第6話 『烏に単は似合わない』<3>



 現在、絶賛再読中です!

 いろいろと発見があって、これがけっこうおもしろいです。




 <1>の①で指摘したちょっと変な文章。


 これについては、ネット感想でも指摘されているので、私一人が「?」と思ったわけではなさそうです。


 でも、小説において文章というのは個性でもあるし、中盤からは「?」と思うことも少なくなっています。それもあって、一つ一つの文章を引用して、小姑みたいに(!)口煩く言おうとは思いません。


 作者の阿部智里さんが『烏に単は似合わない』を書かれた時、まだ20歳の大学生でした。これから『八咫烏シリーズ』を読んでいくつもりなので、文章が文体がどのようになっていくのか、それもまた読書の楽しみだと思っています。



 そうそう、これもネットで拾った感想なのですが。


 あるかたの「文章を直さずにして出版した編集者の責任だ」という書き込みが目にとまりました。


 これについては、昔の人間の私としては、「たとえ変であっても、編集者が受賞後の小説について、作家に変更を求めることは出来ない。そちらのほうが編集者の責任問題だ」と思ったことです。


 文学賞を受賞する作品は、ストーリー・構成・文章を総合的に見て選考委員(それも日本で大御所といわれる作家複数)が判断したことです。受賞後に、出版社の編集者が作品を手直して出版するなどありえないことだと思います。「未熟ではあるが、受賞作品はこれしかない」と押した、選考委員の顔に泥を塗ったと言われるでしょう。


 また本来なら、「この作品で受賞する!」と精魂込めて書いて応募し受賞した小説を、受賞後にあれこれ言われて書き直しを求められるなどは屈辱です。頑固な人であればなおさらのこと、受賞辞退騒ぎに発展するかもしれません。



 昔々、私が所属していた同人誌では年に二回ほど雑誌を発行していたのですが、これもまた主催者の先生が同人仲間の文章に口をはさむということはありませんでした。


 2~3度の校正を繰り返す間に、自分で気づくしかありません。あまりに変だと、「次回の作品を楽しみにしています」と先生に言われ、同人雑誌への掲載を見送られるだけです。それとも、合評会で仲間に指摘されて、大恥をかくか……。


 そういえばそれで主催者の先生と大喧嘩というのも何度か見ました。

 それほどに他人が小説の文章や内容に口をはさむというのは、表現者として屈辱であり納得できないことです。指摘されて直してよくなったというのは、発表前のまだ下書きという段階における別の話です。



 そういう経験をしてきたものとしては、カクヨムで掲載されていた作品と書籍化された作品があまりにも違っているというのを初めて読んだ時、なんか見てはならないものを見てしまったという気がしたものです。


 ドキッとして心臓が高鳴りました。(笑)


 しかしカクヨム歴も長くなって、「アイデアさえよければ、構成や文章は編集さんがなんとかしてくれる」という書き込みを、何度も目にしました。


 カクヨムでのライトノベルというジャンルはそういうものなのだと、いまでは私の心臓もドキドキとはしなくなりました。「どういうふうに直しているのかな?」と、興味津々で読み比べたりしています。


 ただやはりこれはカクヨムのライトノベルというジャンルに通用するルールです。

 選考委員が出版社の編集者ではなく名の知れた複数のプロの作家という、大きな賞では通用しないルールだということは、知っておく必要があるのではないでしょうか。


 そして自分がどちらを目標にして執筆していくかということも、作家を目指す以上、長い目で見て大切なことのように思います。





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