第83話 全力勝負、やってますが

 * * *



 カフェ『ねこだまり』のソファに座って、レトロな窓から外を眺める。ガラスに貼られたステッカーの黒猫に誘われて一緒に思考を散歩させていたら、織音の耳にシャッター音が響く。瞬間、織音は自分の両頬をぶにゅっと両手で押し潰した。


「ちょっ、あかりん! 今のは無し! むちゃくちゃぼーっとしてた!」

「いいじゃない。絵になるわよ」

「だめだめ! ちゃんとクスッとなるネタ並べないと樹生の気が引けん!」


 織音の抗議をはいはいとあしらった朱莉がスマホに視線を落とし、フォトムービーの編集作業に戻る。

 期限が残り三日となり、そこそこに焦る織音はついに最終手段――動画に手を出すことにした。とはいえ、フォトムービーの作り方がいまひとつわからなくて、朱莉と結衣を頼っている。


 テーマは思い出。

 高校時代を懐かしめるような写真を撮り溜めて、それを朱莉のセンスで繋いでもらう。


「織音ちゃん、一枚も顔映ってないけどいいの? 首から上がフレームアウトしてるやつとか、なかなかホラーだよ?」

「のんのん、ゆいこ。そこが味なのだよ」


 両肘をついて、手のひらにあごをぽんと乗せ。友人ふたりの真剣な顔をふひひと眺める。


 本当なら今日は、三人で向瀬から出発してホテルで前泊しているはずだった。織音のわがままで旅行を駄目にしてしまったのに、ふたりは気を悪くする素振りなど微塵もなく、嬉々として動画作りに没頭している。


「ありがとねーぇ」

「いいって。わたし、こういうの結構好きなのよ。あ、本当に全編音声無し?」

「んー、ヤマヨシのコロッケのムービー撮ったじゃん。あれのサクサク音だけ入れたりとかできる?」

「飯テロじゃないの。採用」


 なぜか織音よりよっぽど樹生に怒りを沸かせている朱莉は、口の片端をくにっと吊り上げた。いまだ、彼女の怒りが解ける気配はない。


「はい、完っ成! なかなかいい出来」


 すぐさま織音のLINeに動画が送信されてくる。ワクワクしながら受信完了を待ち、スマホをテーブルの真ん中に置いて再生ボタンを押した。三人で小さな画面をのぞき込む。


「あ、いいねぇ朱莉。駅前から始まるんだ」

「そう。ある日の登校から下校までって感じで作ってみた」


 坂を上って、高校の正門前。校内での撮影は許可が必要だから諦めて、正門からテニスコート脇のプロムナードを撮った。

 それから、なんでもカワタにヤマヨシのコロッケ。残念な点数の答案用紙は、実家に残っていた奇跡の一枚である。

 三原家のリビング。公民館の自習室。高架下公園。最後に都美が全力コスプレでポーズを決めて完成だ。


「えーと……都美さんで締めるんだぁ」

「ご本人からどうしても出演したいと申し入れがあったのよ」

「都美ちゃん、スタイリスト不在で夏のコスイベントに悔いしか残らなかったらしい。怨念のこもったいい写真でしょ」


 確かに、と結衣がうなずく。都美いわく、撮影時は実際に何かしらの呪詛を唱えていたらしい。樹生の小指の爪が剥がれたりしないことを祈る。


 織音は満足してスマホの時計を確かめた。夕方四時になろうというところ。アパートまでの帰り時間を考えたら、そろそろ駅に向かったほうがいい。


「ほんと、旅行ごめんね。ふたりとも」

「いいんだよー。その気になれば九月にでも行けるし。冬休みだってあるから」

「まぁ、織音のふところに余裕があれば、ね?」


 朱莉がちらりと織音のかたわらに目をやる。二人掛けソファの空いたスペースを埋めるほどの、大量の紙袋が置いてある。


 服、服、服。あと靴。


 今日の午前に、夏のセールの残りと秋物早期セール品を買い占めた。クローゼットの中身を全て入れ替えるぐらいの気でいる。旅行に使うはずだった予算の大部分を費やしてしまったが、後悔はしていない。


 これまでのお嬢さん路線は完全に捨てることにした。もともと好きでもなく、上品な女子大生というイメージを追求してきただけだ。

 今日着ているナチュラル系のワンピースのほうがずっと好ましいし、楽でいい。やや幼く見えるのはご愛嬌である。無駄な背伸びも見栄も、もう要らない。


「まぁ、残りの夏休みでまた稼ぐから! 絶対行こうね、ネズミの国!」

「無理しないのよ?」

「はーい」


 明るく答えて、少し残っていたカフェオレを飲み干す。少し甘さが足りないけれど、これはこれで美味しい。


 紙袋を両手に提げて立ち上がろうとしたら、『ねこだまり』のドアベルが鳴った。


「あれ。三原さん?」


 呼びかけられて顔を上げたら、そこにいるのは中条 蒼大だった。


「あ……どうも。お久しぶり」


 もう一度ソファに座りなおして、織音はへこっと頭を下げる。


 七月半ばに会ったきりだった蒼大は、以前と同じ物腰の柔らかさで織音に会釈した。きちんと結衣と朱莉にも同じく会釈を交わす。あいかわらず気遣いのできる人だ。


「帰省でこちらに?」

「そう。今日戻るけど。中条さんは?」

「大学の友人と待ち合わせで」


 やはり、なかなかに気まずい。織音が会話を繋げずられずにいると、蒼大のほうからまた口を開いてくれる。


「あれからどう? 高砂さんとは、あいかわらずおとなりさんで仲良くやってる?」

「……あー……と」


 返答に詰まると、蒼大が首をかしげる。

 報告する義務もないのだが、彼が自分に告白をくれた人だと思うと、濁したりはぐらかしたりするのはずるい気がしてしまう。


「出て行っちゃった、かなー」

「へぇ……へぇっ!?」


 無難な相づちから一転。声をひっくり返して、蒼大は困惑気味に両手をわたわたと動かした。


「え、高砂さんがってこと? どうして!?」

「なんか心の旅に出た。帰ってこーいって毎日誘惑LINe送ってるんだけど、これがなかなか手強い」

「……俺とのこと、高砂さんには?」

「言ってないよ? なんで?」


 樹生が織音と蒼大の交際を期待していたことぐらい、もうわかっているから。意地でも樹生には報告するまいと決めている。勝手に人の幸福を決めないで欲しい。


「いや、なんでって。今からでも伝えたほうがいい。LINeは繋がるんだろ?」

「一日三回って決まってるし、返事こないのにそんな話しても重いだけで楽しくないじゃん?」


 蒼大は呆気に取られた顔をしてから、自分の頭に手櫛を通してぐしゃっと髪を乱した。


「いったい何やってるんだ、ふたりとも」

「何って……勝負?」

「勝負してどうするの! 他にもっとやることあるだろ!?」


 なぜか朱莉と結衣が音もなく拍手している。織音としてはやるべきことをやっているだけなのに。

 これは旗色が悪いなと、さっさと退散することにした。


「ごめん。ぼちぼち帰りが遅くなっちゃうから、行きまーす」


 えぇぇとうめく蒼大を横目に、織音は大量の紙袋をガサガサと言わせながら立ち上がる。


「三原さん、意地張らないほうが――」

「張ってませーん。楽しんでまーす」


 ひひっと笑ってレジに向かう。結衣と朱莉が蒼大に会釈してから追いかけてきた。


「織音ちゃん。伝票伝票」

「おおぉ、うっかり!」


 伝票もなしにレジ前に待機して、渋オジなマスターと見つめ合ってしまった。どうりでいつまでも微笑みを交わすだけのはずだ。思わぬ再会にややペースを乱されたらしい。


 伝票を受け取ろうとしたら、結衣の手がすいっと高く上がって逃げた。


「今日は私たちのおごりっ」

「え!?」


 目を丸くしたら、朱莉に肩を叩かれる。


「カフェオレ一杯だけど。たまには織音もわたしたちに甘やかされなさい」


 蒼大のことを誰なのかと訊いてくるでもなく、織音に何を強いるでもなく。気の済むまで走れと見守ってくれる友人たちだ。ありがたい友情に感謝である。





 途中下車の朱莉と別れるなり、ほんのり心細くなる。ひとり揺られる電車旅は何度試しても慣れない。ふるっふると首を振って不安を吹き飛ばし、織音はスマホを見た。


 今日の二本目はずいぶん遅くなってしまったが、その分気合の入った朱莉お手製の動画だ。これだけ手の込んだものを送ればきっと、ひと言ぐらい返ってくる。


 送ったフォトムービーにはちゃんと既読マークがついている。よしよしとうなずいて織音は口角をぐっと持ち上げた。再生できただろうかとしばらく画面を眺め続け、電車の乗り換え駅についた頃、何の応答もないスマホを鞄にしまった。


「手強い……やるな、たっつのくせにぃ」


 今度は夜の便りを何にしようか。ホームを歩きながら考える。


 何度も期待して、何度も悔しがって。あと二日と一度。七回もこの勝負を楽しめる。狙うのは泣き落としで得るひと時の猶予ではなく、未来に続く完全勝利だ。

 そうやって気持ちを前に向かせて、織音はやってきた電車に乗り込む。


 虚勢だと、自覚している。

 目の前の車窓に、ハの字に下がって困ったように笑う顔を浮かべる。関西なまりの柔らかで落ち着いた声が聞こえないかと耳を澄ませ、息をつき、軽く下唇を噛んだ。


 ――ばかだなぁ。


 蒼大に言われるまでもない。大阪まで出向いておきながら、顔も見ずに戻ってきた。勝ち方にこだわって素直になれない自分に、織音自身がいちばん呆れている。


 父を亡くしたのは、まだ五歳のときだったから。明日が絶対でないと知りはしたが、確固たる教訓にはできていなかった。今になってようやく、幼い日の喪失を正しく理解しつつある。


 送れる写真は一日に三枚。けれど、スマホの中には送らなかった写真が山ほど眠っている。織音の視界には、樹生と一緒に見たいものが溢れていて。


 その溢れたものを渡す宛が無くなるのが、本当はとても怖い。


 それでも織音は顔を上げて、車窓に笑顔を作ってみせる。

 いつも笑っていて欲しいのだと、樹生が言ったから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る