《2》墓守さん




 病院の正面玄関を出ると、まだ冷たさがある東風が海の匂いを届けてきた。

 数か月前まで、コンクリートの森とアスファルトの大地が人の手で忙しなく崩したり広げられたりしている東京に住んでいたからか、両親の生まれ故郷である海沿いのこの街の穏やかさは結構気に入っている。……気難し屋の姉も変化した生活に早く慣れてくれたらいいんだけど。

 そうやって、同じ高校に進学するために一緒に祖父母の家に引っ越した双子の姉のことを頭の片隅で考えつつ、病院からほど近い墓園の前を通過しようとした。けど、墓園へと続く階段を登っている見覚えのある後ろ姿を見かけたことで、思わず声が零れる。

「墓守さん?」

 奇妙とも言えるその愛称。それによって、もう一段上に上がろうとしていた足を止めたその人は振り向いた。

 シンプルなデザインながらも高級感のある光沢が美しい真っ黒なスーツがよく似合うその人は、色鮮やかなミニブーケをいくつも抱えていた。

 そんな彼は、こちらの姿を視界に収めてから最新型のリムレス眼鏡越しの目を少し見開く。そして狼のような鮮やかな金の瞳に穏やかな光を宿して微笑みかけてくれた。

ゼンくん、久しぶりだね。最後に会ったのは……、小学校の卒業式以来か。通りで大きくなるわけだ。かおるちゃんはどうだい? 大周はるちかくん──きみのお父さんなら仕事で偶に連絡を取り合うから、元気にやっているとは知っているんだが」

 春の穏やかな日差しで銀髪を輝かせながら、わざわざ階段を下りて向かい合ってくれた彼──葦津ルカさんは、自分にとって遠縁の身内だ。

 日本国内外で多くの事業を手掛けている大企業のきっかけとなった情報端末デバイス小売店『シルフ』を遠い昔の頃に起業した人物であるはずなのに、その姿は大学生だと言われても疑問に思わない若々しさがあった。

 仕事時の姿を知らない自分や姉の馨にとって、その若々しい容姿と毎日のように墓参りをしている奇妙な習慣のせいで、彼に対して『不思議な人物』という印象しかない。そのせいで大抵の大人たちから平伏されるぐらいに偉大な存在なのだと知ってからも、変に畏まるのも違和感しかなくて。だから、幼い頃と変わらず『墓守さん』という愛称で呼んでいる。

「馨は相変わらず気難しいヤツだよ。今朝だって母さんに会いに行こうって誘ったのに、嫌だって怒られた。本当は会いに行きたいくせに、自分で自分の首絞める天邪鬼だねあれは」

 母そっくりな目をこれでもかと吊り上げている姉の姿を思い出し、ついつい溜息を吐く。すると墓守さんは深い深い冬の森のような冷たい印象がある容姿とは裏腹に、パカリと口を開けて豪快に呵々大笑した。

「天邪鬼ね。分かるよ」

「あぁ、そういえば気難しい弟が」

「気難しいなんてそんな大層なものじゃないさ。子どもの癇癪のようなものだね」

「えぇ……とっくの昔に成人してるのに」

「ああやって子どもの頃に出来なかったことを今やり直しているんだよ、セスは。……セスと言えば、最近『シルフ』に来ていないらしいが、眼鏡の調子はどうだい?」

「ん、問題ないよ。馨のも、調子悪かったら俺が整備するだけだし」

「おいおい、勝手な修理や改造は保証適用外になるからやめてくれ」

「流石に改造はしないよ。機種替えする時にセスさんに怒られる」

 ほら、とウエストポーチに入れていた【眼鏡ブリレ】──現代社会で欠かせない情報端末デバイスである眼鏡型ハードウェアを取り出し、改造していない綺麗な姿であることを証明してみせるけれども、墓守さんはむしろ苦笑いを見せた。

「正規品ではないアクセサリを使っているじゃないか」

「学生の懐じゃ正規品は高いよ。それに、保証適用内のささやかなカスタムだから」

「プログラミングの天才にはその程度の保証制度は通用しないか」

「天才って」

「事実だろう? 高校だって大会優勝の実績があるから推薦で受かったんだときみの父親から聞いたよ」

「それはそうだけど、国内の大会だし」

「じゃあ高校では世界に挑戦する予定か」

「気が早いよ」

 そうやって躊躇いなく行動したからこそ、眼鏡を取り扱う小さな店を大企業まで成長させることができたのだろうけど、対抗心や向上心が全くと言っていいぐらい無い自分にとっては忙しない生き方だとしか思えない。

 そんな自分より生命力に満ち満ちている姿があまりに眩しくて、視線を手元の眼鏡に戻すと、手は存在を忘れかけていて。またかと溜息を吐き、ここ最近の習慣となりつつある手を擦る動作をしようとした。……しかし、その前に大きな手が両手を包み込んでくる。

「禪くん、これは」

「大丈夫、すぐ元に戻るから」

 言葉によって存在を思い出したのか、手は元通りになる。けれど、墓守さんは険しい表情をするばかりだ。

「もう何度も透けているのか」

「うん」

「誰にも相談もせずに?」

「だってすぐに元に戻るから」

「そういえば素直に病院に行かない子だったねきみは」

 珍しく重々しい溜息を吐いた墓守さんは、皺の寄った眉間を抑える。……そんなに拙い事態なのか、これ。

「どうしたの? そんな深刻なの、『幽霊病』」

「幽霊病?」

「だって、透けるじゃん。だから幽霊病って呼んでる」

「病だと認識しているなら素直に病院に行くなり相談するなりして欲しかったな」

「体が透ける病気なんて調べても出て来なかったから、俺の幻覚かと」

「……確かにそうか」

 ふぅー、と大きく息を吐き出し、眉間から手を離した墓守さんは、代わりにジャケットのインサイドポケットから名刺入れとペンを取り出す。

「それはいずれ君の体が消えることになる、かなり危険な状態である証だよ」

 信頼している大人の断言によって、一瞬体が強張る。けれども、先程会った母の姿が思い浮かんだことですぐに我に帰って声を上げた。

「そんな、困るよ。母さんとか、馨とか、どうにかしなきゃいけないこと色々あるのに。家族を置いて消えるなんて、困る」

「まずは自分の心配をすべきではないかな……。シルフ一号店の場所は覚えてる?」

「セスさんが店長やってる店舗のこと?」

「そうだ。きみの言う、幽霊病をどうにかできるかもしれない。今は春休み中だろう? ここからそう遠くないし、明日にでも来てほしい」

 裏側に連絡先が書き込まれた名刺を、言われるがままに受け取る。すると、墓守さんの表情が多少穏やかになってくれた。

「この連絡先は?」

「プライベート用だ。なにかあったらすぐに連絡するように」

 ツルツルとした質感が特徴的なバイオプラスチックの名刺を眺めながら頷いていると、微笑みを浮かべる墓守さんは、腕の中にある花束を見せてくる。

「今からでもシルフに行くかい? 墓参りをした後、丁度行く予定なんだが」

 ついでに禪くんのご先祖様にご挨拶したら? という提案。けれども、いずれ自分が入ることになるであろう墓を盆や彼岸でもないのに見に行くのは遠慮願いたかったのでギシギシと首を振った。

「もう遅いから、今日は帰る。馨を迎えに行かなきゃ」

「そうか。では明日の昼頃に来れるかい?」

「うん」

「ではまた」

 その言葉を呟いた墓守さんは、墓地へと続く階段を登って立ち去った。

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