第23話 マイクラとスローライフという世界観<3>
ライトノベルでスローライフが大流行という現象が私にはちょっと不思議で、前回では、いったい何に触発されて今どきの若い人が孤独にスローライフを楽しむ小説を書くのだろうかと、あれこれ元ネタになるような映画やドラマや小説を考察してみた。
古典名作小説の『十五少年漂流記』とか、映画の『キャスト・アウェイ』とか、はたまた小野田寛郎さんなどを例にあげてみたが、どれも違う気がする。
たぶん、カクヨムでスローライフものを書いている若い人は、知らない世界だろう。
そうだ、知らないだろう思われることについて、もう一つ。
ウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』は、絶対に知らないだろうな。
戦争を避けて疎開する少年たちの乗った飛行機が墜落して、そこから孤島での少年たちだけの集団生活が始まるというお話だ。
そして、ゴールディングはノーベル文学賞受賞者なのだが……。
私はこの作品を40歳くらいのときに読んだ。
当時、反抗期の2人の子どもたちに手を焼いていて、少しでも彼らを理解したいと思い、N・H・クラインバウムの『いまを生きる』を読んだ延長で、『蠅の王』も読んだ。
内容はほとんどおぼえていないのだけど、難解で後味が悪かった。(笑)
しかし、私は転んでも、小石の一つでも拾って立ち上がりたい人なので、この『いまを生きる』と『蠅の王』の感想は、読書感想文のコンクールに出して、賞をもらったのは懐かしい思い出ではあるけれど。
そうそう、偶然ではあるけれど、前回のエッセイを掲載した日の地元新聞に近隣の田舎町に移住してきた若い人が数年の暮しを経て撤退することになったいう記事があった。
そしてこれは昨年のことだけど、同じく移住してきた若い人が、地元の古老とおおいに揉めて、そのことを逐一発信したものだから、これはかなりの注目を集めた。
そしてもう一つついでに書くと、私の夫は家庭菜園が趣味なのだけど、猫の額ほどの土地でも食べられるものを栽培するのは、どんなに大変なことか。
ときに夫に頼まれて、葉を食い荒らす芋虫やバッタを殺すのだが、それが嫌でたまらない。
それから、小さい頃に家で卵をとるために鶏を飼ったことがあって、そのせいで私はある時期、鶏肉が食べられなかった。
話は横道に逸れるけれど、私が鶏肉を食べられるようになったのは、小学6年生のとき。
「鶏は人に食べられるために存在する」と父が言って、私の目の前で鶏の首を絞めて解体して、臓物の一つ一つを見せてその名前を教えてくれた。
すごい荒療治だ!
そして、私は納得して鶏肉が食べられるようになった。
あのときの、さまざまな形をした鮮やかな色の鶏の内臓を、目を瞑れば思い出すことができる。
そういえば、私が二十歳ころだったか、父は『夜道で女性をレイプした男の調書』というのを、私に朗読させたことがある。
これも、ものすごい教訓の仕方だ。(笑)
思い出の中では、優しいだけの父となっているけれど、もしかしたら、かなりの変人だったのかも。
話は初めにもどるけれど、私には孤独なスローライフを<ほのぼの>という言葉で表現する若い人の感覚が理解できない。
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