第55話 忘れられない2人の爺さまの言葉

 


『人は、本来、素人作家の書いた小説は読まないものだ』を、4か月ぶりに再開しまして、昔々に所属していた同人誌(純文学)時代に経験したあれやこれやを、懐かしく思い出しました。


 それで今回は、テーマから外れて、その思い出の一つについて書いてみたいと思います。




 いや、正確にいうと二つかな。


 30年経っても忘れられない、2人の爺さまの言葉です。


 お二人ともて年退職してから同人誌に入会されました。

 当時、お二人とも70歳に近かったと思いますが、気さくで穏やかな方々で、若く生意気な私たちを可愛がってくださいました。


 でも、30年経っても、お二人の何気なく言われたであろう言葉が、私の胸の中に残っているのですよ。


 初めに書いておきますが、ほんとうに、同人仲間同士の何気ない文学談義の中での言葉でした。それを、いまだに覚えていて、時々、思い出してしまう私の方が変なのかもしれません。




 お一人は同人誌で、ご夫婦で行かれた海外旅行の思い出や、趣味の登山などのエッセイを書かれていました。


 その方が、ある時、言われたのですよ。


「同人となって書く条件として、『絶対に、小説を書いてはいけない』と、家内に言われています」


 その言葉よりも、それを言われたときのにこやかな笑顔が、私は気になりました。あれは<したり顔>というものでしたね。


 いまの若い人は<したり顔>という言葉を知らないと思い、類語を検索しましたら、<どや顔>でした。


 うん、あの時のお顔、<どや顔>であってます。(笑)




 そして、もうお一人は、小説を書いておられましたが。


 その内容が、その方にとっては半世紀以上昔の子ども時代の思い出を、小説仕立てにされたものばかりでした。


 ある時の合評会で、「あまりよい評価を得られない」とぼやかれましたので、「昔の思い出を美しく書くよりも、今現在の老いた男性としての生活や想いを、素直に書いたほうがよいのでは。読者も、たぶん、そういうものが読みたいと思っているはず」と、私は答えました。


 そうしたら、いつもは穏やかなその方が、「そんなものが書けるか!」と、声を荒げられまして……。




 今回は、この出来事についての、分析も結論も書きません。


 30年も昔に経験したことなのに、なぜ、鮮明に私の記憶に残っているのか……。


 現在、カクヨムで小説を書き続けている当時の私と同年代の方で、そして現在の私と同年代で小説を書いていらっしゃる方で、共感してくださることがあれば、嬉しいです。

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