第16話 消えたオレンジ

 * * *


「結衣ちゃんの様子がおかしい」

「あー、確かに男子と話しとること増えたなぁ。彼氏できた子ぉて前より輝いて見えるやんか。気ぃつけたりや。人の育てたもんに平気で手ぇ出すアホてどこにでもおるからな」

「樹生……聞く気ないだろ。ぜんっぜん主旨が違うんだけど。あと結衣ちゃんは元々輝いてる」


 俊也の美容室のソファで、クッションを抱えた悠は悶々としていた。


 結衣から誕生日デートを提案してくれた。その後どうやら女子でたくらみがあったらしく、ばったり出会った朱莉にはニタニタとした顔で「覚悟しときなさい」などと言われた。

 先週一週間はせっせと悠の好みを探ろうしてくれたり、欲しいものはないかそれとなく聞いてくる、隠していても見え見えな迷探偵ぶりが可愛くてたまらなかった。


 異変は、この第三週目から。異様に明るい。けれどふとした瞬間、目を伏せて考え込んでいる。週末にデートを控えて身構えているのかとも思ったが、どうもおかしい。


 今週に入ってから、オレンジの香りがしない。


 となりの樹生は、女性向けのヘアアレンジ本とスタイル本を眺めながら生返事を返してくる。悠の深刻さがいまいち伝わっていない。


「あれ? こざくん、名前呼びに成長したの」

「兄貴、やめたげて。チキンなこざくんはなぁ、まだどさくさの一回しか名前呼び成功しとれへんねん」

「フォローと見せかけて傷えぐるのやめて」


 俊也が表のスクロールカーテンを下ろす。それから、樹生の持つ本のページをめくって、「こういうのは?」と提案する。

 どれもこれも、ストレートロングのアレンジで、悠はなるほどと思うものの声には出さない。艶やかな誰かの髪は、樹生の興味を引く逸材だったのだろう。


「たーつー。聞いてー」

「聞いとるて。そんなもん、豚まんとあんまんの食べ合わせが悪かったんとちゃうの。それかアレ。よっぽどクマが憎かったか、クマは鮭よりはちみつやろて、方向性の違い感じてしもたか」

「人が真面目に悩んでるのに」

「方向性の違いは重篤やろ。コンビもバンドも解散するときはだいたいコレやんけ」

「たーつきー」

「あー! もう、わかったて!」


 樹生はスマホのカメラでアレンジをいくつか写真に収め、本を丁重にラックに戻した。俊也が店内の掃除を進める中で、こきこきと首を鳴らす。


「そら悩むやろ。遅すぎたぐらいや。一方的に告ってきて、一方的に迫ってくる校内有数のイケメン。もらい事故やん」

「じゃあ本来ならどうするものなの。クラスもかぶんないのに」

「そんなもん、ケースバイケースや。正解なんかない」

「だったら俺のケースもありだろ」

「タイミングが最悪や。なんで失恋と同時スタート切らすねん。鬼畜か」

「泣かせるより良いと思ったんだよ!」

「アホか。涙は自浄やぞ。出してなんぼや。止めんな、寄り添え。れるまでとなりにいたれや」


 樹生の説教が本気モードになる。

 悠もわかっている。きちんと失恋する間もなく畳み掛けられて、結衣の気持ちは落ち着く間を持てずにここまできた。


 かといって今さら仕切り直したら、結衣に傷が増える。悠の状況も穏やかでなくなるかもしれない。結衣に告白した日をもって、悠は校内で掲げてきた『女嫌い』の看板を降ろしたことになるのだから。

 中学時代の苦い記憶が蘇る。さすがに高校であの頃のようなことにはならないと思いたいが、怖いものは怖い。


 すると突然、両肩を思い切り揉まれた。俊也の慣れた手で悠は緊張をほぐされる。


「もう少し佐伯さんに踏み込んでみると良いのかもしれないね」

「これ以上ですか?」

「まだまだ。こざくんは、理想の彼氏とはこうだろうという振る舞いをしてるだけ。実際、悩む彼女に声をかけることもできずにここで管を巻いているんだし」

「でも、そんな内面的なところにズケズケと」

「それができないなら早くやめたほうがいい。うわべで甘やかすだけの関係なら、どうせ続かないから」


 合わせた両手で、右、左と肩を叩かれ、最後に背中をどんと強く叩かれる。


「僕に啖呵たんか切ったあの日のきみはどこにいったかな。校内一のイケメンになりたいって言ったのは上っ面だけの話? だったら今すぐ相応しい髪型にしてあげるけども」

「俊也さん、髪型人質に取るのやめません?」


 悠が切り返すと、俊也はヒヒッと笑う。こういうところは兄弟。樹生にそっくりだ。


「溜め込んだものをどうしたら一番楽になるか。きみはよく知ってるだろうに」

「……はい」

「タツもね」

「え、なんでオレに飛び火したん!?」

「いやー……カワイイよね、織音ちゃん。僕もあの髪質大好き」

「やかましわ、くそ兄貴」


 珍しくすねた樹生が鞄を掴む。今のくだりは聞いてよかったのだろうかと思いながら、悠も鞄を取った。


 じとっとした視線が、樹生から投げかけられる。


「ちゃうで」

「俺何も言ってないけど」 

「ちゃうねん、別に、そんなんやないねん」

「……ちゃうくなくなったら、話聞くぐらいするよ」


 まずい場面に居合わせてしまったというのは、理解した。





 美容院から駅方向に向かう。学校からここへ来るときは上り線側の線路沿いを通るが、帰り道は踏切を渡らずに下り線側を歩く。住宅街がメインで、向瀬の生徒はあまり、駅のこちら側まで回ってこない。樹生の家はこちら側だ。


「そういや、川上さん。最近やたらこざに絡んどることない?」

「そっちも頭痛い」


 秋まではそんな場面はなかったのに。結衣と付き合い出してから、ひな子はやけに悠の視界に入ってくる。内気で男子が苦手という今までの印象はとうに消えた。


 接触が多い。声をかければ済むところを、いちいち腕周りを軽く叩いたり引いたりして呼んでくる。あれがクセだとしたらなかなかタチが悪い。


 心配をかけないように、それとなく結衣にも伝えてある。結衣は諦めたような顔で「ひな子はそういう子だからね」と言った。


 ひな子が絡んでくる時間が増えるほど、結衣とひな子、ふたりの温度差が浮き彫りになっていく。結衣は高校から疎遠なのだと言うが、ひな子のほうは今もどっぷり密な幼なじみのように結衣を語る。


 さも、自分がいちばん結衣を知っているのだと言わんばかりに。

 それが鍋の焦げみたいに、じりじりと悠の中に堆積する。


「なんかあるのかな。結衣ちゃんと川上さん」

「せやからオレに聞くなて。そういうことをちゃんと佐伯ちゃんと話したらええでて言うてんねやろ」

「でも樹生ならさ。他人からそんな胸の中探られるようなの、気持ち悪くない?」


 パーソナリティを何もかもを掘り起こすような真似をされるのは嫌だった。中学時代、悠はそんな周囲に苦しめられた。だから、結衣に対してそういうことはしたくない。


 悠が尋ねると、樹生は眉間に思い切りシワを寄せて口まで妙な方向に捻じ曲げた。


「こざぁ……兄貴がうわべがどーたら言うたん、代わりに謝るわぁ」

「何、急に」


 樹生はその場にしゃがみこんで、悠を手招く。


「樹生、どうした? 腹痛い?」


 悠も同じくしゃがむと、突然わしゃわしゃと頭をかき混ぜられた。


「おまえ、ホンマ苦労したよなぁ!」

「マジで何!?」


 意味がわからないまま樹生にぶんぶん頭部を振り回される。それがぴたりと止むと、真剣な顔で問われた。


「こざは、オレや兄貴相手でもまだ気持ち悪さ感じとるん?」

「さすがに……もう、ないよ。ほんと」

「ほな、佐伯ちゃんに知られたら気持ち悪い?」


 うっ、と言葉に詰まる。


「……それは、二年前のこと全部って意味で言ってる?」

「他にないやろ」


 親友の目が逃がしてくれない。悠は観念して両手で顔を覆った。


「いつか知って欲しい、けど。くそダサいから……もうちょっと好感度上がってから伝えたい」


 想像しただけで羞恥に汗が吹く。それでも正直に答えたのに、樹生からは何の反応も返ってこない。

 呆れただろうかと、悠は恐る恐る顔を上げた。


 なぜか、樹生は涙目になっていた。


「たつ……ほんと大丈夫か? 俊也さん呼んでこようか」

「ええねん。青春浴びすぎて許容キャパオーバーしとるだけやから」

「なんかわかんないけど、大丈夫なら、まぁ……」


 ズズッと鼻をすすり上げた樹生は、ねぎらうように悠の肩を叩く。


「佐伯ちゃんは、こざほど殻厚ないやろから。ちょっとずつノックしてみ」

「……俺相手でも、話してくれるかな」


 悠の場合は半年かかった。樹生が強引に突っ込んできて、何度も跳ね返して、時間をかけて今の関係になった。


「オレみたいに踏み荒らさんでええねん。そーっとな。それであかんかったら、たぶん仮彼氏で終わるわ」


 親身にはなっても、譲れないラインでは叩き切ってくる。樹生も俊也も、悠を甘やかさない。

 だからこそ、悠はふたりを信用している。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る