第13話 そうだ、時代劇小説&ドラマに親しもう!<1>
あさのあつこさんの弥勒シリーズ第11巻『乱鴉の空』の文庫本が発売となった。単行本が発売されてより、文庫本化されるまで1年半も待った。
私は小説は文庫本で読む。
単行本は値段的にお高いし、私の読書スタイルであるソファーに寝転んで読むには、重たくて不便だからだ。
それに私には本をコレクションする趣味もない。
読んでいる時は「おもしろいから、いつか再読しよう」と思ことはよくある。しかしこの年齢になってやっと現実を知るようになった。私は、99%の確率で再読した試しがない。
本当は1年半前に、この『乱鴉の空』を単行本で買う予定だった。
しかしTVゲームにハマったのと、『三体』を読む予定もあってついつい後回しになり、それなら文庫本まで待とうということになってしまった。
(なんとなんと、弥勒シリーズ第12巻『野火、奔る』の単行本が来月に発売となる。これは買ってしまうかも知れないなあ)
前置きが長くなってしまった……。
今回は、あさのあつこさんの弥勒シリーズの面白さを書きたいのではなかった。
いま私は、カクヨムで『銀狼山脈に抱かれて、少女と少年はアサシンとして出逢った』を連載している。
ストーリーは佳境で、若い男の神さまと500歳の銀狼教の寧安上人(人間)との会話が延々と続いているシーンを書いているところ。そして、この会話における2人の言葉遣いに頭を悩ましているところ。
神でありながら若いために人生経験が未熟、人間でありながら500歳で酸いも甘いも嚙み分けた古参。
そのために、2人の会話の中の尊敬語と丁寧語の使い方が難しい。
500歳の寧安上人は人間として神の前に無条件にひれ伏し、しかし話題によっては、500歳の彼は若い神より上に立つこともある。
その書き分けは難しくはあるのだけど、小説とは文字を読むものだ。
会話の中の言葉遣いにお互いの立場がよく表れるので、書いているものとしては、腕の振るいどころでもある。
……ということで、いまの私はアンテナをぴんと立てて、尊敬語と丁寧語の勉強をしている。
そして面白いことに、アンテナを立てていると、尊敬語と丁寧語についての情報が向こうからやってくる。
今回は、『そうだ、時代劇小説&ドラマに親しもう!』ということで、中華ファンタジー小説における会話内の尊敬語と丁寧語ついて、蘊蓄を傾けてみたい。
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