第69話 ホールケーキ祭

 * * *


 六月二十九日、夜。

 織音はそわそわと樹生の帰りを自分の部屋で待っていた。

 誕生日だというのに樹生は九時までバイトだ。最近はずいぶんシフトを詰め込んでいるようだから、何か夏の計画でもあるのだろう。今年は大阪に行く予定はないと話していたが、気が変わったのかもしれない。


 九時半手前で、織音のスマホがLINEメッセージを受け取った。


【 タツキ >> 準備完 】


 織音はケーキとプレゼントの入った紙袋を持って、速やかに部屋を出た。となりのインターホンを鳴らして、ドアが開くのを待つ。


 程なくして、樹生が頭をわしゃしゃとタオルで拭きつつ顔を出した。


「あれ? お風呂?」

「今日バックヤードの整理で汗かいてもて。てか織音こそ。どないしたん、よそ行きなカッコして」


 少々おめかし気味なワンピースに、頑張ったヘアアレンジの織音は、にひっと笑った。


「お祝い感出してみた!」

「そういうやつか! 待って、五分くれ。オレもそれなりにするわ」


 白Tシャツとゆるいジョガーパンツだった樹生は一度ドアを閉めた。よく耳を澄ませば、ドライヤーの音が聞こえる。

 再びドアが開くと、綺麗めな黒カットソーにチノパンと装いを変えた樹生がいた。シャワー後の頭はさすがにノーワックスだが、珍しく前髪をセンターで分けている。


「ぉわ! 新鮮!」

「せやろ。お入りー」

「お邪魔しまーす」


 織音は玄関に入り、靴を脱いで端にそろえた。奥の居室まで進んで、座卓にケーキの箱を置いて早速開ける。


「え、今年ホールなん!?」

「ふっふっ。去年と同じ織音サマではないのだよ」


 去年はカットケーキにろうそくを一本立てたが、今年はいちばん小さいサイズのホールケーキを予約した。定番の生クリームデコレーションだ。


 樹生はいそいそとやってきて、ケーキを前に正座した。


「うわ……お祝いプレートまでついとる。樹生くんやて」

「んでね、これを手伝って欲しい」


 織音は細いろうそく計二十本と、去年の誕生日に使ったきりの着火棒を樹生の前に置いた。


「……でかいの二本じゃ、あかんかったんか」

「ハタチのメモリアルイヤーだから。フルで立てるでしょ」

「メモリアル感の出しかたが予想の斜め上やわ」

「着火頑張って」

「よしゃ、やったる。ハッピーバースデー、オレ」


 四号サイズのホールケーキにびっしりとろうそくを並べ、端から火を付けていく。着火棒は織音の担当になり、樹生は火をつけたろうそくで他のろうそくを灯していく。


 最後に樹生が火を配っていたろうそくをあらためて立てて、部屋の照明をパチリと消した。直後、ふたりで歓声をあげる。


「めっちゃ明るいやんけ!」

「素晴らしい! メモリアルぅ!」


 ろうそくの火を嬉しそうに眺める樹生に、織音はぺちぺちと手を叩きながらバースデーソングを歌う。


「ハッピバースデー、ディアたっつー」

「あ、待って。そこはちゃんと名前入れて」

「おぅ? ハッピバースデー、ディア樹生ぃ」

「よしゃっ」

「何そのこだわり。まぁいいや。ハッピバースデーとぅー……ゆーぅぅぅ」


 織音が拍手すると、樹生はふっとろうそくに息を吹きかける。


「さすがに二十本は消えんなぁ」

「頑張れ! 次で全部消したら何か叶う!」

「まじか!」


 もうひと息で見事全てのろうそくが消えたら、部屋が真っ暗になった。


「見えんし!」

「スマホ、スマホライトっ」


 ラグに転がっているはずのスマホを探していたら、樹生の手とぶつかった。織音は暗闇にまぎれてその手を掴んでみる。


「それスマホちゃう。オレや」

「せやの。ぞんがい柔らかかった」

「いまの存外、ひらがなやったやろ」

「ふひひ」


 結局樹生がスマホを先に探り当て、バックライトを頼りに照明を復帰させた。ろうそくを抜こうとしたら「待って!」と慌てて止められる。


 樹生はスマホカメラでしっかりケーキを記録して、ついでに織音まで写真に収めてからろうそくを抜き始めた。


「やっばいなぁ。オレ、ホールケーキほとんど食うたことないんよな。こんなテンション上がるか」

「あたしもここまで盛り上がってくれると思わなかったよ。高砂家はこういうのしないの?」

「高校の入学祝いで一回食うた気ぃする」

「レアじゃん!」

「せやろぉ。やばいわぁ。しかもふたりでホールて」

「うちはいつもこのサイズだったよ。おかーさんと食べたら次の朝まで残るけど」


 ろうそくを抜く手をぴたりと止めた樹生は、信じられないことを聞いたという顔で織音を凝視した。


「まさか三原さん宅は……翌日モーニングケーキを?」

「うん。四つに分けて、夜食べて、残りが朝ご飯」

「やりたい! 明日の朝飯こっちで食ぅて?」

「良いけども。そんなに?」

「めっちゃおもろいやん。そら是非とも体験せな」


 梅じゃこご飯といいホールケーキといい、樹生の幸せラインは織音からするとけっこう低い位置にある。離婚家庭だと言っていたから、高砂家にはいろいろ難しい事情があるのだろう。小ぶりな四号ホールケーキを前に軽やかな足取りで皿を持ってくる樹生を見て、そんなことを考える。


「待って。これ、どないして皿に移したらええんや?」

「へ? そりゃあ包丁とフォークでだな」


 切ったケーキの下に包丁を挿し入れ、フォークで支えて皿に下ろす。樹生はリズミカルな瞬きを幾度かしぱしぱさせて、ケーキから織音に視線を移した。


「……え、器用やん。なんでそれでくるりんぱアレンジすら手こずっとんの」

「食の絡まないことには不向きなの! 無礼者にはケーキあげない!」

「あぁぁ待ってごめんなさい。食わして、オレのケーキ」


 へそを曲げてみせたら、大慌てで機嫌を取りにくる。見せかけだけの拗ねを解除して、織音は樹生の皿にケーキを移し、誕生日プレートをそっと添えた。


「プレートは主役が食べるのだぞ?」

「ええんか! ありがとうございます!」


 樹生はゆっくりとチョコレートのプレートをかじり、きゅうっと目を細めた。そんな仕草ひとつが面白い。

 プレートが最後のひとかけになったところで、樹生は織音にそのひと口ぶんを差し出した。


「ほい、織音にもおすそ分け。口開けぇ」

「やった」


 ぱくっとくわえたら、樹生の指ごと巻き込んでしまった。


「ふんぁ! ごめん!」

「オレは食いもんと違いますー」


 眉を下げて歯を見せて笑った樹生は、軽くチョコのついた指先を舐めてからケーキを食べ始める。これまた幸せ全開の顔だ。ホールケーキひとつでここまで楽しめるなら、クリスマスも遊んでみる価値はある。織音は頭の中で早くも冬の計画を立て始めた。


 お互いが今夜の持ち分を完食したところで、残りのケーキと皿を撤収して片付けを済ませる。樹生が電気ケトルでお湯を沸かす間に、織音は座卓にプレゼントを乗せた。


「あれ? ケーキでしまいとちゃうの?」

「ちゃうよぉ。織音サマ渾身の誕生日会はまだ終わらないぜ!」


 電気ケトルの準備完了を待たず、樹生はいそいそと座卓に戻ってきた。片手のひらに収まる小さな箱型プレゼントのリボンを解き、包装紙を丁寧に剥がしていく。このあたりに性格が出るなと、織音は緊張しつつ頬杖をついて見守る。


 有料サービスの黒いギフトボックスは引き出し型になっていて、なかなか高級感がある。そんな箱に樹生は戸惑った様子を見せてから、そろそろと引き出しを引っ張った。


 中には、スクエア型の小さなストーンがついたピアスがひとつ。

 柔らかで淡い緑の天然石を見たら、樹生の瞳を思い出してしまったから。一万円札一枚では収まらなかったが、他に考えられなかった。


「織音……ええの?」


 さすがにおしゃれ男子だから、見ればどの程度のものかわかるのかもしれない。織音は下手にごまかしたりせず、うなずいて応えた。


「今さらだけどさ。あたし、樹生にとことんお世話になってんだもん。年に一回ぐらい良くない?」


 にんまりと笑ったら、樹生は手の甲を口に押し当てて目尻をゆるく下げた。ピアスを手に立ち上がり、洗面所に向かう。


 戻ってきたら、樹生の左耳に四角い石が飾られていた。

 樹生が自分のヘーゼルの瞳をあまり好ましく思っていないのはわかっている。けれど、その瞳を織音は本当に綺麗だと思うから、樹生にも嫌って欲しくない。

 大変勝手な押し付けだ。気に入らなければ捨ててくれればいい。


「どう? 嫌いじゃないやつ? 無理だったら売るなりしてよ? 我慢して着けられるほうがイヤだからね?」


 矢継ぎ早に尋ねる織音の頭を、樹生はくしゃっとなでて笑った。


「ありがとぉな! めっちゃ気に入った。大事にする!」

「そっか! それは何よりだ!」


 樹生は包装紙を丁寧に折り畳み、箱とともにローチェストにしまった。ついでにチェストの上にある置き時計を見て「あー」と声を上げる。つられて織音も時計を見ると、いつの間にか十一時近くなっていた。


「こんな時間からコーヒーもないよなぁ」

「え、飲みたい。カフェオレ」

「明日の朝に響かん? モーニングケーキ逃したくないんやけど」

「大丈夫だって! 樹生サマが起こしてくれるもん」

「ほぉか。ほな、淹れよか」

「はぁーい。あ、ココアある? ってか、今いる?」

「いる! めっちゃいる!」


 ふたりで意気揚々とキッチンに向かい、樹生はカフェオレを、織音はココアを用意する。


 結衣と朱莉とのクリスマスパーティーは一度も日付を跨げなかった織音だ。本音を言えばそろそろ眠い。

 それでも今日、樹生の誕生日が終わるまでは、どうしてもここにいたかった。

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