第6話 新しい世界、絶望の朝 01
ゴッという鈍い音と共に頭に痛みが走り、重い瞼を開ける。
「起きた!起きたぞ!逃げろ逃げろ」
そう言いながら数名の6、7歳のボロを纏った子供たちがかけて行く。出ていく彼らを横目で確認し枯れた枝のように細い手で体を支え、起き上がる。足もとには先ほど自身の頭にぶつけられたのだろう小さな小石がある。頭を触ると軽くこぶになっているが、ものの数分でその腫れは引き元通りに治る。その化け物じみた回復力に思わずため息を漏れる。
一体どれくらいの時が経ったのだろうか、大地として死んだのだろうあの日から。
暗闇に支配され意識をなくした後ひどい揺れで再び目を覚ますと、そこはもう日本ではないどこかであり、質の悪い荷馬車で自分はどこかに連れて行かれているということだけ大地には理解できた。誰かに助けを求めたいが起き上がることも、声を出すことさえ出来なかった。かろうじて見えた自分の腕はまさに骨と皮のみと言えるほど細く、そして小さかった。理解が追いつかない状況と、自分の衰弱し切った体の状態から思考がまとまらず何度も頭がオーバーヒートし意識を手放す。
それを数日、いや数週間繰り返して、ただひたすら悪路を進む馬車に揺られていた。その間、少なくとも御者はいるはずなのに誰に話しかけられることも、食べることも、飲むことさえすることができず、ただただ1人で空腹と渇き、悪臭に耐える。その拷問とも思える時を過ごすうちに大地は諦観し、そのうち来るだろう死という喜びを切望するようになっていた。
そんな狂うような日々を過ごしていると、大地をのせた馬車はやっと止まった。
周りに少なくない人がいるのか、そこかしこで誰かが話す声がするがくぐもってよく聞き取れない。
それでもやっと解放されるのかと天幕が開くのを今か今かと待つ。
金属の擦れるチャリンという音と共に、荷馬車のすぐ近くで話していた御者の男が嬉しそうな声でお辞儀をするのが影で見える。
売られたのか?という疑問が頭をよぎるが、全てがどうでも良くなっていた大地は久方ぶりの変化に思考をやめ視線だけ出口に向ける。
バサッ
勢いよく開かれ、何日振りかの太陽光に思わず目を閉じる。
昔テレビで見た幸せホルモンとはこんなに効果があるのかと、久々の日光に思わず口角が上がる。
「確かに4体、よし運び出せ」
男の声と共に数人の鎧を着た男たちが荷馬車に乗り込む。
「相変わらずひどい匂いだ」
1人の男が大地の目の前の布の塊だと思っていたものを乱雑に持ち上げる。
「これ腐ってないか?」
その男の言葉と同時に何か塊がゴトっと落ちる。
手だ。そう思うと同時に自分の目の前にあったものが人間であったことを知る。
あの鼻につく悪臭は死臭だったのだと気づき、それと同時に死体と何週間も一緒に寝ていたという事実に吐き気を催すが胃の中に何もないせいで吐き出すことができない。
「おい、こっちは金払ってるんだ。これは流石にあいつらだって食いつかんだろ」
すいやせん、急いだんですけどという御者だろう男の声がいやにクリアに聞こえる。これは差引させてもらわないとなという男の声と共に、御者から布袋を取り上げ金貨を数枚取り出す。そんなやりとりを見ている間に中にあったその他の死体たちも運び出され、いよいよ大地も担ぎ上げられる。
先程まであった日光による幸福感などとうに消え失せた大地は、自分を持ち上げた男の顔を力無く見る。するとちょうど大地を見たその男と視線がかち合う。
大地を抱えた男が嬉しそうに周りに声をかける。
「おい、こいつ生きてるぞ」
その声に近くでお金のやり取りをしていた綺麗めの服を着た男と、背骨が曲がりボロを纏った御者であろう男たちもこちらを見る。
綺麗めの服を着た男が大地に近づき乱雑に髪を持って顔を持ち上げる。その痛みに大地は顔を歪める。そんな大地を見た御者の男はみるみる驚愕の顔に変化する。
「なんだ、近くの街で拾ってきたのか?これならまあ、足し引きゼロでそのままでいい」
へ?と力の抜けた声で返事をする御者はまだ、信じられないというような顔で大地を見る。
「おいどうした」
綺麗めな服を着た男が振り返り再度尋ねる。その男のイラつきを感じたのか御者の男は慌ててありがてえでございますとお礼をいい頭を下げる。そんな御者を一瞥し、興味も失せたというように取り出した金貨を布袋にしまい乱暴に放り投げる。
「いいなら、さっさと行け。臭くて敵わん」
そういうと綺麗な服を着た男は嫌そうに鼻にハンカチを当てどこかに行く。
へえと返事をした御者は急いで御者台に向かう。その際改めて抱えられている大地を見て、恐怖の眼差しを向ける。
通り過ぎる時小さな声で「化け物が」と言ったのを大地は聞き逃さなかった。
馬車が去り、大地は乱雑に放り投げられると大量の水をかけられる。夏のような気温とはいえ骨と皮しかない体は簡単に震え出す。
「生きてる奴はあっちだ」
そう指示を受けた鎧を着た騎士のような男は再度大地を担ぎ、死体の山の少し奥にある祭壇のような囲いに大地を放り投げる。
痛みにうずくまる大地。周りからはか細い声で「死にたくない」や
「ママ」、「助けて」など何かに怯えているような言葉が聞こえてくる。
痛みの山をなんとか耐えた大地は精一杯の力を振り絞り体を起こし周りを見る。
そこには決して綺麗とはいえない格好の子供から中年までの男女が寄り添い合い何かに怯えていた。
ここが日本ではないことは薄々感じてはいたが、さらに現代ではないことを大地は確信した。何に怯えているのか定かではないが、そこにいる人たちの風貌はボロボロの布切れを巻き付けているだけで、先程いた騎士らしき男たちも例えるなら中世ヨーロッパやRPGゲームにいそうな風貌だった。
さらに御者とやりとりしていたお金らしきものは確実に金貨であったと大地は記憶している。それらのことから、信じられないが自分は転生または転移したのかもしれないという考えにいたり乾いた笑みが溢れる。学生時代、涼にこれ面白いぞ!と無理やり読まされた小説のような世界観に自分がいるということは、やはり大地としての生を終えてしまっているのだと、三井たちに最後まで迷惑をかけてしまったのだと思い知らされ、やりきれなかった後悔と、返しきれなかった恩の大きさに嗚咽が漏れる。そんな現在の大地の腕は長時間自分を支えることもできないほど痩せ細り、大工をしていた時の筋肉は見る影もない。情けなく震えるその腕は不意に肘から力が抜け、容易に大地の体を地面に叩きつける。何度目かわからないその痛みに耐えるため強く目を閉じる。そういえば最後の事故の時は特に痛みとかは無かったななどと考えていると不意に誰かの腕が差し込まれ抱き止められる。
「大丈夫?」
ほっといてくださいと言いたいのに嗚咽が止まらず、言葉にならない。
「君はなんて名前なの?」
そんな大地の様子を無視して話を続けるそいつ。なんだこいつはと抱き止めた相手を見やると薄汚れてはいるが周りの他のどの人物に比べても健康的な髪の短い少年だった。
「私はねアリアナって言うんだ。家名は無くなっちゃったから、ただのアリアナ。アリって呼んでくれて構わないよ」
少女だったかと内心訂正をする。
質問をしているのに答えを待っているわけではないのか、話し続けるアリ。
「ああ、すまない。その体勢しんどいよね」
そういうと自身に寄りかかって座るようにうつ伏せだった大地の体勢を整える。
「座るのはしんどくないかい?」
場にそぐわない明るさを見せる少女に呆気に取られ、涙も止まる。
反応しない大地にしばし考えた後、何か閃いたアリ。
「もしかして言葉がわからない?」
そうだとしたら困ったなと顎に手を当て悩むそぶりを見せる。
ここでも考える人のポーズは一緒なんだなとどうでもいいことに思考を巡らせる。
「言葉、は、わか、る」
乾いたのどを無理やり振るわせ、少しヒリッとした痛みに眉間に皺がよる。喉に手を当て何度か咳払いをするが、痛みが増すだけだった。
「ああ、もしかして喉乾いてる?水飲むかい?」
どこに水があるんだと思いながら頷くと、アリはイタズラっぽい笑みを浮かべながら内緒だよと言って小さな声で何かを唱える。
「口開けて」
アリの指先から水が滴り、大地の口に久方ぶりの水分が訪れる。
「ふふ、いくらでも出せるからゆっくり飲みな」
どういう原理なのかは全くわからないが、とりあえずこの世界には魔法というものがあるらしい。無我夢中でしばらく堪能するが、急な水分に体がびっくりしてむせる。アリは快活な笑顔を浮かべ、大地の背中を優しくさする。
「満足してくれたみたいで何より」
少し恥ずかしさも感じながら落ち着きを取り戻した大地は改めて辺りを見回す。
自分らがいる場所は背の高い木の柵で覆われており、その中には少なくない人数が肩を寄せ合い悲しみに打ちひしがれていた。唯一の出入り口に鎧を着た見張りらしい人が2人立っている。
運ばれてきた時に見たのは森と城塞らしき壁の間にある空間に木の柵が建てられていて、その木の柵と森の境目に壁になるように死体の山が築かれていることだった。乗って来た荷馬車は門を通って壁の中に走り去っていったのを確認していることから大地が連れてこられたのは森の方からではないんだろうと見当をつける。
ここは何の為に集められているんだ…?と思考の海に沈んでいるとアリが大地の顔を覗き込んでくる。
「それで君の名前は?」
大地だと答えようとして迷う。アリアナという名前と、周りにおそらくこの見た目もアジア系の顔の人が1人もいないこの世界では西洋風の名前が主流なのだろうことは察するにあまりある。
「名前、は、、ない」
驚いたような顔を一瞬浮かべたが、何かに納得したのか憐れみの目でそうかそうかと大地の頭を撫でる。
「それじゃあルーカスはどうだい?本当は弟につけようと思ってた名前なんだけど」
ああ、それでいいと答えようとした時、カンカンカンカンと音が響き渡り周りから悲鳴が上がる。アリが大地を力強く抱きしめるがその腕はかすかに震えていた。
喪家の狗、伝説になる 麦田 花太郎 @hanataro_mugita
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