4.私のやるべきこと


 それ以来、あの人は精神的に体調を崩してしまいました。



 もともと、仕事でも精神面で負担をきたしていたらしく、徐々に良くなってきた矢先に、こういう攻撃を受け、更に落ち込んだようです。


「ものづくり」をする私たちにとっては、自分が書いた作品に傷をつけられることは、裸の心に直接、鋭いナイフで攻撃されることと同義です。



」は悪意がなかったにしろ(昨日まではそう願っていましたが、本人に悪意はなくても、被害を受けた側としては、もはや悪意でしかありません)、あの人とあの人の作品を傷つけ、あの人が長く築き上げたWeb小説での関係を、わずか3か月程度で破壊し、断絶しまったのです。




 私は心底、悲しくなりました。でも、ここまでのことをされても、あの人は怒りを表明することはありませんでした。




 そこからの私は、抜け殻になったように、放心状態となりました。

 書きかけの長編小説もパソコンの奥へ眠らせたまま、あの人に連絡を取り、励まそうとしました。





 ――もう一度、あの人の物語を読みたい――





 それだけが私の願いでした。

 でも。




 精神を崩した人に対して、「頑張って」なんて言葉をかけられるでしょうか?



 いつもどおりのあなたに戻ってなんて、誰が言えるでしょうか?





 どんな文章だって、そこに時間をかけた分だけの労力が必ず発生します。

 私たち創作者は、創作をするにあたって、一人の主人公がいたら、人生一人分の演技をしているのです。


 それがどんなに大変なことなのか、創作する人なら、絶対にわかるはずです。





 それがわかっているからこそ。

 だからこそ私は、筆を折ってしまったあの人に、何も言えませんでした。







 私はこの春、とあるカフェにて、ようやく精神が安定してきたあの人と久々に食事をし、一つのUSBを譲り受けました。



「なに、これ?」

 と、その時はとぼけた顔で受け取りましたが、私にはそれがなんなのか、大体の予想がつきました。




 家に帰ってパソコンにつないでみると、中にはあの人がこれまでに紡いだ物語のすべてが入っていました。




 数々の短編小説。書きかけの長編小説。大量の物語の切れ端が詰まったフォルダたち……。




 そして、一番下に格納されたテキストメッセージ。






『澪のおかげで、この物語たちは頭に浮かんだと思う。だから、返却します』






 ようやく、「……嘘でしょ……?」という言葉が唇から漏れました。


 だってこれは、のですから。




 けれど、私は不思議と何の感情も涙も沸きませんでした。


 代わりに、おなかの奥から何か、ぐつぐつとマグマのような、熱い気持ちがこみあげてきて、その日、カフェで食べたものを吐き出しそうになったのです。





 それが「あの人」に対する怒りなのか悲しみなのか、本当の名も知らぬ「」に対する怒り苛立ちなのか、よくわかりませんでした。







 何が返却だよ。

 大馬鹿だよ。







 だから。

 私は決意しました。






 ――あの人が創り上げた世界を継承して、この世界に再び届けてやる。






 私の創作は、二人分の意思が融合した、壊れやすくも確かな物語のカタチ。

 私の物語は、二人分の世界が重なり合った、儚くも強い幻想のカタチ。





 こんなカタチで創作を行う私を、誰かが笑うかもしれません。

 けれど、時間をかけて創作したものが世に出ないことほど、悲しいことはありません。あなたも、皆さんも、この事実だけはみんな同じでしょう?





 私には私なりの信念がある。

 やるべき義務がある。

 背負った責務がある。





 もう二度と、あの人の世界が壊されることは、私が許しません。

 私が絶対に守り抜きます。





 大げさかもしれませんが、これが私のやるべきことであり、生きる啓示なのです。



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