志魔という男

 少年は心を整理した。自分が置かれた状況を理解して、受け入れた。少年は志魔の方を向かずに海を眺めていたが、暫く静かな時間が続くと志魔の方を向いた。



「…あの、志魔…さんは、僕が怖くないの?」



 少年は不安げに瞳を揺らした。見えるからと言って怖くないには繋がらないと考えたからだ。もしかすると気味が悪い幽霊が出ると噂を広められるかもしれない。そんな男には見えないのだけれど。と、疑心暗鬼に駆られる少年がチラリと志魔を見ると、志魔はパチパチと目を瞬かせたあとで、朝食のメニューを言うかのようにとんでもない爆弾発言を落とした。



「怖くないよ?…どちらかと言うと、君こそ怖がらないか心配なんだ。ほら、僕は“幽霊案内人”だから…。あ、分かりやすく言うと地獄の番人…?悪魔、みたいな。」


「あ、くま?」



 またもや少年は混乱していた。志魔が言うことが本当なら、志魔も生者ではないということだ。しかも、もっと言うなら人間ですらないということで。



「あくまって…なにするの?」


「えっと…こうして彷徨っている幽霊を地獄に連れて行くんだ。君みたいに小さな子を相手したのは初めてだけどね。」


「…地獄にしか、行かないの?天国は?」


「ううーん、そもそもの考えが多分間違ってるね。地獄は勿論あるよ。そこに行くのが当たり前。でもね、天国には誰も行かない。だって、天国っていうものは存在しないから。」


「えっ!?」



 少年は淡々と質問していたが遂には目を見開いた。思わずあがった自分の声に驚き、バッと口を押さえて、頭の中をぐるぐると回転させた。

 天国がない、とはどういうことか。楽園など死後の世界には無いということだろうか。そんな、そんな残酷なことが、あっていいのか。

 そんな感情が脳内を駆け巡っていた。


「あとね、皆、まるで地獄が怖いところしかないように言うのだけれど…実際は違うんだ。地獄はちゃんと、罪人は罪地へ。善人は善地へ案内されるんだよ。きっと、人間の思い浮かべる天国というものは、善地みたいな場所なんだろうね。」



 少年は段々目を回し始めた。たくさんの情報に感情が追いつかないが、もう一つだけ聞きたいことが出来た。



「し、志魔さんは、僕をどっちに連れて行くの?」



 地獄に行くのは決まっているとして、その後どちらに振り分けられるのか。少年は少し怖かった。もし、罪人だと言われたら。そうしたら自分は苦しみながら死後を過ごすしかない。そんなの絶対に嫌だった。



「あ、あー…その事についてなんだけど…えっと、君の場合だと色々問題があってね?その…地獄に行く事すら難しそうなんだ。」


「ど、ういうこと?それってアレなの?僕が沢山悪い人だから連れてくるなって言われたの!?」



 少年は今にも泣き出しそうな顔で志魔に詰め寄った。いかにも迷子そのものといった悲しい目をして、志魔の服、その裾を握りしめた。志魔は慌てて言葉を紡ぐ。



「あ、いや、違う違う!そうじゃないよ。落ち着いて聞いておくれ。あのね、えっと…君の場合、君に生きてた頃の記憶が戻っていないことが原因なんだ。」


「記憶…?」


「そう、記憶。地獄に行くには記憶が戻らないといけないんだ。自分が何者か理解してる人じゃないと、罪人か善人か見極めるのが困難になるから。けど…君は今まで話を聞いてて、あっ!とか、そういえば!っていう反応をしなかった。つまり、君にはまだ記憶が戻ってないって事だと思ったんだ。…違う、かな?」



 そう言われると、少年は酷く納得したような表情で、そして、目をキョロキョロと泳がせてから不安げに志魔の瞳を見つめた。



「たし、かに、僕は記憶がないよ…。でも…そうしたら僕は何処へ行けば良いの?…ど、どうしたらいいの…?」



 俯いた少年が再び志魔の顔を見ると、志魔は眉を顰めて目を瞑り、見るからに悩んでいた。少年は申し訳なくなってきて、もういいよ。僕はずっとここにいるから。と言おうと決めた。そりゃあ勿論寂しいけれど、でも、志魔をここまで悩ませるくらいならと少年は腹を括った。


 けれど、少年が口を開いた瞬間、志魔がまたもや爆弾発言をした。



「も」


「そうだ…!ねえ、君。君さえ良ければ、僕と一緒に暮らさないかい?ここ最近、死者も減ってきて僕や他の案内人達も暇しているんだ。」


「えっ…そんな、良いの?」


「うん、君が記憶を取り戻す為に案内人代表として手伝うよ。あ、他の案内人にも声をかけようか。皆で君の記憶を戻す手伝いをしよう。死者を困らせたまま放置するなんて案内人として失格だからね。…あっ、勿論記憶が戻ったらそのまま地獄に連れて行くよ。君が善地に行けることを願って。」



 少年は目を輝かせた。志魔の方からそんなことを言ってくれると思わなかったからだ。それに、志魔と暮らすうちに記憶が戻るかもしれない。このままここに居ても戻る事はないだろうと少年は考える。だって、16年間この公園に居て、何も変わらなかったんだから。



「ありがとう…!僕、記憶、戻るかな…?」


「どうだろう…でも、きっと戻るよ。戻らなかった人は今まで1人も居ないんだ。大丈夫、忘れてるだけで、ちゃんと思い出せるよ。」


「うん!」



 少年は志魔の言葉に勢いよく頷いて、元気よく返事をした。そうして、そこで初めて雨が止んでいた事に気が付いた。自分が一切濡れていなかった事にも。



「あ、幽霊だから…」



 途端に悲しくなるけれど、それでも少年は志魔がどこかへ歩き出したのを見て、自分も立ち上がろうとした。その時、目の前に靴が置かれた。あの日履いてた自分の靴だ。少年が反射的に志魔を見上げると、志魔は微笑んでいた。



「靴がないと、歩く時に痛いもの…。君の靴だ。大事にするといいよ。」




 少年は悲しいよりも嬉しくなって、涙が出たけど、すぐに自分の靴を履いた。そして、立ち上がろうとした。けれど、少し悩んでから志魔に片手を伸ばした。志魔はすぐに少年の意図が分かったのか、その手をにぎって引っ張りあげた。そうして、志魔は言う。



「…よし、行こうか!」


「うん!」



 少年と志魔は公園の外に出るため、手を繋いだまま歩き出した。その時、志魔が少年に尋ねた。



「そういえば…君、名前は覚えているかい?」


「ん、んー…覚えてない…」



 少年がシュンとすると、志魔は少し慌てて、じゃあ!と言った。



「じゃあ!君のことは今日からボクって呼ぶよ。ほら、小さな男の子をボクって呼んだりするでしょ?ね、どうだろう?」


「でもそれじゃあ志魔さんの“僕”と被っちゃうよ。」



 名案!という風に焦りながら志魔は答えたが見事に少年に論破された。それを受けて志魔は再び悩み始めてしまった。



「あっ…そうか、じゃあ…どうしよう。」


「うーん、今のままでいいよ?君って呼ばれるの、慣れたから…。」


「えっ、本当?それでいいの?」


「うん。」



 志魔は少年の言葉に驚いたが、本人が言うなら…とそのまま“君”と呼ぶ事にした。

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僕と志魔さん 迷い花 @mayoi_bana

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