第31話 天を貫く自己肯定
放課後、帰り支度をしていると、九組の教室に津田 奈央花がひょこりと顔をのぞかせた。
文系クラス、三組の奈央花がここに来るとは珍しい。用があるなら自分だろうと当たりをつけると、案の定、奈央花は朱莉を見つけて手招きした。
すると、奈央花の後ろから放送部の後輩も顔を出した。文化祭に出席していた唯一の一年生、前島 すずである。
深刻そうな顔に、長話の予感がした。結衣に先に帰ってくれるよう声をかけてから廊下に出る。
「奈央っち、すずちゃんも。怖い顔してなにごと?」
「ごめん、あかりん」
「先輩ぃ、ごめんなさい」
朱莉を見るなり、すずは表情をぐしゃっと崩す。ここで話を聞くのがためらわれるような憔悴ぶりだ。せめて教室前から離れるかと、すずの背中を支えるようにして階段近くに移動した。
「で、何があったの? 廃部?」
「違うの。ほら、あかりんのアナウンスをリクエストしてきた人がいたって言ったじゃない」
藤矢のことだ。朱莉がうなずくと、すずが涙目になった。
「その人に文化祭のあとで声かけられて、あかりん先輩のことしつこく聞かれて。あたし、名前とか、中学どことか……そういうのバラしちゃって」
すずの懺悔のとなりで奈央花の顔が険しくなる。これはすでに、奈央花が派手にカミナリを落としたあとなのだろう。
「名前と出身校だけ?」
「あと、彼氏いるのかって。わからないって言ったら、予想でいいって言われて。早く帰りたかったし、あたしの予想なんだからいいかって思って。いないと思うって言っちゃって」
「それだけよね? LINeアカウント教えたりとかは」
「してないです! ちゃんと断りました! バラしたのは本当にそれだけで」
「おっけ。わかりました」
あっさり返すと、すずが「ふぇ」と瞬きした。その拍子に涙が落ちるのが可愛らしい。よほど悩んだのだろう。
「奈央っちも、そんな怒らないであげてよ。ちょっと調べたらわかることだもの。彼氏いないのも本当のことだし。でも、今後同じことがあったら気をつけてくれたら嬉しいかな」
「あかりん先輩いぃ!」
緊張から解かれたすずにハグされる。幽霊部員の朱莉をちゃんと先輩として慕ってくれた可愛い後輩である。悪い気はしない。
押しに弱いすずだから、きっとLINeアカウントを守るのも大仕事だったはずだ。後輩の苦労と後悔をいたわるとともに、藤矢に腹をたてる。連絡先を秘密裏に入手しようとした上に、可愛い後輩を泣かせるとは。なんという悪行か。
奈央花とすずにわだかまりが残らないよう、あれやこれやと軽いトークで場を和ませる。すずに笑顔が戻ったあたりで、鞄の底にある朱莉のスマホが震えた。
画面を見ると、結衣からの着信だ。校内での通話はご法度なのだが、それをわからずにかけてくるような結衣ではない。奈央花とすずに片手で別れを告げ、柱の陰に隠れるようにして通話に応じる。
「結衣? 緊急?」
【今ね。坂で、藤矢くんとすれ違って。悠くんと学校戻るとこで】
「待って待って。結衣が戻ってきてどうするの。そのまま悠連れてお帰り」
【でも!】
「断るだけなのよ? 気持ちはほんとに嬉しいけど、立ち会われるとちょっと照れちゃう」
電話越しの結衣が押し黙った。ずるい言いかたをしたなと我ながら思い、坂の途中で困り顔をしている結衣を想像してしまう。今すぐハグしに走りたい。
【カワタで待つのもダメ?】
「ちょっと近すぎるかな。あとで報告するから、ね?」
結衣がここまで警戒するのも珍しい。朝の強引さがよほど引っかかったのだろう。握られた手の痛みを思い出したら、朱莉も少し身震いした。
向こう側で何か悠と話しているのが、ホソホソと聞こえる。
【じゃあ、ちゃんと帰る。連絡待ってるね】
「了解。ありがとね、結衣」
悠が説得してくれたのだろう。理解ある幼なじみに感謝して通話を切る。さぁてと気合を入れたものの、朱莉はいつもより少し時間をかけて階段を下りた。
奈央花たちと話し込んでいた分、下校ピーク時を外した。靴箱前にも正門までのプロムナードにも人がほとんどいない。テニス部の快音がすでに響き始めている。
心細く思いながら正門を出ると、結衣の警戒どおり、瀬ノ川の濃紺学ランが待っていた。
「やった! 無事会えましたね!」
元気いっぱいのジャックラッセルテリア。瀬ノ川ボーイ藤矢が、まるで朱莉も会いたがっていたかのような口ぶりとともに寄ってくる。
「こんにちは! 放課後すぐ走ればなんとかなるものですね」
「……それは、わざわざご苦労さまです」
「毎日走ってこようかなぁ。僕、家が駅のほうなんで、これなら仁科さんと歩いて帰れます。あ、鞄お持ちしましょうか」
「結構です」
「じゃあ駅まで歩きましょ。その間にお返事ください」
「いえ、今ここで返します」
肩にかけた鞄の紐をぎゅっと掴んで、朱莉はしっかりと頭を下げた。
「ごめんなさい。何度来られても、藤矢くんとお付き合いはできません」
「ええー! どうしてそんなに無理なんですか!」
「わたしにも、好みというものがあります。ご理解ください」
あなたには芽がないのだと、言葉を選んで伝える。頭を下げたままにしていたら、耳にかけていた髪がはらりと頬へ落ちた。
すると朱莉の髪ひと房を、藤矢の指がすくう。
わざわざ朱莉の頬にまで触れてから、耳にかけていった。
背中をぞわりと悪寒が抜ける。反射的に身を起こすと、朱莉の頬にあてがおうとでもしていたかのような彼の手が、その場に残った。
「あ、すみません。綺麗な髪だなぁと思って」
まったく声が届いていない。そう思った。
音としてはきっと届いている。けれど、言葉として彼は受け止めていない。でなければ、明確に断ったばかりの朱莉の髪に、肌に、触れるはずがない。
「藤矢くん。わたし、今ちゃんとお断りしましたよね」
朱莉が断るという言葉をきちんと口にしたら、彼はお菓子をもらえなかった子どもみたいな顔をした。
「彼氏、いないんですよね?」
「……そう、ですね。いませんね」
あくまでもすずの予想として聞き出したはずなのに、彼の中でほぼ確定している。それだけで彼の印象がさらに下がる。
「じゃあ、好きな人はいますか?」
「いません。受験生です。それどころじゃない」
「いたら受験勉強にも張りが出ていいと思うんだけどな」
「わたし、そういう性格ではないので」
「わからないじゃないですか。彼氏のいる受験生、まだやってないでしょ? 僕とやってみましょうよ」
「だから、藤矢さんはわたしの好みじゃないんです」
「それだって、今日一日じゃあわからないと思いません? もっと知ったら、きっと僕のこと好きになります」
あまりの自信満々ぶりに圧倒される。自己肯定感が天を貫くバベルの塔だ。今すぐほんのり神の怒りに触れてみて欲しい。
いつだったか、結衣に尋ねたことがある。唐突にぐいぐいと迫った悠の告白を、どうして受けたのかと。
結衣は自分が押しに弱いからだと苦笑したあと、柔らかな声音で付け足した。彼が手に汗をかくほど緊張していて、そんな彼のことを知りもしないのに断ることがどうしてもできなかったのだと。
――そういうタイプの人だったら、ありだっただろうか。
藤矢の行動も言動も、朱莉の理想とは程遠い。じゃあ、理想に近ければ、自分は前向きに考えたのだろうか。
朝七時のあくびが、ふと朱莉の頭をかすめた。
「推しが……います」
口を突いて出た言葉に、藤矢が怪訝な顔をする。
「好きな人、ではないです。推しです。その人を藤矢くんが超えない限り、無理です。付き合えません」
嘘でもいいから好きな人と言っておけば良いものを、馬鹿正直に推しと言ってしまう。説得としては三流もいいところだ。
「推し、ですか」
「はい。推しです」
「ちなみに、どんな人です? アイドルとか俳優とか?」
「いえ。一般人です」
「僕、会わせてもらえます?」
「物陰からそっと推しているので。紹介はできません」
すると、藤矢は「ずるいなぁ」と口をひん曲げてから、スマホを取り出した。
「わかりました。じゃあ、推し超えを目指すためにもLINe交換しましょ」
「はい!?」
飛び出した驚嘆はほとんど地声になった。朱莉の声に少し驚いた顔をした藤矢は、すぐに気を取り直してスマホを取り出す。
「今どきLINeなんて、挨拶がわりに交換するものですよ。ね、いいでしょ? 今日はアカウント教えてくれたら解散にしますから」
しばらく悩んだものの、解散という魅力的な言葉に屈した。
朱莉もスマホを取り出す。LINeならブロックもミュートも使えるから、あとからどうとでもできる。
とにかく朱莉は、一刻も早くこの状況から逃げたかった。
フレンド一覧に新しく【 藤矢 】が登録される。それだけで少々の嫌悪感を覚えてしまうあたり、朱莉の本能はとことんノーと騒いでいる。
「これでいいですか? 予備校の時間があるので失礼したいのですが」
「じゃあ、駅まで送ります。言ったでしょう? 僕の家、駅の方面なんですよ」
一方的に手を握り、さらに指まで絡めてくる。朱莉の腕にぶわっと鳥肌がたった。藤矢はそんなことは気にも留めず、善良な顔で朱莉の手を引いて歩き出そうとする。
――いくらなんでも!
朱莉は足を踏ん張り、思い切り腕を引き寄せた。けれど、すぐに藤矢に引き戻される。
「離し――」
地声で叫びそうになった瞬間、朱莉の肩が後ろからぐっと力強く引き寄せられた。背中が誰かの体にとんっと当たる。
「褒められた行為には見えないけれど。少し落ち着いたらどうかな」
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