第4話 『貫徹』

———泥濘蓮視点


ボコッ!

ピキッ!

ドゴォ!


完封、罅割れ、貫通。


三重に別れた攻撃はそれぞれの意味があるコントラストの効いたリズムを響かせた。


「がッは!」


腹部に左拳を受けた本人はというと、僅かに吐血しつつも歯を強く食い縛っていた。結果、口角が釣り上がり鬼が浮かべるような笑みの表情を象っていた。


それは強引に作られたものではなく、蓮は苦悶に塗れた表情の中で確かに微笑を宿らせていた。


(・・・・・・なんて様だ)


強がりでもなんでもなく、自身に向けられた嘲笑だった。頬をくすぐる液体の存在がより自嘲を濃くさせた。


————浅葱馬一徹視点


「ッ!!」


一方、拳を打ち込んだ一徹は手応えのなさに瞠目していた。土の壁の先にいる蓮の姿は見えないが、打ち込んだ拳を介して現状を正しく理解する。


(流石だな。土の壁を貫通されるとは微塵も思っていなかっただろうに・・・・・・咄嗟に腹部に活象を集中させてガードしやがった)


拳を引き抜いて大きく飛び退き、距離をとった一徹は蓮の能力について分析する。


(土を操作する過程で必要なプロセスは、常に操作する地面に活象を纏わせ続けること。だが、それだけであの防御力が生まれる筈がない。俺の能力を付与していない状態で活象を纏うだけに留めた蹴りでは、あの壁を破壊できなかった。おそらく、能力を発動する分の活象+防御力強化分の活象=あの異様に硬い壁になるって寸法だろう。しかし、それだと燃費が悪い。まだ俺に活象量を正確に量れる感覚はないが、一つの可能性としてなにかしらの細工があると思ってもいいだろう・・・・・・おもしろい)


現に土の壁はの穴以外に罅すら入っておらず、能力と活象の差が如実に現れている。


————泥濘蓮視点


、やってくれたなァ」


壁を象っていた土の操作を解いたのか、強固なそれがガラガラと音を立てて崩れていく。その先には、堕落の文字に一筋の赤が刻まれた蓮が微笑を浮かべて立っていた。


「お土産のナイフは気に入っていただけたか?」


一徹が自身の頬を指差して言い放ったナイフとは、先刻右腕に刺さっていたバタフライナイフのことだ。


彼は手に入れたバタフライナイフに自らの能力を付与し、それを壁越しに蓮の頭部を狙って投げつけたのだ。


だから、土の壁に二つの穴が空いていた。


「星一つもやれねえほど最悪だったぜ」


そのバタフライナイフが及ぼした影響が、蓮の頬に走る一筋の傷である。


本人にしてみれば堪ったものではない。

その表情は微笑を浮かべつつも、眉間に刻まれた皺の数は尋常じゃなかった。


「そりゃあ残念」


しかし、それは飄々とした態度を演じる一徹も同じ。


あれだけの手数を加えた攻撃の戦果が、頬の傷と腹痛のみなのだから、堪ったものではない。


それに一徹の身体には、初めて活象を使用した弊害が既に現れていた。


「はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・ふぅ」


それは倦怠感。


活象とはその者が持つ生命力と言っても過言ではない。使い過ぎれば当然疲労する。


「じゃあ、もう一発くれてやるよ!」


なにより、発現したての象印使いは能力に込める活象量の調整を誤り、倒れることがほとんど。故に蓮は強がってみせる一徹に驚いていた。荒削りではあるが、込める活象量を調節してみせた一徹に。


「無理だな」


淡々と現実を諭した彼はわかっていた。


「・・・・・・お前のその顔、これまでの戦場で何度も見てきた。余裕が無えヤツのツラだ。崩れそうになる重心を支えるので必死だろ?」


発現したての象印使いの燃費が如何に悪いかを。


「その通りだ」


そして、その事実を伝えられても、先刻のように意固地になることはなかった。


彼が形成した人格が虚言を吐かせなかった。


それによって、蓮の戦意は完全に消えた。


「だろ? 俺もこれ以上戦うのは本意じゃない。なにせ、お前は発現したての象印使いだ。あの人を殺った犯人じゃない。」


「!! ・・・・・・そう思った根拠は?」


一徹の反応に満足した蓮は一軒家の方に指を差して言葉を紡ぐ。


「活象を使った完全犯罪は有り得ない。現にあの人の体にはお前とは別の色をした活象がこべりついていた。俺が追ってるのは、その汚ねえ活象であの一軒家を汚した犯人だ。」


「なるほどな。俺とお前が戦う理由はねえって訳だ」


「その通り。よって、ここは円満にだな———」


(顔を殴り合った上に腹も殴り合った。落とし所としてこれ以上最適なタイミングはないだろう。互いに不満がなく円満に和解できる筈だ。もしなにか不満があればある程度の望みは叶えよう。)


蓮の目論見は一徹を脅威なく放し飼いにできる程度に和解することと、あわよくば同僚に引き込んでその能力を国を守る人間として奮ってもらいたいというものだった。


頭を掻き、天を仰いで考える素振りを見せた一徹に、蓮は己の目論見が半ば達成されたことを確信した。


「だが、男が一度受けた喧嘩に決着をつけねえことも有り得ねえだろ。」


「は?」


しかし、それは大きな誤解だった。


「いいか? 俺の本質は初志貫徹! 一度口にしたことは最後まで貫き徹す。それが本当の俺だ」


「本当の俺・・・・・・だと?」


「未だ記憶は曖昧なままだが、お前との戦いで俺は浅葱馬一徹の意志を取り戻すことができた。その点は感謝してるし、恩人とさえ思っている」


「なら恩人の言葉を素直に聞いてくれないか?」


「ぶつかり合うこともないまま自分を曲げる訳にはいかない」


「チッ! めんどくせえなお前。昔の俺といい勝負してるぜほんと。俺もお前の気持ちがわからない訳じゃない。だが、物事には道理が存在する。賢く生きる道があるとわかれば、そこへ進むべきだ」


「それは追随者の考えだ。俺は目の前に用意された道で満足できる開拓者ではない。常に新しい道を模索してこその開拓者、人類だ。自分が持つ可能性の先を覗くまで、俺は追随者になる気はない! なにがなんでも貫き徹してやる!」


「ッ!!」


「これが俺の持論であり、結論だ」


一見すると頑固者の道理に合わないふざけた論理。その本質は古い慣習に囚われた老害となんら変わらないように見えるも、それは決してその場凌ぎの言葉ではない。


(逃げるための言葉ではない。意地を通す戦いに身を投じるための澄んだ言葉)


「さあ、やるぞ泥濘蓮! 第二ラウンドだ! お前を倒す」


先刻、自分探しをしていると宣っていた一徹と、今拳を構えた彼は全くの別物。


手の甲に薄く輝く《貫徹》の二文字。


「ゴホッ! ゴホッ!」


先刻のダメージの苦痛に思わず咽せ、口を手で抑えつつも、咳が止まれば・・・・・・いや、咳き込んでいる最中だって、その目から闘争の意思を消すことはなかった。


「参ったな」


蓮は思わず呟いた。


例え、不利な状況に陥ったとしても、張った意地は最後まで貫く。それが浅葱馬一徹という芯の通った男の本質だった。


(口臭え老害の言葉ばっか聞いてた俺に、それを言うのは狡いだろ)


「吐いた唾は飲み込むな・・・・・・だろ?」


その本質を見誤った。


(また、穢れない意志を持ちたいと思ってしまう)


「・・・・・・わかった。なら、お前を沈めてから話し合うとしよう」


それを瞬時に理解した蓮もまた、彼の意地に応えない男ではなかった。


(吐いた唾は飲み込むな・・・・・・か)


「全くもってその通りだ」


能力的な関係で、一歩踏み出した一徹と一歩下げた蓮。


満身創痍の身体と軽傷の肉体。


近距離と中距離の射程。


「「お前を・・・・・・」」


能力の関係で彼らが起こす行動はそれぞれ違う。しかし、たった今彼らの心は一つ。


「「倒す!」」


—————


泥濘蓮の象印、《堕落》の本質は物質の泥化にある。活象を込めた対象を基盤とし、泥そっくりの物質に変質させ、それを操る。


彼の能力の操作が解かれた場合、変質させた物質の性質は元に戻るが、形自体は操作された造形のままに保たれるか、物理法則に従って崩れるかの二択。


しかし、蓮の発言を思い出して欲しい。活象使いと象印使いに完全犯罪は有り得ない。なぜなら、活象はこべりついた汚れのように現場に残ってしまうからだ。


蓮と一徹には能力の射程以上に、戦闘経験と活象の知識量に大きな差が開いていた。


「ウオオオオオ!」


「お前の威勢と思想は認めてやる。だがお前は戦闘経験が不足している!」


ただ真っ直ぐに突っ込む以外の選択肢を持たない一徹に対して、蓮にはあちこちに残った活象を活用できるだけの技術と知識があった。


ドロォ……


「ッ!!」


蓮が残した活象は瞬く間に一部の地面を泥化させた。しかし、一徹を泥の中に沈めるには範囲が圧倒的に足りていない。


「うッ!」


故に、蓮は一部の泥だけを触手のように操り、一徹の四肢をその精密な操作性で見事に捕えた。


「これで詰みだろ?」


既に一徹の意識を刈り取るために近づいていた蓮は掌底の構えをとり、それを突き出す。その表情には一切の愉悦も達成感もない。淡々と任務を熟す暗殺者の如く凪いだ心でトドメの一手を指す。


その掌底が腹部に迫り、一徹が口を噤んだ瞬間


「・・・・・・プッ!」


(これは・・・・・・!)


彼の口から勢いよく石礫が吐き出された。

その一手は蓮に迷いを与えた。


(石? 咳き込んだときに予め口の中に含んでいたのか!! ・・・・・・まずいどうする?

活象が透明なせいで込められた密度がわからねえ。能力は付与されている? されていない? そもそもヤツに能力を込める余裕があるのか?)


しかし、肉体が培った経験は容易に彼を最善の選択へと連れていった。


「わかんねえ以上、相手しねえ!」


自身の足元を支える地盤のみを泥化して操作し、弾かれるように動かされた足場は蓮の体を空中へと飛ばした。


トプン


そして、足場を浮かせる泥に当たった石礫は、泥の波を貫くことなく沈んでいった。


(能力は付与されてなかったか。付与する余裕があったかも怪しいところだったが、お前が立ち向かってきたその気概は決してはったりなんかじゃない・・・・・・それでも)


「これでお前に打つ手はなくなった!」


宙に浮かぶ足場の上で、人差し指と中指を重ねて拘束される一徹に向けると、指先に焦げ茶色の活象を集束させる。


そのとき、蓮は穏やかな心境で感謝の念が浮かんでいた。


(悪いな一徹。この戦いは、これ以上穢れないと思い込んでいる俺と決別するための儀式だ。俺もお前と同じでどっちつかずなままでいることが嫌いでよ。だからこの戦いで決着をつけることにした。俺の過去に!)


「終わりだ。浅葱馬一徹」


(お前を倒し、今、ここで・・・・・・高潔ぶってる俺を捨てる!)


ドシュッ!


固い決意とともに活象の弾丸が放たれた。


———浅葱馬一徹視点


蓮の活象の弾丸が放たれたそのとき、一徹は濃密な敗北の気配と濃厚な勝利の香りを同時に感じていた。


(ここだ!)


それが為されたとき、蓮は驚愕に呑まれた。


ピキッ! ・・・・・・バキバキ


「なにッ!?」


一徹を拘束していた泥がコーンフレークを砕くように容易く破られた。


(思った通り。操作する対象に活象を流さなければならない性質上、操作されている物質により多くの活象を流されたら支配権を失う)


ダッ!


そして開拓者は走り出す。

後方で活象の弾丸が破裂する音を尻目に、一徹から見て右に飛んだ蓮を追いかける。


「ああクソッ! いい加減俺に未練を捨てさせろよ!」


「なにに苛ついているのかは知らないが、俺の本懐を遂げるためにお前は必ず倒す!」


「そう簡単に負けるかよ! 俺にだって意地がある」


蓮は再び手を銃の形にして、指先に活象を流し始めた。狙いは当然、追いかけてくる一徹に向けられていた。


「喰らえ!」


ドシュッ!

ドシュッ!


二連続で放たれた弾丸は正確に一徹の額を捉えたが・・・・・・。


「コスパの悪い戦い方だな」


ヒュン!


隠し持っていた石礫二つに活象を流し、活象の弾丸に向かって投擲することで相殺する。


パァン!


石礫も活象とともに跡形もなく消えたが、蓮の活象だけは別だった。


「ッ!!」


ドロォ


色が付き、視覚的に判別できるそれは追いかける一徹の前に零れ落ち、狭い範囲が泥化するとその地面に支配権が宿った。


「前言撤回!」


焦げ茶色に染まった地面を飛び越えた一徹はその一言を発し、再び熟考する。


(活象の再利用、フィールドが奴に侵食されていく。効率的な活象の運用、最小限の威力で最大限の威力を生み出すあの効率的な運用方法であれば長期戦でも問題なく戦える)


対して活象の消耗が著しく、数々のハッタリで騙し騙し戦っている一徹の選択肢は一つ。


「やはり短期決戦以外に勝ち目はない!」


「来てみろ!」


速力を維持しつつ、蓮の元へ向かう一徹に対し、蓮は宙に浮かぶ足場から飛び降り、地に付いた足の先から地面に活象を広げてゆく。


ズブッ!


「うッ! 辿り着かせないつもりか」


広げられた活象は瞬く間に地面を泥化。そして範囲に入った一徹の足を奪い、失速させる。


「もう俺に高潔は必要無え! 青臭い理想共々そのまま沈んじまえ・・・・・・浅葱馬一徹ゥ!」


そうして、圧倒的優位の上に立った蓮から発せられた魂そのものを揺さぶられるような恐喝。未だその声音は揺れるように不確かな音響を奏でるが、その歪な響きに一徹の魂は———


「堕ちて・・・・・・たまるかァ!」


「ッ!!」


1mm足りとも揺れることはなかった。


「だが、お前の足はもう動かない」


「くッ」


その一方で心と体は理解していた。奪われる足を動かすことはもうできないということに。


「だったらこうする」


そう言うと一徹は上体を後ろに下げ、蓮の活象の範囲外に左手をつけるとともに、片手だけにも関わらずバック転をする。


「マジかッ!?」


驚愕する蓮を置いて状況は加速する。


「ッと! 足を止めただけで俺の歩みを止めることはできない。そして! 足を取り戻せた以上、もうお前に俺は止められねえ!」


真っ当な地面に着地した一徹は、僅かな助走をつけると広範囲に張り巡らせた泥の上に跳躍した。


「なにをしている?」


———泥濘蓮視点


「なにをしている?」


(確かに、物質にのみ干渉できることが《堕落》の長所にして最大の欠点ではある。空気中に堕落の影響が及ぼすことは決してない。だが、その策を使えるのは飛行を可能とする象印使いのみ。いったいなにを考えている?)


思考の渦に呑まれる蓮の尽きない疑問に現実はあっさりと答えを出した。


一徹の背に薄く刻まれた《貫徹》の二文字が放つ光によって。


象印使いの特徴を熟知する蓮は、角度的に見えない二文字の光だけを視認することによって、一徹の能力の全容を理解し始める。


(貫通を付与することが一徹の能力・・・・・・とすると)


跳躍した一徹は不自然なほど高く跳び、そして落ちる気配を見せない。


(空気抵抗・・・・・・いや、重力を貫いているのか!!)


そして、一徹は活象を左腕全体に流し始める。それが蓮にも理解できた理由は、一徹の左腕に光が宿っていたからだ。


「マズイ!」


「解除ォ!」


一徹がそう叫ぶ頃には蓮の周囲を無数の泥化した巨大な腕がドーム状に覆っている最中だった。


"泥守半球どろもりはんきゅう"


「これで・・・・・・俺の勝ちだ」


(貫通することが奴の能力の真髄であるのなら、貫通した後に能力は宿っていない!)


「お前の能力で俺自身を貫くことはできない」


ピキッ・・・・・・ビキビキビキ!


「だが、認めてやる。俺の防御壁を破るお前は大した奴だ」


蓮の宣言とともに一部破られた鉄壁の防御壁。侵入者が主人に足を向けて入るとともに、太陽では照らせない筈の全方位を覆う壁の中に光が灯った。


「ッ!?」


(光が消えていない? どうなってる?)


象印使いが能力を行使するには活象を流す以外に決定的な予備動作がある。


蓮の《堕落》であれば地面に活象を流し、泥化させることで初めて泥の操作ができる。


そして、蓮は一徹が《貫徹》を行使する際に大なり小なり光が宿ると考えた。その推測は当たっている。ただ、一徹がまだ能力を行使していないだけの話だ。


「バカな!? 象印の力無しで俺の防御壁が破れる筈がない!」


「ああ。だから、重力を貫通する効果を付与した活象を再び足に流すことで威力を賄った」


「な・・・・・・に?」


(つまり、余剰分の活象の再利用。効果時間を具体的に設定することすら知らないこそ、俺の技術を真似る以外に選択肢はなかった。だが、俺の技術を一度見ただけでもう再現しやがるとは・・・・・・)


溢れ出た一筋の冷や汗が、一徹の活象から放たれる光を反射する。


「これでお前に届く!」


頭上から左拳を振り被る透明に近い光を持つ者、対して黒に近い光を持つ者は思わず叫んだ。


「追いかけてくんじゃねえよ!」


《堕落》の文字を背負う者の心境はただ一つ。


"同じステージに立って欲しくない"


それは上に立つ自分から発せられた焦りか? あるいは下に立つ自分から発せられた警告か?

それとも、今この場に立つ自分から発せられた戦術的不利を嘆く声か?


迷い戸惑い、それでもなお消えない情熱があった。


"負けたくない"


そう思った時、蓮の迷いは消えていた。


「勝つ。それ以外の最善は存在しない!」


「喰らえ! 蓮!」


既に距離は縮まっており、左拳を振り下ろした一徹に対し、蓮は地面を泥化させて沈むことで一徹の左拳は空を切った。


「ッ!!」


更に着地した一徹の足場をも泥化させ、底無しに近い沼の中へ引き摺り込む。


「また地面を泳いでんのか?」


バシャア!


「ッ!!」


ガシッ!


水気ある音とともに、沼の中から両手が飛び出し、一徹の膝を掴んだ。


「どんな意図があるのかわからないが、格好の的だぞ? 泥濘蓮!」


そして、一徹は活象の光を放つ左拳を振り下ろした。


ピキッ・・・・・・バキバキバキ!


「あ? 人・・・・・・形?」


泥を掻き分けた先にあったのは精巧な人形であった。これで一徹の左拳に宿った《貫徹》の能力は完璧に失われた。


活象は残量は残り僅かとなり、象印の使用が不可能となった。


「はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・くッ! 見事だ」


呼吸を整え、歯を食い縛り悔しがりながらも、最後にきたのは称賛だった。


焦燥がなくなった一徹には、その称賛を投げた相手が何処にいるのかもわかった。


落ち着いた心境で振り返るとそこにいた。


「止せよ照れ臭い」


真後ろで《堕落》を刻まれた軍人は爽やかな笑みを携えて立っていた。


「お前、そんな風に笑えるのかよ。つぅか、会ったときからキャラブレブレじゃねえか」


後ろを見上げる体勢となった一徹に配慮し、蓮は徐々に一徹の前まで歩いてゆく。能力は既に解除し、泥化した地面は硬いものに戻っている。その硬くなった地面に囚われて動けない一徹だからこそ口が弾む。


「うっせえ、これが素だ。力を持つと、力を持たない上層部の人間がなにかと怖がる。適当に野蛮なキャラ付けしときゃあ、逆に目をつけられない。真面目な奴ほど利用しようとつけ込まれるんだよ」


発言を終えると、蓮の口から煙草の煙を吐き出すような深い溜め息が出た。


「実感のこもった言葉だな」


目を閉じて首を鳴らし始めた蓮の姿を、一徹はただジッと見つめていた。


「・・・・・・なにがあったかは、聞かねえんだな」


「聞いてどうする? 俺たちはまだ決着がついていない。勝者でも敗者でもないんだ。少なくともそのことについて、今知る必要があるとは思えないな」


「そうか。・・・・・・ありがとよ。これで過去と決別できる」


そうして、蓮は目の前の決闘者にトドメを刺すために活象を右拳に宿す。


「何処がいい?」


「強いていうなら腹だな。痛みはできるだけ省きたいが、俺の顔は残したい」


「わかった。・・・・・・・・・・・・俺の輝かしい過去よ、安心して逝け!」


そうして放たれた右腕は一徹の腹部に向かう。


「フン!」


「はッ!?」


過程で、右拳の上から頭突きを放った一徹によって軌道を逸らされ、硬い地面に罅を入れた。


「言ったろ? まだ決着はついてないと!」


ビキビキビキ・・・・・・ボコォ!


できた罅は瞬く間に崩壊の一助となり、浅く狭い穴が空いたそこに、蓮の足が吸い込まれるように入ってゆく。


(マズイ! 決着がついていないってのはこういうことか! このガキ、どんだけ諦めが悪いんだ!)


落ちる過程で目に入った一徹は先程の蓮の笑みと比べてかなりあくどい表情をしていたが、蓮にとっての問題はそこではない。


(来るッ!)


既に着地済みの彼は宙に浮く蓮の顔面に向かって活象を流した膝蹴りを繰り出した。


「ぐッぬ! ぐあああああ!」


それを咄嗟に交差した両手に活象を流すことで防ぐが、衝撃は消せず穴の外に追い出される。


「あと一撃、あと一撃!」


しかし、地面の中に逃げることは許されない。泥化するのに僅かな時間を要するため、碧眼の光は消え失せ、譫言を呟きながら攻撃を加えてくる一徹を対処しながら発動する余裕は今の蓮にはない。


「ごッ! ぐッ! クソッ! なんて奴だ!」


殴打、蹴り、この二種類の攻撃が意図なく放たれているために蓮は一徹の真意を測りかねていた。


(あと一撃だと? もう何十発も喰らってんじゃねえか。あと何発耐えればいい?)


「・・・・・・あと一撃!」


「ッ!!」


嵐のように放たれる殴打と蹴りの狭間で、蓮は一徹の譫言のように発せられていた声のトーンが僅かに変わったことがわかった。


(活象の気配! この一撃で決める気か!?)


過ぎ去った嵐が僅かな静寂を生み、一徹の左拳に活象が込められる気配を感じた。


「上等だ! 止めてやる!」


「・・・・・・!」


蓮は無言で繰り出された左拳を活象を流した右手で受け止めた。


「ゲームセット!」


ガシッ!


「ッ!?」


しかし、受け止めた筈の左拳は指を開いて蓮の右手を握っていた。


「あと・・・・・・一・・・・・・撃!」


そして、活象の気配が濃密になる。それは蓮の右手を握る左手ではなく、一徹の右拳からだ。


「しまっ———」


「喰らえ!」


それと同時に彼の碧眼に光が戻る。黒髪が反射するほどに光を放った活象の密度は恐ろしい威力が宿っていることは火を見るよりも明らか。


泥化は間に合わず、固く握られた右手はピクリとも動かない。そんな蓮の顎に向かってそれは放たれた。


(俺の・・・・・・負け、か)


漠然と理解した蓮は、目を閉じることなく己を倒す決闘者を見届ける。


・・・・・・筈だった。


ピタッ!


「は?」


「・・・・・・」


突如動きを止めた右拳は、バタフライナイフでつけられた傷から血を滴らせる音を鳴らすだけに終わった。


「一・・・・・・徹?」


まるで、父親が子どもを優しく起こすように尋ねたそれは返事をすることなく静寂だけを返すのみである。

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象徴の印 真斗崎摩耶 @440214

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