第11話 クマは飼えない

 * * *


 悠が結衣の不遇な交際の全容を知ったのは、彼女に告白したその夜。情報源は隣家の幼なじみ、朱莉だ。木田と結衣が付き合い始めたことを、密かに教えてくれたのも朱莉だった。


 悠がLINEで事の次第を報告すると、朱莉は少々の説教のあとに、結衣の十ヶ月がどんなものだったかを明かした。


 交際初期から、順調とは言い難い状態だったことも。初にして最後となったデートを、彼女が三時間待ったあげくにすっぽかされたことも。

 だから余計に、悠は結衣に楽しい初デートを贈りたかった。





 クレープを堪能したあと、どこに落ち着くでもなく、ショッピングモール内を歩き回る。

 お互いの興味がひかれるままに店をのぞいて、結衣がときどき「これ……デートでは!?」と無邪気に笑う。ようやく彼女の緊張が解けてきた。

 初めてのデートなら、気負って詰め込みすぎないほうがいい。そんな悠の方針はうまく当たったらしいと、安堵に胸をなでおろす。


 本当なら、ゆっくりと距離を縮めていくべきだったのに。悠は結衣に、持て余した好意をそのまま押し付けた。緊張させて当然だ。


 悠の告白にうなずいた後悔や、気持ちが悠に追いついていないことで抱く罪悪感。そういうものを結衣に抱えさせてしまったのはみんな、我慢のきかなかった悠の責だ。


 感情が脳の最深部で生まれるなら、恋心もまた自己制御できてしかるべきだ。

 それなのに、あっさりと暴走した。今も、走り出すと理性を易々と振り切ってしまう。重篤な病にかかっているんじゃないかと我が身を案じるほどに、この感情に限っては自由奔放で困る。


「……ってね? あ、あれ? 古澤くん、聞いてる?」

「あ! ごめん、クレープ腹でちょっとぼぉっとしてた」

「なかなか大物だったもんね。あとソーダの炭酸が強い。次はどっちも一個にしよっか」


 次は、という響き。甘美な魔法だ。

 突然かつ強引に交際を押しきった。そんな悠を相手に、彼女は二度目のデートを想定してくれる。


「……心臓止まりそう」

「何か言った?」

「や、こっちの話」

「そう? で、ここ見てもいい?」


 結衣が足を止めたのは、アクセサリー類が並ぶ雑貨店の前だ。パッと見たところ値段帯は優しい。高校生でもいくらかバイトをすれば手が届く。


 こういう装飾品に関心があるのかと、心のメモに書き留めようとする。しかし結衣はピアスやネックレスゾーンを素通りして、店奥のあったか特集コーナーに吸い寄せられていった。

 あれこれとマフラーを手に取り、むむっと悩ましい顔をする。


 悠はひとつハンガーラックから外して、結衣の生白い首筋にそっと当てた。その白さは、好意を抱く思春期男子には劇薬だ。


 俊也の美容院で切り落とされた彼女の髪を見たとき、悠の抱いた焦りの中には仄暗い優越感が混じった。伸ばした彼女の髪は、木田のためのものだったから。跳ねた毛先を指で引っ張る彼女はいじらしくて、その先にいる男がずっとねたましかった。


「首、寒い?」

「髪は優秀な防寒グッズだったんだなって、夕方とかに実感する。今はまだいいんだけど、真冬は対策したいところかな」

「また伸ばすとかは?」

「徳が足りないから、もう無理」


 結衣が、前世の徳と現世の忍耐という謎の理論でもって、いかにロングへの道のりが険しいかを語る。悠はなるほどと相槌を打った。徳はさておき、忍耐についてはわからなくもない。


「俺も受験前、放置してけっこう伸びてたんだけどさ。切ったときの爽快感がすごかった。なんだかんだ鬱陶しかったんだろうな」

「ね。やっぱりロングの人は徳を積んできたんだよ。あ、あとね」


 パッとマフラーから離れた結衣が、入口のピアスゾーンに舞い戻る。


「これも徳がいる」

 

 結衣の指差したのは大ぶりなピアスだ。悠の目はすぐさまピアスをスキャンして、脳内で結衣と合成した。ショートの髪に、揺れるピアス。悪くない。むしろ有り。


「佐伯さんは、いずれ着けたい派?」

「私の耳たぶはそんな拷問に耐えられないと思う。あと、そそっかしいから、きっと服に引っ掛けて」


 そこで言葉を切り、結衣は自分の耳たぶをふにっとつまむ。そして、「ブチィ」とつぶやきながら指を下ろし、ぶるぶるっと体を震わせた。


「それ! わかる!」

「古澤くんもわかってくれる?」

「穴開けるのだけでもけっこうクる。俺、樹生のこと尊敬してるもん」


 髪色で校則の限界に挑む樹生だが、耳も攻めの姿勢だ。右耳にはふたつ、左耳にひとつ、計三つもピアス穴が開いている。休日に会うと、そこにもれなくピアスが装着されている。わざわざ穴をあけ、さらに受傷リスクのあるものを耳に装着する。悠には到底真似できない。


「樹生くん、つくづくおしゃれ男子だよね。俊也さんの影響なのかなぁ」


 憧れを滲ませるような結衣の肩を、悠はとんとんと指でつついた。


「俺は、古澤、何くん?」

「ん? 古澤 悠くん」


 それぐらい知ってるよと笑う。悠の意図は全く伝わっていないが、そこも可愛い。

 耳に良くて心臓に悪い『悠くん』を記憶に深々と刻みつける。今ここに録音設備があれば悠はすぐにでも記録に残す。バックアップは五つ欲しい。


 表情が忙しく変わり、結衣はまた何かを見つけてぱたぱたと走っていく。その背中に羽が生えていても悠は驚かない。


「古澤くん、こっち!」


 屈託ない笑顔も目に良く心臓に悪い。悠の心臓が今日一日で、体感三ミリほど縮んだ。このままいけば自分は幸福に四方から圧迫されて早死にしてしまうかもしれない。


「みてみて、クマ!」


 結衣の向かった先では、ボールチェーンのついた小さなクマのぬいぐるみが大量に吊り下げられている。足裏に数字。首には色違いのリボンが全部で十二色。リボンと数字の組み合わせによる、あなただけのバースデイ・ベアというやつだ。


 五百円。気取らなくてちょうどいい。


「クマ食べた記念にお互いのクマ買う?」

「え! 消えものじゃないのにいいの!?」


 結衣が心底から驚いたように言う。


 ――木田は形に残るものを嫌がったのか。


 流れで予想できてしまった悠は、結衣の問いに答える代わりに、さくさくとクマ探しを始めた。

 少しはにかんだ結衣が、悠と同じように群れの中を探り始める。


「古澤くんはいつかな?」

「十一月二十一日」

「お、黄色リボンだ。かわいい子だぞ?」

「佐伯さんは?」

「七月十二日。えーと……」

「あった。佐伯さんのクマ、捕獲しました」


 悠の捕獲したクマを見るなり、結衣はへにょりと眉尻を下げた。手のひらに七月生まれのクマを乗せ、ピンクのリボンを指でなでる。


「いまいち?」

「クマはかわいいんだけど、リボンがなぁ」

「ピンクは嫌いだった?」

「私に向いてない気がして、昔からちょっと苦手」


 結衣の手が襟足に向かう。引っ張れる髪がそこにないことに気付くと、彼女は誤魔化すように笑った。


 悠はクマを結衣の手から取り上げ、元の場所に返した。


「飼育に不安があるなら飼ってはいけません。リリースします」

「あ、ごめんっ! ピンクでも大丈夫だよ!」


 再びクマを捕獲しようとする結衣の手を、はしっと止めた。


「佐伯さん。よく聞いて欲しい」

「は、はい!」

「この子はおもに……鮭を食います」

「……アジやイワシで駄目なら、佐伯家の生活費では養えません。リリースしましょう」


 クマの群れの前でお互い神妙な顔をするが、十秒ともたずに笑い出した。





 帰りの電車は、悠が先に降りることになる。最後までエスコートできないのは気がかりで、かといって、まだ自宅まで送り届けるほど、悠は結衣の気持ちに近づけていない。


 仕方なく、電車での別れになった。


「帰り、気をつけてな? 本当に。本当に気をつけて」

「まだ六時前だよ。居残り日の平日とそんなに変わんない」

「平日と休日、制服と私服でも違うし。今日の佐伯さんは特にかわ――」

「ううん! 気を付けます!」


 結衣はたった一日で、「可愛い」を阻止するプロになりつつある。これは悠が多用しすぎた結果なので、自業自得だ。


「それじゃ、また学校で」


 結衣を残し、後ろ髪をひかれる思いで電車を降りる。結衣の笑顔を乗せて、電車がホームを離れていく。


 ――あ、やばい。泣きそう。


 悠はホームにうずくまり、両手で顔を覆った。

 今日という日のどの場面を浮かべても、心臓が暴れまわる。やっぱり自分は重篤な病にかかっているのだろう。

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