提供が速すぎる料理店

河伯ノ者

提供が速すぎる料理店

 金曜日の夜の池袋。

 俺は今日も一人でこの街を練り歩く。

 三十を過ぎた独身のサラリーマン。大した趣味も持たない俺を唯一満足させてくれるのが、この金曜の一人呑みだ。

 見ず知らずの店に入り、味の良し悪しに関わらず豪遊するのが俺の楽しみだ。

 会社から一駅だが家とは反対方向のこの町に来たのは、新しい出会いを求めてだった。

 しかし、視界に入る店はどれもこれも普遍的で『退屈』だった。

 彼らが悪いわけではない。いつだって最高の料理をオールウェイズ提供してくれる彼らに落ち度などあろうはずもない。

 だが、それでは潤わないのだ。

 俺の欲しいのは『未知』。扉を開くまでどんな店なのかという妄想を焚き立てる未知が足りていない。

 サンシャイン池袋を越え、少し寂しい場所へと抜けた俺は、彷徨うように路地へと吸い込まれていく。

 そこで俺は見つけた。

 これを運命と言わず何と言おうか。

 古びた白色電灯の立看板。物々しい扉には営業中のプレートが下げられている。

 そして、その扉の横には『30秒チャレンジの店』と書かれていた。

 30秒チャレンジ? 30秒で食べきれたら賞金でも出るのだろうか?

 そんなことを思いながら、俺は店の扉を引いていた。

「お待ちしておりました、お客様」

 至って普通の店内。何処にでもあるような四角いテーブルには四つの椅子が並んでいる。それが左右に三つずつ並んでおり、奥にはカウンター席も見えた。

 変わった挨拶をした店員はまだ十代なのでは、と思えるほどに若々しく、だが確かな気品を感じさせるその面持ちはホテルマンや一流のメイドとすら思えるほどに高貴であった。

 俺は彼女が待つテーブルに座る。

「当店にお越しいただきましてありがとうございます。当店は全ての商品を頼まれてから三十秒以内に提供させていただきます。もしも提供できなかった際には御代を無料にさせていただきます」

 俺が何かを言うよりも先に店員が俺の気になっていたことを説明した。それを聞いた俺は少し落胆した。

 三十秒での提供。つまりは出来合いの品を出すだけの店ということだ。

 メニュー表に書かれている料理にはブリのカマ焼きや極厚焼き牛タンなどのどう足掻いても三十秒では提供できないものが並んでいる。

 通りで客の一人もいないはずだ。

 すっかり気落ちした俺はせめてハズレの無いものを選ぶことにした。

「じゃあ生と鮪の刺身、あと枝豆を……」

 そこまで言った時だった。奥から歩いてきた店員が俺のテーブルの上に生ビールと鮪の刺身、そして枝豆を置いた。

 まだ俺は言い切っていない。だが今俺が口にした商品をしっかりと提供してきた。速い、クロロの手刀くらい速い。

 しかも、驚くべきことにビールはグラスまで冷えている。

 そして、枝豆はといえば、なんということだ焼きたてじゃあないか。

 塩の煌く枝豆を手に取り、口に咥えて指で豆を押し出す。溢れ出る茹で汁は枝豆の旨味を吸った極上のドリップ。豆はホクホクとしていて確かな甘みを感じる。

 頭を鈍器で殴られたかのような衝撃。この店は……アタリだ!!

 ビールのグラスを持ち上げ、グラスのフチに唇を当てる。

 唇が貼り付きそうなほど冷えたグラスの中身は、やはり極寒のエールビールだ。

 その喉ごしを楽しみ、グビグビと音を立てて俺の喉を食道を駆け巡る。

 夢。そうこれは夢だ。三五〇円のジョッキビールがこんなに美味いことがあるだろうか。その昔行ったバーのマスターが入れた一杯千円のビールよりも美味い。

 こうきたらマグロはどうだろうか、見たところ普通の赤身だが、枝豆とビールがここまで美味い店だ。刺身がマズいことがあろうはずもない。

 新鮮な、てらてらとした脂。赤いその身を山葵わさびを溶いた醤油に付けて頬張る。

 うん、普通だ!

 いや、美味いことには美味い。だが、枝豆やビールのように特別何かが違うという訳でもない。普遍的なマグロだった。一皿五〇〇円に何を期待しているのかと言われればそこまでなのだが、今までの料理の美味しさを鑑みたらどことなく物足りなさを感じる。

 こうなってくると三十秒で提供できそうにもない料理を頼んでみたくなってきた。

 俺が店員を呼ぼうと顔を上げると同時に、店員が俺のテーブルの横に立っていた。

「お呼びでしょうか?」

 そう言ってメモを取り出す店員に俺は次の注文をする。

「卵焼きのネギ入りと厚切焼牛タン、後は味噌ラーメン」

 またしても俺が言い切ると同時に、他の店員が俺の注文した品々を持って現れる。

 ここまで来たら超能力の類だ。

 卵焼きは出汁の染みた厚焼き玉子。牛タンは少しレアな焼き具合。そして味噌ラーメンは、といえばこんもりとした茹で野菜に叉焼が二枚も乗せられた贅沢な品だった。

 無論、どれも美味い。

 特に味噌ラーメンなんて専門店のソレと遜色ないほどに味わい深い品だった。

 腹の膨れた俺は会計を済ませ店を後にする。

 ハッキリ言って完敗した気分だった。これは一度でいいから三十秒を越えさせなくてはいけない。

 それから俺は金曜日になると決まって店に立ち寄った。

 大量の注文。焼き具合の注文、酒の割り方などあらゆる手段で店に注文を付ける。

 しかし、そのどれもが十秒も経たずに提供された。

 後輩に奢るからと言い、ボーナスを使って店内を満員にしても、その提供速度が落ちることはなかった。

 俺が店に通い始めて半年が過ぎた頃。

 俺はついに禁じ手を使うこととした。

「この店、たしかパンの提供をしていたよな?」

 そう、メニューにない商品の注文だ。

 これならば注文してからしか作りようがないはずだ。

「カツサンドを作ってくれ、カツを挟んだ後にトーストを焼いたものがいい。あとは……」

 机の上に置かれたカツサンド。綺麗な焼き目を付けたそれにはキャベツとカツレツと特製のソース、そして俺が注文しようとしたチーズが挟まれていた。

 確かに俺が注文しようとしたものだ。だが、俺はこれを見た瞬間に勝利を確信した。

「おいおいおいおい、なんだいこれは?」

 俺はトーストを剥がし、伸びるチェダーチーズを店員に見せつける。

「俺はチーズを挟んでくれなんて注文しちゃあいないぜ?」

 確かに俺はチーズを挟んでくれと言おうと思っていた。だが、それを言う前に提供された以上、俺はこれを拒むことができる。

 今から作り直したのでは間違いなく三十秒を越えるだろう。

「あぁ、失礼致しました。ただいま作り直しますので少々お待ちください」

 申し訳なさそうに皿を手に持って踵を返す店員。

 俺は確かな勝利を掴んだはずだった。

 しかし、俺の心の中にあったのは勝利の愉悦ではなく、罪悪感だった。

 無理な注文。値段よりも質のいい料理の数々を提供してきたこの店に、俺は卑劣な手で報いてしまった。

 本当にいいのか?

 これで、このままでいいのだろうか?

 俺の欲しかった勝利は本当にこんな空しいだけの勝利だったのか?

 気付いたら俺は席を立っていた。

 厨房への扉をくぐる店員を追いかけて、その鉄扉を開く。

 鍋を振るう音、具材を斬る包丁の音、スープを煮込む音。様々な調理の音が聞こえてくる。

 そして、その中心にいたのは全身がピンクの蛸のような生物だった。

 古いSFに出てくるような蛸型宇宙人のようなソレは触手たちを巧みに操り、様々な食材を調理している。

「お前は、一体……」

 俺に気が付いたソレは手を止めてこちらを見る。

「―――店長です」

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