Lamp black:求めるものは

 京香さんが出ていった後パーティは完全にお開きになり、俺はグラスを磨くことに集中するしかなかった。


大陸あーすさん、俺たちでやりますから」

「そうですよ。その辺で座っててください」


 後輩たちの言葉にも笑顔を張り付けたまま、完璧にグラスを磨き続ける俺。


 時折聞こえてくる甲高い声に吐き気を覚えながら、「今夜は店に泊まるか…」と考えていた時、俺は肩を叩かれドキッとする。


大陸あーす、お疲れ! 今夜は、俺んち来ないか?」

「翔さん」

「そんな顔すんな。お前も飲み足らないだろ? 俺もだ」


 俺はどんな顔をしていたんだろう。翔さんの誘いが嬉しくて後片付けもそこそこに、翔さんについていくことにした。

 明日の朝俺がいなくても、あいつらが何とかすればいい。そう割り切ることにして。




 外はしとしとと雨が降っていた。




※ ※ ※


大陸あーす! 遠慮するな。入れ」

「え、あ、はい」


 No.1の翔さんが住んでいるところなら、さぞかし豪華なところだろうと勝手に想像していた俺は、何かの間違いじゃないか? と思うほど驚いた。


「なんだ? 俺んちがこんな古いアパートでビックリしたか?」

「い、いえ…。てっきり高層マンションとかに住んでいるものだとばかり」

「あははは。まー、この業界はさ、長くは働けないだろ? お客は若い方に目が行く。それに…」


 照れ臭そうに翔さんが笑う。玄関には女性用の靴が綺麗に置いてあった。


「お帰りなさい!」

「えっ?」


 奥から、可愛らしい女性がピョコンと顔を出した。しかもお腹が少し大きい。


「紹介するな。こいつは俺の嫁」

「まだ予定だけどね」


 女性は翔さんのスーツの上着を慣れた手付きで受け取りハンガーを俺に渡してくれた。


「お邪魔します。大陸あーすです」

「何緊張してんだよ」

「い、いや」

「はじめまして大陸あーすさん。かおりです。ゆっくりしていってくださいね」


 かおりさんは翔さんに何やら話をして、奥の部屋に消えていった。後はお好きにどうぞってことらしい。


「いい女だろ?」

「えぇ、すごく穏やかで優しい人って感じですね。綺麗っていうか可愛らしい」

「あぁ、俺が出会った女性の中で一番素朴で一番正直で一番いい女だ」


 翔さんは缶ビールを冷蔵庫から出しながら、かおりさんが用意してくれたつまみをテーブルに運んでくれた。


「料理も旨いしな。まぁ乾杯しようぜ」

「あ、はい」

「まずは大陸あーす! よくやったな。よくクリスタルを見つけたよ。おめでとう」


 翔さんはすごく嬉しそうだ。


「翔さんこそ! おめでとうございます。みんな翔さんについていきますよ」

「ありがとな。もちろんお前もついてきてくれるだろ?」

「もちろんです!」


 俺はかおりさんの肉じゃがをつまみに、缶ビールを飲み干す。かおりさんの肉じゃがは、昔お袋が俺と妹のために作ってくれたものに似ていた。


「もう、JINジンさんに?」

「いや、まだ」

「そうすっか」

「でも、腹の子が生まれる前にはちゃんとしたいと思ってる」

「結婚ってことですよね?」

「あぁ、責任ってだけじゃなくて…初めて本気で守りたいって思ちまったんだよな」


 翔さんは照れながキュウリの漬け物に手を伸ばす。そんな翔さんの姿も俺は世界一格好いいって思った。


「おめでとうございます!」


 翔さんは顔をくしゃくしゃにして嬉しそうに笑った。


 この人もこんな顔をするんだ。俺もいつかこんな顔で京香さんと笑いあえる日が来るんだろうか? なんてこの時の俺は考えていた。



 その日俺は翔さんの家に世話になり、そして…夢を見た。


※ ※ ※



―― ここはどこだ?


 雨が降っている。絶え間なく地面に出来た水溜まりに波紋がいくつも広がっていた。


 心の中を覗けたのなら、きっと俺の心はこんな色をしているんだろう。そう感じるほど周りはグレー一色の世界が広がっていた。そして止むことを知らない雨が降り続いている。


 俺は傘もささず行くあてもなく、何処に向かうでもなくただ歩いていた。道を歩く人も、すれ違う人もいない。


 孤独とかじゃなくて、ここが俺のいるべき場所だと思った瞬間、目の前に一際鮮やかな色が飛び込んできた。


―― 誰…?


 赤い傘がクルクル回っている。どこかで見た景色が再生される。


―― 七海ななみ!?


 赤い傘を持った人物がゆっくりと遠ざかって行く。

 結末を知っているからこそ、俺は慌ててその人物を追いかける。でも足が上手く動かない。全然距離が縮まらない。


―― ダメだ! そっちに行っちゃダメだ!


 車が近付いてくるのに、何も出来なくて俺は叫ぶ。でもその声も届かない。



 諦めよう、どうせ何も変わらない。変わることなんてないんだ。どうせ…。



 ドォーン。何かがぶつかり、破壊される音が響いた。そうだ、結末は変えられない。誰にも…。



 赤い傘が俺の世界で唯一色を持ち、宙を舞う。それはとても美しかった。


 立ち尽くす俺の前に赤い傘が舞い降りる。あぁ、そうだった。俺はずっと傘を見ていた。七海ななみに何が起きたかも確認しようともせずに、綺麗なその傘を眺めていた。


 コロコロっと傘が動き、何かが見え始めた。


 やめてくれ。見たくないんだ。


 そんな俺の気持ちをよそに、傘はゆっくりと動いていく。



「…なっ!」


 俺は息を飲んだ。


「そんな……、なんで? 京香…さん」



 目の前に、彼女が倒れている。足も手も変な方向を向いて…。


 俺は動けない。


 そして彼女は苦しそうな顔を俺に向けた。


「た…、たす…け…」


 俺は動くことも、叫ぶこともできずただ彼女を見下ろしていた。

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Color~人生の色~ 桔梗 浬 @hareruya0126

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