二章 恋は静かに積もるもの

第28話 高校三年、最後の文化祭

 高校三年九月。


 このタイミングで文化祭を開催するのはいかがなものかと、大学受験まで半年を切った仁科にしな 朱莉あかりは思う。周辺私立校が皆六月までに大きな行事を片付けている意味を、我が向瀬むこうせ高校はもう少し真剣に考えるべきではないか。


「体育館ステージより、午後の部のプログラムをお知らせします」


 さすがに最後の文化祭ぐらいは、数合わせの幽霊部員を返上して放送部らしいことをやっている。朱莉を含め五人しかいない存続ギリギリの放送部なのに、一年生ふたりが風邪でダウンしてしまったせいもある。


 そもそもは廃部回避のため、先々代の部長に頼まれてしかたなく在籍していた。月に一度の定例会に出るだけだった朱莉だから、このアナウンサー声が校内スピーカーから響くのは、今日が最初で最後だ。


 マイクをオフにして肩の力を抜くと、小窓から部長の津田つだ 奈央花なおかがこちらをうかがっていることに気付いた。朱莉が指で丸を作ると、ドアを引いて奈央花が中に入ってくる。


「ありがとーあかりん! 最後の最後にごめんねぇ」

「いいのよ。最後ぐらい部活らしいことするのもありじゃない」

「あとは飛び込みの連絡とか締めのアナウンスぐらいだし、こっちでやるから文化祭回って。お客さんも来てるよ」

「お客さん?」


 両親の来校は丁重にお断りした。小、中学時代の交友関係など、絶縁して久しい。朱莉の世界は狭いのだ。


 ピンとこない言葉に怪訝な顔をすると、奈央花がくっふっふとふくみ笑いで立ち位置を一歩横にずらした。

 空いた空間に、ドア影からひょこりと男が顔を出した。


「やぁやぁ!」

「ひっ!!」


 幽霊でも見たような朱莉の声に、奈央花が慌てた顔をする。無用な心配をさせてしまったなと、片手を軽くあげて大丈夫だと示した。


 ドドドと荒れた胸を、深呼吸して鎮める。努めて大人ぶって。そろそろ制服が似合わないぐらい成長したのだと思われたい。そんな見栄っ張りな心で、背筋をくっと伸ばした。ついでに、鎖骨まで届く髪を軽く耳に掛けてみせる。


「こんなところで何してるのかしら、しゅうちゃんは」


 隣人にして幼なじみにして兄同然の男。

 古澤こざわ 柊吾しゅうごは、端正な顔に麗しい笑みを上乗せして、悪びれもなく答えた。


「もちろん、朱莉の声を聞きにきたんだよ。良いアナウンスで惚れ惚れした」


 居合わせた奈央花は言葉の持つあまりの破壊力に卒倒しそうになっているが、これは別に甘い話でもなんでもない。


 声のコントロールを教え込んだ師が、弟子の仕事ぶりを確かめにきただけのことである。






「いやさーぁ、はるがね? 朱莉が校内放送やるって急に言うもんだから、これは柊吾くん、是が非でも遊びに行かなくちゃってなるじゃない?」

「とりあえずスマホしまう! ムービー撮らない! 不審者でつまみ出されたいの?」

「ええぇ。駄目なの? 俺、弟が彼女に溶けてるとこ撮りたいんだけど」

「それはわかる。わかるけどバレないようにやって。そしてうまく撮れたらわたしにも送って」


 二十二歳がちぇーと口を尖らせてスマホをポケットに入れる。

 朱莉はとなりに並んで、それとなく彼の顔を盗み見る。こんな近距離で彼の顔を見上げるのは、中学三年の秋以来となる。約三年のブランクのせいで緊張に荒れたがる胸に、いやいや、これは兄のようなものだからと繰り返し言い聞かせる。


 当時よりずいぶん髪が伸びたなと思う。

 弟以上に長めの前髪を、柊吾はセンターよりやや右寄りで分けて流している。下ろせば鼻先まで届くだろう。襟足もサイドも男性としては長めで、耳なんかは完全に髪に覆われている。人によっては野暮ったいと言うかもしれないが、朱莉には上品かつ大人びて見える。

 白Tシャツにオーバーサイズのシャツを重ねた、ラフなのに垢抜けて見えるスタイル。自宅でアニメキャラの笑顔溢れるTシャツばかり着用している青年と同一人物とは思えない。


「で? 三年九組は何やってるの? 結衣ゆいちゃんも悠も一緒だろ?」

「お化け屋敷。八、九組合同だから、高砂たかさごくんも一緒」

「タツくんもかぁ。いいねいいね、いかにも文化祭! 朱莉はお化けやる? 仮装とかしないの?」

「昨日は呼び込みに猫耳つけてた」

「……今日は?」


 すちゃっとスマホを出す柊吾を、「こらっ」とたしなめる。


「しません」

「えええ付けてよ! ちょっとお兄さんにも見せてごらん?」

「嫌よ。今日は結衣がつけてるはずだから、撮るならそっちを収めてちょうだい。絶対可愛いんだから」


 ぶーぶー文句ばかり言うイケメンが校内の視線を集めているが、今さらこんなことで動じる朱莉ではない。だてに九年も古澤一家の隣人をやっていないのだ。


「あかりーん! 親戚?」

「古澤家の兄ー」

「うっそ!! 遺伝子エグくない!?」

「ほんとにねー」


 同級生からの声がけを雑にかわしながら、柊吾を教室まで連れて行く。


「あかりんかぁ。可愛いじゃない」

「文句ある?」

「いやいや、楽しくやってるんだなぁと、お兄さんはじんときましたね」

「そうですか」


 三階廊下の奥のほうで、制服に猫耳の友人、佐伯さえき 結衣ゆいがおおぃと両手を振っている。控えめに言って、大変良い。


 結衣が柊吾に気づいて、ぴゅっと教室に引っ込む。少しして、ぐぐいと柊吾の弟、悠を引きずって出てきた。


 その瞬間を、柊吾は逃さずスマホに収める。


「撮れた!?」

「見てこれ……最高によろしい」


 差し出されたスマホ画面には、悠の腕をぎゅっと捕まえた結衣と、明らかに照れ顔で彼女を見る悠という、完璧な一枚が表示されていた。


「俺きっと、このためにハイエンドスマホ買ったんだよ」

「違うでしょ。どうせスマホゲームをぬるぬる動かすためでしょ」

「それはそれ。これはこれ」


 スキップでも踏みそうな陽気さで「はーるぅぅー」と走っていく二十二歳の背中を呆れて見送る。ちょうど七組のカフェから、友人、三原みはら 織音おとが顔を出した。


「アレがもしやの、こざーくんブラザー?」

「そ……少年の心を捨てない二十二歳よ」

「なんていうか、お茶目だね」


 ぷっはとこぼしてしまった笑い声に、慌てて手のひらで蓋をする。咄嗟に出る声はどうしても取り繕えず、地声に近くなってしまって良くない。


「あたしも挨拶しに行ーこぉ」


 織音がメイド服をひらつかせながら走っていく。お団子にくるんと三つ編みを巻き付けたようなヘアスタイルは、どうせ樹生の手によるものだろう。人から髪を触られるのを何より嫌う織音だが、二年から交流を深めている高砂たかさご 樹生たつきと、その兄の俊也としやに協力をあおいでトラウマ克服を目指している。


 織音から少し遅れて朱莉が合流すると、にこにことした柊吾が朱莉の頭に猫耳カチューシャを挿した。そしてすかさずスマホをカシャリといわせる。


「あっ! ちょっと!」


 慌てて頭に手をやり、カチューシャを外す。


「もー、やらないって言ったじゃない!」

「よいよい。お祭り感があってお兄さんは大満足ですよ」


 朱莉は長々とため息をつき、外したカチューシャを織音の頭に装着する。やたらに可愛い猫耳メイドを誕生させたら、廊下の騒がしさに気付いた八、九組チームが次々教室から顔を出す。


「うぉ、何? もしかしてこざぁのファミリー?」

「はー! 遺伝子つえぇ」

「どうもー、兄です。弟がお世話になっております」


 陽気に手を振っていた柊吾だが、ふらりと朱莉に近づいてきて耳打ちした。


「気のせい? ちーっとも女の子が様子見にこないんだけど」

「悠だもの。基本的に女子とは、ね」

「相変わらずかぁ。結衣ちゃんがクラスで浮いちゃったりしてない?」

「まさか。結衣よ? あるはずないじゃない」


 結局のところ彼は、弟とその彼女を心配してわざわざ顔を出したのだ。相変わらず弟思いな柊吾に苦笑する。

 そんな心配をされているとは知りもしない悠と結衣が、こそこそとささやきあう朱莉たちに不思議そうな顔を向ける。今日も今日とて、朱莉には眼福な光景である。ふたりが並んでいるだけで尊い。今日は片や黒マント、片や猫耳でさらに尊い。


「騒がしい思ぉたら、柊吾さんやん」


 樹生が廊下に出てくると、柊吾が駆け寄った。


「タツくーん! 俺もお化け屋敷入らせてー」

「ええですよー。化かし二割増でサービスしときます」

「おぉ! 望むところ!」


 意気揚々と、柊吾はお化け屋敷に入っていく。樹生は教室に引っ込む前に織音を手招き、猫耳メイドをちゃっかりスマホに収めてから仕事に戻る。


 ほどなくして、柊吾の悲鳴がひょぉ、ひょぉと廊下まで飛んできた。


「あかりん。あたしが思ってた二十二歳と違うんだけど」

「まぁ……実態はあんなものよ」

「柊吾さんは柊吾さんだから。愉快なお兄さんだよ」

「我が兄が、なんかごめん」


 そんなことを言っていたら、奈央花が廊下を走ってきた。


「あかりん! やっぱり締めのアナウンスやらない?」

「締めだからこそ、奈央っちがやるべきじゃないの?」

「他校の生徒さんからリクエストもらっちゃったの。最後だし、せっかくだし、どう?」


 きらきらとした目で奈央花に詰め寄られて、うっと反応に詰まる。

 ちょうどへろへろになってお化け屋敷から脱出してきた柊吾が、悠の背中にぺたぁとのしかかりながら「さんせーい」と笑う。


「いいじゃん。せーっかく俺来たんだから、もうひと声ぐらい聞かせてよ」

「飽きるぐらい肉声聞いてるのに」

「俺の育てた声がスピーカー介して流れてくるんだよ? またちょっと違った味わいがあるんですよ。おねがーい、あーかりちゃーん」


 参ったなぁと、朱莉は眉根をぐぐっと寄せた。


「……最後だし。やりますか」

「やたー! さすが俺の妹!」

「柊ちゃん! 誤解されるから! 逆立ちしても仁科だから!」


 柊吾の歓声に背中を押されて、朱莉は放送部員としての最後の大仕事に向かう。振り向いたら、彼は傷跡の目立つ左手をひらひらと揺らし、ぐっと親指を立てた。


 その左手に、少しだけ胸を苦しくして。いつまでも兄貴面の隣人に、朱莉は親指を立てて返す。


 そろそろ、兄を卒業してくれないものかと思いながら。

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