第41話 二次元でも三次元でもない世界
* * *
柊吾の大切な人は、思わぬところから判明した。
中間考査が終わった十月最後の金曜日。二時間目が終わるなり、九組の教室に放送部の後輩である前島 すずがやってきた。
「あかりん先輩ぃ」
「どうしたの! 今度こそ廃部?」
「廃部もヤバめなんですけど、そうじゃなくてぇ」
憔悴した顔のすずが、レターセット標準サイズの封筒を朱莉に差し出す。
封筒には宛名も差出人も書かれていない。そっと開けてみたら、写真が二枚出てきた。
写っているのは柊吾だった。撮影場所はおそらく大学の敷地内だ。ちょうど朱莉が予備校で模試を受けていた土曜とその翌日、英星大は学祭を開催していた。バルーンアートで飾った大きなアーチや、ペーパーフラワーの飾りがあちらこちらに配置された賑やかな写真だ。
そんな写真の端っこに、柊吾と見知らぬ小柄な女性が写っている。一枚目は、柊吾が女性と腕を組んでいるところ。いかにも親密という雰囲気だ。
そしてもう一枚の写真をめくって、朱莉はすぐさま二枚の写真を封筒にしまった。
「もしかして、例の瀬ノ川の人から?」
「昨日、部活終わって学校出たら、正門のとこにいて。どうしてもあかりん先輩に見て欲しいけど、LINEだと見ないかもしれないからって。あたし、渡すなら自分でやってって頼んだんですけど、あの人全然聞いてくれなくて、それで」
「大丈夫。大丈夫だから落ち着いて」
もう泣き出す寸前みたいなすずをなだめて、教室に送り返す。封筒を手に戻ったら、結衣が駆け寄ってきた。
「何か、あった?」
心配顔で尋ねてきた結衣に、朱莉は封筒を振ってみせる。
「部活の。ほら、最後の放送のときの写真。後輩が撮ってくれてたの」
「……良かった。また何かあったかと思ったよ」
ほっと息をつく結衣に、ついついすがりつきたくなる。内心でとぐろを巻く泥々とした息苦しさを表に出さないよう、笑顔を作った。
「ごめんね、無駄に心配ばっかりかけて」
「無駄じゃないからいいの!」
そこでちょっと拗ねてしまう可愛い友人を愛でて、封筒を自分の鞄に滑り込ませる。中身が個人情報でさえなければ、今すぐゴミ箱にダイブさせてしまいたい。
帰り道は駅と真逆、英星大の方向へゆるい坂を上る。五分ほど歩くと、大学の立派な正門にぶつかる。
私立大で目指すなら通学距離の近いこの大学と決めてきた。けれどたった一通の封筒で、魅力が褪せる。そんなことぐらいで進路を左右すべきでないとわかりながら、写真二枚に足元を揺らされてしまった。
大学の正門には入らず、敷地外周をぐるりと囲うお洒落な柵に沿って歩道を歩く。
しばらく行くと付属である英星高校の門が見えてくる。あまり門には近づき過ぎないようにして、迎えを待つ。
英星高校の臙脂色のブレザーを着た生徒らからの物珍しげな視線を浴びていると、古澤家の車がやってきた。
「ごめん、ちょっと遅れたね」
「全然。今ついたとこよ」
いつものように後部座席に座り、鞄をおろす。車が走り出してしばらくすると、遠くに大学のキャンパスが見えた。
「柊ちゃん。彼女いるの」
ほろりとこぼしたら、車が急停車した。
「び……っくりしたぁ。何、急に」
「ちょっと、確認?」
「ちょっとじゃない確認ですよ。突然すぎてお兄さん寿命がすり減ったじゃない」
柊吾は車を路肩に寄せて停め、わざわざ朱莉の方へ身を乗り出した。
「いません」
「……そうなの?」
「そうなの。三次元にはいないし、いたこともないの」
仕切り直すような彼のため息を合図に、車はまた走り出す。
「考えてみ? 人生二十二年、推しは全て二次元に住んでる俺ですよ。ちなみに乃愛ちゃんについても三次元と思ってないからね? アイドルなんてものはみんなテレビ画面の中なんだから実質平面。ゆえに尊いと言える面もなきにしもあらず」
超早口でまくしたてる。柊吾のおかしなスイッチを押してしまったと自覚しつつ、「お、ぅぅ」とうなずいた。何を言い出したのだこの男はという率直な混乱は、いったん犬小屋にステイさせて骨でも与えておく。ジャックラッセルテリアのしつけには失敗したが、自分の感情はちゃんとしつけてみせる。
「つまり、人生イコール彼女いない歴だし、今後も積み重ねていく予感しかない」
「そんなの、まだわからないじゃない」
「いいや、このまま行けばきっとそうなる。自分がいちばんわかってる。高校一の美女と呼ばれた下柳さんに告られたとき俺が何考えたと思う? これが上条ゆかなだったらどんなに良かったか、だよ」
「ちなみに上条ゆかなの中の人は……」
「もちろん乃愛ちゃん。我ながら揺るがないにもほどがある。あの声で『まぁ、結局うちのお兄ちゃんがいちばんなんですけどね』とか言われたら、そりゃもう飛ぶよ」
力説しているが、なんとも残念な話である。中学三年間あだ名が残念なイケメンだった男は、筋金入りの二次元好きだ。柊吾の彼女はいつだってx軸とy軸からなる平面に住んでいる。生まれてくる次元を間違えたというのは、昔彼からよく聞いた言葉だった。
「あんまり顔の話はしたくないけどさ。これでも俺、古澤遺伝子を持ってるあの悠の兄なんですよ。過去にはそこそこ諦めの悪い粘着さんもいたの。それが最終的には皆さん虫けら見るような顔して去って行っちゃうぐらいに、俺残念なの」
「自覚あるんだ」
「あるよー。これが俺だからべつに良いし、曲げる気もないんだけどね」
「そんな柊吾くんを気に入る女の子だって、いるじゃないですか」
少なくとも朱莉は彼を尊敬し、憧れて、推したのに。残念とまで言うことはないじゃないか。そんな想いで、ついついひねくれた口ぶりで反論してしまう。
バックミラー越しにちらりと朱莉を確かめてきた柊吾は、肩をすくめて笑った。
「朱莉みたいな?」
「……そう、わたしみたいな」
「貴重だね」
どこか嬉しそうに言われて、返す言葉を見つけられずに黙る。
「……そういう朱莉は?」
「え?」
「いや。朱莉のほうこそ、彼氏はさすがに、いないんだろうけど。気になる人ぐらいいる?」
「……いない」
「えー、ほんとにぃ?」
「いないいない!」
ほんとかなぁと何度もつぶやく柊吾に、いい加減に信じなさいとピシャリと放つ。目の前で最推しがハンドルを握っているのに、他の人など気にしようがない。
「にしても、ほんとに急にどうしたの。朱莉がそんな話するの、珍しい」
「んー……柊ちゃんが院まで行くと思わなくて。誰か待ってるのかとか、大学見てたらそんなこと考えただけ」
たとえば、写真の中で腕を組んでいる彼女とか。急に髪型を変えてみようと思い立たせるような誰かとか。そういう、一緒に卒業したい相手がいるのかと。
「まぁ、学費減免が取れそうだったし。あと二年待ちたかったのは確か」
「人を?」
「……いや。景気的な?」
「あ、なるほど」
「二年で好転するかは博打なとこあるけど。今年の就活は前情報からすでに渋そうだったんだよ。それだけ」
なんとか大人の世界についていこうとして、逆に高い壁を痛感した。景気と就職なんて、朱莉には遠い話だ。
変に深堀りしなければ良かった。虚しくなるだけだ。
今日は直接予備校に送り届けてもらい、自習室に直行する。となりの目が気にならないセパレートタイプの机なのを良いことに、封筒を堂々と取り出した。
二枚の写真を並べて、しばらく考え込む。それから、スマホをタップしてLINEを立ち上げた。
このアカウントを朱莉が自分から選ぶのは、今日が初めてだ。
【 朱莉 >> 明日か明後日、向瀬のどこかでお会いできませんか 】
一枚目は、可愛らしい女性と腕を組んでいる写真。
二枚目にいるのも、やはり同じ女性。
机の上でスマホが震えた。振動音を抑えるために、慌ててタオルハンカチを下に敷く。
【 藤矢 >> 土曜特別講習がありますが、十五時以降なら大丈夫です 】
【 朱莉 >> では、そのぐらいに駅で 】
【 藤矢 >> 素敵なカフェを教えてもらったんです 】
【 藤矢 >> 大学近くなんですけど行きませんか? 】
【 朱莉 >> おまかせします 】
楽しみですというスタンプに既読だけつけて、スマホのバックライトをオフにする。
二枚の写真に写る女性は、とんがった耳をしている。銀髪のウィッグをかぶり、目鼻がはっきりする濃いメイクをして、魔法使いを思わせる独特な衣装を着ている。そんな女性が、二枚目では柊吾と熱いキスを交わしている。
朱莉もよく知っている。彼女はなんと五十回も柊吾を泣かせた女性。『誰が為の異世界開拓期』のリリーティアだ。
二次元でも三次元でもない。
二・五次元の彼女が、写真の中で微笑んでいる。
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