第39話 警告
* * *
柊吾が朱莉を送迎するようになって五日目の金曜日。学祭前日でてんやわんやのサークルにちらりと顔を出してから大学を出たら、正門の当たりに人が集まっていた。
人だかりの端のほうに見知った顔を見つける。ハイトーンなミルクティカラーのロングヘアが目立つからわかりやすい。同じ研究室で、サークル仲間かつバイト仲間でもある
「都美、何かあった?」
「あ、柊さん。なんか、柊さんの写真を持って探し回っている高校生が出現中です」
「……こっちに来たか」
「揉め事の予感です?」
「まぁ、ね」
柊吾が人だかりを掻き分けて近づくと、瀬ノ川学院の制服を着た男子生徒がぱっと顔を明るくした。やはり藤矢 涼平だ。
「失礼。前に向瀬高校の前でお会いしました?」
「わ! 覚えててくれたんですね!」
あくまで自分は部外者だという顔で近づく。藤矢は尻尾を振る犬みたいに柊吾に寄ってきた。
「あのときはすみませんでした。僕、名前も言わなかったから」
「いえ、俺こそ不躾で。詳しいこともわからないのに割って入って申し訳なかった。それで?」
「ええと。なんて説明したらいいかな。とにかく、お話ししてみたくて来たんですけど」
「俺と?」
こくこくとうなずく藤矢を、さてどうしたものかと少し考える。
「よくわからないけど。とりあえず、どこか入ろうか。勝手に選んでいい?」
「はい! 行きます!」
いちいちボリュームコントロールに失敗しているような元気すぎる声に苦笑する。このペースで始終迫られたら、さぞ圧がかかっただろう。二週間耐えた朱莉は立派だ。
カフェ『ねこだまり』は、大学から徒歩十分の住宅街の只中にある。店内に猫モチーフが溢れる隠れ家的カフェだ。柊吾のバイト先なので、何か騒ぎになっても援護を頼みやすい。道中で店長に一報入れておいて、藤矢を案内した。
「へぇ。大学生ってこういうところに来るんですね」
「学内では結構人気があるよ。長居してレポートやってても怒られないので」
「うわー、いかにも大学生だ!」
一番奥まったテーブルを選ぶ。二人掛けソファが対面になった四人席を贅沢にふたりで使う。
「少々お高いのが難点なんだけど、良かったらこの前の乱入のお詫びに奢るよ」
「やった。ありがとうございます」
特に遠慮なく、藤矢はアイスカフェオレを選ぶ。柊吾はホットコーヒーを選んでオーダーし、待っているあいだにもさっさと話を進めていく。
「で、俺と話っていうのは?」
「朱莉さんが、あなたを超えられたら付き合うと言っていたので。研究に来たんです」
「研究と言われてもね。まず本当に俺が基準?」
「え。だって。朱莉さん、あなたのこと好きですよね」
「嫌いではないと思うよ。昔から親同士が仲良かったし、弟が彼女の同級生だし。まぁ、兄のようなものです」
「兄。そうかー、兄か。いかにも年上って感じですもんね、見た目からして」
そう言って藤矢は自分の髪をきゅっと引っ張った。
「もうちょっとダサいほうがいいのかな」
「きみ、面白いね」
「え、そうですか!? 思ったこと言ってるだけなんですけど」
無神経なのか、あるいは、あえて煽っているのか。わざわざ朱莉を名前呼びしてみせるならば後者かと、柊吾も出力調整していく。
「そういえば、この程度って言われたね、俺」
「あ……すみませんでした。正直、高校生目線だとややおじさん入ってるなーと思っちゃって」
「なるほど。それは要改善。参考になります」
「参考にしたいのは僕のほうなんですけどね」
そこでコーヒーとカフェオレが届く。届け人はさっき正門で別れたはずの都美だ。ちらりと視線をやると、てへっと舌を出して去って行った。兄に似て、彼女も人のことに首を突っ込みたがる。
「少なくとも、朱莉ちゃんは外見特徴でどうこう言うような子ではないはずだけど」
「まぁ、あなたの見た目で推してもらえるなら、僕だって負けてませんしね。じゃあやっぱり関わりの深さかなぁ。家族ぐるみなら、どこか出かけたりします?」
「小さい頃はあったね」
「朱莉さんとふたりきりでは?」
「ないよ」
「うーん。じゃあ、朱莉さんのことどう思って接してます?」
「弟の友人で、妹みたいなものだったから。この間のようなシーンで割り込むぐらいには大事です」
「はぁ、だからか」
「なにが?」
「どうしてわざわざ予備校の送り迎えやってるのかなって思ってたんですよ。正直、付き合ってるのかなーって。兄妹なら良かったです。安心しました」
思ったよりあっさり釣れた。自分のやっていることに自覚がない
藤矢はこちらの写真を持って探し回っていた。そう都美から聞いた時点で、写真の正体を探りたかった。いつ、どこで撮ったものか。
「どうして、予備校の送迎のことを?」
「……あ。えっと」
「きみ、家は?」
「瀬ノ川の近く、ですけど」
「そんなきみが中尾寺の予備校まで来ているというのは、聞く限り、少し疑問に思ってしまうけれど」
努めて冷静に。提示された情報のみを使って理屈で攻める。
藤矢が無言でカフェオレを半分ほど吸い上げていくのを見守り、柊吾も軽くカップに口をつけた。
「まさかとは思うけど。朱莉ちゃんを付け回したり、してないよね?」
「そんなことしてません!」
腰を浮かせた彼に、柊吾は穏やかな笑みで応じる。
「良かった。もしそうなら然るべきところに出向いてもらわなきゃならないと思ったから」
「然る……べき」
「そう……まぁ、取り締まりがお仕事の公的機関です。ごめんね。最近よくニュースに出るし、この間、大学内でもそんなことがあったから。ちょっと過敏になってしまって」
「や、だなぁ。そんなことしませんよ!」
「そう? ところで俺、きみに写真なんか渡した覚えがないんだけどさ。どんな写真か見せてもらってもいい?」
「っ……たまたま、撮れただけです。大学の方に遊びに行ってて」
軽快さが失われてきた。語尾の弾みもなく、ボリュームも下がる。ようやく自滅に気づいてくれたようで何よりだ。
「で?」
「……は、い?」
「いや、まだ答えてもらってないだろう? どうして、予備校の送迎のことを知っているのかなって」
とうとう、藤矢はぽんぽんと返していたキャッチボールの手を止めた。唇を引き結んで、拳を握りしめる。
「……朱莉さんが、会ってくれなくて。会いに行っただけです」
「つまり、彼女に避けられている?」
「……そ、れは」
「で、送迎してる俺を見て、彼氏だと思い込んで会いにきた? きみだって彼氏じゃないのに? あまり穏やかじゃない流れだね」
藤矢は立ち上がり、鞄を掴んだ。
「あの、僕、用を思い出したので」
「気をつけて。事と次第によっては、通報をためらわないよ」
「……ぇ」
「この会話だけで、きみに不審を抱くに足るということ。それから、誓って俺は彼女の彼氏でもなんでもない。送迎は弟のついで。勝手な思い込みはほどほどに」
ほんのり怯えたような顔で、藤矢は急ぎ足で店を飛び出していく。ありがとうございましたと軽快な声で送り出した都美が、いそいそとこちらのテーブルに寄ってきた。
「容赦ないですね、柊さん。怖い怖い」
「先にケンカ売ってきたのは向こうのほう」
「まぁ、柊さんがダサいのは事実ですから。どんまいです」
都美にまではっきり言われてしまって、鬱陶しく伸ばした髪をひと房つまむ。
「乗ってみるか」
「え、まさかやっちゃうんですか?」
「あまりに煽られたんで。さすがに腹も立つよね」
初対面からして面白いと思った。容姿ひとつで勝った気になっているところに可愛げすらある。
――そこまで自信があるのなら、超えるところを見せてもらおうか。
たかだか高校生の挑発とて、乗ってみるのもまた一興。自分だってあと二年は『学生』なのだから、大人げない遊びに出てみたっていいはずだ。
都美は藤矢の座っていた席にするりと入って、テーブルを片付けながら笑った。
「切ってしまうなら、最後にやっぱり付き合ってくれませんか? 柊さんにとっても学部最後の学祭なんですし」
「断ります。都美ひとりで楽しんでください」
「つくづくケチですよね」
ぶぅーとふてくされた都美が、柊吾の飲み残しのコーヒーまで問答無用とトレイに乗せた。
「結局最後まで学祭には連れてきてくれないんですか。柊さんのリリーティア」
「だめ。都美が見たら絶対おもちゃにするから」
「はー。よっぽど大事なんですね」
伝票を手に、やれやれと柊吾は立ち上がる。何も知らない外野がそろいもそろって勝手な憶測を立てたがるものだ。
「そう。大事な妹です。都美の餌食にはできません」
すると、都美にはしっと手首を掴まれた。
「樹生に頼めば、余裕でお招きできると思うんですよ。リリーティアちゃん」
にたりと笑う都美を前に、柊吾はもう一度席につく。
「……何?」
「去年だって、呼ぼうと思えば呼べました。今年もそう。なんなら、樹生にセッティングさせて直接会いに行ったって良かったんです。でもそれはしなかった。柊さんの妹さんだから耐えてきたんです」
「……で?」
「学祭に呼ばれたくなかったら……柊さん。明日一日でいいから、私だけのものになってください」
真剣な目でそう言われ、柊吾はじっと見つめ返す。長い沈黙のあと、まぶたを閉じてため息をついた。
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