祖父の遺影
これは、私の祖父が亡くなった時の話です。
祖父は大正生まれで、三度の出征、そしてシベリア抑留の経験もある、気骨のある人でした。
若い頃をそんな風に過ごしたからか、何事にも動じず、けれど孫にはものすごく甘いおじいちゃんでした。
私はおじいちゃんが大好きでした。博識で、色々な話をしてくれました。
特に動物への接し方に詳しく、
「馬は首筋をこう撫でられるのが好き、耳がピンと立っている馬は警戒しているから気をつけなさい」
「犬は顎の下や背中を撫でるといい、無闇に吠えるバカ犬は相手にしてはいけないよ」
と、よく教えてくれたものでした。
それも出征中、軍馬や軍用犬を扱った、確かな経験によるものだったのでしょう。
けれど祖父が動物を撫でる様子は、心から好きなのが伝わってくるような、穏やかなものでした。
そんな祖父の死生観は、戦争が作り上げたのかもしれません。
遺影も戒名も生前自分で用意し、
――そう。
平成に入ってから七十過ぎで亡くなったのに、遺影は若い頃の軍服姿。胸に勲章、傍らに軍刀を持ち、誇らしげな表情なのです。
戒名も独学で勉強したようで、まるで偉人みたいな文字数な上、「征」「誉」「旭」というような文字が並んでいるから、殉死した軍人さんと思われても不思議でないもの。
きっと、戦争の経験が祖父の精神を、良くも悪くも、ガッチリと作り上げていたのでしょう。
そして亡くなった原因も、当時受けた銃創によるものでした。
銃弾の破片が体内に残っており、いつ悪さをするか分からないと医者に言われていたと、祖父のお葬式の時、祖母に聞かされて知りました。
私はその頃、まだ小学生でした。
「死」というものを大して理解もできずに、お数珠を弄びながらお経を聞いていた記憶があります。
そして出棺の時。
おじいちゃんっ子だった私は、自分から「遺影を持ちたい」と言った記憶があります。
落とさないように心配されながらも、しっかり胸に抱えて霊柩車の助手席に乗り、長いクラクションと共に走り出した葬列の先頭で、不思議な気持ちになっていました。
――ただの写真なのに、まるでおじいちゃんの傍にいるような安心感がある。
そんな温かさを、四角い額に感じていたのです。
ですから、火葬場の無機質な炉に祖父の肉体が運び込まれるのを見ていても、あまり実感がありませんでした。
その後、無事に火葬が終わり、お骨を骨壺に納め、初七日の法要のためにお寺に戻った時の事です。
遺骨は喪主である父が持ち、遺影はやはり私が抱えていました。
落とさないよう、慎重に車を降りると……。
「おや?」
と、祖母が首を傾げたのです。
「遺影の色が変わってる」
言われて私も確認をしました。そして驚きました。
当時、遺影は白黒写真でした。その上祖父の遺影は、若い頃、つまり昭和初期に撮影されたものですので、元から白黒写真です。
ところが、それが顔を中心に、セピア色に変色しているのです。
その場にいる全員が、お葬式の祭壇にあった祖父の遺影は見ています。ですから、遺影は白黒写真であったのは間違いありません。
それに、火葬場への往復は私が抱えていたのだし、火葬中は会食の場にずっと置いてあったのですから、中身が入れ替わる事などあり得ません。
火葬場を往復したたった数時間に、誰の目にも明らかなほど、写真の色が変わってしまったのです。
親族の人たちは、まだ小学生の私が何か悪戯をしたのではないかと考えたようです。「いつからこんな色に?」と私に質問をぶつけて来ました。でも、写真を前向きに抱えていた私に知る由はありません。返答に窮していると、祖母が助け舟を出してくれました。
「おじいさんのショウが入ったんだ」
そう言って優しく、祖母は私の背中を撫でました。
***
祖父は先述した通り、動物が大好きでした。
けれど我が家で動物を飼う事はありませんでした。
私が喘息持ちだった事もありますが、「動物の死」によって孫が悲しむ顔を見たくない、というところもあったようです。
それだけ、戦場で辛い思いをしてきたのでしょう。
しかし、祖父の死後、どうしてもと祖母が頼まれて、犬を飼う事になりました。
その犬は、シェットランドシープドッグ。
そこ子は、一時期大流行したものの、ブームが去ってペットショップで売れ残ってしまっていました。これ以上大きくなったら殺処分になりかねないと、その店でパートしていた伯母さんが、祖母に頼み込んできたのです。
その犬は生後一歳の、可愛い女の子でした。
私が「エリザベス」と名付けて、初めての犬のお世話に戸惑いながらも、家族総出で精一杯可愛がっていた……のですが。
エリザベスとの別れは、突然でした。
散歩中に異物を食べてしまい、急死したのです。
わずか三か月の家族でした。
冷たくなったエリザベスが段ボール製の小さな棺に横たわっているのを見て、学校から帰った私は号泣しました。
まだ一年も経っていない祖父の死の時よりも涙が出るのを申し訳ないと思いながらも、その悲しみはどうしようもできないものでした。
でも、私は小学生。
翌日、父が会社を休んで、エリザベスの亡骸を火葬場へ運びましたが、私は普段通り学校へ行くしかありませんでした。
……しかし、その日の事です。
私が学校から帰り、玄関を入ると必ず通らなければならない仏間で、ふと祖父の遺影を見上げた時です。
「……あれ?」
私は違和感を覚えました。
祖父の遺影は、相変わらず顔を中心にセピア色なのですが、変色した部分が広がっているように感じたのです。
軍服姿の若者を写したその写真は、証明写真のように幕の前で撮られたのでしょう、薄っすらと灰色のグラデーションの背景になっているのですが、その右肩にも、セピア色が広がっていました。
そして、そのセピア色の中に、顔のようなものが浮かんでいるのです。
シミュラクラ現象と思えばそうかもしれませんが、私には見間違いには思えませんでした。
ふたつの目、ひとつの鼻と、逆三角形に配置された三点。そして周囲にぼんやりと浮かぶシミが、犬の姿に見えるのです。
先端だけ折れた耳、フサフサと巻いた首の毛。
それは、エリザベスを思わせるものでした。
すぐさま祖母を呼んでくると、祖母もまた、同じように思ったようです。
「おじいさんが、エリザベスが可哀想だと呼んだんだろう」
祖母はそう言いました。
――それから間もなく。
ペットロスに心を痛めていた母が、保護犬を引き取ってきました。
いかにも雑種な、特徴を説明しづらい毛並みをしているのですが、襟元にフサフサと巻いた毛と尖った鼻は、シェットランドシープドッグ――エリザベスを思わせるシルエットをしていました。
なので、私はこの犬も「エリザベス」と名付けました。
前のエリザベスよりも小さな子犬だった今度のエリザベスを、今度こそは長生きさせなければと、家族総出で世話をしました。
やんちゃですが賢く育ったエリザベスは、ですが保護犬の宿命でしょうか、持病を持っていました。
皮膚炎があり肝臓の数値が高く、定期的に動物病院に通いながらも、十二年という歳月を家族として過ごしました。
肝臓の病が悪化したエリザベスは、最後に一声鳴いて、息を引き取りました。
――その翌日。
散歩コースの途中で可愛がっていただいた旦那寺のご住職に簡単なお葬式をしてもらい、私も仕事を休んで、父と一緒に火葬場へ付き添いました。
そして、家に帰り、仏壇に手を合わせると……。
「あれ……?」
祖父の遺影の、今度は左肩の辺りがセピア色になっているのです。
そして、逆三角形に配置された三つの点と、ぼんやりした犬のシルエットのようなシミ……。
今度のエリザベスもまた、祖父の遺影に納まっているのです。
両手に花のごとく、両脇に犬を従えて、祖父は満足そうに微笑んでいました。
「動物が好きだったからな、あの世で世話をしてくれるじゃろう」
そう遺影を見上げる祖母の顔も、どこか安堵したように穏やかなものでした。
今でも祖父は犬たちと一緒に、私たちを見守っていてくれます。
実話怪談シリーズ 山岸マロニィ @maroney
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