烏羽玉の黒々しきは君の腹
石衣くもん
ぬばたまの
「問10、枕詞『
①春・朝・光
②夜・白・赤
③黒・神・夢」
果たして、こんな知識を得たことに感謝できる日は来るのだろうか。
そんな、詮無いと思う気持ちを胸に抱きながら、選択肢「黒・神・夢」の③を解答用紙に記入した。
古文の授業は嫌いだ。過去を振り返るなら歴史の授業で十分なのに。
別に歴史の授業が好きなわけではない、とにかく古文の授業が嫌いなのだ。
嫌いな理由はたくさんある。
内容から環境まで、挙げればキリがないのだが、全問答え終わってテスト終了まで後八分もある。思いつくまま挙げてみようじゃないか、レッツスタート。
選択授業で不人気だから人数が少なく、授業中に
監視しているのは嫌味なネチネチ系中年オヤジ、通称モリサゲこと
毎回十問の小テストがあるところ。
しかも授業でやってない問題も出るところ。
それを指摘すると「選択問題なんだ、考えればわかるだろ」とモリサゲが自分のミスを棚に上げるところ。
その癖、小テストの点数を成績に反映するとか言うところ。
そもそも選択授業は音楽がよかったのに。人数が多かったとかで運悪く、不人気な古文の授業に回されたのだ。
基本的にこの授業に来ているのはそんな選択授業という名ばかりの、強制授業にさせられた不運児ばかりの集まりである。
「先生」
残り五分のところで、後ろの席から声が聞こえた。
原さんだ。
「なんだ、原?」
「問10、選択肢に適切な答えがありません」
「お前が覚えてないだけだろう。ちゃんとあるぞ」
「『髪』なら③にしましたが、選択肢は『神』になっています。烏羽玉は黒いから黒を連想するものにかかるという説明でした。『神』は黒いのですか?」
モリサゲにも原さんにもわからないように、こっそり溜息を吐いた。
嫌いなところ、増えたわ。
テストの選択肢を間違えるモリサゲと、そんな指摘を授業中にしたら、終了のベルが鳴ってもモリサゲが授業を終わらせなくなるのに堂々と糾弾する原さんだ。
ちなみに、授業でやってない問題が出た時も、指摘したのは原さんだった。
噂によると、原さんは唯一、第一希望で古文を選んだらしい異端児だ。
別のクラスで、古文以外の授業では会わないし、どういう人なのかよく知らないが、容姿は少し低めの身長に、黒髪のおかっぱと呼ぶべきかボブと呼ぶべきかの瀬戸際くらいの髪型で、銀縁のメガネをしている。いかにも真面目そうな雰囲気だが、どちらかというと控えめでおとなしそうな印象で、こんなに先生に噛みつくようには到底見えない人だ。
案の定、授業終了のベルが鳴ったのに、原さんとモリサゲは言い合いをしていて、終わる気配がない。
更なる不運は、この授業が本日最終の授業のため「次の授業があるんで失礼します」と言いづらいところだ。
別に言ったって構わないのだが、帰宅部で部活に急ぐわけでもない自分が、そんな面倒くさい役どころを担いたくない。
誰か止めてくれないかなあ。
「お前、先生に向かってなんだその態度は!」
「お言葉ですが、先生とは指導者であり、学識の高い方のこと。誤りを教え、なおそれを認めない人に師事したくありません!」
別に仲が良いわけでもないから、なんで古文を選択したのかも聞いたことはないのだが、原さんはたぶん古文が好きなんだろう。
そして事情はまったく知らないし、知ったことでもないのだが、恐らくモリサゲは古文は得意でないのだろう。
お互い譲れない気持ちがあるのかもしれないが、こちらは迷惑でしかない。はよ終わってくれ、頼む。
結局、意見は平行線だったが、原さんが途中で
「終了のベルが鳴って五分経ちましたので、授業を終了してください。私は適切な解答がないので空欄にしましたが、問10をどうされるかは先生にお任せします」
と、無理やり終わらせた。モリサゲは怒り足りなさそうだったが、辛うじて終了の旨を宣言したので、皆そそくさと教室を後にした。
自分の教室に荷物を取りに行って帰ろうとしたら、ばったり廊下で原さんに会った。
「さっきはごめんなさい。授業延びちゃって。溜息吐いてたでしょ」
「え!? いや、そんなこと……」
話しかけられるとは思っておらず、しかも溜息吐いてたのバレてたのも、それを指摘されたのにも焦って、しどろもどろになりながら答えたら、原さんは少し笑った。
「原さんは古文好きなんだね?」
何とか誤魔化そうと話題を変えようとしたら、彼女はけろりとした顔で
「ううん。まったく。なんで古文なんか勉強しないといけないのか、意義を見出せない」
と言ったので、驚きすぎて最早言葉が出なかった。
「あ、私がいつも授業で熱心に発言するから? あれは古文が好きだからじゃないの。モリサゲが嫌いなの。あの人、プライド高いのに実力が伴ってないでしょ? なのに威張りちらしてるから、思い知らせたくなるんだよね、己の無力さを」
だから嫌がらせのために、めっちゃ予習復習してきて間違い指摘してやるんだぁ。
あっけらかんと、悪びれもせずそう言った彼女の腹にかかる枕詞こそ「烏羽玉の」でいいな、なんてしょうもないことを考えたのだった。
烏羽玉の黒々しきは君の腹 石衣くもん @sekikumon
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