5


「やっときた」

 シワの増えた瞼をゆっくり上げる。

『お疲れ様です』

 頭の中に声が響いた。懐かしい影の明るい声だ。

 

 前に声を聞いた時も、病室だった。天井はあの時と同じ色。だが、虫食いのトラバーチン模様があるかどうかまでは霞んでよく見えない。

 それに、もうあの頃の姿ではない。顔も体もシワまみれで髪も真っ白の老婆になった。

 影たちが「しばらく待て」と言ったまま放置したせいで、私は少女の人生を生ききってしまったじゃないか。

 

「困ったな。死にたくない」

 

 まだ、おばあちゃん先生に会えていないのだ。

 少女の体に入ってすぐに、興味本位で自身の遭った事故の記事を探したが、すでに十年以上も前のことだった。あの空間とこちらでは時間軸が違うのかもしれない。そう考えて、諦めることなく彼女を待ち続けていた。

 

 幸せなフリが足りなかったのだろうか。

 それとも、フリが早々にバレて死の扉をとっくに越えてしまったのかもしれない。

 それは、あるかもなぁと小さく笑うと、ぼんやりする耳に声が飛び込んできた。

 

「おばあちゃん先生! 死なないで!」

 私は施設を継いで、子どもたちから「おばあちゃん先生」と呼ばれていた。

 施設にいたほうがすぐに先生を見つけられると思ったからであって、子どもたちのことなんてどうでもよかったのに。

 

 ベッドを囲むように連ねる子どもの頭を見渡す。

 私の「おばあちゃん先生」のフリに、この子どもたちはまんまと騙されているわけだ。

 私のように、周囲に馴染めずに突っぱねていた子も、こちらを見ながら泣いている。この子はまだ適当にフリをすることに慣れておらず、心配なところはあるが、みんなと同じように泣けるのなら大丈夫だろう。

 

「そんなに泣いてちゃ、すぐに死んじゃうよ私」

 掠れた声で告げると、子どもたちは泣き声をくぐもらせた。

 

「いっぱい笑って、後悔のない人生をね」


 視界がゆっくりと暗くなり、あらがうことなく目を瞑る。



 

 次に目を開けた時には、あの空間に戻っていた。

 下を見れば、スーツ姿に黒い革靴。大きくため息をついた。これじゃあ先生に見つけてもらえない。

 周囲にも人はいたが、私だけが影たちに呼ばれ、次の部屋に移る。


「わ、もうきた」

 扉の中にいたセーラー服の少女が声をかけてくる。

 数十年前に見た時と何ひとつ変わらぬ姿だ。

「もう、って……。君の人生をひと通り終えてきたのだけど?」

 少女の口ぶりからして、この場所では一瞬のことだったらしい。

 

「そうね、なんかさっきと全然違う人みたい。こんなに、人って変わるんだね」

「……そうさ。たったひとりの人間に変えられたんだよ」

 少女はじっとこちらを見た後、下を向いて唇を尖らせる。

「……私、今、後悔しちゃった」

 

 少女の言葉と同時に、黒い影が黒い扉を出現させる。

『では、こちらへ』

「う、ん……。やっぱ、生きたかったと思って死ぬのは変な感じ」

 ハハハと笑いながら、女の子は足を進める。そして、扉の前で立ち止まりこちらを見た。

「次はちゃんと自分の人生を生きて、あなたよりいい表情かおになってみせるから」

 少女は口の端を上げると、扉の向こう光の中へと消えていった。


『ご協力、ありがとうございます』

 扉が消えると、影ふたつが頭を下げる。

「協力?」

『あの方と、あなたはイレギュラーでして』

『あなたの体は既に失われていたのに、魂は再生の扉を通る資格がございませんでした』

『そして、あの方の体は生きているのに、魂が生者の扉を拒否するという事態が起きてしまいましたので』

『あなたの魂を生者の扉に通し、魂のない肉体へと収めさせていただきました』

 黒と白が交互に話した後、声を揃えて頭を下げる。

 

 以前の自分なら、「別にどうでも」で済ませていたのだろうが、ひとり分の一生を終えた今、非常に腹わたが煮えくりかえる思いがした。

「そういう説明は先にしてくれない?」

 笑顔のフリをするも引きつってしまう。

『干渉できませんので』『あれが精一杯』と白黒が少し申し訳なさそうな声色でいう。

『ですので、ボーナスステージを用意しております』

 ふたつの影は、白と黒の扉をぴたりと隣り合わせで出現させた。両扉が開くと、死の扉よりも遥かに眩い光が差し込む。


「あらあら、本当はその姿だったの?」

 忘れたことはなかった、ずっと心に残っていた懐かしい声が聞こえる。

 光の中から、ゆっくり人影が歩いて来た。

「おばあちゃん先生……」

 姿はない。ただ金色の光が人型になっているだけだ。でも確信があった。

 

「女の子のフリ、上手だったわよ」

 揶揄うような声。金色の中に憎たらしい笑顔が見えた気がした。眩い光がさらに拡散され、視界が霞む。

「先生……、私、うまくできてなかった……?」

 先生がいなくなってから泣きたくて仕方ない感情を押し殺し、幸せなフリを続けてきた。悲しむ姿は見せまいと。

 先生が、後悔しないように。

 死の扉をくぐらないように。

 

「上手だったわよ。でもね、だから悔しかったの。私がいなくても悲しくないの? 幸せだって言うの!? ってね」

 まんまと騙されちゃったわ〜、と少女のように笑う声は、記憶にあるものより若い。

「ずっと、ずっと待ってたんです。後悔させちゃダメだって、泣いたら、先生が戻って来られなくなるって……」

 涙が次々と溢れていく。もう泣かないフリはできなかった。

 光に覆われた先生の姿は見えない。だが、じっとこちらを見つめてほほ笑んでいるように思えた。

 

「甘いわねぇ。私、そんな出来た人間じゃあないわよ」

 金色の光が目の前で輝く。目の前には先生しか見えない。

「その涙を見られてよかった。今やっと、満足したわ。私は、私の人生は間違いじゃなかったのねって」

 その言葉に驚いて目を丸くする。

「先生でも、そんな不安あるんだ……」

「当たり前でしょ!?」と目の前の金色が大きく揺れる。

「私は、至って普通の人間。ここでも不満爆発、わがまま言い放題してたわよ」

 

 先生の明るい声が言う。

 ここに来てすぐ、幸せそうに暮らす私の姿を見せられて、「あの子の中に私がいない。もっとそばにいれたら」と悔しさのあまり死の扉をくぐってしまったのだと。

 だが生者の世界に戻れないと気づいて、その次にある審判の扉で行き詰まっていたそうだ。

 

「あなたが来るまで待ってるって、駄々こねちゃって。でも、もうスッキリしたわ、やっと次にいけそう」

 先生は、私の手を取った。

 手に触れているのは、シワもシミもないただの金色の光。

 出会った頃と同じように、私の手はすっかり覆われている。金色の光に温度はない。だが、幾度となく合わせた先生の手のぬくもりがじわりじわりと心に伝わってくる。

 光は私の腕にまで伸び、やがて体中が黄金の光に覆われた。

 

「次はどんな世界かしら。あなたは何になりたい?」

「なんにでもなれますよ。私、フリは得意ですから」


 

 ふたりはひとつの金色となり、白と黒の扉をくぐり抜けた。

 

 

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あの世とこの世のそのさきで 月山朝稀 @tukiyama-asaki

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