4


 少女の体に入って、はや五年が過ぎた。

 影からの連絡など、もう無いものだと見限っている。擬態して楽に生きることを覚えても、誰かに期待や信用を預けることはなかった。

 ただ、ひとりを除いて――。


「おばあちゃん先生。私はいいから、大学とか……」

「何のためにバイトしてたのよ。これだけあれば十分行けるわ。成績も申し分ないって高校の先生、言ってたじゃない」

「そのお金は、あなたに、お世話になってるからあげた分なんだけど……」

「いらないわよ! いつも言ってるでしょ? 私はあなたに老後をみてもらうって」

「だから、お金……」

「体が動けなくなったらね、必要なのはお金よりも支えなのよ」

 私がムッと唇を尖らせると、おばあちゃん先生は小さくシワシワになった手に力を入れ私の手を握りしめた。

「ほおら。思ったとおり、あなたの腕は丈夫なんだもの」とケラケラと笑う。

「何もなりたいものがないのなら、私の支えになってちょうだい」

 そう言って彼女は、大学のパンフレットを差し出した。

 

「福祉……、か」

 将来、介護の仕事に就けるよう資格を取れということだろう。いろんな意味で厳しいといわれる業界だ。適当に暮らしてきた私に、できる自信はなかった。

 でもなぜか、憎らしいしたり顔でほほ笑む先生を見ると、心の中に何かがふつふつと湧きあがってくる。

 

「大学出るまで四年はかかるんだから、それまでに……ボケたりしないでよ」

 ふんと鼻息を鳴らす私に、おばあちゃん先生は頬を赤らめて大げさに喜んでいた。


 

 だが、彼女は約束を守らなかった。


 だから嫌だったのだ。人はすぐ裏切る。「いつか」や「もしも」を期待すれば傷つくのは自分なのだ。


 大学の授業を抜け出して病院に駆けつけたときには、医者たちが彼女に群がっていた。医者は大きく体を動かし、彼女の胸を目掛けて何度も腕を押し付ける。


 目を瞑り、されるがままに彼女は揺らぐ。

 真っ白な顔。本当に、彼女なのだろうか。

 その顔からは、いつもの憎らしい彼女の笑い方を思い出せなかった。


――そんな悲しい顔のあなたを置いて、どこかにいけると思う?

 心臓の病が見つかった時、彼女はニヤリと笑み浮かべて私にそう言った。

「行かないで、先生」

 溢れそうな涙をこらえる。泣けば彼女は後悔するから。


 電子音が響く中、彼女は私の涙を見ることなく眠りについた。



 

『後悔はありませんか?』

 今ごろ、あの何もない空間で影と出会って問われているのだろうか。


 私の悲しむ映像を見せられて、今すぐ抱きしめに戻りたいと言うかもしれない。

 その後悔は、死の扉に行き着いてしまう。

 彼女に後悔がないように、幸せなフリを続けていれば、自分がそうだったように別の体で帰ってくるかもしれない。


 私は一切涙を流さず、淡々と彼女の体に別れを告げ、自分の生活を続けた。


 勉強し資格を取り、仕事に励み、友と仲良くし、幸せなフリを続けて、人生を生き抜いた。

 その間、おばあちゃん先生はどこにも現れなかった。似た人すらも――。「いつか」「もしも」なんて馬鹿らしいこと……。そう思いながらも、探すことをやめられなかった。

 もう一度会えると信じて、ただただ幸せなフリを続けた。




 

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