皇国最後の大戦争

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皇国最後の大戦争

西暦3125年


日本の政治は腐敗していた、それにより日本では民衆による反乱がおきた。それにより主要な都市は、戦火により廃墟の街と化した。そして日本は分裂し4つの軍閥が地域を占領した。北海道はロシアの傀儡軍閥のものに、沖縄,九州はアメリカの傀儡軍閥のものに、中国四国地方は中国の傀儡軍閥のものに、最後の本州の残りが日本のものとなった。各地域の奪還を目指したものの全て敗退し戦力はみるみる減っていった。今こそ立ち上がり日本を再建し復讐の炎を燃えあげ世界を焼き尽くすのだ。


皇国の興廃この一戦にあり客員一層奮励努力せよ




第一章 日本再建


 日本は日本列島統一のため動き出す。日本は最初に国内の改革を始めた。3130年2月26日まずはこの分裂を起こした原因の政治家の粛清を行ない、日本の現在の憲法を廃止し新たな憲法を施行した、それにより再び大日本帝国がふっかつした。そして自衛隊はそのまま日本軍と変わった。第二次北海道上陸作戦を行おうとしていた。


 日本軍総合参謀本部にて「山田少佐作戦の説明を頼む。」と言う声が聞こえる。その声の主は天神参謀総長である。山田少佐は、作戦の内容を話だした「我々は北海道への上陸を行うに対し制海権と制空権の奪取に向かいます。そのためにイージス戦艦『大和』を建造しました。」『大和』それは日本最後の希望の艦その性能は180cm砲を積み、200ノットのスピード、反物質エンジンにより10万kmの補給なしの航行を可能にした。「おかげで日本の資源がすっからかんになったがな」と天神参謀長は言った。「制空権についてはどうするのかね?」と斎藤首相は聞いた。「それについては『二七式原子力高速戦闘機』を運用したいと思います」と山田少佐は云った。


その日に会見を行なった東京で参謀総長は、「我々は遂に立ち上がり敵軍閥を殲滅し我が日本を再建するそのためには臣民である君たちの協力が必要不可欠である、ここに日本再建統一戦争の開始を宣言すると共に全敵軍閥に対し宣戦布告を行う。」と語った。


「天皇陛下万歳!!」その叫びと共に臣民が両手を上げ「万歳!」と叫ぶそれは日本列島に響き渡るほどの轟音だった。


 8月5日ついに火蓋が切れた、第二次北海道上陸作戦を行なった。函館に対し10個師団を派遣し、日本軍は函館に対し容赦の無い爆撃と砲撃を行なった、この時のために準備していた日本軍はとてつもない猛攻を続け、さらに一斉砲撃に為す術もなくさアイヌ連邦軍は敗退を続けたが、札幌付近での防衛戦の構築に成功しかけていた、それを危惧した日本軍は万歳突撃に、戦車を敢行それにより防衛戦の破壊に成功、そして札幌を包囲するとアイヌ人民軍閥はあっさり投降した。それにより再び北海道に日章旗が翻っまた。


「北海道の掃討はどうなっている?」と斎藤首相は山田少佐に訪ねた、山田少佐は「稚内に立てこもるロシア兵のみです砲撃支援もありますので問題ありません、しかしなぜロシアは沈黙を貫いているのでしょう、軍を派遣しても変ではないはず。」と少佐は訪ねた。「ロシアはきっとこれ以上の消耗ができないのであろう」と天神参謀総長は答えた。「会議中失礼します」と1人の通信兵がが駆け込んできた、「伝令近畿地方にて暗鬼軍閥が上陸しました、各地で敗走して続けています。」「なんだと」首相は驚いた。「よし特殊空挺大隊を派遣しろ」と参謀総長は命令した。


その1時間後に大阪上空で大量のパラシュートが開いた猛烈な対空砲火により100人以上の犠牲を出し着陸し対空砲陣地に対し攻撃を行い半数の犠牲を出したが対空砲陣地の破壊に成功「天皇陛下万歳」という声が響き渡る。それにより高高度爆撃機『富嶽』により爆弾の雨をした。それにより戦線の構築に成功した。次は我々の反抗だ。


「四国上陸が現実かつ最も効果的でしょう。」少佐が提案をした。「だが今までに上陸出来なかったのにどう上陸するのだ?」首相は質問をした。「それについては近畿戦線を後退しそこに敵を引き込み後ろに上陸するのとにより包囲します。それにより相手は損失を大きく出し四国から戦力を引き抜き、防備が薄くなることでしょう。更に山本司令官連合艦隊を率いて瀬戸内海から砲撃をします。」と少佐が答える。「そんな上手く行くだろうか」と首相は懸念していた。「ですかこのくらいしか我々にできることは無いのです。」少佐がそう言うと首相は「わかったそれしか道は無いのだな」と聞くと少佐は「はい」と強く答えた。


10月10日に戦線の後退を初めた、それに気づかず敵は1週間たってから進軍を始めた。神戸に敵主力か入ったときに突如轟音が響いた日本の第一主力連合艦隊が背後に現れ暗鬼軍はパニックになった、そこに対する海と陸の両方から攻められ敵は次々とやられることに驚き逃走しようとしていたが既に包囲されているため逃げることができずほとんどの兵が絶望することになる、それを助けようと暗鬼軍の艦隊が迫るが、日本の連合艦隊に戦いを挑むが、力の差は歴然であり日本の損失は駆逐艦,巡洋艦合わせて10隻のみに対し、敵艦隊は戦艦5隻,駆逐艦,巡洋艦多数の撃沈と圧倒的であった。


その翌日に、四国上陸作戦が初まった。高知と徳島に10個師団ずつ計20個師団派遣した。しかし四国山地により進撃速度はみるみる落ちていった。しかし瀬戸内海の制海権は既に日本軍が奪っていた。香川,愛媛に砲撃の嵐にさらに上陸部隊により敵軍は、三嶺山に立てこもたが砲撃により殲滅に成功した。


「しかし本州四国連絡橋は既に破壊されているため、無理やり上陸するしかありません」少佐の声が聞こえる。その時電話の音が会議室に鳴り響いた。少佐が電話をとった、「なんだと」と驚いた声を放った。「どうした」参謀総長はそう聞いた。少佐か「近畿地方はアメリカの傀儡軍閥である、アイオワ軍に攻め落とされ暗鬼軍閥は滅びました。」そう報告した。その時会議室にいたほとんどが驚きの表情を浮かべ騒ぎ出した、しかし1人落ち着いていた、それは天神参謀総長である。参謀総長は「落ち着きなさい」と叫んだ。「遂に最後の軍閥と戦うのか、これに勝てば日本列島は我々の元に帰ってくる第一目標は沖縄の那覇だ。」「分かりました奪還作戦を計画しておきます。」少佐が返事をしたそれで会議は終わった。


 作戦について悩む少佐がいる、「どうやって沖縄に上陸しようか悩んでいる」そこに同僚がコーヒー片手に「休むのも任務だぞ」と話しかけてきた、少佐は「どうやっても強固な首里城を落とす方法が思いつかないんだ」と返答した。「確かにあそこは米帝により強力な要塞化されてるからな」と答えると、「お前も何か案あるか」と聞いた、しかし「無いな」と答え2人て再び唸った。次の日に少佐は直々に「沖縄上陸は今のままでは無理です」と参謀総長に報告した、「なぜだ」と聞いた、「沖縄ではなく中国四国地方から攻め落とす方が現実的なので」と答えると、参謀総長は「ならば中国四国地方を攻め落す」と命じた。「会議を開く幹部と大臣をよべ」少佐にそう命令した。


「中国四国地方では要塞化がまだ完成しきってないのそこを叩きます、しかしアイオワ軍閥は山口に本部を置いてるため強固な防衛を敷き補給を万全にしているため瀬戸内海で決戦を挑みます、おそらく我々の空母の半数以上の6隻を派遣しアイオワ軍から確認されているだけで10隻以上派遣されると思うため大海戦が起こると思います。」と説明すると、首相は「もっと空母を送れないのかね」と不満気に言った。「しかしこれ以上空母を派遣すると本土の防衛に支障がでます。」と少佐が反論した。「わかったなら仕方がない」と首相も納得をした。


翌年の6月20日中国地方の侵攻を初めた、日本陸軍が広島,島根までの進軍を続け奪還したが山口の県境での戦線を構築をし敵が防衛に成功したそれにより日本陸軍は進軍が止まることになる、一刻もやはく山口の敵本部を叩かねば。呉港が整備され出撃命令が出された連合艦隊が旭日旗を乗せ敵を殲滅せんと山口に向け出港した。瀬戸内海て敵艦隊に出くわし海戦が始まる大和型イージス戦艦が5隻以上完成しておりその艦隊射撃により最前列にいた駆逐艦,巡洋艦は全滅し一発当たるだけで沈むためがんがん沈めていった、しかし敵の奮闘によりん戦艦『長門』が航行停止『金剛』が撃沈した。だが空母が健在のため出せる限りを発艦させ四国からも飛行機を出し続けた。それにより敵戦艦の殲滅に成功、残るは護衛のなくなった空母だけになり空母の撃沈成功にしたが3隻逃したが制海権は確保した。それにより補給の絶たれた山口に立てこもるアイオワ軍はすぐに攻め落とされた。


これによりアイオワ軍は制海権を失い日本海軍は九州の海上封鎖を行なった。九州に取り残されたアイオワ軍は、補給を絶たれたそこに陸軍の地獄のような攻撃を行なったそれにより敵軍はずるずると撤退を続け最後は街に立てこもったが万歳突撃による突破で全滅した。残るは沖縄だけだ日本海軍は沖縄に向かってた時に後ろから攻撃を受けることにあう、突如現れた太平洋艦隊により太平洋海戦が始まる。日本軍は奇襲により、隊列を乱したがすぐに立て直し反撃を初めたがアメリカの物量に負け撤退することになる。多数の駆逐艦,巡洋艦を沈められたが空母の損害はなく、戦艦の損害も少なくすんだ。太平洋艦隊を殲滅せんとする連合艦隊が呉港から出港し攻撃を開始した。第二次太平洋海戦が始まり日本が奇襲を行い空母3隻の撃沈に成功日本の空母も2隻撃沈という被害を受けたが日本海軍の戦艦の猛攻が凄まじく何とか勝利を収めることができた。


 「山本司令よくやった!」と天神参謀総長が褒めていた。「山本司令は今は太平洋艦隊の掃討をしています。沖縄上陸も現実的になってきました。今沖縄に砲撃と爆撃を続けています。明日にでも作戦を初められます。」と少佐が報告すると、「よし全部隊に告ぐ上陸準備を始めろ」と参謀総長が伝えるとすぐに作戦の準備が始まった。


7月10日総勢300万の軍勢が沖縄上陸を初めたしかし各地の米兵のゲリラ戦に苦戦するが日本海軍からの砲撃は激しくアメリカの戦力は少しづつ減ってはいるものの、日本陸軍も100万人もの犠牲を出してしまった。沖縄の首里城での攻防激しくさらにお互い犠牲を出すことになる。最終的に日本軍の万歳突撃により首里城の侵入に成功、多大な犠牲を出したが遂に沖縄を奪い返すことに成功した。それにより日本は日本列島を奪い返す事に成功日本国内に大量の日章旗が翻った天皇陛下は日本軍を皇軍と認め日本再建に多大な功績を残した将官である山口少佐と天神参謀総長に勲章を与えた。山口少佐は少将えと昇進、天神参謀総長は元帥の称号を与えられだ


国内では「天皇陛下万歳!!大日本帝国万歳!!」という叫び声が響き渡る。日本ではお祭り騒ぎが半年も続いた。


日本再建はこれで成功、次は日本が奪う番だ。






第二章 第二次大東亜戦争


日本再建統一戦争より約5年後軍の中枢は一新しており天神参謀総長と山口少佐は退官し、新たな将官が着任している。そして日本軍総合参謀本部で世界を焼き尽くさんと会議をしていた。「最初は北進をするのかね。」と聞くのは新たな参謀総長の東海林参謀総長だ。「いや狙うは朝鮮半島です、そこから中国を攻める予定です。」と答えたのは、九十九大佐である。


「やはり狙うは朝鮮かなるほど具体的な案はあるのか?」と参謀総長が聞くと、大佐は自分で立てた案の説明を始めた「黄海に連合艦隊を派遣し制海権制空権を共に奪ってからソウルに砲撃と共に上陸します。同時に半島の最南端から上陸し北進しソウルを包囲します。それからソウル市内へと進軍していきます。それによる敵主戦力の撃滅を計ります。韓国に勝ったらそのまま北朝鮮へ侵入し半島を奪います。」と説明した。「政治的に何か問題あるかな首相」参謀総長がきくと、小鳥遊首相が「問題ありません」と答えた。「韓国と北朝鮮に宣戦布告しろ。それと連合艦隊に出撃を命じろ。」


 5月9日下関から戦艦10隻,新型戦闘機『三九式高速戦闘機』が総数3000機を乗せた空母6隻が出港した。さらに『チハ』をモデルに新型戦車『五十式原子力重戦車チト』と100個師団の兵士を積んだ輸送船団黄海に入る前に韓国の艦隊であったがものの1時間で全滅した。黄海に入ったが中国艦隊に出会うが戦艦1隻沈めるとすぐに撤退した。空母から2000機の編隊がソウルに向かいもう1000機が南端の上陸部隊の援護に向かった。日本軍は統一戦争で戦い生き残った精鋭に全く戦っていない韓国軍とは練度が圧倒的に違い。一方的に蹂躙されるだけだった、すぐにソウルを包囲し、開戦からたった1ヶ月で降伏することになる。竹島で条約を結んだ、条約の内容は韓国が30億の賠償金と日本軍の駐屯の許可と大東亜共栄圏の参加である。そのまま北進し北朝鮮へ進軍を始めた、北朝鮮は韓国の敗北を知り南に戦力を中させた。しかし日本軍は平壌に空挺降下をし首都を奪った、それにより敵は混乱した。そこに機甲師団を投入し敵主戦を殲滅した。そして北朝鮮と韓国を合併させ、大韓帝国を復活させた。


「前回の作戦見事だった、おげで資源が増え新たな空母と新型潜水艦を作れる。」と参謀総長は喜んだ。「はい『伊千型原子力潜水艦』をいま建造中です。中国侵攻までには用意できると思います。」と大佐が報告すると「素晴らしい、大いに結構」と参謀総長は褒めた。「中国への侵略作戦はどうだ?」と聞くと大佐が「中国へは第一次大陸打通作戦を習い第二次大陸打通作戦を行い敵戦力を孤立させ砲兵隊と機甲師団が集中砲火を行い殲滅します。特に今回は兵站が重要で最新のトラックを5000台揃えました。」と報告した。それに対し「なるほど中国の艦隊はどうするのかね」と参謀総長が聞いた、「万全の状態で迎え撃つようにするためこの間台湾と交渉し日本に合併してくれるとのことです。」と大佐が答えた。「ならば中国に対し宣戦布告を行え」と参謀総長が命じると、大佐が「もう中国は朝鮮侵略の時に攻撃してきていますよなのにするんですか」と聞くと「念の為だ戦犯扱いされたら嫌だからな」と参謀総長は答えた。


8月25日、最初に黄海に連合艦隊が侵入し中国沖海戦が始まり中国が日本の連合艦隊に攻撃を仕掛けるが海突如中国の艦が轟沈した海の底からの魚雷攻撃に戸惑う中国軍に向け無慈悲な砲弾の雨降らせた。制海権を奪い第二次大陸打通作戦が始まった。中国に向け烈々士気が天を打つ日本軍が地獄の陸上戦を始めた。上海にいる敵を包囲万歳突撃により突破、北京を奪った時に起こった敵1000万人が北京に向け進撃してきた。中国軍が北京を奪還したが、突如現れた日本軍機甲師団が中国軍を東西に分割し東側の中国軍は重慶に立てこもるが、艦砲射撃により撃滅それにより中国軍の半数を殺す事に成功。残りは機甲師団が掃討した。そして政治幹部を全員粛清したあと日本の下関で第二次下関条約が結ばれた、条約の内容は上海と北京を200年の租借それと中華民国へと名前を変え大東亜共栄圏への所属さらに日本への全面協力である。「今回は海軍に救われたな。」と首相言った。「そうですね今回は兵站が重要でしたから安全に補給できたので良かったです」と大佐が答えた。次はインドネシアだ。


資源の宝庫のインドネシア攻略のため会議を開いていた。「インドネシア攻略の1番の障害はアメリカの援助を受けてるオーストラリアの艦隊です。さらに長期戦になるとアメリカの本格介入があるでしょう。」と大佐が問題をあげると、「オーストラリアを助けに来たアメリカの太平洋艦隊ミッドウェーで叩く」と参謀総長が答えた。「インドネシアは陸軍だけで対処は可能でしょう。」と大佐が提案した。「よし攻撃開始」と参謀総長が命令した


翌年6月10日インドネシアに上陸するものの敵の抵抗激しく第一次上陸部隊が全滅仕掛けていた。現地で「何が陸軍だけで何とかなるだこのままじゃ全滅だ早く海軍は援護に来てくれ。畜生撤退だ」と将兵が嘆いていた。そこにオーストラリア艦隊がインドネシアに援護を行い日本軍は全滅した。一方日本海軍はミッドウェーでアメリカの太平洋艦隊と戦っていた優先に戦っていたが、オーストラリア海軍が現れ挟み打ちの形で海戦が始まった。それに焦った日本海軍はオーストラリア艦隊に向け集中砲火を行い2た中破させたが、日本は戦艦2隻が沈められてしまった。オーストラリア艦隊と太平洋艦隊を合わせて空母30隻戦艦25隻に対し日本は補給と修理を行い、第三次ミッドウェー海戦の始まった。全身全霊で攻撃を行い戦闘機が飛べる限り飛ばし敵艦隊に弾を打ち尽くさと攻撃敵の空母20隻撃沈という前代未聞の戦果をあげた。しかし日本も連合艦隊第一主力艦隊に被害がよろび一時的に日本海軍は弱体化した。しかしインドネシア攻略には十分な戦力はある。第二次インドネシア上陸作戦を開始した。今度は陸軍と海軍の緻密な連携を行い快進撃をとげた。そしてインドネシアは降伏した、日本の那覇で条約を結んだ、ほとんどが他同様であったが日本への永久確保地域にするというのが大きな違いであった。そして九十九大佐は、あまりにも酷い見当違いによる上陸部隊全滅にしたことにより更迭された。そして新たな将官が来た。


「君が新しく配属された者かね?」と参謀総長は新しい補佐官に聞いた。「はい新しく配属された月見里中佐ですよろしくお願いします。」と中佐答えた。「ちなみにインドへの侵攻作戦立案はどうだ?」と参謀総長が聞くと、「我々はまずインドの制海権をとるためおそらくイギリスと海戦を行うでしょうが世界最強の海軍を持つ我々は勝つことができるでしょう。制海権確保後は中国から我々の陸軍合わせて1万師団を派遣できるでしょう。そしてデルーまで機甲師団と爆撃機による連携で進みデルー近辺まで進み空挺部隊がデルー内部から攻撃を行い内と外からの攻撃で落とすことが可能でしょう。」と作戦を説明した。


8月2日インド洋で日本とイギリスとインドの連合国艦隊が日本の第一主力艦隊を攻撃した。日本は世界最強戦艦『大和』を持っているため敵艦隊は相手にならず敵艦を沈めに沈めまくり制海権を奪いとった。兵士を照り殺すような暑さが襲った、しかし補給が万全な日本と違いインド軍は熱中症者で死者を出したが日本は戦争し続けているため慣れていた。そんな中日本の士気はそこそこ高くデルーまで進撃を続けデルーを早急に包囲した。そこから空から神兵が降りて攻撃を始めた内と外から攻められたデルーは機甲師団突入により、インドは降伏した。インドを手中に治めたことにより他の亜細亜の国々を挟み撃ちにし進撃を続けた。「インド制圧により亜細亜への侵攻は順調です。」と中佐が報告した、「それは良かったあ号作戦の準備の進捗はどうかね?」と中佐に参謀総長が訪ねた「問題ありません」と報告したときに兵士が入ってきた。


 「東京で一部の兵士が決起しました。国内左派の兵士達が既に首相官邸に押し入り首相を殺害した模様です。皇居に向け進軍しています。」と兵士が報告した。「なんだと!陛下は無事か!?」と参謀総長は驚いて訪ねた「陛下の御身は近衛師団が総力を持ってお守りしております。」と兵士が答えた。「海軍はこれるか?」と参謀総長は訪ねたすると「イギリスの残存艦隊を掃討し修理を行い戻ると思われるため時間がかかると思います。」と中佐が答えた。「陸軍だけでも派遣せよ」と命じると、中佐が「それは得策では有りません、東京を戦場にしてしまい多くの民間人がしにます。」と答えた。「だがしかたがない陛下の御身のが大切だ。軍を派遣せよ」そう命じた。


その時大きな汽笛が鳴り響いた、『大和』が東京湾に現れた。そして決起した全ての兵士が絶望し戦意を失った。天皇陛下が戒厳令を敷き、これにより東京でおきたクーデターは未遂に終わった。これに関わった全ての兵士に死刑判決が下され全員銃殺された。


今こそ『あ号作戦』を実行せよ




最終章 あ号作戦


「遂にここまで来たあの超大国アメリカを攻撃できるところまで。これにさえ勝てば日本は覇権国として君臨することができる。」と首相は興奮していた。「しかし勝つというのが問題なんですあの新兵器があるとはいえあの物量に勝てるかどうか」と中佐は懸念していた。「とりあえず中佐あ号作戦の説明を頼む」と参謀総長が言った。「我々はまずハワイを奪いにいきますそしてアメリカに爆撃を行いパナマ運河を使い大西洋側のワシントンDC,ニューヨークへ上陸太平洋側ロサンゼルス,シアトルへと上陸します、ロッキー山脈により進撃速度はおちるでしょうが問題はありません。しかしワシントンDCとニューヨークはとても激しい反撃をうけるでしょう。しかしそこがチャンスです兵力をワシントンDCとニューヨークに集結しているところを後ろからつくのですこれは速度がとても大事です、作戦開始と共に新兵器を上陸地点に向け発射します」と中佐が説明をした。「新兵器は問題ないのかね」と参謀総長が聞くと、「いつでも使えます」と答えた。


10月13日あ号作戦が始まりハワイに向けほぼ全ての艦隊がハワイに向け出港し攻撃を始めた。ハワイに向け新兵器『電磁誘導レーザー砲』を放ったこれは一つの戦艦で一発しか撃てない今回は資源をフル活用して5つの戦艦に乗せることができた。そしてホノルルで火柱が上がる、それと同時にハワイに向け艦砲射撃を行なった。目標の太平洋艦隊はハワイに停泊しており新兵器の一撃で全滅した。ハワイを早急に制圧し、飛行場を整備し原子力ロケット爆撃機『秋水』をアメリカむけ発進させ、アメリカの上陸地点と工業地帯を執拗に爆撃した。14日遂にアメリカ上陸が始まった。パナマ運河を通る連合艦隊にアメリカは大西洋に残る残存艦隊で決戦を挑みパナマ沖海戦が始まった、多少苦戦したが全ての船をスクラップにしたことでアメリカの海上戦力はなくなった。ワシントンDC,ニューヨークへと向かう補給船を見ていることしかできなかった。日本は新兵器を4つの上陸地点に放ち守備隊を大幅に減らすことに成功。アメリカは予想どおりに大西洋側に兵力を集中したことで日本はロサンゼルスとシアトルに上陸することに成功。案の定ロッキー山脈で速度は落ちたが整備された道を『チト』と戦闘機を全て導入し、強引に突破アイオワ州に入ったところでアメリカが講話を提案してきた。


東京会議が開かれ東京平和条約を締結した。日本へのニューヨークとロサンゼルスを250年の租借である。他にも満州や中華民国の承認などである。


戦後の日本は、覇権国へと生まれ変わった。アメリカとの仲は険悪だったが、更迭された九十九大佐は外交官へ転属しておりアメリカとの外交の回復することに尽力した。


      皇国に永遠の栄光あれ 万歳  




            完

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