第64話 思わぬ再会
* * *
五月最後の土曜日。
織音は通算九回目の合コンに挑むべく、樹生の部屋にいた。
「そのワンピース見たことない」
「ちょいと新調してみた。クラシカル甘い系っ」
「ほん。ええやん。じゃあ今日はお上品にいこか」
本日の服装に合わせるべく、まずアイロンで全体を巻くところから始まる。不器用な織音がやると焦がして髪を消失させそうでおそろしいが、いつもながら樹生はすいすいとこなす。
今日は座卓の上にスタンドミラーが置いてある。鏡の中の樹生は口角をうっすら持ち上げてご機嫌顔だ。アレンジが好きでたまらないのがよく分かる。しかし、この面倒な作業のどこにそれほど魅了されるのかは、織音にはいまだによく分からない。
「今日はどちらさんが相手なん?」
「なんとねぇ、
「ほん。そらまたご縁のある」
「でしょ? ちょっと期待しちゃうなー」
「上? 下?」
「同い年そろえたって
さすがに大学二年目ともなると、織音にもそこそこ話をする友人はいる。あけすけな物言いには少し気をつけて、外面を整えてしっかり女子大生をやっているのだ。
「同い年なぁ、早いやつは二十歳乗り始めるやろ。酒絡み、気ぃつけや」
「そっか! ハタチさんもいるのか!」
自分たちだって、もう間もなく。樹生は六月二十九日、織音はひと月遅れの七月二十九日に二十歳を迎える。
「うわー。もうすぐお酒が飲めてしまうのかぁ」
「宅飲みぐらいから様子見ぃや。外でいきなりはあかんで」
「じゃあ、あたしの二十歳になったら乾杯しよ」
「なんでやろなぁ。潰れてうざ絡みする織音が想像できる」
「失礼な!」
「ほい、完成……ん?」
二十歳飲み会の提案をのらりくらりとかわしていた樹生が、軽く眉をひそめる。
「仕上がり、いまいち?」
「んや……織音。今日調子悪いとこない?」
「うん。普通に元気いっぱい」
「そうか。せやったら、まぁ……ええか」
どこかすっきりしないまま、樹生が片付けに入る。
織音は首をかしげつつ鏡をのぞいた。本日の勝負スタイルは、後頭部左寄せの低位置に作ったお団子っぽい何かだ。
「これ、なんての?」
「シニヨンて言います。基本、ねじってまとめて団子化して、あとは崩す。ピン挿しが難易度高いから、伝授はもうちょい先な」
「はーい」
アイロンを片付ける樹生を手伝い、ヘアピンをケースにしまっていく。すると樹生の指が、ケースに入ったばかりのピンを一本抜き取って、織音の頭に追加で挿した。
「今日はどこで?」
「駅みっつ向こう。えーと、
「気ぃつけて行きや。あんまり遅なるようやったら連絡し。駅まで迎え行ったる」
「樹生、夜バイトは?」
「今日は無し」
「やった。じゃあ帰り呼ぼ」
意気揚々と玄関で靴を履く。ドアに手をかけると、樹生はいつものように織音の頭から足元まで視線を流す。出陣前の最終チェックだ。
「たっつ! 織音サマ可愛い?」
「ほん? 当然やろ。可愛く仕上げたからな」
「ありがと! 頑張ってくる!」
手を振ってドアを閉める。
なんとか今日こそ良い出会いがあれと、きゅっとショルダーバッグの紐を握りしめた。
大学と逆方向へ三駅。向遥台駅を出て五分とかからず、目的の店が見つかった。織音は合コンと銘打つが、いつもそんな肩ひじ張った会ではない。顔の広い友人、
今夜は英星大生が相手ということで、楽しみでありながらもやや緊張する。同級生でも英星大に進学した人は多く、これでばったり顔見知りという可能性は大いにある。
「織音! こっち」
幹事の彩葉が入口で手を振っているのが見えた。
「ごめん、あたしで最後?」
「うん。でも時間的には余裕だし大丈夫よ。ってか今日、いつにもまして可愛いじゃない。またアレ? おとなりの出来過ぎ男子タツキ様?」
「そう。専属スタイリスト様に気合い入れてもらった」
「いいよねぇー。彼女持ちなのが残念でならん」
学内の友人数人には樹生の話をしていて、だいたい皆こういう反応をする。中には織音と樹生の仲を邪推するような声もある。一般的に見ると、織音たちは異性にしては距離が近すぎるらしい。
他人からそう言われても、友人としてこれで二年半余りを過ごしてきたわけで。織音はいつも苦笑だけで返すことにしている。
今日は和食系で、いつもの合コンと同じくノンアルコールの食べ飲み放題コース、二時間制だ。
彩葉に先導されて、小上がりの個室に向かう。靴を脱いで個室前にそろえ、畳に足を踏み入れたと同時に――織音は凍りついた。
「……っ」
「あれ、オトちゃんだ」
個室のいちばん奥に座っている男の顔は、忘れようもない。
織音のトラウマの生みの親、元カレ――
瞬時に心のシャッターを半分下ろした。今日はもう駄目だ。
「織音、知り合い?」
「……中学のときに、少し。彩葉、今日って同い年会じゃなかった?」
「そう、大学二年生会」
なるほど、何かの事情で祐慎は同じ学年に降りてきていたらしい。大学の同い年という言葉が持つ可能性をわかっていなかった。
先に来ていた友人――
そっとテーブル下でスマホを触り、いやいやと思い直す。
樹生にこの状況を説明してどうする。いくら何でも頼りすぎだろうと、メッセージを打つことなくスマホを鞄に放り込んだ。
「じゃぁ江幡さんて一個上なんですかぁ」
「そう。どうしても海外行ってみたくてさ。休学して、あれこれ巡ってみた」
「いさぎよい!」
美桜と祐慎が盛り上がる声を、極力聴覚から排除する。となりの彩葉も対面の男性と会話を弾ませているから、織音はひたすら食べる。張り切って参加するものの、自分はいつもこうだ。いざ来てみたら美味しく食べるに徹して終わる。男性を前にするとどうしても萎縮してしまう。
今夜はどうも揚げ物気分になれず黙々と豆腐のサラダを食べていたら、目の前の男性がにこりと笑みを向けてきた。穏やかなその顔に、織音はとりあえずの微笑を返す。彼は自分の頭をちょいちょいとつついて「髪、可愛いですね」とヘアアレンジを褒めた。
途端、得意になる織音だ。自慢の専属スタイリストの腕を褒められて、悪い気がしないどころか胸を張りたい。
「友だちが得意で。お願いしちゃいました」
「へぇ。器用なんだなぁ。あ、すいません、髪ばっかり褒めるとか」
「いえ。全然」
織音が気にしないでと両手を振ると、彼はほっとしたように目尻を下げた。
「俺も向こうの祐慎と同じで、実はいっこ上なんです。外部の大学狙って失敗して、一浪。三原さんはまだ十九歳?」
「そうなんです。あと二ヶ月先ならお酒に挑戦できたんですけど」
答えながら、彼の名前をあっさり忘れているなと内心で焦る。元カレの存在に開始早々頭を殴打されて、何も情報が入らなかったのだ。
「追加、頼まれますか?」
そう言って織音の空のグラスを指さし、オーダー用のタブレットを取ってくれる。親切な人だなと思うもやはり名前は出てこず、諦めてこちらから尋ねることにした。
「あの、ごめんなさい。お名前……聞き逃して」
いま精一杯猫を被っているなぁと自分で呆れる。暴れる獅子舞にいくら愛らしい毛皮をかぶせても早晩脱ぎ捨てるのだが、どうしてもこういう場では取り繕ってしまう。樹生が見たら大笑いしそうだ。
織音の無礼に、男性は気を悪くする様子もなくうなずいた。
「一度聞きじゃ忘れちゃいますよね。
「あ。三原 織音です。絹織物とかの織るに、音楽の音。後ろの字だけでいいだろってよく言われます」
「綺麗な名前だなぁ」
「は……母に、伝えておきます」
てらいなく褒められて、つっかえながら返す。蒼大は鼻頭を指で軽くこすって、ふはっと笑った。
「ぜひ。素敵な名付けですとお伝えください」
なんだかお見合いみたいじゃないかと、さすがに照れてくる。織音がさり気なく視線を外してタブレットを叩いたら、蒼大は皆にも追加オーダーの声掛けをした。なかなか気の利く人だ。
蒼大は高校、大学と
「じゃあ三原さんも、なんでもカワタ常連?」
「常連ってほどじゃないんですけど、向瀬高校といえばカワタだから」
「わかるわかる。帰りにカワタの前通ったら、だいたい向瀬っ子がたむろしてるから。英星の民は羨ましいやら近寄りがたいやら」
「あ、逆に英星高校なら、肉のヤマヨシ行きません?」
「いまだに行きますよ! ヤマヨシコロッケひとつ八十円!」
「うわ、食べたくなってきちゃう」
「ヤマヨシじゃないコロッケならこの店でもオーダーできますよ? 食べます?」
「ヤマヨシのが良いんですって」
少しずつ織音も猫を剥がしながら、話を弾ませる。初めて好感触というものを味わって、自分の強張りがほぐれていくのを感じる。
そんな中、手洗いに向かう美桜が織音の背中をつついて耳打ちした。
「織音、もしよかったら後で席変わってくれない? 江幡さん、私より織音に興味津々ぽい」
残念そうに眉を下げて言われては、お断りできない。
オレンジジュースを追加オーダーしてから織音も一度席を離れ、手洗いで美桜と合流してひと息つく。
「ごめんねー。良い雰囲気だから邪魔したくなかったんだけどさ。あんまり織音のことばっかり聞かれるから、間が持たなくなっちゃって。彩葉の邪魔するのも悪いしで」
「いいよいいよ! こっちは地元トークで盛り上がってただけだし。中条さん楽しい人ぽいし、美桜も話してみ?」
「お、それは楽しみ!」
へへと笑うものの織音の胸中はブリザードで、さすがの獅子舞も雪に足を取られて満足に踊れない。
鞄から取り出したスマホに表示された時刻は七時過ぎ。ラストオーダーまであと三十分、二時間制のゴールである八時を思うと気が遠くなる。祐慎の顔を脳裏に浮かべたら、背中がぞふっと凍った。
じわじわと頭まで痛くなってきた気がする。
弱気になるあまり、とうとう樹生にLINeを打つ。
【 おと >> 七時半で抜けるつもり 】
さすがに【おとサマ】は卒業して久しい。
個室に戻ると席替えがなされていた。彩葉たちペアがいちばん奥に。男性サイド真ん中が蒼大、そして入口側に祐慎が来ていた。織音は顔をしかめないように気をつけつつ、美桜に続いて席につく。
「や、オトちゃん」
「お久しぶりです」
「つれないなぁ。俺のこと殴って以来なのに、もうちょっと言う事あるでしょ」
この男はどうやら五年経っても何も変わっていない。即座に理解して、織音は急ぎ外面を整え直した。
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