第22話 全て彼女の手のひらの上

 * * *


 世の中、とかくままならない。ままなったのは自分の期末考査ぐらいだ。


「俺、もしかして、やればできる子?」

「こざくん、できる子ぉ! 先生は嬉しいで!」


 水曜日の放課後。補講回避どころかオール八割超えという奇跡を机に並べ、もっと勉強しようと決意を新たにした。樹生の教えが素晴らしかっただけという説にはそっと蓋をする。


「あとは、こざが頑張るだけやな」

「逃げも隠れもせずね」

「お、腹決まった感じやな」


 悠はうなずきながら、そろえた答案をふたつ折りにして鞄に突っ込んだ。


 兄のありがたい助言でようやく踏ん切りがついた。結衣の本音が聞きたいなら、先にこちらが全ての手札を明かすべきなのだ。


「ただ、佐伯さんが不調すぎてさ」

「ここまで体調悪いてよっぽどやで。なんかデカい病気てわけやないんよな?」


 期末考査が終わっても、結衣の体調は戻らないまま。テスト不調だと本人は言い張るが、ずいぶん長引いている。

 避けられていることもわかっているだけに、強引に誘えず。かといって、LINEで済ませたい話でもなく。ひたすら足踏みしている毎日だ。


「ゆいこちゃん、わりに頑固やな。織音が粘って話聞いてもテスト前に頑張りすぎたの一点張りらしいで」

「樹生、それ」

「どれ?」

「……ゆいこちゃん」


 ああ、と樹生は手を打った。


「なんや。こざも使ぉたら?」

「嫌だ。結衣ちゃんがいい」

「はいはい。呼べるようになってから言ぉか」


 樹生が鞄を手に立ち上がったところで、悠のスマホが震えた。

 通知を見るなり、指先にくっと緊張が走る。


「こざ?」

「……や、懐かしいやつから連絡きたなと思って」


 最後にLINEを受け取ったのは二年前の誕生日。気づいたのは翌日になってからだった。相手からの長い謝罪文に、あの日の悠は返信を送らなかった。以来、一切のやり取りは絶えていたのに。


 深呼吸して時間をかけ、通知をとすっと指で叩く。


【 ハヤト >> 急にごめん。帰り、向瀬の駅前のマッケンバーガーで会えんかな 】


 とす、とす、と。

 真意を問う返信を、無感情に送った。


【 ハヤト >> さえきさんの弟さんが内緒でハルに会いたいって、今一緒にいる 】


 返信に、となりで見ていた樹生が「はぁ?」と声をあげる。悠にだって意味がわからない。お互い顔を見合わせ、眉をひそめて首をかしげた。


「……俺、先帰る」

「気ぃ付けてな」


 悠はかつての親友に了解とだけ打ち込んで、駆け足で教室を後にした。






「ハル! こっち!」


 十月にコンビニ前で顔を合わせたきりの幼なじみ、長塚 隼斗が立ち上がって手を振っている。悠は彼との再会に複雑な感情を抱くよりも、そのとなりに立って会釈する中学生のほうに意識を持っていかれた。


 ――似てる。


 結衣に精悍さをほんのり上乗せしたような顔立ち。人の良さそうな表情。目や口という個々のパーツが、結衣とのつながりを深く感じさせる。


「佐伯 啓史です」

「古澤 悠といいます。お姉さんには、いつもお世話になってます」

「いえ……急にすみません」


 とりあえず着座をうながすが、緊張した面持ちの啓史は立ったまま。


「あの……姉ちゃんの彼氏って、古澤さんですか」

「……はい。お付き合いさせてもらってます」


 悠がうなずくと、隼斗が目を丸くする。そして、次の瞬間、その目はさらに丸くなった。


「姉ちゃんと別れてくれませんか」

「えええ!?」


 悠が驚くより、隼斗が叫ぶほうが早かった。

 樹生といい、隼斗といい、そうして悠の驚きを先に持って行ってしまうから、悠は冷静にならざるを得ない。




 隼斗が、とうに空っぽになったドリンクをストローで混ぜる。残った氷がカシカシと音をたてる。


「あの、ハル……おれ、帰ったほうがよくない?」

「ごめんだけど、できれば残って。ふたりだと啓史くんが緊張する」


 経緯はこうだ。


 長引く結衣の不調を案じていた啓史は、原因が心因性のものではないかと考える。直近で姉に大きな変化があったとすれば、彼氏ができたことだ。


 だったらその彼氏に話を聞くのが早い。けれど、啓史は姉の彼氏を知らない。

 記憶を紐解いて、市民体育館で姉が話し込んでいた見知らぬ男に当たりをつける。部活つながりで連絡のつく他中学の友人に片っ端からLINEを送り、かなりの時間をかけて、東第二中学バレー部のOBである隼斗にたどり着いた。


 いざ訪ねてみれば、隼斗は姉の彼氏どころか知り合いとも呼べない間柄だった。隼斗への聞き取りの末、ようやく悠まで話が回ってきたのだ。


 中学生のネットワークと行動力に敬服する悠である。


「原因が彼氏だっていうのは、お姉さんが言ってた?」

「姉はあまり自分のこと話さないので。でも、長塚さんの話を聞いて、間違いないと思いました」


 弟の口からこうもはっきりと断言されるのは痛い。ダメージを受ける悠をよそに、啓史は鞄から卒業アルバムを取り出した。隼斗がトレイを端に寄せ、空いたスペースにアルバムが開かれた。


 まだ幼い、ベリーショートの結衣と目が合う。


「姉ちゃん、真面目なんです。周りの期待に全力で応えようとするんです、昔っから。だから、ブルーやってました」

「ブルー?」

「レインボーブルー。戦隊ごっこです。姫はずっとひなちゃん……姉ちゃんの幼なじみでした」


 啓史は指を組んだ両手にぐっと力をこめた。


「姉ちゃんはずっと、ひなちゃんの理想のヒーローだったんです」



 * * *



 胃痛軽減に貸してもらった湯たんぽを保健医に返して、結衣はからからと扉を開けた。


 と、保健室の真ん前をちょうど木田が通り過ぎるところだった。


 あまりのタイミングの悪さに奇声をあげそうになって、ぐっとこらえる。木田は木田で何やら不機嫌そうに眉をひそめた。


 わざわざ結衣から話すこともない。なんとなく会釈して一度教室に戻ろうとした。このまま一緒に靴箱へというのは、弱った胃にこたえる。十二月に入ってから、日常のありとあらゆるものが結衣のみぞおちに恋して刺さりにくる。こんなモテ期は嫌だ。


「古澤と別れた?」


 背を向けた結衣に、木田が問う。

 こんなところでする話じゃないだろうにと、頭を抱えたくなった。なぜか木田は常々、結衣に敵意をむき出しにする。


「木田には関係ないと思うけど」

「あるだろ」

「なんで?」

「人のこと保険扱いしといて、関係ないとかよく言えるな」


 ――なんということ。


 絶不調なときに、現代国語の難題が降ってきた。期末考査のほうがよほど難易度が低い。胃に加えて頭まで痛みだし、とうとう結衣のほうから斬り込んでしまう。


「……二股かけたのは、木田のほうだよね」

「自然消滅はノーカンだろ。おまえよりマシ」

「もー。さっきから何!?」


 結衣は踵を返し、木田にぐっと詰め寄った。


「意味がわかんないんですが! 保険とか何の話!?」

「古澤が本命のくせして俺と間に合わせで付き合ってたんだろ!」


 ぽかん、と。間抜けに口を開いたまま、結衣の頭に星が舞い始めた。殴られでもしたかのように、目の前がチカチカと明滅する。


「ど、ゆ……こと?」

「どうもこうも、おまえが一番わかってんだろ」

「ごめん木田。ほんとに……意味がわからない。そんなこと、誰に聞いたの」


 木田も結衣の反応に引っかかりを覚えたのか、怪訝な顔をした。


「ひなから。佐伯と付き合ってすぐに、そう聞いた」


 とさり、という音に結衣が振り向くと、鞄を取り落とした織音が呆然と立っていた。その後ろに朱莉、樹生までそろっている。


 織音がくるりと方向転換して、階段へと取って返す。結衣が慌てて追いかけると、二階まで上がりきったところで織音が足を止めていた。


 ちょうど階段ホールに入ってきたひな子が、織音のまとう不穏な空気に気づき、こてんと愛らしく首をかしげる。


「三原さん?」

「なに考えてんの。ゆいこになんてことしたの!」


 織音がひな子に向かって、掴みかかりかねない勢いで走り出す。


「織音ちゃん、待って!」


 声を張り上げた途端、結衣の腹部がずくりと痛んだ。足を滑らせかけて踏みとどまっている間に、結衣の横を樹生が一気に駆け上がる。


「あかん、落ち着けっ!」

「なんで止めんの! 一発殴らせて!」

「手ぇ出すにしてもゆいこちゃんの権利やろ」


 羽交い締めにして、樹生が織音を止める。彼の腕の中でジタバタと暴れる織音に、ひな子は困惑した表情を向けた。


 そして、結衣を見て、階下から走ってくる朱莉と木田の姿を確かめて。


「だめだなぁ陽太くんは。黙っててねって言ったのに、忘れちゃったんだ」


 ひな子は、いつもどおりの鈴のようなソプラノで笑った。


 階段半ばで止まってしまった結衣の体を支えるように、朱莉の手が背中に添えられた。

 木田がひな子の正面に立つ。けれど、ひな子は彼の視線を無視して結衣に笑いかけてきた。


「ねぇ、ひな子。説明してくれる?」

「いま結衣ちゃんが考えてるとおりだよ」

「なんで、そんな嘘……ついたの」

「陽太くんが、結衣ちゃんを普通の女の子にしたがったから」


 木田が困惑した顔で結衣に視線を投げてくる。

 結衣はふるふると首を横に振った。ここで解説を求められても困る。結衣が一番混乱している。


「ゆいこは、女の子じゃん」


 織音がそう言うと、ひな子は当然とうなずく。


「そうだよ? でもね、結衣ちゃんは特別かっこいいの。完璧なヒーローなのに、陽太くんは全然わかってなかった。だから髪伸ばしてみたらなんて、そんなひどいこと言えるんだよ」


 それは、「俺ら、付き合おっか」という告白に結衣がうなずいたあと。講堂裏から本校舎に戻る途中、木田から言われたことだ。


 結衣が交際を打ち明けたのは、朱莉と織音のふたりにだけ。一年の頃にひな子と話したのは校内ですれ違ったときぐらい。教室のある階も違ったから、本当に数えるほどしかない。高校規模の生徒数になると簡単に疎遠になれた。


 結衣と木田が付き合っていたことすら、ひな子は知らないはずだった。


「なんで、ひな子がそんなことまで知ってるの」

「ついていっただけだよ? 陽太くんが告白するつもりなの、わかってたから」


 何もかもが筒抜けになっている。結衣は混乱のままに木田の顔を見た。


「木田、ひな子に相談とかしてた?」

「してねぇよ。誰にも話してなかった」


 焦る木田の様子を見れば、その言葉が嘘でないことはわかる。互いに困惑する中、ひな子の朗らかな声が答えをくれた。


「結衣ちゃんを見てたら、結衣ちゃんのこと追いかけてる男の子の目ぐらいすぐ気付けるもの」


 初めて、この愛らしい幼なじみを怖いと思った。階段の手すりを握る結衣の手はいつの間にか震えていて、木田ですら自分の彼女から一歩後ずさりする。

 そんな木田をくいと押しのけて、ひな子は結衣に近づいて微笑んだ。


「結衣ちゃんはそのままでいいのに。変わらなきゃって、そんな我慢を結衣ちゃんにさせる彼氏なんかいらないよ」

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