来ようとしてくれてたんやけど、と呟くえみちゃんのタブレットには、赤い文字が光っていた。


「お姉ちゃん、電車降ろされてしまった……」


 真珠のように大粒の涙がえみちゃんの目からこぼれ落ちて、私はどきり、とする。確か、前の時は、えみちゃんのお姉さんはまだ違う路線の電車に乗っていて、「降ろされた人」にはカウントされていなかったはずやった。


 ―――ズレている。


「……なぁ、前のときは、お姉ちゃんどうしてた?」


 慰めようと、えみちゃんの肩に伸ばした手が空中で意味を無くす。


「……」


 言えるはずがなかった。私が過去を歪めてしまったかもしれへん、なんて。


「もしかして、降ろされてなかったん?私が降ろされへんかったから、代わりにお姉ちゃんが降ろされたってこと?」

「……」

「……そうなんやな」


 ギィィィ、と醜い音を立てて、電車が出発する。私とえみちゃんは、それきり言葉を交わさずに、外の世界の惨状をずうっと眺めていた。

 過去へ戻っても、なんも変わらんやんか。横には死んだような顔のえみちゃんがおるだけ。

 映画みたいに二人で世界を救おうとか、そう言う展開にはならへんし。


 ピロリン、ピロリン。ピロリン、ピロリン。


 アラームは鳴り続けて、そのうち、明人やお父さん、お母さんが「降ろされた人」にカウントされた。えみちゃんのとこも、そうやったみたいで、大切な人の名前が通知されるたびに、「なぁ、前はどうやった?」と独り言のように聞かれた。私は、答えられなかった。

 えみちゃんだけ、救えた。でも、私が歪めてしまったことで、えみちゃんはずっと隣で泣いている。

 父母とは仲直りできないまま、また喧嘩をして終わってしまった。私は、自分のためだけに戻ってきてしまったから。


 ―――先を見て行動せえっていつも言ってるやろ。


 あぁ、また、間違えてしまったんやな。

 夜のカーテンが徐々に開いていき、電車の外が明るくなってきた。

 泣き腫らして、頬に乾いた涙の線を作ったえみちゃんと、瞳に色を失いつつある私の黒い分身が、交わることのない平行線のようにまっすぐに伸びていった。



 ❃ ❃ ❃

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