第30話 コーヒーゼリーのきみ
見慣れぬ男子生徒が身にまとうのは、瀬ノ川学院の上品な濃紺学ラン。ファスナータイプでボタンがなく、ファスナーの両サイドを裾まで走る黒いラインがかっこいいと、近隣でも人気の高い制服だ。
朱莉より少し背が高い。目は綺麗な
「高砂くん。ちょっと」
小声で呼びかけると、「ほん?」と樹生が朱莉に耳を寄せた。
「あの髪型、検索ワードはとしては何?」
「メンズ、ショートレイヤー。あと、ソフトツーブロックあたりやろけど、まぁ写真見せんのが早いわ……って、あかりんちゃんがアレやんの?」
「まさか。もう少し前髪長めに仕上げたら推しに似合いそうなのよ。妄想用」
「相変わらず推し事のことしか頭にあれへんなぁ」
「……あのぉ。仁科さん?」
遠慮がちな声に呼ばれて、いけないいけないと樹生から離れた。推しのことで頭がいっぱいで、あっさりスルーしてしまった。
「どこかでお会いしました?」
「この間、文化祭でアナウンスを聞きました! リクエストもしました!」
「あぁ、締めのアナウンスの。それで?」
「それで好きになりました!」
「声だけで?」
朱莉が尋ねると、目をキラキラと輝かせた瀬ノ川男子は大きくうなずいた。
「ひと目惚れがあるなら、ひと聴き惚れもあると思うんです!」
ふむ、と。朱莉は目の前の彼を観察する。
突き出されたままのレジ袋は震えひとつない。入っているのはシルエットからしてプリンだかゼリーだかのカップデザートだろう。今そこで買ったばかりという、思い付きで走った感がある贈り物である。
「えー……ふ、藤……」
「藤矢です! 涼平って呼んでください」
「……藤矢くん。それは受け取れません」
「え! コーヒーゼリー、お嫌いですか?」
「受け取る理由がありませんので。それから、付き合えません」
「えぇ!? どうしてですか!」
断られる可能性を微塵も考えなかったのだろうか。心底から疑問だという反応に、こちらのほうがどうしてと言いたい。
恋愛に関心がないわけではない。きっかけさえあれば自分もと思う。推し事といいながら人の恋路を観察して、自分の中に知識としてストックしている。それぐらいには憧れている。
そのストックによれば、告白とは緊張や返事への不安と怯え、それに恥じらいなんかも含めた一大イベントである。こんなに人の目がある場所で、自信満々に、すぐそこで買ったコーヒーゼリー片手にされるものは、朱莉の理想ではない。
なにせ現在、理想像のてっぺんにいるのは親友である佐伯 結衣と幼なじみの古澤 悠だ。アラブにそびえる超高層ビル、ブルジュ・ハリファ並みに高い。
だいたい、ひと聴き惚れと言われても、彼が惚れたという声は朱莉の作り声で本物ではない。そんな説明をするのも面倒で、全部ひっくるめてひと言で返すことにした。
「付き合う必要を感じないからです。ごめんなさい」
なかなかきつい返しになってしまったなと、言葉選びの難しさを感じる。けれど、藤矢は言い回しを気にするそぶりもなく、なぜか満面の笑みでうなずいた。
「わかりましたっ! じゃあ必要を感じてもらえるように頑張りますっ!」
声量もさることながら、いちいち語尾が跳ねる。脳内で彼としつけ途中のジャックラッセルテリアを重ねる。週末はドッグランで駆け回るのがおススメだ。
「頑張っていただかなくていいのですが」
「いえ! 頑張るので、ひとまずこれだけ受け取ってください!」
藤矢は朱莉の手をがっと掴み、手のひらを強引に開かせる。そこにレジ袋の持ち手を押し込んで、朱莉の指をたたんで握りこませた。
「ちょっと! 困ります!」
突き返そうとする朱莉の手をぐっと押し返し、藤矢は歯を見せて笑う。
「今すぐに熟考はできないと思うので、また改めてお返事を聞きに来ます」
それじゃ、と踵を返し、藤矢は走っていく。そういえば瀬ノ川学院は駅の南側、向瀬高校とは真逆なのだと思い出した。
「……わたし、断ったわよね?」
おそるおそる確かめると、この妙な現場に居合わせた友人四人がいっせいにうなずいた。
* * *
今年の昼食会は、三年九組で開かれている。
机をくっつけた即席食卓で、結衣と織音と一緒にお昼を過ごす。食べるのが早い男子ふたりも、食事が終わりしだい自然とこちらに合流する。
即席食卓の真ん中に、朝の困ったコーヒーゼリーがぽつんとひとつ。レジ袋の中で横倒しになっていたせいで、上に乗ったホイップクリームが崩れて見た目に残念だ。
「俺、反省した。すごく既視感があった」
かつて唐突な告白をして強引に押し切った男、悠が片手で自身の顔を覆う。樹生と織音がひゃっひゃと笑い、朱莉も吹き出す。結衣が苦笑しながら悠の背中をなでた。
「まぁ、こざーくんはコーヒーゼリー押し付けたりしないじゃん? てかこれ、どーする?」
「食べたい気分ではないし、かといって食べられる物を処分するのはね……」
「そうだね。贈り主にお返しできたらいいんだろうけど」
女子三人で悩んでいると、男子ふたりが同時にコーヒーゼリーに手を伸ばした。
「いやん、相思相愛やんけ。照れるわ」
「俺の愛は結衣さんにしか向けられない」
さらりと悠が
ものの十数秒で空になったコーヒーゼリーのカップを結衣が回収し、コンビニ袋をきゅっと縛る。ゴミ箱に向かおうとした結衣を悠が押し留めて、袋を奪って立ち上がる。なんとも紳士的である。
――こういうのが良かったな。
レジ袋を無理やり持たされた手は、正直痛かった。嫌悪感で鳥肌が立ったほどだ。
「あたし的には無理だな、瀬ノ川ボーイ。急に触って来るとかほんと無理」
半眼になった織音が、六本入りスティックパンの袋を開ける。樹生が織音の肩をつつくと、織音はその袋を差し出した。樹生がパンを一本抜いて、ひとかじりする。ここまで無言で進行するから面白い。実は双子だったと言われても驚かないぐらいに、ふたりは息があう。
織音の男性不信が根深いのは知っているから、彼女にとっては友情だろう。樹生のほうはなかなかガードが堅く、朱莉からは真意を測れない。このふたりがもし恋愛に発展したら、それはそれで推せるのにと思っている。思うだけだ。探りを入れたりつついたりするのは朱莉の主義に反する。推し事は、その過程も結末も全てを愛してこそである。
「しっかし。あんなはっきり断られて欠片も
樹生が言うと、結衣が人差し指をあごにとんとんと当てながら口を開いた。
「たぶん、朱莉が聞いてくれる人だから、望みがあると思ったんじゃないかな」
なんだそれはと、朱莉は首をかしげた。すると結衣は人をほぐすような笑みを浮かべて言う。
「朱莉はほら。相手の言葉をちゃんと待ってくれるというか……聞き上手!」
「ええ? わたし、そんな素養あった?」
「うん。私がバーッて喋っても、ちゃんと拾って返してくれるから。話してると安心しちゃうんだよ。そこに素敵な声まであるんだから、増幅効果はありそう」
唐突に推しから褒められて、朱莉はくすぐったさを苦笑でごまかす。
「何はともあれ、結局メッキ声で騙しちゃったのに変わりはないわ。かわいそうなことしちゃった」
途端、結衣がぎゅっと眉根を寄せる。織音もパンをかじるのをやめて、拗ね顔で朱莉を見る。
失言だったとすぐに気づいた。友人たちは、朱莉が自分の声を卑下することを良しとしない。
「……あー。ごめん、ね?」
おずおずと朱莉が謝罪すると、ふたりが仕方ないなぁという顔で笑うから堪らない。三人で笑い合っている隙に、樹生がスティックパンをもう一本強奪した。織音がムキャアッと奇声をあげる。
しばらくそんないつもの光景を楽しんでいたら、結衣が抑えめの声をかけてきた。
「朱莉。だいじょうぶ?」
「心配ないわよ。もう一度断るだけ」
「私、しばらく今日と同じ時間で行くよ。ちょっと、怖い感じがした」
結衣の懸念は朱莉にもわかる。朱莉を掴まえた手に込められた力は、いっさいの加減がなされていなさそうだった。自信満々の態度からして、一度や二度では折れてくれない気もしている。
「……じゃあ、何度か断ってもダメだったら。わたしが結衣と時間合わせて、毎朝ふたりでデートしよっかな」
「待って。なんで俺いない前提なの」
「え、悠もいるの?」
「いるよ! ただでさえ受験前で結衣さんとの時間とれないのに!」
珍しく声を張った悠に、教室中の視線が集中する。反射的に表情を強張らせる悠の手を、結衣が控えめにつついた。そして、彼女は自分の口角を人差し指できゅっと持ち上げてみせる。「あっ」と小さく声を出した悠が、自分の頬に手のひらを押し付けて柔らかく表情をほぐした。
大変微笑ましい。朱莉の推し事が捗る。
「はい。青春指数が桁上がりしたとこでぼちぼち解散しましょか」
樹生の号令で、皆立ち上がり机を片付け始める。貴重な昼休憩が朱莉の対策会議のようなもので終わってしまった。おのれ瀬ノ川ボーイめと思いながら、ウェットティッシュで机を拭いていく。
こうなったら、なんとしても早期解決を目指す。こと面倒ごとに関して、朱莉はなかなかせっかちなのだ。
だが、せっかちなのはどうやら朱莉だけではなかったらしい。放課後、朱莉はそれを思い知ることになる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます