Psycho Bunny

川谷パルテノン

ヒメちゃん

 十六才、夏。忘れもしないむせ返るような暑さ。どこかの部屋、目隠し、猿轡。椅子に縛り付けられた僕の体は自由のきかない動物で、四本の脚は上半身で揺さぶるせいでゴトゴトと音をたてた。僕が状況を掴めないでいる中、そいつは部屋に入ってきた。ギギィと音を立てた扉から新しい空気が傾れ込む。せめて冷房をきかせてくれないか。

「ブンブン、ハロー蜂ブンブン」

 誰だ。何も見えない。返事もできない。つまりリアクションのしようもないのはしょうもない出囃子だけのせいでなくとはいえしょうもない出囃子のせいでもあり、その誰かはそれがしょうもなかったんだろうなと自覚できるための状況を自分で作っていたわけで、なんかゴメンという気持ちが込み上げた。

「反応しろよ!」

 イカれてる。サイコだ。自由を奪っておきながらそうきたか。リアクションが欲しいんだ。そうかそうか。バカがよと言葉には猿轡のせいで出来ないが虚しくって虚しくって言葉に出来ないのもある。

「あんた、今どういう状況かわかってる?」

「……」

「反応しろよ!」

 イカれてる。サイコだ。最高まである。笑いの才能もあるんじゃないか。あまりにもいろんなことがわからないせいで恐怖心も和らいでる。なんだこれは。

「あんたはここでウチと死ぬのよ」

 なんで。

「あんたは部活帰りでチャリで土手沿いを走ってたとこをウチに襲われた。追いつくの大変だったんだからね」

 自転車降りてから襲わないか普通。もう少し聞いてみよう。

「ウチはあんたとここで死ぬのよ」

 主語の入れ替え。意味は同じ。

「反応しろよ!」

「ンン! ンンン!」

「あ、そっか」

 猿轡が解かれる。ヨダレが糸を引いた。

「誰だよお前!」

「ウチ? ウチはウサギ。あんたが通ってた保育園で飼われてたウサギのヒメちゃん」

「ヒメちゃん?」

 知らん。僕は確かに保育園に通っていたが、飼っていたのはウズラだ。ヒメちゃん、知らん。

「だからここで死ぬのよ!」

「文脈! 待ってくれ。僕はヒメちゃんなんて知らん人生を送ってきた。恨まれる筋合いなんてない。だいたいウサギ喋らないだろ」

「いいわけっ子さんね」

「いいわけっ子さん?」

「おりゃあ!」

「ウッ! お前……いきなり、痛 くない」

「おしぼりでしたーーーッ はい、ビビったーーーッ おしっこ漏れちゃった?」

「……ヒメちゃん。僕が悪かったかもしれなくもなくはなくなくない。端的に言う。帰らせてください」

「次はナイフでいくわよ」

 どこまで本気かわからない。だが話してみてわかったことがある。このサイコバニー、ちょっとエロい。どうする僕。なんとしてでも帰りたいのか。それともこうなんかせっかくだし十六歳、人生閉じるまでにパーフェクトなスケベを達成しておきたい気もする。

「ヒメちゃん」

「命乞いなら無駄よ」

「好きだ」

「はあ!」

「キスからはじまるエトセトラ」

「あんた何言って! キス待ち顔やめろ!」

「エト セトラ」

「……まあいいわ。唇重ねるだけでしょ。大したことないんだから。暴れないでよね。舌入れたら56すから」

「早よ」

「待ちなさいよ! 心の準備ってもんが」

 少しずつ近づくのが体温でわかる。僕はここだというところで前のめりに体重を乗せた。頭突きクリティカル。ゴッという。鼻くらいは逝ったか。ヒメちゃんの呻き声。僕は必死で上半身を這わせる。

「待ぢなさいよ!」

 まあ、そうなるわな。

「もう許さないんだから!」

「エトセトラ」

「うるせーーーーーッ 56す56す56したるッ」

 父さん、母さん。先立つ不孝をお許しください。

「でも」

 まさかの光明。

「エトセトラ、どこまで本気?」

「さっきは間違えました。最後までやれます」

「嘘じゃないでしょうね」

「嘘じゃないです。この日のために生まれてきました」

「じゃあ目隠しもはずしたげる」

 少しずつ目が慣れてくる。ショートカット、赤いエクステ×二本、ウサ耳と頬にデカいホクロ、いやハートか。タトゥーシールか。年頃は僕と同じくらいに見えた。ヒメちゃん、あらためて知らん。

「はじめて……だから」

「僕もです。出来れば手足も自由だとコマンド入力がスムーズに」

「それはダメ。まだ信用できない」

 サイコ女の信用がないことで地元じゃちょっくら有名な僕になった。しかしマジでこのままやるのか。椅子に縛り付けられたまま。リードしてくれるってことか。どうなんだヒメちゃん。

「キスからはじまる」

「エトセトラ」


「そこまでだ! 拉致監禁及び暴行の現行犯で逮捕する!」

 警察。助かったのか。

「どこで入ってきてんだてめえらーーーッ」


 十六才、夏。忘れもしないむせ返るような暑さ。ヒメちゃんは連行されていった。かくして僕のヴァージンはキャリーオーバーされ無事生還を果たす。あの時、もし最後まで遂げていたら僕は今こうなっていなかったのかもしれない。忘れられない永遠の女。僕はそのものになることにした。今日もまたひとり。

「あんたはウチとここで死ぬのよ」

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Psycho Bunny 川谷パルテノン @pefnk

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