第15話 そうだ、時代劇小説&ドラマに親しもう!<3>



 初めは若い男の子と女の子の初恋物語を書こうとした、自作の『銀狼山脈に抱(いだ)かれて、少女と少年はアサシンとして出逢った』。


 しかしながら、若い二人の仕事がアサシン(暗殺者)という設定で書き進めているうちに、「人を殺しながらラブラブなんて、サイコパスだわ」と気づいたこともあって、途中から悠久の時を生きている神さまとか、その神さまに500年の寿命をもらった僧侶とか、謀反を企てている将軍とかの、おじさんたちが主役の物語になってしまった。


 それで書いていて苦労したのが、そういう地位のある男たちの会話文だ。




 書いていて気づいたのだけど、私たちって、普段の会話でも自分と相手の立場によって、意識的であれ無意識的であれ、言葉を変化させているんだなあということ。


 私の小説で例をあげれば、500年を生きた僧侶の寧安であれば、彼が神さまに話すときと付き人の若い早慶に話すときでは、その言葉遣いが違う。


 地の文の説明を読まなくても、セリフだけでそれは寧安が神さまに言ったのか早慶に言ったのか、言葉遣いでわかる。


 寧安は神さまに向かって自分のことを<わたくし>と言うが、早慶に向かっては<おれ>と言う。そうそう『拙僧』という言葉も使ったが、これはへりくだっているようでもあり相手を見下しているようでありで、ほんといやらしい言葉だ。(笑)




 知りうる限りの尊敬語や謙譲語や丁寧語を駆使して書いているうちに、言葉遣いって、人間の長い長い歴史の中でいろいろと変化し、そして多くの決まり事を作っていることに気づき、改めて感心してしまった。


 そしてなぜか、その書き分けの苦労がいつしか面白くそして快感にもなった。


 身分制度はけっしてよいものではないけれど、自分の身分的立場を表す言葉遣いや所作や服装が、長い人間の歴史の中で、形式美とか様式美といってもよいものに昇華しているのではないか。


 そしてなぜか、その美に心惹かれる。

 小説の中でその形式美や様式美を書いていると、酔ったような気分になって楽しい。




 女性向けの中華ファンタジー小説には後宮を舞台にしたものが多い。


 それは女性読者が<美貌>とか<寵愛>とか<富と権力>といったキーワードに惹かれるのだと思っていた。


 しかし、もしかしたら身分制度で確立した形式美や様式美の表現に、女性特有の美意識が惹かれるということもあるのかも知れない。


<平伏>なんていう所作は、現代の人間同士の関係では絶対にあってはならないものだ。しかし心酔して感嘆して思わず平伏する姿はなぜか美しい。もしかしたら、恐怖におののいての平伏も、ある意味で美しい。


 これは、現代小説では書きたくても書けないシーンだ。




 そしてそれは、小説の時代劇ブームにも言えるのかとも思う。


 本来なら現代を生きる者にとって、生まれながらの身分が存在する世界なんて唾棄すべきものなのに、その世界観が人情ものとして美しく描かれ、読者を惹きつけている。






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