第2話 早朝の待ち伏せ

 * * *


【 こざわ からメッセージが届いています 】



 目覚めたら、スマホ画面にLINEメッセージの受信通知が浮かんでいた。


 見慣れぬひらがな三つのアカウント名。そこに、昨日至近距離で拝んだ美顔を思い浮かべるまで、たっぷり十秒。


 直後、結衣の手からスマホがすべり落ちた。おでこにゴチッと二百グラム弱の打撃を受けて、しばしベッドの上でごろごろとのたうつ。


 おかげで半覚醒から完全覚醒に移行して、結衣はLINEの通知をタップした。


【 こざわ >> 突然のお願いにもかかわらず了承くださり、ありがとうございました。いたらぬところの多い自分ですが、これから佐伯さんの彼氏をしっかり務められるように頑張る所存です。佐伯さんにおかれましては、合否を厳しい目で見定めてくださいますようお願いします 】


 丁寧すぎる超長文は、目覚めたばかりの頭にまったく入ってこない。


「な……んだぁ?」


 とりあえずベッドの上で正座した。両手でうやうやしくスマホを抱え、目を通すこと三回。

 送信時刻を見ると、なんと深夜一時半。


 昨日、解けない混乱にさっさと白旗を揚げ、結衣が寝たのが夜十時過ぎ。

 結衣が夢の世界でジャングルジムを引っこ抜き、遠投ギネス記録に挑んでいた頃、彼はこの懇切丁寧なメッセージを打っていたわけだ。


「待って待って。ギャップがすごい」


 最大の礼儀を詰めたような長文の下。

 胴体のまんまるいペンギンが、座布団に座ってお辞儀をしているスタンプ。同じペンギンの絵文字がメッセージの二箇所にも挟まっていて、喜びを表現している。


 こんな人が、結衣の新たな彼氏。

 ぐいっと頬をつねったら、しっかりきっちり痛かった。




 朝、七時三十五分。高校最寄りの向瀬むこうせ駅で電車を降りる。登校時間帯の一番人気は二本あとの電車だが、結衣は毎朝この時間と決めている。駅から学校まで続くひたすらな坂道をのんびり上がりたい。ついでに駅前のコンビニに寄れるだけの余裕もある。


 いつもの朝と変わりなく、ホームから階段を上がって橋上駅の改札に向かった。


 向瀬駅は県立向瀬高校のほか、近隣にあるふたつの私立高校の生徒も利用する。この時間は三種類の制服が次々と改札を抜ける。

 それにしても、どことなくいつもより騒がしいなと思いながら、定期をピピっと押し当てて改札を出た。


 ――と。券売機のすぐ側に、古澤 悠が立っていた。


 イヤホンを耳に突っ込んで、柱に軽く体を預けて立つその姿。このまま写真集に載っていそうだ。

 そう思うのは結衣だけではない。共学私立校、瀬ノ川学院の清楚な濃紺ワンピースを来た女子が、なにやらささやき合い、きゃっきゃと騒いで彼の前を通り過ぎる。

 悠にとっては慣れた反応なのか、まとわりつく視線に素知らぬ顔で、駅のタイルに視線を落としていた。


 そんな彼に、瀬ノ川の女子生徒が三人連れだって近づいていった。それぞれがスマホを手に、「あの」と悠に声をかける。周囲にいた向瀬の生徒の幾人かが、やめておけばいいのにという顔をした。


 反応のない悠に、三人はわざわざ軽く膝を曲げて下から顔をのぞき込み、ひらひらっと手を振る。ようやく悠は視線を動かし、右耳だけイヤホンを外した。


「……なにか?」


 冷やりとした声がする。昨日、結衣がかけられた柔らかいテノールよりぐっと低く、突き放すようなトゲのある響きだ。


「写真、とっていいですか」

「無理です」

「あ、一緒にとかじゃなくって、一枚撮らせてほしいだけなんですけど」

「だから、無理です」

「絶対拡散とかしないんで! お願いします!」


 三人寄れば、女子、強気。すげなく断られても食い下がる。

 悠は左のイヤホンも外して鞄に突っ込んだ。荒っぽいその動きに、女子生徒がびくりと肩を縮こめる。


 不機嫌を画像検索したら、きっとこういう顔が並ぶ。そんな表情で、高身長な悠は女子生徒を見下ろした。


「赤の他人が自分の写真隠し持ってニヤニヤしてたらどう思います?」

「え?」

「俺なら吐く。吐きたくないんで無理。それじゃ」


 彼は鞄の紐を肩に引き上げると、さっさとその場を離れ、学校方面へ向かう階段に足を向けた。

 呆気に取られていた女子三人は、じりじりと顔を赤くして、感じ悪いだの怖いだのと騒ぎながら小走りで別方向へ退散していく。


 彼女らの姿を横目に確かめた悠が、ため息をついた。そのあと彼はちらりと駅の時計を見上げ、それから改札へ視線を移したところで、ぴたりと動きを止めた。


 目が合った。


 悠の目はぱちりと瞬いて、それから、氷点下みたいだった雰囲気が一転して春本番になった。


 不機嫌の不の字ひとつも余さず消し飛ばして、悠が笑う。彼を見知った向瀬高校の生徒が目を丸くする中、まっすぐに改札へ――結衣へと向かってくる。

 待たれていたのは自分なのだと、ようやく結衣は理解した。


「おはよ」

「あ、は、わ、私かな!? おはよう!?」

「ごめん。今になって、LINE送れば良かったことに気づいた」

「なにがでしょうか!」

「朝、駅から一緒にどうかなって」

「え、ええと。やはり私を待ってらした?」

「らしてしまった。勝手にごめん」


 二度も謝る美顔。

 しかも、困ったような苦笑に恥じらいまで添えた美顔。さっきまでの悠とは別人みたいになって、彼は結衣の許しを待つ。

 朝からまぶしい。一日が始まったばかりなのに結衣の眼精疲労が進んでしまう。


 先の瀬ノ川女子とは別の意味で肩を縮こめた結衣に、悠は首をかしげた。


「……登校、別のほうがいいなら。俺、佐伯さんの後ろからじりじりついていっていい?」

「おとなりでお願いしてよろしいですか!?」


 執事か何かか。同級生を後ろに従えて歩くほうがよほど気まずい。反射的に横並びを訴えた結衣に、悠のほっとしたような笑みが返ってきた。


 完全に流されている。

 思えば元彼、木田との交際も流されて始まったというのに。成長しない自分が嘆かわしい。


 木田とは林間学習で意気投合した。

 三泊四日を経て戻った校内はどことなく浮ついていて、冷めない旅行気分の中で成立した彼氏彼女が目についた。


 そんな条件下で、ひとことも好意を告げられることなく出された「俺ら、付き合おっか」という言葉。結衣は数分悩んだものの、その場でうなずいたのだ。


 ――また、やっちゃったかー。


 悠の告白は、木田のふわっとしたそれとは違った。手に汗をかくほどの、ずんと重い懇願。たくさんの緊張と勇気をはらんでいただろう言葉。

 流されては行けなかったのに。自分の不実への嫌悪感が、じわじわと結衣の内側に溜まる。


「古澤くん、やっぱり」

「……んッ」


 もう少し考えさせて欲しい。そう伝えるべきだと思って結衣から呼びかけたら、悠の手は美しい顔面を押さえた。そして肩を震わせる。


「え、っと。それはどういう感情?」

「佐伯さんからそんなふうに呼んでもらえると思わなくて」

「そんなもどんなも、あなたの苗字だよ!?」


 名字を呼んだだけで震えるイケメンが駅構内で悪目立ちしている。気がつけば結衣と悠の周りにちょっとしたギャラリーが群れていた。


「行こう! とにかく行きましょう!」

「うん。佐伯さんとなら、どこへだって」

「学校一択ですが!」


 交際初日にして、彼氏の精神状態が危うい。おかげで結衣も挙動不審だ。

 だいたい悠ときたら、高身長ですらりとして、やたらと人目につく。女子が大の苦手という噂を持ちながら結衣のとなりを歩くから、向瀬の生徒からの視線が痛い。


 それでもって、どうにもこうにも顔が良い。

 前髪を目元まで伸ばしているのがもったいないぐらい。上げたらもっと綺麗だ。結衣の高さから見上げるとよくわかる。

 ややマッシュな頭は毛先が無造作に跳ねていて、寝癖なのかセットなのか、とにかくおしゃれ。グレーチェックのスラックスがよくお似合い。第一ボタンを留めないポロシャツの襟から、ぽこっと張った喉仏と鎖骨がなまめかしくのぞき――。


「いや、変態か!」

「え、俺が!?」

「あああああ違うぅこっちの話!」


 暴走する思考の手綱を必死に握る。完全に不審者な結衣を、悠はいぶかしがることなく微笑まし気に見てくる。澄んだ瞳は慈愛に満ちていて、汚れた自分の思考が恥ずかしい。


 整った彼氏の横で、結衣は今朝もパッとしない。

 半端な長さの襟足は、今日も元気に跳ね回る。いっそ全体を外跳ねにできれば開き直れるものを、サイドの髪はリンゴのフォルムを目指すのだと頑固に内巻き。結衣の頭は、昔から根性が曲がっている。


 となりの造形美の、おさまりのよい襟足を見上げる。ゆるやかな刈り上げをしばらく観察して、それから、言うことを聞かない自分の襟足をきゅっと引っ張った。

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