第48話 クリスマスに恋を得る
しばらくその場でぼんやりとしてから三原家のドアを開けたら、織音と結衣が正座して待っていた。
「……どうしたの、ふたりとも」
「朱莉の不調に気づかぬフリでパーティーできる私たちではないっ!」
「こっちより樹生を頼るとか、織音サマは悔しくてケーキが美味しく食べれないっ!」
前のめりで、目は真剣に。かつ、心配そうに。
そんなふたりを見ていたら、急に朱莉の涙腺が決壊した。
「わぁぁ朱莉!」
「中! 中入る! 織音サマ特製ココアを入れてしんぜよう!」
ぐずぐずとうなずいている間に、リビングに引きずっていかれる。
しばらくすると、目の前にココア。膝にはフリースのひざ掛け。ハンドタオルにボックスティッシュ、傍らにはゴミ箱という完成されたもてなしで座卓の前にいた。
甘いココアを冷えた体に流して、ほふっと息をつく。そうしたら、またぼろりと涙が落下して砕けた。
「全部、聞いてもらって良い?」
ふたりがそろって大きく腕で丸を作ったから、朱莉は少し笑って、抱えてきたものを何もかも話すことにした。
三人寄れば。
もう、ひとりではどうしたって、答えを出せそうにない。
「つまり、あかりんは恋だと思ってたのに恋じゃないってパパさんから言われて」
「推しだと思ってきた柊吾さんに彼女がいると思ったらどうしても推せなくて」
「その柊ちゃんと、ひと月も朝一緒に登校したら、もう、情緒が、こう……お恥ずかしい」
ティッシュでぐずっと鼻を押さえると、ふたりにいやいやと首を振られる。
「それは乱れる」
「あたしなら吠えてる」
「そうかなぁぁ」
「おおお朱莉が少女のようになってしまったよ。織音ちゃん水分を!」
「任せなさいっ!」
織音がキッチンに走っていって冷蔵庫内を物色する。少しして、二リットルのペットボトルを二本提げて戻ってきた。
お茶と水、飲み放題プラン。長期戦の構えだ。
「私が思うに。柊吾さんに彼女がいるのが嫌だって思うなら、それは恋でいいのでは?」
「そうよ。恋と認定しよう!」
会議にはお茶が必要だろうと織音がコップを並べながら、力強くうなずく。参加人数は三人、コップは六個。何かがおかしいと思いながら、朱莉はぼんやりと滲む視界にタオルを押し付けた。
「でも、ね。わたしには、柊ちゃんを好きだって言う資格がなくて」
「資格ぅ!?」
追加でフェイスタオルを出してきた織音が、声をひっくり返す。
「え、今どきって、恋愛資格試験とかあんの!?」
「そんなの取得せずに悠くんとお付き合いしている私は違法!?」
「ち、違うのよ! ただ……」
言葉に詰まる。
三年前、古澤家にもう来るなと彼から言われたとき、朱莉はあっさりとそれを受け入れた。
ふたりを守れなかったから、自分だって大事なものを失って当然だと思ったのだ。
「柊ちゃんと悠を。わたしが、傷つけて」
と、朱莉が口にした瞬間、結衣の口から魂が出ていくのを幻視した。
「ゆいこ、しっかり。織音サマがついてるわ」
「やぁぁ……朱莉もかぁと思って」
結衣は織音にお茶を持たされて、ゆるゆると口をつけながら魂を呼び戻した。
「悠くんもそうやって自分のこと責めるんだよ。で、私がいつも怒ります」
「結衣が? 怒るの?」
「怒るよ。朱莉にだって怒る。悠くんも朱莉も何も悪くないのに」
「それは違う! あのときわたしがもっと悠のために動いたら」
「変わらないよ。私、直接見たから知ってる。中学生がひとりで解決できるような熱気じゃなかった」
はっきりと言い切った結衣に、吸い込まれるかと思った。
こんな結衣が、悠を変えた。周囲に萎縮することも、過去を避けることもなく。今堂々と前を向いて歩く悠を、こんな結衣の言葉が支えている。
結衣はふくれっ面で膝付きのまま、ずりずりと朱莉のそばに寄ってきた。
「ちょっと想像してみよ。朱莉が昔のことが原因でもう恋しないなんて言ったら。何が起きるでしょう」
「悠がいちばん悲しむ……?」
それぐらい、朱莉にもわかっている。だから間違っても悠に言うつもりはない。
けれど、結衣は険しい顔で首を横に振った。指をピンと朱莉の前に立てて、ぐっと顔を近づけてくる。
「悠くんなら。受験やめて鬼のようにバイトして美容整形に突っ走って傷を消す」
リビングがすっと静まった。朱莉は三度ほど言葉を反芻して、口を開く。
「やる。悠ならやる」
「だよね。とても危険」
「こざーくんなら確かにそうなる。あたしでもわかる」
ひと呼吸ののち、三人そろって吹き出した。これはこれで涙をにじませて、脇腹を押さえる。
「やだもう、笑わせないで」
「でも、ありそうでしょ。自分のせいって思うと、そんなろくでもないことになってしまうのです」
朱莉が呼吸困難になりながらどうにかうなずいたら、結衣はほっとしたように笑った。
「実は私も悔しい。中二のとき出会ってたのにって。時間を巻き戻せたらなって。でも、そんなことできないから、悠くんの傷を讃えることにしてる」
「やだ、ゆいこ素敵!」
「褒められた!」
結衣と織音が、快音をたててハイタッチを交わす。
「あたしもそれが良いなー。こうしてたらーああしてたらーって、結果論じゃん。結果はこっからに活かしてなんぼやでって樹生がよく言う……あたしの三割以下な答案見て……マジでどっか受かるのかな、あたし」
織音が追い打ちをかけて、朱莉の腹筋は陥落した。ぼろぼろと涙も出るのに、息が苦しくて腹が痛い。
結衣が朱莉の前に新たなタオルを積み、織音がおかわりのお茶を注ぐ。ありがたいけれど、タオルは三枚もいらないし、コップはこれで六つとも満水だ。朱莉はファイターではないし、ここはマラソンの給水ポイントでもない。
とりあえず端のコップを手にとって、半分ほど飲んで息をつく。朱莉の呼吸が落ち着いたら、結衣がとんっと肩を当ててきた。
「悠くんの傷は私が褒めちぎるけど。柊吾さんの傷は、どうしよっか」
「それ、は」
「みんなで乗り越えたって思ったら、嬉しくなるかなぁなんて。ごめんね、部外者がわかったようなこと言って」
結衣の気遣いに、首を横に振る。
柊吾の傷を見るのが苦しくて。守れなかったのが悔しくて。ふたりが傷ついたあの夜ばかりに捕らわれて、朱莉はこれからに目を向けたことがなかった。
カッターを握りしめた柊吾の姿を、今も覚えている。そんな中でも穏やかに、彼は朱莉に微笑みかけた。そうやって弟を守った彼を、朱莉はいちばん近くで見ていた。
――柊ちゃんの傷は、わたしが讃えたい。
認めた瞬間、心が溢れる。タオルは確かに三枚必要で、全部まとめて握りしめる。
あの頃より遥かに大きく、深く深く積もったもの。タオル三枚分に押し付けるこの感情が、高校三年の朱莉の恋だ。
「だけど。どうしたって妹だわ」
やっと見つけた探しものが、胸の奥を深々と突き刺す。第十九話後半、三分二十秒。リリーティアの言葉を贈った夜に、すでに望みは絶たれている。急速に実感が湧いてくる。
あと四年は兄だと笑った彼の目に、朱莉は妹としか映っていない。
参ったなぁとタオルに埋もれる。よしよしと頭をなでてきたのは織音の手で、背中に添えられるのは結衣の手だ。
「あかりん。恋じゃないほうが良かった?」
ふるふると首を横に振った。
それは違う。この泥々としたものに名前がついただけで、ひとつ鍵を外せたような開放感がある。
涙を流し尽くして。時間をかけて、三枚のタオルを顔から外す。心配そうな友人たちの顔を見て、ふっと笑った。
「ちゃんと恋で良かった。ずっと迷子だったから」
この恋をどうしていくのかは、また別の話。
それは朱莉が自分で決めることだ。
ほっと息をついたら、目の前に新たなコップが三つ置かれた。
「織音、このコップ、何?」
「ジュース用。恋発見のお祝いにケーキ出そうと思って」
計九個のコップが乗った座卓を前に、朱莉も結衣もぷはっと笑い出す。
四号サイズのホールケーキを三人で均等に割って、ピザを温め直す。ジュースを注いだコップをそれぞれが掲げる。
「よぉし! じゃあ受験頑張れるように!」
「え、織音ちゃん、そっち!?」
「まぁ、実際そのとおりよ。何かを頑張るにしても、受験が終わってから」
「そのとおり。恋だって受験が終わってから! はいっ、乾杯っ!」
三人そろって大笑いして。夜七時、ようやく今年のクリスマスパーティーが始まった。
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