第25話 彼女の本気、その破壊力

 十二月二十四日。

 朝九時。


 ピンポンポンポンポンと、インターホンがせっかちに鳴りたおす。途端に緊張する結衣の横で、暢気な家主、織音が「はいはーい」と返事をしてドアを開けた。


「お待ちどぉさん。出張美容師代行ですー」


 入ってくるのは、珍しくノーセットな頭の樹生だ。


「あれぇ。樹生、寝坊しちった?」

「オレ、ほら。休みは昼まで寝るが基本やん? アラーム忘れとった」

「あやー、あとでコーヒーいれたげよっか」

「まーじでぇ?」


 相変わらず仲が良いふたりだなぁと結衣は感心する。織音と樹生のやり取りを、自分と悠に置き換えるとどうもぎこちなくなる。関西の風の有無で会話のテンポは大きく変わるものだ。


「樹生くん、朝からごめんね」

「ええて。ただし、こざの反応レポはあとで送ってな」

「写真狙ってきます」


 その反応がたとえがっかりでも、はたまたドン引きでも。結衣は負けない。


「ゆいこちゃん」

「はい!」

「良くお似合いです。自信持っていこか」

「はいっ! あとは樹生くんの腕が頼りです」


 今日こそリベンジのプランAコーデ。濃ベージュの膝上ショートパンツと白ニット。ニットの下からブラウスの裾をチラ見せするという、織音のおすすめテクニックを追加採用した。黒タイツにショートブーツまで、結衣の思う最大可愛いセットだ。


 リビングでは、朱莉がアウターとにらめっこ中である。十一月に着るつもりだったもこもこアウターは確かに心もとない。


「やっぱり、織音のコート借りてったら?」

「だめ。絶対これで行く」

「もー、決めたら頑固なんだから。カイロ仕込むわよ。いいね?」


 とうとう朱莉が折れて、今日のコーデに許可がおりた。


 樹生がダイニングテーブルにヘアアイロンやらコームやらを並べていく。俊也の影響で美容師を目指しているのかと思えば、樹生のこれは完全な趣味らしい。


 結衣は自分の鞄からローズのヘアオイルを出して、樹生の道具の横にそっと添えた。


「これ、使う?」

「使いましょ。まぁ、お座り」

「はーい」


 できるだけ軽い返事で緊張を誤魔化す。同級生男子に髪をいじられるという貴重な体験だ。


 樹生が両袖をめくり、くっと肩を回した。


「さぁ、こざに泡吹かせる気ぃでやらせてもらいます」

「よろしくお願いします」


 待ち合わせまで、あと一時間半。

 朱莉と織音が見守る中で、結衣は樹生の魔法にかけられる。



 * * *



 向瀬駅、午前十時十五分。

 午後集合も結衣の駅で待ち合わせる案も却下された悠は、不安と闘いながら結衣を待っていた。


 風は穏やかながら、外歩きに向いた気温ではない。結衣の体調が万全でないなら、日を変えるなり場所を屋内にするなりしたかった。けれど、これもまた結衣が頑なに変更を認めなかった。


 ――本当に、大丈夫なんだろうか……。


 なぜか朱莉からのLINEでキレイめコーデを指定され、何が何だかわからないままここに立っている。落ち着かない心で何度もスマホ画面を見ては、消えた液晶画面に映り込む自分に、どこもおかしくないかとまた不安になる。


 そうして待つこと十分。約束の五分前に彼女はやってきた。


 すぐに結衣だとわかった。

 けれど同時に、結衣だろうかと戸惑った。


「お待たせし……古澤くん?」


 結衣が一声を発するときには、悠はその場にしゃがみこんでいた。


 ――まずい。まずいまずい。


 ニットも、もこもこアウターもまずいが、キュロット気味のショートパンツがいちばん危ない。制服着用時は極力考えないように努めてきた悠を狙い撃ちするかのようだ。


 佐伯 結衣は、大変な脚線美をお持ちなのである。


 悠は両手で顔を覆った。そうしておきながら、指の隙間から結衣の顔を見上げる。


 ――絶対、樹生だ。


 ここを待ち合わせに指定された理由を悟った。顔周り、両サイドの髪を編み込んでカチューシャみたいに見せるヘアアレンジ。頬にかかるよう編まずに垂らした髪はほんのりとウェーブ。伸びかけボブに手こずっていた結衣が、こんな凝ったことをできるはずがない。

 その上、前髪が短くなっている。眉が見える。こっちは絶対俊也の策だ。

 悠の大事な決選の日なのに、友人たちが乗りに乗った末、破壊力特級の結衣を出力された。


 ――なんのご褒美、なんの……なん。


「期末テストの!?」


 顔を上げて叫んだら、結衣のスマホがカシャッと音をたてた。


「……佐伯さん?」

「リアクション撮ってくるのが報酬になってて」

「ええぇ」


 ショートパンツの裾を気にしながら、結衣がしゃがむ。悠と同じ高さまでおりてきて、スマホ画面を悠に見せてきた。

 結衣の髪が揺れて、花の香りがふわりと悠をなでる。


「隠し撮り、嫌いだよね。ごめん……この一枚だけ樹生くんに送っちゃだめかな。朝からとてもお世話になったので」


 こんなに断りづらいおねだりを、悠は知らない。


「撮っても、いい。ただ、送るのはこれだけにして」

「撮っていいんだ?」

「彼女になら、許します」


 悠が彼女という言葉を口にした途端、結衣は目を伏せた。けれど、くるんと上向いたまつ毛を悠が視線でなでているうちに、また結衣は笑顔を取り戻す。


「いっぱい撮りたい」


 そんな幸せそうに言われて、嫌と言える彼氏が地上にいるだろうか。いるとしたらそれは人類じゃない。ミジンコか何かだ。


「好きなだけどうぞ」

「はいっ」


 すかさず結衣がスマホをかまえてシャッターを押す。そして、満足そうに微笑んでスマホを鞄に収めた。


 重苦しかったこのひと月が嘘のように、結衣は晴れやかに、ころころと明るく表情を変えていく。展開が早すぎて悠の心のシャッターが追いつかない。


「では、古澤くん!」

「はいっ?」

「これから、市民公園前駅に行くんですが。公園に入る前の二時間を私にください!」


 結衣の気合に飲まれ、悠はキツツキみたいにうなずいた。





 駅に降りてから、宣言通りに結衣は悠を先導した。


 公園とは反対方向へしばらく歩き、商店街に入る。

 この商店街の途中には広場があって、明日までクリスマスマーケットが開催されている。結衣の不調がなければ寄り道するのも悪くないと、悠も当たりをつけていた場所だ。


 そんな広場へまっすぐ向かうのかと思えば、結衣はスマホ片手に、商店街と画面を見比べながら歩いている。真剣すぎて安全確認がおろそかになるから危なっかしい。

 すれ違う人とぶつかりそうになり、悠は結衣の肩を掴んで引き寄せた。控えめな花の香りがまた悠を刺激する。


 本能には頑丈な鎖を巻き、理性にはステージ上で盛大にダンスを踊らせる。今日の主役は理性一択だ。


 そうやって悠が必死に抵抗するのに、結衣の指がくいくいと悠の袖を引っ張ったりしてくる。あまりに積極的な今日の結衣のせいで、末席にいた本能がウォーミングアップを始めてしまった。とりあえずダンベルは置け。


「かわ……」


 馬鹿のひとつ覚えみたいな言葉を口にしかけて、なんとか留まる。せっかく晴れている結衣の表情を前回のデートのように曇らせたくない。


 すると、結衣のショートブーツが、こんっと音を立てて止まった。


「今日はどうでしょう……可愛くできてますか?」


 ――上目遣いッ!


 今日の結衣は、一度目とも二度目とも違う。まるで悠を試すかのように次から次へと攻めてくる。


「可愛い、です」


 今まで何度も伝えてきた言葉が、急に照れくさい。それでも大事に、一音一音を噛みしめるように声にする。


 結衣は悠の言葉に少しだけ唇を震わせてから微笑んだ。幸せ満開みたいな顔を見せられて、本能が鎖をバキンと砕き、とうとうステージに跳び上がる。

 結衣に向かって伸ばした悠の手は――すかっと空を切った。


「あった! ここ! ここだよー……って、どうしたの?」

「どうもしない……気にしないで」


 空振った両腕で自分自身を抱きしめるという古典的な誤魔化しスタイルで、悠は再び本能をステージから引きずり下ろした。ダンベルはそっと回収しておく。



 


 結衣はサンドイッチ。悠はバケットサンド。軽めの昼食を済ませたら、結衣が店員を呼んで「お願いします」と何か頼む。


「なんかあるの?」

「ふふー。なんと今日は、古澤くんと一緒にネコを食べます」

「クマの次はネコを!?」


 店員が戻ってきて、ふたりの間にどんっと大きなパフェを置く。


 生クリームの山のてっぺんにネコのクッキーがふたつ。ハートのチョコレートを背に並んでいる。


「これは、もしや……」

「おふたりさま限定パフェ。要予約ネコちゃんです」


 むふっと誇らしげに、結衣が頬を張る。


「おぉぉ……」


 悠がカメラにパフェを収めると、そんな悠を結衣がカメラに収めた。


「二枚目っ」


 収穫物を自慢げに見せてくる。結衣が撮る悠は、自分が思っているよりずっと子どもっぽい。


「俺、こんな顔してる?」

「これはねぇ、カメラマン佐伯の腕が悪いんだな。本物はもっと可愛い」

「……俺、可愛いの?」

「とびっきり」


 うんうんとうなずいた結衣はスプーンをかまえて、どこから切り崩すかを見極める挑戦者の目になった。


「古澤くん、ここはやっぱりネコからいくべきかな」

「形状からして、ネコを倒さないことには本陣に斬り込めませんな」

「うう、かわいそうなネコちゃん」

「じゃあ、せーので」


 それぞれネコクッキーをつまみ、せーので食べる。無言でもきょもきょ咀嚼して、飲み込んだ途端にお互い笑い出した。


 結衣のスプーンが生クリーム山を攻める。頂上付近を掘ったスプーンは、なぜか悠の元にやってきた。


「古澤くん。はいっ」

「……はい?」

「ぱくっと。はい!」


 にひっと笑った彼女が八、生クリームが一、スプーンも一。可愛さの黄金比がここに生まれる。オプションふたつは正直何でもいい。かなめは八割を負担する結衣だ。


 ――心臓、頑張れ。


 早鐘にもほどがある。

 慎重に彼女のスプーンをくわえて、ゆっくり離れる。ただの生クリームとは思えない。おそらく三千年の歴史がある。縄文だか弥生だかあたりからの秘伝だ。そんなわけあるか。


 負けじとこちらもスプーンをかまえるが、今度は目の前にアイスを差し出される。


「……もう一回?」

「うん」

「俺で遊んでる?」

「んーん。古澤くんを堪能してる」


 参った、とアイスを迎えに行く。初デートの結衣は落ち着きなく周りの目を気にしていた。視線を集めがちな自分が申し訳なかった。けれど今日は、彼女の目が悠から離れない。まさに、堪能されている。


 いちばん好きな服を着てきて欲しいと頼んだ。これが誰かに求められた『らしさ』を全て取り払った彼女の姿なら、秘めていたものがとてつもない。油断したら一瞬で理性が消し炭になる。


 悠がくわえたスプーンを、結衣がはむっと口に入れる。本能が期待に満ちた目をステージに向けたので、封印の札を顔面に貼り付けておいた。




 パフェはけっこうなボリュームだった。復調したての結衣を心配して、ホットの紅茶を追加オーダーする。アイスで冷やした体を内から温めて、ほっと息をついた。


「予約入れてくれてたんだ」

「そうなの。二時間くださいを断られたらどうしようかと思ってた」


 時刻は午後一時近く。結衣の欲しがった二時間がそろそろ終わる。


「交代する?」

「んー……もうちょっと時間欲しいって言ったら怒る?」

「怒らないよ。佐伯さんが行きたいとこに連れてって」


 それは、悠の心の準備時間でもあるから。

 じりじりと迫ってくる緊張に押されて、結衣のおねだりに甘えた。

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