千代田を助ける話法

波止場石 郷愁

千代田を助ける話法

 高崎曰く千代田は「これで駄目ならどうしろって?」と言った。しかし、その時に横にいた中村によると、千代田の発言で重要なのはその前の「おれは十分穴を掘った」の方だという話であった。井筒は高崎と中村の発言を聞いて、千代田は解決のために十分と言えるほど穴を掘ったが、もはやおのれの力ではどうにもならなくなってしまったのだと解釈した。

 井筒の目の前には穴がある。大の大人がふたりくらいはすっぽりと入ってしまうような穴で、深さもかなりある。少なくともスマートフォンのライトで照らしても底が見えない程度には深かった。井筒は穴に向かって大声で呼びかけた。

「千代田さん、いますか?」

 返事がこないのでしばらく穴に耳を近づけていると声が返ってきた。

「いるよー」

 井筒は安堵した。とりあえず千代田が生きてはいることにほっとした。

「千代田さん、さっき電話で高崎さんと中村さんから話を聞いたんですけど、ちょっと助けがいるかなって思って。もし迷惑とかじゃなかったらいいのですが。助けがほしいのかちょっとぼくにはまだわからなくて……」

 井筒は少し怯えながら言った。井筒は千代田に対して怖いという感情を持っていた。千代田は素行に問題があった。大学で暴力沙汰を起こして退学したことをまた聞きしていたし、井筒がはじめて千代田に会ったときにも目の前で問題を起こしたからだ。そのときは千代田は路上で喫煙をしていて、注意してきた中年男性を殴り飛ばした。井筒は目の前が真っ青になった。千代田は猛ダッシュしてその場から離れ、井筒はその後を追った。気がつくと千代田と並走するかたちで井筒は走っており、その井筒の走りの軽やかさに千代田は感心して、以来千代田はたびたび井筒を呼び出してつるむようになったのだ。それ以降井筒は千代田に怯えながらも、怖いので無視することはできなくなってしまった。友人とは決して呼べないたちの悪い先輩として関わらざるを得ない存在、それが井筒にとっての千代田だった。

「助けてほしい」

「あ、はい。そういうことでしたら、ぼく車にロープ持ってきてあるので、持ってきます。ちょっと待っていてくださいね」

 井筒は車に戻ると後部座席からロープを取り出してきた。このロープは井筒が実家の納屋から持ってきたものである。井筒は高崎と中村の話を聞いて、もしかしたらロープが必要かもしれないと思って、わざわざ自宅のアパートから離れた実家まで行き持ってきたのだ。なぜ自分がそこまでする必要があるのかと疑問に思わないでもなかったが、ここで千代田を助けない、もしくは助けられないとなると、後々千代田からなにをされるかわかったものではないので、入念に準備をしてきたのだ。

 井筒はロープを手ごろな太い木にくくりつけると、穴の中にゆっくりとロープを垂らしていく。

「どうですかね、ロープ、下まで届きましたか?」

「届いたよ」

「それじゃあそのロープで登ってきてください」

 ぐっとロープが引っ張られた。ぴんと張られたロープを見て井筒はこれで自分の仕事はだいたい終わったとほっと胸をなでおろした。

「それにしても災難でしたね、こんな山奥で……高崎さんと中村さんが教えてくれなかったら助けにこられませんでした」

 井筒は自分で穴を掘って自力で出られなくなるのが災難か? と思わないでもなかったが、安堵から口が動くままにしていた。

「そうだね」

 千代田の返事が先ほどよりもはっきりと聞こえ、順調に登ってきているのは明白だった。夕暮れ時で夜になる前には帰ることができるなと井筒が思っていると、スマートフォンの着信音が鳴った。

 それは千代田からだった。

 井筒は不思議に思いながら通話に応じた。

「井筒……今、どこにいる?」

 千代田の声だった。千代田にしてはか細い声で聞こえにくかった。

「どこって、千代田さんのいる目の前ですよ。」

「山奥いんだな?」

「ええ。なにを言っているんですか? 穴から通話してるんですか?」

「穴? 穴って高崎と中村が掘るって言っていたあの穴か」

「高崎さんたちが? いや、千代田さんの穴ですよ」

「おれは穴なんか掘っていないし、おまえのいる山奥にもいない。おれは自分のアパートにいる……穴を掘りに行ったのは高崎と中村だ。おれじゃない」

 井筒の背中から冷たい汗が流れた。どういうことなのか井筒にはさっぱりわからなかった。「もうすぐ着くよー」と穴の中から声が聞こえた。

「そこにいるのは誰だ?」

「ああ……」

「おまえ今すぐ逃げろ! おい……井筒?」

「まず高崎さんが言ったのです「これで駄目ならどうしろって?」と。それで中村さんがそれは大切なことではない、「おれは十分穴を掘った」と言った方が大事だと。だからぼくは千代田さんを助けにきたのです。千代田さんを助けるのはぼくは少し嫌でした。千代田さんは怖い人だからです。千代田さんは怖い人千代田さんは怖い人千代田さんは怖い人千代田さんは怖い人千代田さんは怖い人。でも助かるべきだとは思いませんか。「これで駄目ならどうしろって?」と言った千代田さんはもう十分頑張ったのです。だから助かるべきなのです。ぼくが助けます。千代田さん待っていてください」

 通話が切れると千代田は静かに泣きはじめた。

 しばらくすると、ごんごんごんと三回玄関のドアが叩かれた。震えながら千代田がのぞき穴を覗くと真っ暗闇であった。

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