第60話 安心安全の友だち
* * *
中学三年の秋に織音が一ヶ月付き合った彼氏は、ひとつ年上で、
当時の織音は、やたらに男子ウケする容姿とあけすけに物を言う性格で、同級生の女子から完全に浮いていた。誰それの彼氏を取っただの、色目をどうたらだの、そんなことで校舎裏に呼び出される面倒な中学生活に疲れていた。
そこに素敵なお声がかかったものだから、織音はほいほいうなずいてしまった。単純に嬉しかったし、他校生かつ年上が彼氏なら、誰からも文句はつけられまい。これで、身に覚えのないあれこれで同級生から呼び出されることも減るだろうと思った。
小さな公園のブランコに座って軽く揺れながら、ぽつぽつとそんな話を披露する。となりのブランコには樹生が座って、頭上にある新幹線高架のコンクリートをひたすら見上げている。妙な協力を要請するからには明かせるだけ手札を明かしてくれという樹生の要望に従ったが、こんな気まずい話だとは思わなかったことだろう。
「向こうは下心百点満点だったのね。銀河に届くレベルで反省している、うむ」
「まぁ、
「やっさしぃフォローありがとーよ」
年上彼氏は、織音をベッドに連れ込めるかという残念な賭けをしていた。交際から一ヶ月の記念日、織音は駅前のマッケンバーガーで、彼氏とその友人らが繰り広げる濃厚な会話の立ち聞きに成功してしまった。
『まだ粘ってんの? さすがにもう諦めたかと思ったけど』
『意地でも勝ちてぇ。ここまでガード
『予想外かぁ? 黒髪ストレートロング、清楚系っぽいじゃん』
『見た目だけだって。喋ったら全然ノリいいし頭悪ぃし、すぐ落ちると思ったのによー。あー絶対諦めつかん。出るとこ出てるし、引っ込むとこ引っ込んでるし。素材としちゃ最高じゃね?』
耳障りな笑い声がドッと沸いて、織音の髪を掴んでどうたらこうたらしたいという、テレビなら自主規制音が連発しそうなとんでもない話に展開していった。到底聞いていられなかった。全身が
織音はマッケンバーガー店内のダストコーナーに積んであったトレイで彼氏をひっぱたき、思いつく限りの
「そっから全然駄目。触られるの嫌。うひぃーってなるんだよね」
「家族相手でも無理なん?」
「うちねぇ、五歳でおとーさん死んじゃってから、おかーさんとあたしだけ」
「免疫ない分インパクトもデカかったか」
織音はブランコをひとこぎして、揺れに身を任せた。
「あれがあたしの恋愛ラストとか悔しくて。この体質をどうにかしたいんだけど、慣れる以外思いつかない」
「そこで、なんでオレ?」
「高砂くん、あたしにミリも興味ないじゃん」
「よぉ見とんな」
「それはもう常に警戒してるから。男子全員まず敵と見るもん。あ、こざーくんはオッケーにした。ありゃ、ゆいこしか見てない。安全だ」
すとすとと足踏みをしてブランコを止める。となりのブランコを見て、どうかなと同級生の反応を探る。
「以上、なんだけど。やっぱ……無理だよねぇ?」
厚かましいと承知の上だ。出会って二日で頼むような話ではない。
樹生はブランコの鎖を抱き込みながら腕組みして、頭上の高架を睨みつつ
「できんことはないで。ただ、それで三原がオレに慣れたら、悪癖が出そうでなぁ」
「アレンジしたい病? じゃあそれが達成報酬でいいじゃん。とりあえず三月まで、どう?」
きゅこことブランコを横に揺らし、樹生に近づいた。
ぶつぶつと倫理観的にどうとかつぶやいてから、樹生はブランコを跳ねるように降りた。くっと伸びをして織音に向き直る。
「ええわ、これも何かの縁やろ。受けましょ」
「ほんとに!?」
「どこまで効くかわからんけどな。ついでに兄貴にも手伝わそ」
「美容師のおにーさん?」
「見た感じ、美容院難民で苦労しとんやろ」
樹生の視線は織音の髪に注がれる。背中の中ほどを越えるロングは、この体質になってからほぼ放ったらかした結果だ。主担当に女性美容師を指名しても、アシスタントに男性がついたりする。いちいち断るのも気まずいし、体が勝手に拒否するという事実も後ろめたい。世の男性に罪はない。
そんなわけで、家庭内で解決している。ある程度伸びたら、母の悪戦苦闘により少々縮む。ときに織音の自力で縮めたりもする。が、親子して不器用なので、仕上がりは素人丸出しだ。
「プロの美容師さん巻きこむとか、悪いよ」
「ええて。兄貴、そういうの首突っ込みたがるクチやしな。根っから世話焼き」
樹生がスラックスのポケットからスマホを取り出すから、織音も同じく鞄から引っ張り出した。どちらからともなくLINeアカウントの交換が始まる。
「なんか悪いねー。ゆいこのご縁に便乗しちゃって」
「ええんちゃう。使えるもんは
新しく【タツキ】というアカウントが織音の画面に表示されると同時に、樹生が吹き出した。手の甲を口元に当てて、喉奥でくつくつと笑いを押し潰している。
「どったの?」
「いや、【おとサマ】て」
「変換でパッと出ないんだよね、織音って漢字」
「問題はそこちゃうんやけどな。おもろいなぁ、自分」
樹生は笑ってスマホをポケットに押し込んだ。織音もブランコから立ち上がって、軽くスカートをはたいてからお辞儀する。
「じゃあ、高砂くん」
「樹生でええよ。苗字呼び落ち着かへんねん」
「じゃあ、樹生くん。よろしくお願いしまーす」
あらためてお願いの挨拶をしたあと、織音はハイタッチの姿勢をとってみせた。
「……無理やろ?」
「なんと、髪以外はわりと大丈夫なのさ」
「えぇ……嘘やろぉ。何その線引き」
樹生は自分の右手をしげしげと眺めて「ちょい待ち」と公園の水道に走っていく。両手を洗ってタオルで拭ったあと、織音のところに走ってきた。
右手を軽く掲げて、「ん」と許可を出してくれる。さっきのウェットティッシュといい、そんな気遣いがくすぐったい。
小気味よくパチンとハイタッチをしたあと、ひと呼吸の間を空けて織音は「んひ」と笑った。
「ほらね?」
本当は、肌だって少々の不快感がある。けれどせっかくの協力者を逃したくないから、これぐらい耐えてみせる。
一瞬の触れ合いのあと、樹生は「人体の不思議……」と困惑の顔で自分の手を観察していた。
一日一回、樹生が織音の髪に触れる。訓練はただそれだけ。校内では人目につくだろうと、高架下公園で。織音の家から五分ほどだから、呼び出されればすぐに集まれた。
放課後は毎日樹生からの連絡を待ち、せっせと公園に向かう。接触ひとつで解散はさすがに気まずくて、自然と会話は増える。樹生の気持ちいい関西なまりに乗って、ポンポンと話を弾ませるようになる。
勉強面でもかなり頼れる相手なので、どうせ会うなら教えてもらおうとノートを鞄に放り込んで連れて行ったり。世話になりっぱなしもいかがなものかと、コンビニデザートをお供にしたり。
二週間ほど経ったあたりで、互いの名前を呼び捨てにすることにした。精神面からほぐしていこうという作戦だ。
成果はある。遅々としているが。
「……四、五、六、七、八、きゅ――」
「たはぁっ! 限界!」
織音が止めていた息を吐くと、樹生は指に絡めていた髪ひと房をぱっと離す。
「十秒!?」
「まで行ってへんな」
「はー……最初に比べたら、まぁまぁ頑張れてる」
「反応はどない?」
樹生に言われて袖をまくると、やっぱり鳥肌は立っている。
「でも進歩はした」
「やってみるもんやな」
「すごいすごい! 織音サマ、やればできる子!」
「出た、織音『サマ』名乗り」
樹生はくっくと可笑しそうに喉奥で声をくぐもらせる。あまりげらげらと笑わないタイプだ。その控えめな笑い方が、元カレとは正反対で安心する。
元カレは見た目に優等生だった。樹生は真逆だ。
校則の限界を狙ったような、栗の皮より明るいマロンブラウンカラーの髪。右耳にふたつ、左耳にひとつ空いたピアスの穴。細い焦げ茶縁の眼鏡でかろうじて真面目さを足しているが、パッと見たところ優等生とは程遠い。けれど、話せば元カレなんかよりよほど大人だ。関西なまり特有の強さはあれど話しぶりは穏やかで、気性も柔らかく、いつも冷静に物事を見る。
ついでに、全国模試では上位二桁に楽々入るらしい。織音は内心で樹生を出来過ぎ魔神と呼んでいる。片田舎の公立、
大阪から高校入学に合わせて転居してきた彼は、向こうにいる『さーやちゃん』なる彼女と遠距離恋愛している。
「さーやちゃんには、ちゃんと説明してる? 変に誤解されない?」
「それとなく話してあるし。織音が心配するようなことにはならんよ」
「遠恋中って知ってたら頼まなかったのにさぁ」
「ほんでも、彼女持ちのが安心やろ?」
「う……それは、そう」
まったく織音に興味がない樹生だからこそ、ここまでの成果が上がっているのかもしれない。異性の友人を増やすというのはひとつ有効な手段なのだろう。
そうは言っても、男友だちが増える見込みはまったくないまま。
毎日毎日、樹生と訓練を繰り返す。十二月は例年より冷え込み、母、
十二月半ばには結衣のことで大泣きする姿を見られ、クリスマスには結衣の勝負デートをともに手伝った。どっしり厚い友情をはぐくんで、体質は少しずつ上向いて。
樹生が織音の髪をポニーテールにすることに成功したのは、高校二年三月の終わりのことだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます