番外短編

番外 七夕

 誰もいない、ただ一人。夜空に放り出されたような感覚、見えない闇の中、愛する人の手触りはそこにはない。

 あの温もりを忘れてしまいそうで、何もかもが星空の泡に紛れて見失いそう。

 歩いて行く。覚束ない地面は何も知らせてなどくれない。思い出の土地であることすら感じさせなくてどこまでも空しい闇景色。

 眠気すら忘れさせてくれる星空は悲しみを与えることで更に大きな目覚めを与えてくれる。気が付けば、ため息が零れ落ちてしまう。

 今日は七夕、織姫と彦星が天の川で一年に一度だけ許された再会を果たす日。

 たった一年に一度だけしか会うことが許されない恋人はあまりにも苦しい話。胸を締め付けるような想いの中で那雪はあの日の事を思い出していた。

 かつて魔女と一緒に過ごした二年足らず。あの日々はかけがえのない幻で、どこにでもあるような想いが混ざり合う現実。魔法を扱えるからと言って特別でも何でもない、そんな特別な彼女との日々。

 冬空の下、那雪が中学三年生を迎えようと言った時に魔女の奈々美は高校を卒業して他の魔女たちと共にしばらく過ごすことになるのだと言って立ち去ってしまった。

 その時にもらった四つ葉のクローバーの栞は今でも手の中に納まり幸運を願い続ける少女の記憶を思い起こさせてくれる。小説で読んだこと、愛する少女の死によって一人取り残された男が形見として持っていた四つ葉のクローバーの葉が一枚欠けてしまうというもの。あのシーンのような状況には決して会いたくない、そう願ってやまなかった一週間も既に懐かしく感じられた。

 別れの日から時が流れて中学を卒業、高校二年生に上がって今この場所。

 奈々美と初めて出会った公園の川沿いに造られた石の階段に立ち、川を挟んで向こう側の段を見つめる。天の川を挟んで向こう側に未だに奈々美はいない。

「織姫と彦星だって毎年会ってるのに」

 思わず呟いていた。会えない寂しさ、彼女にとっての七夕は再開のきっかけにすらなり得ない。

 奈々美は目指す場の為に頑張って生きて行けているだろうか。今も輝かしい姿で立っているのだろうか。もしかすると那雪の事などとうに忘れてしまっているのかも知れない。

 不安が星の瞬きと共に心に穴をあけて広がって。

 一年に一度の出会いすら許されない那雪と奈々美の再開を願い、短冊すら用意できないこの場所で星空に願いを描く。

「ねえ、寂しい」

 言葉にしても無駄でしかない。星々は、線で結ばれそこにいる神々は地上にいる一人の少女の事を見つけることが出来る程暇ではないのだから。



  ☆



 あの孤独の悲しみから一年が経過した。念願の再会、二人の甘い関係の再開は晩秋の下でのことだった。

 四大元素の内の水と風と土は扱えたものの、家系の才能よりも個人の才の欠如が強かったのだろう。火属性だけが扱えないのだという。那雪が四葉のクローバーの栞に込めた想いはこの世で最も冷たい炎となって二人の関係を隔てる大きな壁となっていた事を思い出す。

 今となっては奈々美が持たない火属性は那雪なのだと思って誇らしげな態度で並んで歩いていた。那雪はクローバーの葉が欠けるあのシーンを悲しみの瞳で見つめてそうはならないようにと願っていたものの、実のところ那雪本人が欠けた一枚の葉だったのだということ。

 今では懐かしさに浸りながらも新しい二人の関係を築き続ける毎日を歩み、寂しい七夕にさよならを告げて今ここにいる。

 初めて二人が出会ったあの公園に足を運び、石の階段に二人並んで向こう側の階段を見つめる。

「二人ここにいたら、待つ彦星もいないものね」

 奈々美の言葉の通りだった。既に手を繋いでここにいる。それだけで充分だった。

「私たち、毎日出会ってるからね」

 もはや短冊に綴る願いはない。欲しければ動いて取ればいい、一人では出来なくとも二人でなら踏み入ることの出来る世界はより広くなっていく。那雪は完全に奈々美の炎の力となって二人一組の魔女、〈黒百合の魔女〉と呼んで裏で揶揄いながら怖れていた。奈々美を落ちこぼれとして扱っていたことへの復讐を恐れていたのだ。呪われても仕方のない嫌がらせの数々、ありとあらゆる場面で本来の家系の魔法から一つの属性が欠けた奈々美を示すように彼女の持ち物や食器を隠して席を埋めて道具を壊して。そうした魔女のイジメの跳ね返りは自分の心情という形で勝手に呪いとなって勝手に身を蝕んでいた。

「勝手に悩んで馬鹿みたいだったわね」

「私たちは何もする気ないのにね」

 暗闇の向こう、未だに現れない彦星とは二人の日本での婚約の許しだろうか。この時代、同性愛者が目立ち始めた今と言う時でも尚認められない事に肩を落としながらも短冊に書くことはない。迷信や信仰は縋るモノでなく、利用しなければならないという段階にまで至っていた。

 誰に祈ったところで通じることのない願い、それは意識すればするほど二人の胸を締め付け息をすることすら妨げてくるたった一つの呪いに他ならなかった。

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〈東の魔女〉とメガネの少女 焼魚圭 @salmon777

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