第19話 完璧なデートプランB

 * * *


 初めに結衣が描いていたおもてなしデートは全て方向転換させた。プレゼントからみんな企画しなおしたら、お茶する場所と昼食がどちらもファーストフード店になってしまった。


 壁に据付のハンガーフックには、朱莉と織音がお墨付きをくれたあのコーディネイトが恨めしく吊ってある。そんな風に結衣を見ないで欲しい。今日の正解はこれではなく、オーバーサイズスウェットとスキニーパンツ、ダウンベストなのだ。


 机には、これまた恨めしげなプレゼントが乗っている。小さいほうはまったく不要となったのに、昨日の夜せっせと仕立てた自分が理解できない。大きいほうが当たりだ。これを紙袋に入れる。


 玄関に行くと準備済みのブーツが待機している。きみじゃないぞとシューズボックスを開けて、スニーカーと選手交代させる。


 完璧だ。とても『らしい』。


「姉ちゃん、それで行くの!?」

「そだよ?」

「え、あの可愛いのは? 部屋に吊ってたじゃん」

「こっちでいーの」


 にひ、と笑って結衣は自信満々に家を飛び出した。





 しっかりしたデートが二度目だからか、正解がわかっているからか。前回よりずっと落ち着いた気持ちで電車に乗る。今日は傘も持っているし、結衣に死角はない。


 ――はず、だったんだけど。


 スッとした綺麗な格好の悠が、改札前に立っている。その姿を見た途端、耳奥でサァと水の流れるような音がした。


 悠はいつものように結衣を見つけて駆けてくる。改札の内側で固まっている結衣に、不思議そうに首をかしげた。


「どうかした?」

「……な、んにも、ないです」


 ぎこちなく改札を出て合流する。


「今日は元気スタイルだ。可愛い」


 やっぱり悠は結衣をそうやって褒める。いつもなら胸をほこっと温め、結衣の背中をしゃんとさせてくれる『可愛い』に、今日の結衣はうつむいた。


 ――可愛いくはない……。


 なにぶん、全身タイツですら愛でると豪語した無敵の彼氏である。言葉は違えず、こんな可愛げのないブルー寄せな彼女を褒めてくれる。甘やかし検定一級ぐらい持っているに違いない。


 前回のデートと同じ駅、同じ改札。どれも変わらないのに、何もかも違って見える。


「あの人かっこいい」

「となりの子彼女かな」

「え……判定難しい」


 賑わう駅構内にあって、そんな声ばかりを結衣の耳は拾い上げる。人の五感は、我が身に悪いものを積極的に探知するようにできている。


「佐伯さん、こっち」


 悠に手首をきゅっと引かれて、改札の人混みを抜ける。人通りが落ち着いたところで、彼はこちらに向き直った。


「調子悪い?」

「すこぶる健康!」

「いや、でも……」


 結衣はぷるぷると首を振って、逆に悠の袖を引いた。


「ちょっと人に酔いそうだっただけだよ。大丈夫です!」


 そして、三週間前と同じ道を通り、同じショッピングモールに入った。


 昼の混雑を避けるために、早めの昼食をとる。フードコートで席を確保して、お互い好きなバーガーセットを頼む。


 朱莉と織音とここに座ったのは二週間前。あのときは、こういう格好で当日を迎えるなんて思っていなかった。長時間ふたりを連れまわしておきながら、全てを徒労に終えてしまった。


 はむっとバーガーをかじる。今日の悠は前回のように写真を撮ったりしない。そんなことが少し引っかかる。

 気にするまいとポテトを一本かじったところで、結衣の手が止まった。


 ――あれ、食べきれない気がする。


 朝、何も食べなかったのが逆に不調を誘い込んだかもしれない。じりじりとだましだまし食を進めていると、悠の手が結衣の側まで伸びてきた。


 強く手首を掴まれる。悠は身を乗り出し、大口を開けて結衣のバーガーにかぶり付いた。ノンストップでおよそ三分の二を一気に食べ干す。


「こ、古澤くん!?」

「まだ手伝う?」

「大丈夫! 自分でちゃんと食べるから!」


 結衣の手を離した悠が、今度はポテトを紙箱ごと自分の元に寄せた。


「じゃあ、それだけ頑張って食べて。俺ポテトもらうから。そんで、食べたら俺に付き合って。俺の誕生日だから好きにさせて」


 口調は強い。自分の食事量を見誤った結衣に、気を悪くしたかもしれない。

 完璧なはずの今日の自分が、どこもかしこも穴だらけに思えてきた。





 二階まで吹き抜けになった広場に移動する。植え込みをぐるっと囲う半円形ベンチの端まできて、悠は強引に結衣を座らせた。自販機に走っていって、ホットコーヒーを手に戻って来る。


「これ、お腹に当てて」

「……大丈夫だから」

「大丈夫な顔してない」


 断定する強い言葉でも、壁は感じない。言葉の奥に結衣を気遣う優しさがこもる。

 悠は結衣のとなりに座って、ひとつ大きなため息をついた。


「何かあった? 俺、何かした?」

「してない。いつも優しい」

「佐伯さんに優しくできてる?」

「もちろん! できてる! すごく、してもらってる」

「じゃあ、この一週間。佐伯さんは何を悩んでた?」


 言葉に詰まった。


 顔を合わせている間はそんな素振りは見せないように明るく過ごしたつもりだったのに、悠は確信をもって結衣に尋ねてくる。ここ二日ほど、夜のLINEでも、悠は幾度かこちらの調子をうかがうような言葉をかけてきた。誕生日目前の悠にやきもきさせたのだと思うと、不調の胃がさらに重くなる。


 確かにずっと悩んでいた。先週までせっせと考えてきたおもてなしプランがみんな的外れな気がして。


「今日のデートを、どうしたら喜んでもらえるかなって。そればっかり考えてた」


 正直に白状すると、悠はぱちんと瞬きして、それから「んん?」と首をかしげる。


「それだけ?」

「そう。そればっかり」

「え。たったそれだけ?」

「たった、じゃない!」


 心外だと、結衣はついつい声を張った。広場にいる人の視線を感じて、身を縮こめる。


「クマっくまと同じレベルはまだ無理だけど。この一ヶ月、嬉しいことばっかりもらったから。古澤くんにも嬉しいこと渡したくて、それで」


 全力で立て直したプランB。BはもちろんブルーのB。急ごしらえで穴だらけでも、悠が選んでくれたブルー佐伯らしさを全面に押し出せるデートを用意したつもりだった。胃の不調は想定外だったが。


「古澤くんに、笑って欲しかったから」


 ちらりと確かめたら、悠はぽかんと口を開けていた。呆れられたと悟る。デートプランで一週間も悩むなど、今の結衣では彼女検定五級すら危うい。


 お腹をじんわり温めてくれた缶コーヒーをボディバッグに入れる。折れそうな心で、悠の膝にとすっと紙袋を乗せた。


「誕生日……おめでとうございます」


 無言の悠が、紙袋から青いギフト袋を引っ張り出す。水色のリボンを解いて袋を開けた途端、彼の目は真ん丸になった。


「どうぞ、お納めください」


 用意したのは特大サイズ菓子。通常版の三倍サイズというビッグ名菓シリーズを五種類詰め込んだ。甘党の悠に合わせて全てチョコレート系だ。


 不安を抱えて反応を待つ結衣のとなりで、悠の肩がぷるぷると震えだす。


「っ、はは! 全部でっかい! 初めて見たのもある!」

「どう、でしょうか」

「うわー待って待って、これ嬉しい! 写真撮っていい!?」


 結衣のプレゼントが悠をちゃんと笑わせた。けれど、結衣の戸惑いはどんどん大きくなっていく。自分は彼の、こういう笑顔が欲しかったのだろうかと。


 ――いや。笑顔に貴賤などない!


 悠は五種類の菓子をすべて写真におさめ、丁寧にひとつずつギフト袋に戻し始めた。結衣は作業を手伝いながら、このあとについての相談を持ち掛ける。アクティブなデートを企画していたから、この不調では厳しい。


「で、以降はゲーセンなどに興じる予定になっていたのですが」

「あー……そこは別日にしたらどうだろう? 佐伯さんの復調を待ってからでもゲーセンは逃げない」

「ですね。佐伯、おおいに賛成です」


 すると、悠の表情がふわりと柔らかいものに変わった。楽から喜へ。氷を溶かせそうな優しい笑みだ。


「深刻なことじゃなくて、良かった」


 この顔だと思った。結衣が今日精一杯もてなして、悠からもらいたかったものだ。

 結衣は半ば無意識に両手を伸ばして、悠の頭をわしゃわしゃと撫で回した。わんこのふわふわとした手触りを想像していたのに、しっとりと重い手触りがする。けれど。


 ――なんか、気持ちいいなぁ。


 ずっと触れていたい。そんな気持ちは結衣の手を、悠の髪どころか、ひたいにまで向かわせた。


「ど、え!?」


 彼の焦り声で我にかえり、慌てて手を離す。


「ご、ごごごめん! 変態化してしまった!」

「い、いや。何事かと思……って、手! ごめん、ワックス付いたろ!?」

 

 指摘されて自分の両手を見たら、ハンドクリームをさらっとつけた後のようなツヤがある。

 悠の髪も乱れてひどいことになってしまった。


「ごめんなさい……どうしても、やってみたくて」

「まだ足りない? やる?」

「んーん。足りた」

「普段ならほぼノーワックスなんで、いくらでもいじってくれていいんだけど」


 さらりと言って立ち上がった悠は、結衣に手を差し伸べた。


「とりあえず、その手、洗いに行こっか」





 トイレの手洗い場でぼんやりしながらワックスを落とす。失態続きで、さすがに気持ちが沈む。ここを出たらもう今日は解散になるだろう。そう思ったら動けなくて、いつまでも水を流し続ける。環境への配慮がまったくなっていない。


「何やってるんだろ」


 完璧なプランBが、蓋をあければこのザマだ。洗面ボウルにため息を落とし、ふっと顔をあげたときだった。


 オレンジの香りがしない。

 ふとした瞬間に自分を楽しませてくれる、あの上品なオイルの香りが。


 当然だ。ブルーの結衣はほぼノーセットで、寝癖だけを直してここにきた。

 悠は今日を特別にして、ワックスをつけてきたのに。


 鏡に映る結衣は、完璧なブルー佐伯だ。ユニセックスなスポーツカジュアルで、気取っていなくて、どこにも隙なんかない。


「いや、合ってる。今日はこれでいいんだよ」


 鏡の中の自分に言い聞かせるように、結衣は強くうなずいた。





 トイレから出ると、やっぱり絵になる悠がいる。結衣にさんざん乱された髪は軽くセットし直され、毛先がおしゃれに遊んでいる。

 そんなふうに飾ってきてくれたのは、今日の結衣のためだ。


 ふたりで並んで、ショッピングモールを歩く。結衣が半歩遅れで後ろを歩くと、悠も足を緩めて調整する。


 ショッピングモールの出口が見えてきたときだった。


「今日、ありがと。ほんとに嬉しかった」


 絶景といえるほどの笑顔を降らされた。どういたしましてと答えようとして、結衣は言葉を失う。

 彼の肩越しに見えるのは、朱莉と織音と一緒に服選びに奔走した店だ。


 ――なんで、このカッコなんだろ。


 こんなはずじゃ、なかった。

 悠の笑顔を見たかったのは、ブルーじゃなくて、少し背伸びしたコーディネイトでオレンジの香る結衣だった。


「……どう、いたしまして」


 結衣がそう返すと、悠は大きく目を見開いた。そして、彼の指が結衣の目尻に触れた。


「どしたの、佐伯さん」

「……ん」

「ね。なんか、あるんだろ?」

「…………ん。ごめん」


 落とした視線の先には、スキニーパンツとスニーカー。これからも、結衣はこうして悠のとなりにいるのか。

 ここには、ジャングルジムもすべり台もない。悪役もプリンセスもいないのに。


 夕暮れに伸びる影法師は、何度も「それでいいの?」と問う。その声を無視して、ずっと結衣は青を選び、リボンはつけず、スカートも履かない。


 ――だって、それが。彼の好きな佐伯 結衣だから。


 ブルーじゃない佐伯 結衣では、どこにも需要がないから。


「ごめん……私、古澤くんの彼女……ちゃんとできそうに、ないや」


 気づいたときには、結衣の口が勝手にギブアップしていた。

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