第26話 マイクラとスローライフという世界観<6>



 初めに……。

 漫画家の鳥山明氏がお亡くなりになりました。



 鳥山明という偉大な漫画家が亡くなられたという喪失感とともに、私の30代~40代の子育て真っ最中期間が人生の中から消えてしまったという、二重の喪失感をいまだに感じています。


 鳥山明氏のキャラデザインの『ドラゴンクエスト』が、ファミコン本体とともに子どものクリスマスプレゼントとして私の人生に入って来たのは、私が30代半ばのこと。


 またちょうどその頃、小学生だった長男に頼まれて、『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』などが掲載されていた漫画雑誌『ジャンプ』を1日早売りする店に、毎週買いに行っていたものでした。


 私と子どもたちとは仲のよいお喋り好きという関係で、ゲーム・漫画・映画などの話で盛り上がったものでしたが、そういう記憶が今回の鳥山明氏の死とともに、封印されてしまった感じがしています。


 子どもたちの子どもの頃の記憶が封印されると、彼らはもう私の可愛い子どもたちではなく、それぞれの家族とともに生きている近くて遠い大人なのだと、あらためて気づかされた感じです。


 今まで子どもたちの誕生日が来ると、自分の老いていく年齢よりもおじさんおばさんになっていく子どもの年齢に驚いていましたが、これからはそういうことに驚かないような気がします。





 本題に入ります。


 ライトノベルの世界でなぜスローライフものが流行るのだろうかという疑問から始まった今回のエッセイでした。


 ライトノベルでのスローライフの元ネタは、自分が考えるような古今東西の古典名作漂流もの小説ではなく、ゲームの『マインクラフト』ではないかと、ゲームを楽しみながらふと思ったこと。


 そしてそのことについてだらだらと書いているうちに、ライトノベルとTVゲームの親密な関係について気づきました。


 そう気づくと、カクヨムで書かれているライトノベルは、その書き方の表現方法も、そして読者のスマホで1話ごとの細切れに読んで愉しむというのも、TVゲームとよく似ているのではないかと思うようになりました。


 もしかしたら、ライトノベルというものは、TVゲームの活字化なのではないでしょうか。


 そうであれば、読者の頭の中にはすでに世界観のイメージが映像として出来上がっているので、「ライトノベルに情景描写はいらない」という、私の大嫌いな(!)言葉になるのかなと。(笑)




 でも、ここからは『マイクラとスローライフという世界観』とは別の考察となりますので、またいずれ機会がありましたら、書きたいと思います。


 ……ということで、『マイクラとスローライフという世界観』は、今回で終りとします。


 


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