第14話 可愛いの暴力

 * * *


 寒くなってくると、人はどうして中華まんに吸い寄せられるのか。


「遺伝子に暗号として組み込まれているとしか思えない」


 結衣が肉まんを手にほふっと息をつくと、悠がとなりでぷるぷると震えた。

 校内で周りに見せている彼の顔は、分厚い氷の壁を張っているようなクールさなのに。本当のところ、悠はけっこうな笑い上戸である。


 そんな悠の手にはあんまん。初デートのクマっくまクレープは結衣を気遣ってのチョイスというだけではない。重篤な甘党だ。


 二週間余りを経て、少しずつ彼のことがわかってきた。


「樹生がさ、かたくなにそれを豚まんって呼ぶ」

「関西方面の風を感じる瞬間だね」


 はむっとひと口。アツアツと堪能していると、目の前にひと口かじったあんまんが突き出される。


「こっちもどう?」


 束の間ためらってから、えいとかじりつく。肉餡の塩気をあんこの甘みが上書きする。結衣からも悠におすそ分けを差し出すと、かぶりついた悠は複雑な顔をした。


「美味しいけど、交互に食べるものかというと……」

「ね?」

「わかってておススメしたな?」


 悠の手の甲が、こらっと結衣のひたいに軽く当たる。


 結衣と悠の下校デートはこれが二回目。場所はいずれも、学校から徒歩五分の『なんでもカワタ』だ。駄菓子をメインにしながら学用品群をそろえ、夏にはアイス、冬には中華まんという、高校生を魅了してやまないお店である。店主の川田さん(御年七十二)の人柄ごと、向瀬生に長らく愛されている。


 なんでもカワタは通学路から少し外れるが、下校中にも店の様子がうかがえる位置にある。店先のベンチが空いていたら寄り道しよう。そんな気楽な下校デートも悠の提案だ。


 三週目に入っても優しさに流されっぱなしの結衣としては、ここらでひとつ、自分から動いてみたい。


「こここ古澤くん!」

「はい?」


 結衣が盛大につっかえても、悠は笑ったりしない。


「その……どのような格好がお好きかな」

「服とか?」

「うん、服とか!」


 唐突な質問に、悠はあんまんをもふっとかじりながら空を見上げた。


「柊吾が買って外した服とかもらうからなぁ。アロッズとか、なんかいいブランドの服がいつの間にか勝手に混ざってる。けど、自分で買うならもう、その辺で適当に」

「古澤くんの服の話ではなくて」


 それはそれで必要な情報ではあるが。


「佐伯さんの?」

「そう、この佐伯にお望みのテイストをお教えいただきたく」


 悠の顔が結衣にロックオンしたまま、数十秒。

 長い。

 続く沈黙に結衣が不安になった頃、彼の顔は「むぅーん」と渋いお茶でも飲んだようになった。


「どうあっても可愛いからなぁ……」

「採点ゆるゆるじゃないですか、古澤どの。全身タイツで登場しちゃったらどうするんですか」

「それでも愛でる自信しかないし」

「基準、見直そっか」


 突き抜けすぎた甘やかしに呆れると、悠の口が結衣の肉まんの最後のひと口を奪い去った。


「佐伯さんが着たいものがいい。この前のスカートも、俺、ほんとに可愛いと思ったからそう言った」


 そうして、結衣の口にあんまんの最後をほいと放り込んでくる。最後の最後に、甘さに支配される。


「なんか不安にさせた?」

「ち、がう。その……二十一日に、で」

「で?」

「……デート……しま、せんか」


 自分から誘うのは、こんなに緊張するのか。しどろもどろで手に汗をかきながら、どうにかこうにか口にする。悠の目が真ん丸になって、そこだけ時間が止まったような図が出来上がる。


「誕生日当日が忙しかったら、次の日でも全然」

「行く。する。デート」


 食い気味で言葉を乗せた悠が、両手で口元を覆ってほぉと長い息を吐いた。


「ほんとに? ……むちゃくちゃ嬉しい。全身タイツでも全然大丈夫」

「そこは忘れよっか」


 ははっと明るい声で笑う悠は、幸せをぎゅっと集めような顔をしていて。

 結衣の胸が、とんとんと内から泉でも湧いたかのように打つ。


 ――可愛い。


 悠が隙あらば結衣にかけてくる言葉を思い浮かべる。美顔美顔と讃えてきた同級生のことを、初めてそんな風に思った。

 自分の頬が、自然と緩む。彼に幸せな顔をさせた自分の勇気を、結衣は内心で褒めちぎった。



 * * *



 約束を取り付けた結衣はさっそく行動に移した。決めたら早いのは自分の長所だと自負している。


 先週デートで訪れたばかりのショッピングモールに、今度は織音と朱莉を伴ってやってきた。高校生の乏しい懐事情でも、最善をつくしたい。


「デートすなわちスカートってわけじゃないのはわかってるんだけど」

「いいじゃん。ゆいこはもっとスカート履くべき。脚キレイなんだから出していけ」

「この間がロングだったから、今度は膝上もありよね。結衣ってブーツ持ってたっけ」


 ファストファッションブランドの店内をぐるぐる回りながら、織音と朱莉があれやこれやと引っ張ってくる。


「甘さ苦手めのゆいこたんなら、パーカーワンピは?」


 織音の提案にうーんと悩み。


「制服系のプリーツなら抵抗ないんじゃない?」


 朱莉の提案にも難色を示す。


 ついつい前回のスカートと同系統のものを手にとっては、そうじゃないでしょうと叱られて手を離す。


「こんなこと、ゆいこが頼んでくるの初めてじゃん。ちゃんと納得できるやつ選ぼ」

「そうよ。結衣が着たいと思うものを探すのが今日の目的。安全に着れるものばっかり探すのはナシ」


 友人たちは手厳しい。そして、はっきりしない結衣の買い物にとことん付き合うだけの耐久力がある。ふたりとも、どうやら徳を積んできた側の人間だ。


 実に一時間半も歩き回って、とうとう結衣の勝負服が決まる。ワンピースでもスカートでもない。ショートパンツという第三の刺客である。予算内でもこもこしたアウターも手に入れた。

 あとは手持ちのアイテムの中にある小ぎれいなニットとショートブーツで、結衣のおもてなしデートコーデが完成する。


 達成感に満ちた買い物のあとは、フードコートのマッケンバーガーでドリンク片手にポテトをかじる。


「実際、こざーくんはどーなん?」


 最近の織音の口調は樹生に寄っていて、関西イントネーションの影響力の絶大さを感じる。ふたりで漫才が成立する日も近そうだ。


「すごく良くしていただいてます」

「それはあたしらにもわかるよー。極寒王子の中身がああも尽くす系とは」

「ただ、どうしてここまでしてくれるのかが不思議で」


 いまだに結衣には、悠がなぜ結衣に交際を申し込んできたのかがわかっていなかった。理由を尋ねると気まずい顔ではぐらかされる。他のことはなんでも答えてくれる悠だけに、その反応がひっかかる。


 ちらりと朱莉を見るが、彼女もまた笑顔ではぐらかす。朱莉は悠のこととなると言葉少なで、あまり情報が得られない。


「わたしがアレコレ言うのは違うじゃない? 幼なじみマウントみたいだし、近すぎるせいで見誤ってるところもあるかもしれないし。本人がちゃんと話すのが一番なんだけど」

「伏せてる理由が残念だったら、あたしが処すから安心おし」

「織音ちゃんはすーぐ処したがる」


 そこで、朱莉が箱ごとポテトを結衣に差し向けてきた。


「結衣的にはどうなんですか? あり? なし?」


 外出仕様のアナウンサー声も相まって、さながらインタビューマイクだ。


「う……」


 出されたポテトを一本引き抜いて、もきょもきょと咀嚼する。


「古澤くんってね、いちいち過剰に嬉しそうなんですよ」

「そうね。朱莉さんもしっかり把握しています」

「そう、するとですね……」

「そうすると?」


 ふたりが身を乗り出してくる。

 結衣は口をひん曲げて、自分のみぞおちを押さえた。


「ここらへんが、ぎいいってなる」

「……え、ストレスじゃん?」

「結衣、病院行く?」


 怪訝な顔の友人たちに、結衣は首を振った。


「可愛くて! なんだろうね、あの人。犬っぽい!」


 結衣がドリンクをたんっと置いた途端、織音が爆笑して、朱莉がふるふると笑いを堪えた。


「なんで笑うかな!? 私、深刻なんだよ。可愛い可愛いって言ってくるけど、自分のほうがよっぽど可愛いんだって! あの美顔で可愛さまで出されたら、頭わしゃわしゃしてあげたくなっちゃうでしょ。犬扱いになっちゃう! それもうアウトでしょ! 変態だよ! どうしよう、いつか捕まる!」

「ゆいこ、ちょ……止まっ、て」

「ダメ、脇腹痛い」


 結衣の最近の悩みを打ち明けたのに、なぜかふたりは相手にしてくれない。もぉ、と膨れてポテトを咀嚼し続けると、目尻に涙まで浮かべた朱莉が結衣からポテトを取り上げた。


「やったらいいじゃない。わしゃわしゃ」

「古澤くんはイヌ科じゃないし」

「ホモサピでも喜ぶかもよ?」

「もうちょっと人間らしい喜ばせかたをしたいからデートするんじゃんかぁ!」


 結衣が必死に訴えれば訴えるほど、ふたりの笑いの衝動はドツボにはまっていった。

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