第45話 都美ちゃんの事情

 * * *


 案内を買って出てくれた樹生と美容室前で別れる。店内に入ると、樹生と顔立ちの似た男性美容師が笑顔で迎えてくれた。


「仁科 朱莉です。突然な上に厚かましいお願いですみません」

「いえいえ。樹生の兄の俊也です。ずっとお会いしたかったんですよ、あかりんちゃん」


 樹生が使う呼び名そのままで呼ばれてくすぐったくなる。鞄を預かろうとしてくれる俊也に少し待ってもらい、店内を見回した。


「都美さんがいらっしゃるとお聞きしたのですが」

「ええ。今奥で」


 俊也が店の奥をくいくいと指差す。ヘアカラー中の状態でおにぎりを食べている都美がひょこりと顔を出した。


「呼ばれた? あ、朱莉さんではないですか!」


 パッと表情を明るくした都美に、朱莉はその場でお辞儀する。


「その節はありがとうございました。制服、助かりました」

「いえいえ。やけど、大丈夫です?」

「もうすっかり。本当にお世話になりました」


 穏やかに会話をしている間に、都美はおにぎりを完食する。ラップをくるくると丸める彼女に、朱莉は鞄から例の封筒を取り出して見せた。


「都美さんにお願いがあって。こちらの写真を引き取っていただくことはできませんか」

「写真ですか? 拝見しますね」


 朱莉がうなずくと、都美は封筒を手にして中の写真を取り出した。横から俊也もその写真をのぞき込む。

 ふたりが並んでいるところを見ると、都美の顔の系統は樹生や俊也とは異なる。猫っぽさのある吊り気味のぱっちり二重ふたえだ。コスプレメイクをせずとも可愛らしい顔立ちで、奥二重の朱莉はすでにうらやましさに飲まれそうだ。


 その都美のぱっちりとした二重がみるみる真ん丸く、これ以上は無理というところまで見開かれた。


「これ……どうなさったんですか!?」

「先日の。コーヒーでご迷惑をおかけした彼が隠し撮りしたものなんです。このリリーティアは都美さんですよね?」

「そうですが……どうして彼はまた、こんなことを」

「詳しくは長い話になってしまうので、柊……古澤さんにでも聞いてください。人が写っているものを勝手に処分するのはどうしても抵抗があって。お願いできますか?」

「あぁぁ、それはご迷惑さまで。もちろん、こちらできっちり燃しますが」

「ありがとうございます」


 朱莉は一礼して、俊也に鞄を預ける。スマホだけ手元に残し、勧められたセット椅子に座った。


 写真を手にあわあわとしている都美のことはそっとしておく。なんだか不貞の証拠を突き付けた人になった気分で、朱莉としてはこれ以上触れたくなかった。


 朱莉は気を取り直し、スマホに保存しておいたスタイル写真を呼び出した。昼休みに選んだあの写真だ。


「結衣から、オーダーも通るって聞いたんですが。そこまで甘えてしまって良いですか?」

「もちろんです。写真どおりにはいかないこともあるけど、好きな雰囲気だけでも見せて貰えたら」


 そう言ってセット椅子の後ろから手元をのぞき込んでくる俊也に、画面を見せた。


「こんな感じで」

「うん、ちょっと待とうか」


 張り切って提示したら、俊也が真顔で朱莉の両肩を叩いた。


「確かに僕はこざくんの大変身も佐伯さんの思い切りも手伝ってきましたが、これはいけない」

「やっぱり結衣みたいに小顔じゃないと駄目ですか」

「そういうことではなくてね、しっかり相談しましょう」


 がっかりしてスマホに目を落とす。画面には古澤 悠風味なハンサムショート。厄落としどころか福を呼べそうだと思ったのだが。


 俊也は壁際のラックに並んだヘアカタログをいくつか選びながら、何か都美に耳打ちする。都美は引きつった顔でこくこくとうなずき、店の奥へ引っ込んだ。


 戻ってきた俊也は笑顔でカタログを開く。


「スッキリしたい気持ちはわかったけど、もう少しカウンセリングさせてね。で、先に都美のカラーを流すから、あかりんちゃんはその後。時間は大丈夫?」

「はい。ありがとうございます」

「とにかく自棄やけにならずに。笑顔で帰ってもらうのが僕の仕事なので」


 ぎくりとして俊也の顔を見た。

 さすが大人。朱莉の泥々とした内心などお見通しだった。



 ドライヤーを当てられる都美の横で、俊也にオススメされた切りっぱなしボブをいくつか見比べる。プロのオススメだけあって、眺めているうちにこれも悪くないなと思えてきた。


 そこに、ドアの開く音が混ざり込んでくる。今日は店休日のはずなのにと顔を向けて、朱莉はひゅっと息を飲んだ。


「柊ちゃん……?」

「朱莉、なんで急に――」

「柊、ストップ」


 息を切らせたまま朱莉に詰め寄る柊吾を、俊也がぴしゃりと黙らせた。ドライヤーを止めて都美のクロスを外す。次いで、いつの間にか都美から取り上げていたあの封筒を柊吾に押し付けた。


「そこにふたり並べ。弁明があるなら言ってみろ」


 接客時とは違う強い語気で、柊吾と都美に指示する。首をかしげた柊吾が封筒を開ける間に、都美がぴゃっと柊吾のとなりに並ぶ。


 ――お似合いだなぁ。


 都美のミルクティーカラーは、ピンクが足されてイチゴミルクティーになっていた。さらに二・五次元感が増して、このままキャラクター化しそうだ。


 写真を見たまま柊吾は硬直し、一瞬倒れかけてダンッと足で踏みとどまった。そのとなりで、都美が直角レベルのお辞儀をする。


「面目次第もございません! 私の創作欲が暴走した果ての産物です!」


 絶句状態の柊吾が、壊れたおもちゃみたいにカクカクとうなずいている。今あごにカスタネットを装着したら、良いリズムが生める。


 都美は柊吾の手から腕組み写真を奪い、朱莉に見せた。


「私、『誰が為の異世界開拓期』の二次創作に長年沼っておりまして。こちら、創作の資料用に撮った写真なんです」


 朱莉がじんわり首をかしげると、都美は写真手前に写る植え込みを指さした。


「この陰に、カメラマンとしてサークル仲間が控えております。勇者の身長とピタリ一致の柊さんをマネキンにして、作画資料になるようなものを計十五枚ほど。そのうちのふたつがこれらです」


 さすがに普段着がリリーティアというわけではないらしい。ソフトな二・五次元彼女だったようだ。


「シチュエーションはわかりましたが、わざわざ説明いただかなくても……」

「で、でも! 朱莉さん、何か大いなる誤解をなさっておいででは!?」


 これでは完全に、こちらが二股現場を押さえにきたようではないか。少々ムッとして、朱莉は首を横に振った。


「わたし、古澤さんとはただの隣人です。彼女さんにお気遣いいただくような関係ではないです」

「彼女じゃない」


 柊吾からきっぱりと訂正を入れられて、朱莉は眉根を寄せた。


「柊ちゃん、付き合ってない人とこういうことするの? そんなアメリカナイズ?」

「やってない。ほんとに」

「そうです。角度的にこの写真では見えませんが、柊さんの口の前にちゃんとアクリル板があるんです。実際にキスをやらかしているわけでは――」


 都美が言葉を切った。柊吾も目を瞠り、店内が静かになる。状況が飲めない朱莉に、俊也がタオルを差し出してきた。


「え?」

「気にせず、使って」


 そんなものが必要になっていると気づかなかった朱莉は、慌てて頬を手のひらで押さえた。ぬるっとした感触に驚いて、タオルを顔面に押し付ける。


 自分でも信じられない。まさか、板越しのキスですら許容できないとは思わなかった。推しを美化するにもほどがある。


「すみません。アクリル板越しなら付き合ってなくてもできるのかって、ちょっと驚いただけ」

「違います! そのアクリル板にすら当ててませんし、柊さんは完全にゴミを見る目で! だいたい、柊さんが最後まで拒否されたところを、私が脅したんです!」

「うわ、都美! それは待っ――」

「朱莉さんを学祭に呼ぶぞってチラつかせたら柊さん何でもやってくれるから、つい調子に乗りました!」


 都美の説明を制止しそこねた柊吾が頭を抱える。俊也が都美のひたいを指でバチンと弾き、「あだっ!」という可愛いうめきが天井に跳ねた。


「あかりんちゃん。さっきのスマホの写真、借りれる?」


 俊也に言われて、悠っぽいショートスタイルを再表示する。

 スマホを受け取った俊也は、それを柊吾の元へ持っていく。


「彼女のオーダー。このまま通していい?」


 柊吾が顔を引きつらせた。

 

「っ……勘弁してください」

「柊、おまえだって悪いよ。自覚してる?」

「……すいません。意地でも断るべきでした」


 何かわからない大人のやり取りを、ぼんやりと眺める。つまりみんな朱莉の勘違いで。都美は彼女ではなく、キスはキスでなく、柊吾はアメリカにかぶれていない。ちゃんと心に日本を飼っていた。


 今度は羞恥で涙が湧いてきて、またタオルに埋まる。


「ごめんなさい。わたし、思い込みで」

「いいえ。我が妹が間違いなく悪いです。あかりんちゃんが謝ることじゃありません」


 涙腺を落ち着かせて、タオルを離す。俊也は鎖骨の下あたりで揺れる朱莉の髪を軽く持ち上げて、うん、とうなずいた。


「僕も少々腹が立ったから、ハンサムショートに乗ってもいいんだけどね」

「それはもう……いいです」

「じゃあ、あごより指一本下のラインで切りっぱなし風にする? スッキリできて気分は変わるよ」

「幼くなっちゃいませんか?」


 すると、俊也は声量をぐっと抑えてささやいた。


「逆に、四歳ぐらい背伸びできます。こっちはプロですから」


 初対面で早くもいろいろ見抜かれてしまった。軽く唇を噛んだあと、朱莉は「じゃ、それで」とうなずく。


 美容ワゴンを引っ張ってきた俊也は、朱莉をシャンプー台に案内しながら、くるりと柊吾に顔を向ける。


「柊も都美も。そこで終わるまで待ってな。自分たちが何したのか存分に反省していけ」

「はい」


 ふたりのぴたりとそろった返事を聞いて、朱莉はまた複雑な気分を味わった。

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