学園紛争・青春の傷痕

天の川 清光

学園紛争・青春の傷痕


                  (一) 


  昭和四十三年五月、ゴールデンウイーク明けの或る晴れた日の昼時ひるどきまばゆい太陽光線が空をコバルト色に輝かせ、大講堂の玄関口に設けられた十数段の幅広い階段を白く反射させている。初夏の紫外線が容赦なく降り注ぐ、ここE大学文学部のキャンパスの中央辺りに大きな噴水池があって、その噴水池の周囲を腰掛けるのに程よい高さの御影石がぐるりと囲っている。校門から噴水池を巡って校舎へと続くアスファルトの歩道沿いにはつつじの植え込みが続いていて、白と赤の花を敷き詰めたように今まさに満開に咲かせている。噴水池の中央部分からは白く陽に輝いた水が鯨の潮吹きのように、時おり高くなったり低くなったりして絶え間なく噴き出している。誰が放したか、一匹の亀が水の落ちないコンクリートの上で置物のように動かない。

  銀杏いちょう並木通りに面した北側に校門があり、民家を隔てた東側の道路沿いには背の高いコンクリートの塀が巡らされていて、その塀の手前に一本の樅ノ木と数本のけやきの木が立っている。濃緑に茂った樅ノ木の大樹は、かげった地面に赤く変色させた落ち葉を絨毯のようにふくよかに堆積させていて、人の踏み込むのを拒むかのように一人孤高を保っている。その天辺てっぺんにカラスが止まっているのを時折、見かける。

 樅ノ木の下、落ち葉の薄くなったところが僕たち詩吟部の昼休みどきの発生練習の場所である。黒い学生服集団に交じって女子学生が数名、足元の赤い絨毯をよけるようにして集合している。

 僕の名は多田昭平ただしょうへい。国文学科の四年生で詩吟部の部長をしている。部員を横一列に整列させ、僕は少し離れた所で全員を見渡せる位置に立ち、発声の手本を示す。

「アァ~・エェ~・オォ~・」抑揚をつけながら、しり上がりに高音こうおんを出す。息の続く限り高音を伸ばす。全員が僕の後に続く。何度も繰り返して声帯が充血する限界まで声を張り上げる。

 途中、息継ぎの間にしんとした静寂が戻るのであるが、その時である。僕は、後ろの噴水池の方が何やら騒がしいことに気づいた。振り返って見ると、大講堂の幅広い階段の上で十数人の学生たちが、ひな壇飾りのように座り込んでいて、その下で誰かがハンドマイク(拡声器)を片手に何かを叫んでいる。スピーカーの残響を気にしながら言葉を短く切れ切れに話すものだから、自然と語尾を伸ばす語り口調になる。

「我々わぁ~この静かな学内においてぇ~全ての学生諸君に対してぇ~一つのぉ~問題提起をぉ~するものであります」

「意義ナーシ」ひな壇から連帯の声が掛かる。

「我々は今ぁ~学内民主化のためにぃ~スクラムを組んでぇ~当局に対しぃ~強くぅ~抗議するものであります」

「オーイコラ、やめろぉ!こんなところで何をやっておるのか」

いち早く飛んできたのは大学の職員、学生課長である。元柔道の国体選手で、でかい体の割には甲高かんだかい声を張り上げている。

しかし男子学生はひるむ様子もなく、ハンドマイクを口に近づけた。

「我々はぁ~如何なる権力に対してもぉ~屈することなくぅ~問題意識を以ってぇ~」

「オイ、やめろと言ったらやめるんだ。集会は禁止だ。分らんのか。」甲高かんだかい声をさらに甲高く発したかと思うと、その巨体を預けて男子学生の細い腕をむんずと掴んだ。学生は無言のまま、その腕を振り払おうと体をよじったが巨体は放さない。ひな壇の集合は既にゆるやかな広がりを見せていて、解散しかかっている。階段の上から「暴力はんたーい」との声が掛かった。巨体は天を仰ぎ、いまいましげにその手を放した。

 僕たち詩吟部は練習を中断して、この様子を暫らく眺めていた。学生の叫び声と学生課長の甲高い罵声は、この明るく平穏な学内に突如として針のような殺気を呼び起こした。

 おい、どうしたんだ。何があったんだ。と周辺にいた学生たちはみな立ち止まり、不穏な面持ちで事の成り行きを見届けようとしていた。やがてひな壇にいた集団も散り、学生課長の姿も消えた後には、また元の通り、幅広い階段だけが白く日に輝いて沈黙していた。いつの間にか野次馬の姿も消えた。

 一体、あいつらは何者なんだ。何が不足で騒いでいるんだ。僕には知る由もなかった。気を取り直して「さあ、練習だ。やるぞ」と後輩たちに発破を掛けて練習に戻った。僕は何事もなかったかのように振舞ってはみたものの、何か言いしれぬ嫌悪感が胸に残り、心の動揺は否めなかった。それは後輩たちも同様で、伸びやかさを欠いた発声にそれは窺い知れた。

 


                (二) 


「多田せんぱーい」

 教室へ向かう途中、噴水池の近くで背後から僕を呼び止める声が聞こえた。振り向くと一年後輩の女子学生、山路亜希子やまじあきこが右手を振りかざしながら走り寄ってきた。

「先輩、今度、マンドリンの演奏会があるんですけれど、いらしてくれませんか」

 白い歯を見せてにこやかに微笑む山路亜希子はマンドリンケースを胸のあたりまで持ち上げて僕を見つめた。

 演奏会か、僕は一瞬ためらったが、敢えて感情を押し殺すように無表情に答えた。

「おう、行かせてもらうよ。がんばれよ」

 後輩にはやたら相好そうこうを崩してはならない。ましてや女子には猶更である。僕ら詩吟部はバンカラを以って旨とし、硬派を気取って憚らないニッポン男児である。髪型もなるべく短い方がよい。僕は二年生まではスポーツ刈りで三年生になってから髪を伸ばしたけれど、それでも襟首の上はちゃんと刈り上げていて潔さを保持している。

 センパイ、センパイと慕ってくる後輩に対して、たった一年しか違わないのに兄貴分にでもなったかのような気分になって、後輩のためには出来る限りの力になってやりたいと、どこか仁義の世界のような格好を付け先輩面せんぱいづらをして見せたのです。

「ありがとうございます。今、懸命に練習していますので、お待ちしてます。きっとですよ」

 そう言って、亜麻色のストレートの髪を腰の辺りまでなびかせて去って行った後姿を、僕は暫らくぼんやりと眺めていた。薫風が、立ち尽くす僕の肩をさわやかに通り抜けた。彼女は英文学科の三年生でマンドリンクラブに所属している。

 正直言って僕はマンドリンという楽器にあまり興味を持っていなかったが、彼女の切れ長の一重瞼と、ぽってりとした赤い唇に楚々とした女性らしい風情を感じていた。それに亜麻色の長い髪も清楚な少女の面影を残しているようで、なにか危ういお嬢様育ちを思わせた。

 演奏会は東京の或る公会堂で行われた。入り口に通じる広い階段を見上げながら、マンドリン演奏会を何でこんなにでかい会場でやるんだろうか、と不思議に思った。

 観客は広い会場を埋めることはなかったが、それでも四、五百人は入っていて、学生のみならず、OBか或いは父兄の方かは知らないけれど、とにかく一般の方が結構多かった。僕は学生服姿で最前列の席に座った。開演時間と同時にどん帳が上がり、目にした舞台の光景に僕は息を呑んだ。ライトに照らされて五十人ほどの奏者が整然と椅子に掛けているではないか。しかもみんな上は白、下は黒のフォーマルな装いである。マンドリン奏者だけではないのだ。ギター奏者がかなり大勢いて、その奥にベース奏者が三人立っていた。後で聞いたところによるとマンドリンオーケストラと言うそうだ。今までマンドリンはマンドリンだけでポロポロとこぢんまり引いているイメージを思い描いていた僕は、自分の見識の無さを恥じた。

 僕は真っ先に彼女を探した。中央より左側のマンドリン奏者の前方に彼女を探し当てた。彼女は客席の遠くの方を見ている様子であったが、やがて最前列の僕を見定めると白い歯を見せて微笑んだ。僕は咄嗟に右の手のひらを、胸の前に掲げて合図を送った。落ち着きを取り戻した僕は、もうこれで帰ってもいいとさえ思った。

 程なく指揮者が現れて演奏が始まった。知らない楽曲ばかりであったが、別にかまわなかった。弦楽器だけでもこれだけ大勢揃うとかなりの迫力で、退屈している暇はなかった。 

 僕の目は指揮者の手さばきの妙と彼女の演奏の仕草とを交互に見比べていて、やがてまどろむ様な、うっとりとした時間が過ぎていった。

 演奏会が終わって僕は楽屋を訪れたが、閉ざされたドアの入り口に「女子控室」の張り紙が貼ってあったので引き返してきた。玄関わきのホールの長椅子に深々と腰を沈め、僕は煙草に火を点け深く息を吸い込んだ。目を閉じ、瞑想して今しがた終わったばかりの演奏の余韻に浸った。耳の奥に弦楽器の合奏が鳴り渡り、なかでもひと際、繊細で控え目なマンドリンの響きが、さざ波のように押し寄せてきた。彼女がマンドリンを選択した理由が分かるような気がした。

 三々五々、ホールにいた観客も絶えて静かになったころ、通路の方からひと際騒がしい声がして、演奏者たち一団が楽屋から出てきた。僕は彼女の方から気付いてもらうように玄関口付近に立って見ていた。ここで会えなければ万事休すだ。知っている者は山路さん以外にはいない。その時、一団の中からマンドリンケースを抱え、手を振って近づいてくる彼女を見つけることができた。笑顔をたたえた彼女は、上気した頬を紅潮させていて可愛らしかった。

「有難うございます。どうでしたか」

「すばらしかったよ。成功おめでとう」

 僕は、音楽のことはあまりよく分からなかったのであるが、その場を繕うように言った。

「有難うございます。何とかうまく出来たと思います」

「これから、打ち上げだろ」

「ええ、そうなんです。反省会を○○ホテルで」

「じゃ、僕はこれで帰るから。今日は、ありがとう」

 将校が敬礼するように右手を頭上にかざした僕はくびすを返して彼女たち一団から遠ざかった。他の部員からも見られているだろう背中に意識を集中して、背筋を伸ばし、肩を揺らさず兵隊さんの行進のように大股でその場から離れた。

 僕らの詩吟も音楽には違いないけれど、西洋楽器とは全く異次元の世界だ。いつしか僕の心の中に彼女への畏敬の念が沸いていた。


                (三)


 梅雨時の雨がしきりと降って、時折、風にあおられた雨しぶきが霧状になって白く煙る。登校する学生たちは傘を短めに持ち、足早に雨に霞んだ校舎へと向かっている。僕は授業がないのに一時限目より登校していて一人、部室会館の二階にある詩吟部の部室にいて、煙草を吸いながら雨降る窓の外を眺めていた。昼休みになると部室は満杯になるからだ。

 詩吟部は書道部と同室であるから尚更である。運動部は別にして、当大学の文化サークルは一部室に二つのサークルが同居している。早い者勝ちで利用するものだからお互いに仲が悪い。他の部員を疎ましく思うのは人情である。だから部室といっても単なる連絡場所としての機能しか果たせない。僕は四年生だから、後輩から「オス、オス」などと挨拶されていい気になって虚勢をはっているが、書道部員が多い時などは、後輩のその挨拶も遠慮がちになって気合が入らない。詩吟部と書道部は共に古典を学ぶ点においては同じなのであるが、やはり遣ることが違う。書道部は静的で、詩吟部はそれに比べれば動的である。だから部員の混む時間帯はなるべく避けているのだ。ところが、今日のように土砂降りの雨の日で、しかも午前中というのは、詩吟部員も書道部員も誰も来ない。僕は入り口から一番遠い、窓際の回転椅子に掛けると、天井に向かって煙草をふかした。

 そこへ日野ひのが現れた。日野はこの時間帯に僕がいることを知っているのだ。部室の入り口は病院に有るような木の引き戸である。その引き戸を日野は少しだけ開けて中を覗き込み、僕の他に誰もいないことを確かめると中に入ってきた。後ろ手に戸を閉めながら真っ直ぐに僕の方を見た。僕の目を捉えたまま近寄ってくると隣の回転椅子に掛けた。日野の目は青みがかっている。外人みたいな青い目を猫のようにキラキラと光らせて、のっけから「君は哲学科のA助教授が学外追放されたのを知っているか」と、薄い唇を尖らせて聞いてきた。

「知らない」と、僕は答えた。本当に知らなかったのだ。

 彼の話によると、哲学科のA助教授が学校の方針に従わなかったために解雇通告を受けたと言うのだ。

「学校の方針とは何だよ」

「哲学科の来年度の新入生募集を一挙に今の二倍に増員するというものらしい。A助教授に依ると、研究室も足りないし教員の数も足りないから反対したそうだ。もともと学科の主任教授とは折り合いが悪く、学部長に言いつけられて逆鱗げきりんに触れたらしい」

 彼は煙草に火を点け、白い煙を天井に向かって吐き付けるようにしながら、青い猫の目を更に吊り上げた。

「学部長の逆鱗に触れたかどうか知らないが、それはA助教授の言い分の方が正しいのではないか」

「そうだろう君もそう思うだろう。それでなくても教室に学生が溢れているというのにだ」

「それで、A助教授は今、どうしている」

「授業は休講で、自宅にいるそうだ」

「教授会は何しているんだ」

「学部長に右へならえさ」

 部室会館の二階にあるこの部室からは、いつもだと、窓の外には目の前に大講堂の白い外壁と、空の色が見えるのであるが、今日は生憎の雨である。閉め切った窓ガラスに雨が打ち付けるばかりで、部屋の中はいつしか二人の煙草で煙っていた。

 そういえば以前、この部屋にたばこ臭いと言って入って来られなかった書道部の女子部員がいたのを思い出した。煙草を吸っていなくても、元々この部屋は煙草のやにの臭いが染みついているのだ。部屋に入った途端に、むっとした臭いでそれは分かる。壁も所々剥げていたり黄色いシミがついていたりして、建物自体に大分年季が入っている。僕は回転椅子に寄りかかったまま、組んでいた脚をほどき、短くなった煙草の火をもみ消した。

「あってはならないことだ」僕は語義を強めて言った。

 日野は我が意を得たりとばかりに大きくうなずいて見せて、カバンの中から一束の原稿用紙を取り出し、僕の座っているデスクの上におもむろに置いた。

「この原稿はA助教授の復学と学内民主化を求める内容になっている。そこで、君に頼みがあるのだが、君は字がうまいからこの原稿のガリ切りを頼まれてもらえないか。印刷に掛けたいんでね」

 僕はその原稿を手に取りパラパラとめくって見た。「A助教授の人権」とか「学内民主化」などの文字が躍っていた。

 僕は一瞬、ためらった。日野は油断のならぬ相手である。何か思惑がありそうな気がして、僕は用心深く日野の目を見た。

「君は字がうまいから頼むんだ」

 青い目が更に追い打ちを掛けてきた。彼は時間を気にしていないと言わんばかりに、ジャケットのポケットからまた煙草を取り出し、口にくわえるとゆっくりと火を点けた。口をとがらせ天井に向けて白い煙を吐き出し「誰かがやらなければならない」と、独り言のように呟いた。

 不正をただすは男子の本懐。行動無き正義は無能なり。義を見てせざるは勇無きなり。僕の単純な正義感が頭をもたげた。

 日野は中国文学科で、学科は違うけれど僕と同じ四年生だ。彼は悪い奴ではない。物事を真面目に考えるたちなのだ。学業の成績も優秀で、授業料免除の特待生だと以前、誰かに聞いたことがある。サークルでは社会科学研究会(社研)の部長をしているから、およそどんな思想の持ち主であるかぐらいは察しが付いている。だが、このA助教授問題は思想の問題ではない。正義の問題なのだ。僕は日野の青い目を見ながら毅然として答えた。

「よし、いいだろう。遣ってみよう」

 日野は目を細め、満面に笑みをたたえて僕に握手を求めて来た。

「ありがとう。助かるよ」

 直ぐ後ろの窓ガラスには、打ち付けられた雨水が上から下へと如雨露じょうろで流したように絶え間なく流れ落ちていた。

 その日、僕は授業を終えると急いで家に帰り、直ぐにガリ切りを始め深夜、遅くまで掛かって仕上げた。出来上がった原紙は折り目が付かないように幅広で底の浅い専用の箱に収めて、翌日の午後、社研の部室に日野を訪ねた。社研は中南米研究会と同居している。日野は後輩たちに囲まれていた。僕の顔を見ると立ち上がって、右腕で僕の肩を抱きかかえるようにして「コーヒーを飲み行こう」と誘った。僕は、コーヒーは嫌いであったが喫茶店は好きでよく行く。校門前の銀杏並木通りを過ぎて商店街通りを少し右に入ったところに音楽喫茶がある。いつもクラッシック音楽がかかっていて、ハイボールを飲みながら煙草を吹かすのが僕の定番だ。彼はコーヒーを注文した。

 原紙の入った箱を開けると日野は目を細めて「ありがとう、ありがとう」と、二度繰り返し、歯の浮くようなお世辞を言った。

「君はいい字を書くね。ガリ切りに向いている字だ。よくやってくれた」

 そんなに感激される程でもない、大げさにと思っているところに、彼は乗り出すようにして僕の肩をポンポンと叩いて更に追い打ちを掛けてきた。

「これから印刷に掛かるのだけれど、君も一緒に手伝ってはもらえないか」

 青い目が僕の目の奥を探るように捉えた。僕は躊躇した。

 こいつの企みは何なのか。何故に僕を誘うのか。僕の懐疑心が一瞬、本能的に用心の扉を閉ざした。店内にはベートーヴェンの「田園」が静かに流れている。僕は氷の入ったハイボールグラスの炭酸の気泡を透かし眺めながら、透明感のある氷をクルクル回してはちびちび飲んだ。

 別段、断る理由も見当たらないし、何よりも僕の内にある正義感が勝った。学内の民主化はともかく、A助教授の尊厳と名誉とを回復しなければならない。少しの沈黙の後、僕は日野に心の内を見透かされまいと、敢えて無表情に彼の依頼を承諾した。自分ながら、自分のお人よし加減を疎ましく思わないわけではなかったが、乗り掛かった舟であった。

 印刷所は大学からだいぶ遠く、電車で通わなければならなかった。着いたところは小さな一軒家で、雑草が生い茂り、空き地の隅っこに建っているような古びた平屋建てであった。誰も住んでいるわけではないが賃借していると日野は言った。

 僕は肩にかけていた学生服の上着を外すと、日野の後について中に入った。部屋には先着が三人いた。三人ともジーパンを穿いていて男二人に女が一人いた。日野から紹介されたが、皆、同じ大学の学生で特にかしこまった挨拶はお互いになかった。ただ、おかっぱ頭の女子学生と目礼を交わしたとき、日野は「哲学科三年で社研のサッチャン」とだけ僕に紹介した。日野と同じ社研(社会科学研究会)の後輩だ。サッチャンはすらりと背が高く、色白の小顔で鼻筋の通った美人だった。二重瞼の大きな目をしていて、うみのような白目が澄んで、この薄汚い家には似つかわしくないと思った。彼女の挨拶は無言のまま首を十五度ばかり右に傾けただけであった。どうやら、日野の情報源はこの辺りにありそうだ。

 部屋は十二畳であったが黴臭く、部屋の真ん中の天井に鴨居が、その下の畳の上に敷居が横切っていて、元々は六畳の二間続きであったものが、真ん中の襖が取り払われているだけなのだ。片方の部屋の壁際に謄写版印刷機(ガリ版)が二台、並んで置かれていた。その他に、家具調度品などは一切なかった。ちゃぶ台すらない殺風景な空き家のような家だ。

 ガリ版(謄写版)はこの頃、学校や会社のオフィスには必ず置いてあって、昭和四十六年頃まで、つまりコピー機が出回るまではよく使われた手刷りの印刷機である。原紙(ロウ紙)をヤスリ版の上に置き、鉄筆で書いてロウを削り取る。その原紙の上からインクを含ませたローラーでこすると下に置かれた用紙に印刷されるというものである。

 僕が鉄筆で書き上げた二枚の原紙を、それぞれ二台のガリ版の木枠に貼りつけ、木枠の手前左隅にパンツのゴム紐を結ぶ。ゴム紐のもう一方を向かいの壁にヒートンを打って結びつけ、木枠がゴム紐に引っ張られて上に上がった状態にしておく。インクを含ませたローラーを木枠の向こう側から手前に引くと、パンツのゴムが伸びて木枠が下に下がる。この時に下に置いた用紙に印刷される。ローラーを持ち上げるとゴムが縮んで木枠が自動的に上に上がる仕組みだ。木枠が上がったときに下の用紙をめくるのである。このゴム方式でやると一人でしかも早くできる。思い起こせば小学生の時、担任の先生にガリ版刷りを手伝わされた事があった。わら半紙をめくる作業を遣らされたのであったが、その時はパンツのゴム紐は結ばれていなかった。

 何枚刷るというものではないが、原紙が裂けるまで続ける。大体、一枚の原紙で三百枚ぐらいは刷れる。パンツのゴム紐の効用はこの時に覚えたのである。

 その夜、僕たち五人はしこたま酒を飲んで、酔いつぶれるようにして雑魚寝した。

 翌朝、起き上がってみるとからになった一升瓶が二本と、焼酎の四合瓶が一本、黴臭い畳の隅っこに転がっていた。一升瓶の内の一本は半分、飲みかけたやつだったから、まるまる全部飲んだわけではないが、それにしてもピーナツや裂きイカぐらいのつまみで、よく飲んだものだ。

 昨夜、何を話したかよく覚えていない。僕たちは大学批判はしたけれど、お互いの個人的な思想については多くを語らなかった。思想の違い、スタンスの違いはこの運動の停滞、乃至は崩壊を意味することを本能的に嗅ぎ分けていたからである。会ったばかりで、お互いを牽制し合っていたのだ。

 飲みすぎて思い出すのも億劫であったが、昨夜、就寝してからの忌まわしい光景が、二日酔いの頭の中に幻のように浮かんでは僕を悩ませた。と言うのは、深夜、僕が誰かのいびき声で目を覚ました時、頭の後ろで何か人の気配を感じた。座布団を二つ折りにして枕にしていた僕は振り向いてみると、少し離れた台所の入り口の方で何やらぼんやりと白いものが映った。不思議に思って夜陰に目を凝らすと、それは何と女の尻であることに気づかされた。ジーパンを下げて歪んだ女の尻が上弦の月のように白く朧(おぼろ》に浮かんだ。サッチャンだ。何しているんだろうと思う暇もなく、その横に男がいることに気づいた。姿を隠すようにサッチャンに密着して動かないでいる。僕は首をもたげて台所と反対側に目をやった。いびき掻きと、もう一人はあらぬ方向をむいて寝ていたが何れも日野ではなかった。そうか、日野とサッチャンとはできていたのだ。

 僕は罪悪感を覚えながらも、聞き耳を立てた。聞こえて来るのは先ほどからのいびき声ばかりだった。僕はじっとしたままこの状況を恨んだ。起き上がっていいものか、咳払いをしていいものか、僕は日野の裏切りを恨んだ。そして昨日、ここへ来たことを後悔した。

 それにしても女の大胆さには驚かされる。僕はこのまま眠ってしまおうと目を閉じたが、大酒を飲んだ割にはなかなか眠れなくて、うとうとと夜を明かしてしまった。

 そもそも僕たちに仲間意識はなかった。日野もそうであるが殊に他の三人は昨日、会ったばかりである。同じ大学の学生が偶然居合わせたようなもので、酒を酌み交わしたものの気の許せる相手ではなかった。ただ、A助教授の解雇問題が唯一の共通した認識であり絆であった。「正義のために戦う」という自己肯定の教義に、誇りと優越感を共有していただけであった。一途に正義の実践を思い描くことで、自らの正当性を主張していたのであるが、だがしかし、この時、僕は僕の胸の奥底に得体の知れない不透明感が白濁した澱のように澱んでいたことをはっきりと自覚していたわけではなかった。

 密会していることの後ろめたさを引きずり、少しの正義と少しの懐疑とを酒の空瓶に詰め込んで、僕は帰り支度をした。日野もサッチャンも何事も無かったかのように昨夜、印刷したビラをカバンに詰め込んでいる。

 黴臭く、酒臭い体臭に汚された部屋で、昨夜、目撃した上弦の朧づきの白い残像に悩まされていた僕は一刻も早くこの部屋から出たかった。

 それから数日後、大学の校門を入って直ぐ左手、大講堂の壁際に設置されている学内掲示板に『学生諸君に告ぐ。許可なく校内においてのビラ貼り及びビラの配布を禁ずる』と告示されていた。

 僕らが今やっていることは非合法なのだ。あの粗末なぼろ家は活動家のアジトだったのだ。僕はビラ貼りもビラ撒きもやってはいない。しかし非合法運動に加担していたのは事実である。

 そう言えば先月、五月晴れのあの日、樅ノ木の下で詩吟部の練習をしていた時、大講堂の階段のところで学生たちが集会を開いていて、学生課長に怒鳴られていたのは、あれは日野たち活動家たちだったのではないのか。或る日、そのことを日野に聞いたことがあったが、日野は知らないと言っていた。たとえその場にいなくても、どこかで繋がっているに違いない。

 じめじめした湿気を学生服の下に着たワイシャツの襟元に感じながら、僕は掲示板を見上げて、あの日のアジトでの記憶を呼び戻しては、やり切れない虚しさに襲われて、晴れ間のない湿った梅雨空を一人、恨めしく仰ぎ見た。


               (四)


 教室と自宅との往復を繰り返している一般学生と違って、サークルの部員たちは部室会館にしょっちゅう出入りしていることもあって、情報交換の機会が多く、学内で起きた問題を共有するのが早い。

 A助教授の問題にしても、同じ問題意識を持ったサークルの責任者たちは直ぐに立ち上がった。その中でも、特に関心が高く、異議を唱えた有志十名のメンバーを以ってサークル委員会なる任意の団体を結成した。発起人は言わずと知れた社研の責任者をしている日野である。僕も詩吟部の責任者としてメンバーに加わった。その他に次のようなサークルの責任者が集まった。フランス文化研究会、中国文化研究会、マンドリンクラブ、落語研究会、社交ダンスクラブ、書道部、コーラス部、演劇部などである。まだまだ、他に沢山のサークルがあるのであるが、特に関心の高かった連中が集まったのだ。彼らはクラブ活動の内容とは全く関係がなく、偏に責任者の意識の問題だけであった。みんなA助教授の解雇処分について憤りを感じ、同時にまた、自分たちが使用している部室の環境についても、日頃から狭いとか汚いとかの不満を抱いていた。

 僕らサークル委員会は渋る学生会執行部の尻を叩き、学生会として教授会に対し「A助教授解雇の撤回要求書」を提出させたのである。

 A助教授はといえば、既にカリキュラムから外され、学校には出て来てはいないけれど、学校の対応には異議を唱えており、「解雇は不当で無効である。仮に辞めるにしても学生会の支援を快く受け入れる」と、毅然とした対立姿勢を示していた。

「A助教授の主張には合理的妥当性があり、解雇処分は権利の乱用に当たる。従って白紙撤回を求める」というような内容の要求書である。

 それから、何日たっても回答が来ない。その後、教授会で議論されたかどうかも不明である。面目をつぶされて、怒ったサークル委員会は学生会の名の下に学校を糾弾すべく学生集会を開くことにした。ところが、学校の許可が下りず、予定していた大講堂の使用も認められなかった。

 許可制は学生自治の侵害であり、集会や会議の開催については学生自治の観点から届け出制にすべきとの声が巻き上がり、瞬く間に学生間に広まった。そして、『A助教授解雇撤廃』と『許可制反対』のビラが校内のあちこちに貼られ、登校する学生たちにも撒かれた。

 慌てた学校職員が貼られたビラを躍起になってがして回り、そのうちに応援団や空手部までもが駆り出さる始末で、学内に一種の殺気のようなものが漂い始めた。このビラの作製については、僕は一切、関わっていなかった。幸か不幸か、僕の知らない所でレジスタンスが行われていたのだ。

 教室内においても学生同士で二派に分かれた。一つは、学校側に批判的な、いわゆる意識分子と、もう一つは、学校側に逆らわない、いわゆるノンポリ分子とである。教室内は陰湿で険悪なムードが漂い始め、教授もそれに気付きだし、学校当局も慌てだした。

 そんな中で、学生会執行部はサークル委員会に押される形で、学生集会がだめなら臨時学生総会を開くことにした。これなら、学校側といえども拒むことはできないと考えたのである。議題は勿論、A助教授問題である。

 ところが学校側は学生の臨時総会の開催について疑義を挟み込んできた。つまり、一部の過激派学生による総会の名をかりた総決起集会と見て取ったのである。またしても大講堂の使用許可を認めようとしなかった。サークル委員会の中からは団体交渉を開催すべし、との過激な発言も出されたが、当の学生会会長は全く尻込みをして、学生課長とのボス交渉の末、総会の開催は取り止めて、その代わりに学生側と学校側との代表者会議を開催することで折り合いをつけた。

 代表者会議は教室で行うこととし、学生側のメンバーは学生会執行部とサークル委員会を会わせて三十名、学校側は学部長、副学部長、学生課長とその他教職員など六名の出席を以って開催する運びとなった。

 会場のレイアウトは教台を挟んで左右に机をハの字に一脚ずつ置いて、一方に学生の代表三名と、もう一方に学部長、副学部長、学生課長の三名の椅子を用意した。あとの教職員三名と大多数の学生は授業を受ける時のように、教台を向くように座ることとした。

 ところが事態は予定通りに運ばなかった。予定の時間になって、学校側は約束通り六名の出席を見たのであるが、学生側においては肝心の学生会会長が病気を理由に、急遽、欠席してしまったのだ。この学生会会長はもともと学校側に付いていた男で、学校側に反対の態度を示せるだけの度量の持ち主ではなかった。学生課長の陰の子分で、体育会系学生の間では一目置かれ、キャンパスでは肩で風を切って歩いていた。四年生と言うこともあって、運動部のがたいのでかい連中から「オス、オス」と挨拶をされる度に顎をしゃくって粋がっている男である。学生課長に説得されたのか知らないがこの期に及んで逃げ出したのである。格好つけている割には、からっきし意気地のない男なのだ。サークル委員会の突き上げにあって渋々開催を承諾した経緯を知っている学生たちの間からは、彼を日和見主義者と罵る者が出て、教室は俄かに騒がしくなった。

 学生側の足並みが乱れ騒然とする中、急遽、同じ四年生の僕が学生会会長に代わってひな壇に立つこととなった。学生たちの顔が一斉に僕に向けられた。その最前列にワンピース姿の山路亜希子が座っていた。胸のあたりに指でVサインを送って恥ずかしそうに微笑んだ。僕は彼女に目で合図をおくり、腹をくくってマイクを手にし、会議の口火を切った。

「たった今、学生会会長が急病のため急遽、欠席するとの連絡が入りました。代わって四年生の僕が進行を遣らせていただきますが、意義ありませんか」

「意義ナーシ」の声と同時に会場からパラパラと拍手が起こった。

「では、始めさせていただきます。この代表者会議の開催趣旨につきましては、皆さんも既にご承知の通り、A助教授の懲戒解雇の問題であります。学生会といたしましては六月十五日付で教授会に対して解雇撤回の申し入れを行ったところでありますが、その後、今日にいたるまで回答がありません。そこで今日は学部長よりその解雇に至った経緯と、先の申し入れに対する回答を示していただき、お互いに意見交換をするものであります。従いまして、本日は大衆団交ではありませんので誤解の無いよう予め申し添えておきます。また、学部長に置かれましては我々学生の抱いております疑義に対しまして真摯にお答え下さいますようお願いするものであります」

 教室の後ろの方から威勢よく「意義ナーシ」の声が上がった。

「先ず、学部長より、我々は理解し難いのでありますが、A助教授が懲戒解雇処分に至った経緯を説明願います」

 学部長は額の広くなった白髪の髪を掻き分け、学生から渡されたマイクを手にして立ちあがると、少し遠くを見つめながらよく通る声で話し始めた。

「先ず初めに申しておきたいことは、我が国の大学進学率が年々、増加しているということであります。このことは産業界の高度経済成長が背景にあると申してよろしいかと思いますが、教育の機会均等の観点からして喜ばしいことだと思っております。本校におきましても毎年、学生数が増加しておりまして、来年度についてもある程度の増加を見込んでおります。ところがA助教授はこの大学の方針に対して反対され、殊に哲学科における学生の増員に対しては非協力的態度を示したのであります。大学としては甚だ遺憾でありますが、大学の方針にそぐわないのであれば辞めてもらうしかないと考えたのであります」

 教室の奥の方から「マスプロ教育はんたーい」の声が飛んだ。

 僕は進行役として学部長に質問をした。

     「学部長、A助教授が学生数の増員に反対されている理由をお聞かせください」

 学部長 「恐らく、哲学科に関していえば学生の受け入れ態勢、即ち、研究室とか教員の数の  

      問題だと理解しております」

 僕   「事実、対応できていないのですか」

 学部長 「そんなことはありません。理学部とは違いますので現状でやれるものと思って

      おります」

 僕   「研究室の意向を尊重すべきではないのですか」

 学部長 「教育や研究と経営とのバランスの問題であります」

 発言を求めて手を挙げている学生を僕は指名した。

 学生  「アカデミック・ハラスメントではないのですか」

 学部長 「そんなことはありません。不本意ながら、本校の方針に合わなければ止むを得

      ないと思っております。経営方針につきましては学校の裁量に任せてもらいたい」

 学生  「僕らは大教室でのマイクによる授業に辟易していますが、マスプロ教育について

      学部長はどのように考えておられますか」

 学部長 「個々の問題については考えなくてはいけないことだろうと思いますが、全体から見            れば、進学率の向上は教育の機会均等の観点からしてよろしいのではないかと思っております」

 学生  「大教室でマイクを使った授業も是認されますか」

 学部長 「そういう、個々の問題については検討の余地があろうかと思っています」

 学生  「そこに、この問題の本質があるのではないのですか。A助教授の指摘は技術的な

     ことばかりではなく、教育の本質的な部分を指摘されているのではないでしょうか」

 学部長 「よく承知しております」

 何を承知しているんですかー。解雇はやりすぎじゃあないですかー。野次が飛ぶ。

 学部長 「当初は、自主退職を勧告したのですが、本人の了解を得られなかったため、止む無  く、解雇となったわけです」

 学生  「撤回の意思はありませんか」

 学部長 「ありません」

 この言葉に学生たちが騒ぎ出した。「撤回しろー」「撤回しろー」教室のあちらこちらから野次と怒号が沸き上がった。

 教室内は梅雨時の高温多湿と学生たちの熱気とが相まって一段と不快指数を上げている。学部長の鼻の頭から、広い額から汗が噴き出し、憮然としてマイクを握りしめたまま立ち尽くしていたが、やがて野次と怒号が収まると話を続けた。

「これは、大学の経営上の問題であって、人事のことを含めて経営上の問題については大学に任せてもらいたい」

 またしても学生たちの狼煙が上がった。誰かが「解雇を撤回しろー」と再び叫んだ。それに続いてシュプレヒコールが起こった。

「解雇」「撤回」「解雇」「撤回」「解雇」「撤回」・・・・・・

 シュプレヒコールの合唱の中から「今から、団交に切り替えろ」と、殺気立った叫び声が教室内に響いた。その声に教室は一瞬、静まり返ったと思ったが、直ぐにまたざわめき手拍子まで始まった。「解雇」「撤回」「解雇」「撤回」・・・最早、会議ではなくなった。学部長はマイクを口元に運んだまま、顔をこわばらせ学生たちの方を向いて立ったまま動かない。

 最前列に座っていた職員が立ち上がって後ろを振り向き、先ほどの声の主を探していた。誰が言ったか僕には見えていた。その学生の横に日野が前髪を垂らし、無言でこちらを見ていたからだ。サッチャンの姿も見える。ここで、誰が言ったかは問題ではない。教室の殺気立った空気が問題なのだ。僕はみんなを制した。僕は冷静に、努めて冷静に大衆団交に入った場合のことを思い描いていた。恐らく、教室の外で待機している百名程の意識分子たちが雪崩れ込んでくるに違いない。そうなれば戦争が始まる。今、見せている学部長の誠意が水泡に帰す。僕らの純粋な正義の活動が洪水のように流される。ここで戦争の火蓋を切るわけにはいかない。僕たちの今日の目的は学部長を吊し上げることではない。飽くまでも解雇撤回について教授会に再考を促すことにある。

「静かに、静かに、みんな静かに」僕はマイクを口に付けるようにして叫んだ。教室は騒然として止まない。僕は団交の是非について敢えて学部長に聞かなかった。聞けば席を立たれるに決まっている。そうなれば意識分子がドアを固め、外にいる学生ともみあいになる。僕は早口でまくしたてた。

「今日は、教授会の決定を学部長の口から直接聞くことができた。僕らは、今一度、教授会に解雇撤回の再考を申し入れようではないかぁ」

 ウォーと喚声があがり、「異議なし」の声を受けて僕は続けた。

「今日は、冒頭に述べたように団交はしない約束である。学部長の誠意を裏切ってはいけない。僕らも誠意を示さなければいけない。今日は学生会会長が欠席したため、急遽、僕が進行役を務めさせてもらったので、僕の言うことに従ってくれ。今日はこれにて閉会とする」

 みんなは納得しなかったようだが、それでも渋々、席を立ち始めた。

「誠意は見せても何も変わっちゃいないぞ」野太い怒声が教室の天井に響いた。

 結局、学生と学校との対立の構図が明らかになっただけであった。

 最後まで教室に残っていた日野とサッチャンが僕の所へ来た。何か労いの言葉でも掛けてくれるかと思ったがそうではなかった。サッチャンの横で日野は青い目をキラつかせ僕に言った。「これで、敵味方が鮮明になったな」

 日野らしいと思った。僕は咄嗟に言い返した。

「おい、戦争でも始める気か?」

「そうだ、戦争だ。これは戦争なんだ」

 日野の答えは何時も明快であった。二人の後ろで山路亜希子が僕を見つめていた。

 四人は教室を出て、一塊になって校門を出た。日野と僕が肩を並べるようにして歩き、その後ろからサッチャンと亜希子さんが続いた。

「僕たちは今日の学部長に何を期待していたのだろうか」僕は日野に聞いてみた。日野は「何も期待してはいなかったさ。こうなることは初めから分かっていたことだ。学校が一度、決めたことを覆すことなど無いのさ」

「虚しいことを言うね。では徒労に過ぎなかったということか」

「いいや、まんざら徒労でもないさ。これからだ、これからが勝負だ」

 日野はなんでも承知しているような口ぶりで、どんな目論見があるかは知らないが、僕は今日の会議を振り返って自分の無力さを露呈したようで歯痒はがゆかった。

 駅に着いてみんな別れたが、別れ際に、亜希子さんが僕の袖を引いて「コーヒー」と言うので、喫茶店に付き合った。行きつけの音楽喫茶はステンドグラスがヨーロッパ風で気に入っている。彼女はコーヒーを僕はハイボールを注文した。

 注文を済ますと、彼女は僕を見つめながら「私にも何かお手伝いできることはないですか」と聞いてきた。見つめられたその瞳を僕は、学内紛争の同志としてではなく、一人の異性として受け入れようとしていた。その時の赤い唇は暗澹たる僕の胸中に咲く、匂い立つ一輪の真紅のバラの花であった。

「君はマンドリンを頑張ったらいいんだ。この仕事は君には向かない」

 僕はアジトでのあの忌まわしい夜を思い出していた。ワンピースを清楚に着こなすお嬢様を巻き込んではいけない。

 僕は学生服のポケットから煙草を取り出して、ハイボールの来るのを待った。今日のバック音楽はチャイコフスキーのくるみ割り人形が掛かっている。コーヒーとハイボールが運ばれ、僕は何時もの癖でグラスの中の氷をクルクル回し、氷のグラスに当たる澄んだ風鈴のような涼しげな音を確認してから、ゴクゴクと一息に半分ぐらい飲んだ。少しの心の動揺が、かすかに色づいたウイスキーと気泡のたった炭酸ガスによって俄かに解消されていくのが分かった。

「せんぱい、向かないとはどういうことですか。私をバカにしていませんか」

 唇を尖らせて僕を睨んだ。

「いや、そんなことはないんだ。君にはあまり深入りさせたくはないのさ」

 左手の指に挟んだ煙草の穂先から、一条の青白い煙が美しく立ちのぼっていくのを目で追いながら、僕は彼女の視線を感じていた。


               (五) 


 日和見主義者の学生会会長は二、三日、姿を見せなかったが、いつの間にか何の恥じらいもなくキャンパスを闊歩していた。彼は学生服を着ない。夏でも背広を着てきちっとネクタイを締めている。髪型もちゃんと整髪していて、格好かっこうだけは隙がなく決めている。きっと女子にはこういうお坊ちゃまタイプが好かれるのかも知れない。蛮からを気取る我ら詩吟部からすると、彼の腰の座らぬ日頃の言動の割には、いいかっこしいの態度が如何にも洒落臭い。相変わらず体育会系の学生服から「オス、オス」と頭を下げられていい気になっている。学校側との代表者会議で僕が代わりに司会進行をやったにも関わらず、何の挨拶もない。その後の学校側との交渉も何一つ進めようとせず、我々が「団交」などと言い出すものなら、血相を変えてわめき散らす。元々、学生会の執行部の半数は体育会系で占めていて、学校の出先機関的性格を長い間、踏襲してきた歴史がある。弱い者には強く、強いものには弱い、およそ任侠映画の悪役揃いと言っても過言ではない。つまり、学生会執行部は学校側寄りであって改革など出来ない相談なのである。この間も、サークル委員会が学生会会長に対して部室の「一部一室」要求を出したのだが、のらりくらりと受け流すばかりで学校当局に物申すことなど出来はしない。

 そんな折、月が変わって七月の晴れた暑い日である。キャンパスの噴水池の周りを十人ほどの集団が隊列を組み一塊になって行進していた。

 ザクザク、ザクザク、ザクザク、ザクザク、靴音が鳴る。スニーカーの靴底を地面にこすり付けるようにしてジグザグ行進を続けているのだ。ザクザク、ザクザク、二拍子のリズムを刻んで靴音が鳴る。隊列は二名ずつ腕を組み、その後ろに隙間なく重なり合うようにして二列縦隊に並んだ学生たちがお互いの結束を確認し合うようにして、長くて大きな芋虫のようにうねっている。隊列の先頭は女子であった。サッチャンだ。ほかにも数名の女子がいる。サッチャンの横で腕を組んでいるのは日野ではなく長髪の男だ。名前は知らない。恐らく日野の後輩だ。日野の姿はどこにも見えない。みんなTシャツにジーパン、首に手拭いを巻いて至って軽装だ。長髪君が叫んだ。「シュプレヒコール、A助教授の不当解雇を撤回せよー」「撤回せよー」後ろの隊列が復唱する。ザクザク、ザクザク、ザクザク、ザクザク、靴音がなる。

「部室を改善せよー」「部室を改善せよー」ザクザク、ザクザク、「一部一室に改善せよー」「一部一室に改善せよ―」ザクザク、ザクザク、ザクザク、ザクザク・・・・・・。

 夏の日差しを浴びて、噴水の高く噴き上げられた一筋の水が、高く上がる程に少しずつ太くなり、頂点に達したころには最高に膨れ上がって、そこから一気に落下している。

 隊列が噴水池の横を過ぎた、その時、隊列が乱れた。乱れまいとして乱れた。木刀を振りかざした何者かが集団の真正面から襲い掛かったのだ。学生服姿ではなく、白いシャツを着ていた。男は最前列の二人に襲い掛かった。長髪君は額を割られその場にしゃがみ込み、サッチャンも右腕を打たれた。隊列の後ろでは何が起きたか呆気に取られている間に暴漢は走り去っていた。あっという間の出来事であった。ほんの数秒の出来事であった。長髪君の額からは赤黒い鮮血がこめかみに滴っていた。サッチャンも打たれた腕を押さえながら、青ざめてしゃがみ込んでいた。一人が部室会館に駆け込み救急車を要請した。

 翌日、この日も晴れて暑い。昼過ぎになって、またもキャンパスでデモ行進が行われた。メンバーは昨日とほぼ同じと見られる。ただ、長髪君の姿はない。長髪君の代わりに日野が先頭に立った。長髪君は頭を五針縫って学校を休んでいるのだ。サッチャンの姿はあった。サッチャンは打撲程度で大事に至っていない。日野とスクラムを組んで登場しているその姿は不屈の女闘志だ。ただ彼らの様相が昨日とは明らかに違っていたのは、全員、頭に白いヘルメットを被り、ゲバ棒を手にしていたことだ。昨日の反省から彼らは武装したのだ。深々とヘルメットを被り、手拭いを首に巻いて暴力には一歩も引かぬ臨戦態勢に入ったのだ。

 ピッピッピッピ。ホイッスルを吹き、日野が叫んだ。「シュプレヒコール、右翼の暴力をゆるすなー」「右翼の暴力をゆるすなー」ザクザク、ザクザクと行進が続く。噴水池を巡って、腕を組み、ゲバ棒を片手に、皆一様に膝を曲げてリズムよくデモ行進が行われている。

 ピッピッピッピ、「右翼の暴力をゆるすなー」また日野が叫んだ時、隊列に向かって背広姿の学生課長と数人の職員が近づいて来た。学生課長は両手を高く上げて制止している。

「校内で何をやっておるか。だめだ、だめだ、直ぐに解散しろ」

 隊列の中から声がした。「いけませんかー」

「当たり前だ、学内でのデモや許可のない集会は禁止だ。それに何だ、その恰好は、工事現場でもあるまいし」

「きのう、木刀で襲撃されたからです。誰が襲撃したのですか。教えてくださーい」

「そんなこと知るもんか。日野、お前が指導者か」

 日野たちは緩やかに隊列を解いた。「暴力はんたーい」と、誰かが叫んでゆっくりと歩きだし、大講堂の横を過ぎて校門の外へと出た。太陽は少し西に傾きかけてはいたが炎天の下、再び隊列を組み直すと夏のアスファルトに一塊になった黒い影が斜めに映し出された。日野たちはシュプレヒコールを叫びながら銀杏並木通りを抜け、駅までの商店街を再びジグザグ行進した。その様子を道行く学生はもちろん一般の通行人も何事かと好奇な目を向け、遠巻きにして胡散臭そうに眺めている。学生課長たち職員は校門の門扉の前で立ち止まり、その様子を隊列の影が見えなくなるまで忌々いまいましげに見届けていた。

 どうしてこのような事態になったか。今のうちに彼らの芽を摘んでおかないとえらいことになる。何とか手を打たなければ、私自身の職責が問われる。学則を無視して戦いを挑んできた奴らには受けて立つしかない。目には目を歯には歯を、という言葉もある。学生課長の額に大粒の汗が噴き出し、その脳裏には頼もしい黒い集団が映っていた。

 有ろう事か、この日を境に日野は特待生の待遇を剝奪はくだつされ、授業料免除は無くなってしまった。

 そしてまた、校内にビラが貼られ、学生たちに配られた。そのビラには、A助教授の解雇白紙撤回と、先日に起こったデモ破りの暴行事件などが掲載されていた。デモ破りを指導したのは学校であると厳しく弾劾している。この情宣活動は日野とサッチャングループに違いない。僕が関わっていないからサークル委員会主導ではない。あのアジトグループによるものだ。

 僕は彼らの思想的運動とは一線を画していたためか、僕の知らない所で、レジスタンスが深く静かに進行しているのだ。

 A助教授問題から端を発した学内紛争は、届け出制の問題やサークルの部室問題を喚起しながらも解決の目途が全く立たない状況のまま、学生会も動かず、サークル委員会も次の一歩を踏み出せず、一人、影の集団だけが勢いを増してきているのだ。学校側はその影の集団を過激派と呼んだ。その過激派のドンが日野であることに僕は前から気付いていた。


               (六) 


 彼らが学内デモ行進を決行してから数日後、暴漢に襲われた後味の悪い余韻を引きずっていて、悶々としていた頃である。唐突にも日野が僕に家に遊びに来ないかと誘って来た。同じ四年生でありサークルの責任者同士と言うこともあって、ある時はアジトに誘われてビラづくりを共にしたこともある。それでも特に親しいという間柄では無かった。むしろ逆で、僕は日野の思想的な危うさを感じていたので一定の距離感を保って接していた。その日野が僕に家庭の中を見せるというのだ。今まで彼の家庭がどんなだか全く知らなかったし、また、知ろうともしなかった。元来、僕は無闇に他人のプライバシーに立ち入ることを煩わしく思っていた。まあ、誘われたのであるから彼を知るにはいい機会でもあるし、断る理由も無いので僕は承諾した。

 私鉄の某駅からかなり歩いたところ、細い道路沿いに小さな畑や空き地が点在している静かな住宅地に出た。そこに建つ平屋建ての一軒家が日野の家であった。彼は自分の家だといった。持ち家だそうだ。

 すでに夕刻になっていたけれど、西日が夏の雲を茜色に映し、空を明るくしていた。

 彼はお母さんと二人暮らしである。兄弟はいない。父親は大戦で戦死したと言っていた。母一人、子一人の母子家庭である。ちょうどそこへお母さんが仕事先から、途中で買い物をされたと見えて手提げ袋を提げて帰ってきた。日野から区役所の職員だと聞かされた。

 肩までストレートに伸ばした髪型をしていて、黒のスーツを着こなしていたお母さんは所帯じみたところがみじんも感じられない。専業主婦が当たり前のこの時代に、職業婦人然とした自立した女性という印象で、どことなく品があった。この母にしてこの子ありか。日野はやはり優秀なのだ。

 夕食にカレーライスをご馳走になった。日野と二人で居間のテーブルで食べた。それから日野の部屋に通されて、僕が真っ先に目にしたのは彼の机の上に置かれていた一冊の小冊子、ポケットサイズで赤い表紙の『毛沢東語録』であった。彼はそれを手に取るとパラパラとめくって見せた。そして、自分は共産党員で然も或る過激派組織の一員に加わっている事を僕に打ち明けたのだ。

 しかし、僕はさして驚かなかった。社研の部長ならさもありなん。日野の学生運動は筋金入りなのだと妙に納得してしまった。

 僕は兼ねてより学生運動の中に反体制運動を持ち込んではいけないと思っていた。学生運動と反体制運動とは似て非なるものなのだ。

 打ち明けられて眉ひとつ動かさない僕を見て日野は何と思っただろうか。僕が否定しなかったということは肯定したことになるのだろうか。彼は聡明な男だから僕をオルグするようなバカなことは考えていないだろう。大学批判はしても、日野に協力はしても、僕は詩吟部で、学生服族の一人であり、外見的には体制派である。そのことを彼はしっかりと胸の内に留めているはずだ。

 日野のうちで特段、何か相談を持ち掛けられたわけでもなく、学生運動の話をしたわけでもない。何を話したか少しも記憶にないのである。ただ日野の生活の一部を垣間見た。そして彼の信条を打ち明けられた。それだけであった。

 帰り、日野が駅まで送ると言う。ところが日野は来た道と違う道を歩き出した。

「俺は公安警察につけられているんだ」と言って僕を驚かせた。アスファルトの細い道を振り返っては、また振り返って歩いていた。僕は俄かに信じ難かった。戦後のレッドパージはまだ終わってはいないのか。しかし、日野は嘘や冗談を言う男ではない。アスファルトの道沿いに木の電柱が少し傾き加減に列をなしている。僕は今、過激派と肩を並べて歩いているのだ。公安警察が跡をつけているとしたら、僕も見られていることになる。背筋にうすら寒い緊張感が走った。

 駅で彼と別れた。帰りの道筋を彼はどうするつもりなのか。余計な心配をしながらも僕は彼の行動を反芻してみた。

 過激派は表立っては行動しない。時にサークル委員会の陰に隠れ、時に学生会の陰に隠れて、自分たちは地下に潜ってレジスタンスを繰り広げる。

 それが彼らの常套手段であり戦術なのだと、僕はついこの間まで思っていた。ところがだ、彼らはこの間の学内デモを皮切りに、地下に潜っていたレジスタンスを地上へと、真夏の太陽の明るみにその姿を晒した

 過激派が、即ち革命を標榜する彼らが、偶々たまたまある時期に学生運動に遭遇したものか、或いは、革命運動を成就するための手段として、一つの通過点として、通るべき必然として敢えて学生運動を引き起こしたものなのか、もし後者であるとしたら、学生運動の帰結は暗澹たるものになるに違いない。学生運動と革命運動とは、本質的には似て非なるものであるからだ。学生運動を革命運動の具にされてはかな(かなは)わない。

 いずれにしても、革命運動家が学生運動の指揮を執り、その結果としてノンポリ学生が学生運動の域を超えて、革命運動の片棒を担いでいたとしたら、そもそも学生運動そのものが自ら崩壊の芽を内在しているということにならないか。

 僕は帰りの混雑した蒸し暑い車内で、勤め帰りのサラリーマンたちの体臭を嗅ぎながら、そう言う自分もまた、駅まで歩いたせいで背中のワイシャツが汗で肌にまとわりついていて、不快な体臭を発している一人に違いないのだが、吊革に体を預けながら日野の胸中を慮っていた。彼は何故、過激派に走ったのだろうか。

 あんないいお母さんが在りながら、就職して一日も早くお母さんを楽にしてあげたいとは考えなかったのだろうか。彼は幼少のころから戦死した父親のことをアメリカに殺されたと恨んでいたのかも知れない。アメリカ帝国主義を恨む余り、その反動として社会主義があったのか。マルクス・レーニン主義に傾注していったそもそもの要因は何だったのか。

貧困か。貧困なら私も同じだ。大学まで行かせてもらってそれはないだろう。彼はいつかキュウーバの革命児チェ・ゲバラを尊敬していると話したことがある。彼が尊敬しているのは思想や主義主張ではなく行動力、つまり実践なのだ。

 電車の揺れに両足を踏ん張り吊革を握りしめながら、僕は日野のお母さんの顔を思い出していた。そして、お母さんの顔に表情がなかったことに気づかされた。好むと好まざるとに関わらず、この日本の資本主義社会に身を置き、稼いで生計を立てているお母さんにしてみれば、息子の命を懸けた社会主義革命は、同時にお母さん自身に対する反逆ではないのか。自己矛盾に先刻、気づいていたお母さんは、息子の将来を憂え、悲しんでおられるのかも知れない。そもそも、僕の預かり


               (七) 


 午後に受けた卒業論文のゼミナールを終えて、詩吟部の部室へ向かう途中、二階へ上がる踊り場で日野とバッタリ出くわした。日野は社研の部室から出てきたと見えて階段を下りて来るところだった。僕は「ヤー、このあいだはどうも」と、挨拶を交わして、すれ違おうとしたところ、日野の方から「ちょっといいか」と声を掛けてきた。そして唐突にも「君は、ナリタへ行ったことがあるか」と聞くのである。

 日野は相変わらず半袖シャツの裾をズボンから出して、洗いざらしの前髪を眉毛の上まで垂らしている。僕も変わらず学生服の上着を左肩に掛けていた。改まって後輩たちの前に立つときのために、夏でも上着を持ち歩いているのだ。

 僕は聞き返した「ナリタって、あの成田闘争のナリタか」

「そうだ、あの成田闘争のナリタだ。君はその成田へ行ったことがあるか」

「いいや、ない。一度もない」

 実際に僕は一度も行ったことはないし、また興味も無かった。

「君は成田で地元農民と共に国家権力と戦う勇気があるか」日野は更に聞いてきた。

「ない、考えてみたこともない」

「そうか、しかしなぁ、授業に出るばかりが学生ではないぞ。学内から外へ目を向けて、社会の不正に立ち向かうことも、また学生の使命であると思うんだ」

「そうかも知れんが、僕にはそんな暇がない。親から授業料を出してもらっている分際で、何で成田へ行かなければならんのか」

「行動を起こすことに価値があるからだ。正義は手をこまねいていては無力であり何の価値もない。行動すること、実践することに価値があるからだ」

 薄暗い踊り場に立って話している二人の横を、他の学生たちがすり抜けて通る。中には顔見知りの部員などがいて会釈を交わしながらも話は続けられた。もともと、日野は議論好きである。僕はせっかちに聞いてみた。

「成田闘争は正義か」

「そうだ正義だ。農民の立場に立つこと、そのことがそもそも正義だ。権力に屈しないことが正義だ」

「では聞くが、農民は何故、空港建設に反対しているのか」

「自分たちの農地を奪われるからだ。農地はただの土地とは違う。親の代から血と汗を以って荒地を開墾し、今日まで受け継いできた農民の命の結晶なのだ。それを国家権力によって強制的に立ち退かせることなど出来る筈もない。強権発動はこの民主主義の社会において許されることではない。不正は譬え国家と雖もたださなくてはいけない」

 目を吊り上げて熱く語る日野の言葉に僕はうなずいた。頷いては見たものの、しかし得も言われぬ違和感を覚えていた。理屈や理論ではないのだ。理性でもない、皮膚感覚と言うべきか、或いは動物的な勘とも言うべきか、兎に角、僕は日野の言葉に距離を置いた。それは日野の論理に屈することを恐れたのかも知れないし、自己防衛というか卑しい保身が働いた為かも知れない。いずれにしても僕にとって成田は物理的にも精神的にも遠い存在に思えた。

 そもそも成田空港拡張の是非とは何か。反対ばかりが表立っているようだが、賛成している農民もいるのではないか。もちろん国家権力による強権発動は許されるべくもないが、農民との交渉の余地は残っていないのか。詳しい事情を知らない今の僕にとって、日野の言葉をそのまま鵜?みにする分けにはいかない。僕は僕の眉間に疑念の皺を寄せた。

 日野の青い眼光が僕の目を射貫いた。

「僕らは成田の用地買収について他人事と思ってはいけない。農民の立場に立って農民の意思を尊重しなければいけない。正しいと思ったことは行動に移すことが大切である。学生と雖も、いいや、学生だからこそ行動を起こすべきなのだ」そう言い残すと日野はサッサと階段を降りて行ってしまった。

 実践主義は毛沢東か。実践と変革は同義語である。

 また、吉田松陰の教え『知識は行動を伴ってこそ完成する』とも重なる。実践の尊さ、行動することの大切さを、僕もその通りだと思う。ただ、用心しなければいけないのは、どちらにしてもこのテーゼには「当たって砕けろ」的な無謀な危険性を孕んでいるように僕には思えた。

 明日から夏休みに入る。僕は久しぶりに社研の部室を覗いてみた。日野が煙草を吹かしながらほかの部員数名と固まって談笑していた。驚いたことに、日野の頭は真っ白な包帯でグルグル巻きにされていた。

「おい、どうしたんだ。暫らく見ないと思っていたら、なんだその格好は」と、言って僕はハタと気付いた。

「成田帰りか」

「そうだ、大分遣られた」青い目が力なく笑った。

 日野は座っていた回転椅子を九十度こちらに回転させ、シャツをたくし上げて見せた脇腹には、痛々しくも青黒いあざがホットドック大に貼りついていた。

「機動隊の警棒でやられた。雑誌を腹に巻いていったのだが横からやられた。息が詰まって倒れたところ頭を蹴られた。あの分厚いどた靴の底でな。チクショウ、この借りは今度、返してやる」

 はじめは穏やかな調子で話していた日野であったが、話すうちに次第に目尻が吊り上がり、その目は怒りと憎しみに燃え、復讐の権化と化していた。ここに、イデオロギーで武装した一人の兵士がいる。

 これが成田の現実なのだ。闘争が拡大していくのが分かるような気がして、僕は背筋に悪寒を覚えた。まるで命を懸けて戦場に赴く兵士のようだ。しかし彼らは武器を持たない。無防備のまま、機動隊の為すが儘に傷つけられて帰ってきた。落ち込んでいないのがせめてもの救いではあるが、次の闘争に向けて、彼らがささやかな武装をする事を神はお許しになるに違いい。ヘルメットを被りゲバ棒を携えて、国家権力の象徴としての戦争のプロ、機動隊の前に立ちはだかる彼らの、悲しいまでのパトスを誰が非難することができようか。


               (八) 


 夏休みに入っても僕らは部活のため学校に来ていた。

 そんな或る日、日野はカバンの中から折りたたんだ新聞紙を取り出すと、僕の目の前で広げて見せた。そこに掲載されていたのは空の上で数機の戦闘機が、今まさに何十発とも何百発とも知れない爆弾を投下している、その瞬間を捉えた写真であった。それはアメリカ軍の北ベトナムに対する空爆の写真で、恐らくその戦闘機の下には北ベトナムの村や畑が広がっていて、兵士ばかりか一般市民の婦人や子供までもが巻き添えになって殺されているに違いないことが容易に想像できた。

「君はこの写真を見てどう思うか」

 新聞紙を広げながら日野が聞いてきた。

 アメリカはベトナムの内戦に介入し、今から三年五ヵ月前の昭和四十年二月七日、北ベトナムへの所謂、北爆を開始した。以来、共産党系の新聞は言うに及ばず、一般紙においても連日のように北爆のニュースを取り上げていた。因みにこの新聞は一般紙である。

「とんでもないことだ。ベトナム人を何と思っているのか」

 本当に他人事ではない。この写真は二十数年前の日本の姿だった。日本もアメリカのB29爆撃機にどれだけの市民が殺されたか。東京下町だけでも一夜にして十万人が殺された。

「そうだろう。君もそう思うだろう。ベトナムのことはベトナム人民に任せるべきであって、他国が武力介入すべきではない。今まさに、一般市民を巻き込んだ大量殺りくが行われている。だから、僕らはベトナム戦争に反対するのだ」

「そうだ、アメリカは反共主義の正義を振りかざし、お陰で代理戦争に巻き込まれたベトナム人民こそ最大の犠牲者である。主義主張は兎も角、人殺しを容認するわけにはいかない。アメリカは空爆を止めるべきだ」僕も少し興奮して言った。

「君の言う通りアメリカ帝国主義の暴挙を許してはいけない」

 日野はそう言って、成田闘争の傷がまだ癒えない包帯の巻かれた眉毛の下で、青い目を狼のように鋭く光らせた。

 この北爆を機にアメリカはもとより日本でも反戦の市民運動が起こり、大都市のあらゆる繁華街で盛んにデモ行進が行われた。学生の間でもこの市民運動に共感して、デモに加わる者が多く現れた。特に左翼系の学生は敏感に反応して、いち早く市民と合流して、その活動は我が意を得たりとばかりに勢いづいていた。

 アメリカのB52爆撃機は多数のベトナム人民を殺し、ナパーム弾は民家や畑や森林を焼き払っている。「アメリカは今すぐに北爆を止めるべきだ」市民運動は益々その広がりを見せていた。

 やがて、B52爆撃機が沖縄の米軍基地から発進されていることを知るに至り、日本もこの戦争に加担しているとの反省に起ち、沖縄の米軍基地返還運動が加速した。

「沖縄を返せ」つまり、ベトナム反戦と沖縄返還はセットになって市民運動のスローガンになった。

 僕は学生服を脱ぎ捨て反戦デモに参加することにした。日野と一緒に山手線の原宿駅に降り立つとサッチャンが待っていた。サッチャンはGパンを穿いていて目礼を交わすと「よろしく」とだけ言った。日野はいつだってGパンは穿かない。普通のズボンに大きめの綿のシャツを着ていた。僕は学生服の上着を脱いだだけの黒のズボンと白のワイシャツ姿だ。これから明治通りを渋谷方面に歩いて、また戻って代々木公園が終着だそうだ。

 僕たちの行く手の沿道には機動隊員が立ち並んでいてこちらを監視している。そんな中、四列縦隊になって歩いた。どこから集まって来たのか、次第に行列は膨れ上がり千人ぐらいにはなった。先頭の四人が『ベトナム戦争反対』の横断幕を掲げて、後列はそれに従って歩いた。所々でシュプレヒコールが沸き上がった。

 何処の団体か、どこから来たのか、みな知らない連中ばかりだ。知らない者同士が「反戦」だけを共感して繋がっている。もちろん、ヘルメットも被らないし、ゲバ棒も必要ない。善良な良識ある市民の自己表現である。その群衆の中には日野のような過激派が紛れ込んでいるのを誰も詮索する者はいないし、また、その必要もない。

 たまに隊列から横にはみ出したり、歩みが遅くなったりすると、あっという間に機動隊員が飛んできて、まるで犯罪者でも扱うように笛をピーピー鳴らしたり「間隔を開けないように前に進め」などと命令口調で大声を張り上げている。デモ行進は市民の表現の自由であって違法ではない。僕らは僕ら市民の意思を示しているのだ。その陰にどのような思想が潜んでいようと、詮索は無用である。ここに集まった千人の思いは皆それぞれであって同じではない。共通の最大公約数は『ベトナム戦争反対』だけだ。ただ時と場合によって沖縄返還、そして反米帝国主義が加わったりする。機動隊の見守る中、僕らは粛々と行進を続け、二時間かけてようやく代々木公園に到着した。

 帰りに日野とサッチャンと三人で原宿周辺の酒場を探したがデモ隊の流れでどこも満杯で入れなかった。仕方なく渋谷駅まで歩いてやっと安い居酒屋にたどり着いた。

 今まで歩いてきたデモの興奮がまだ冷めやらず、酒とモツ焼きを注文してやっと一息ついた。僕と日野が対面して、サッチャンが日野の横に座った。三人は顔の汗を拭いながらいっとき(いっときい)、夏の宵のけだるい解放感に浸った。

 僕は少しの懐疑を胸の内に隠しているけれど、日野の目はキラキラと輝いていて、絶対の確信を持っているように思えた。

「どうだった」と日野が聞いてきた。

「そうだね、面白いもんじゃなかったけれど、いい経験したよ」

 僕は胸の内を悟られまいと、あいまいに答えた。成すべきことを成した、との思いの一方で、これでいいのだろうか、との迷いも何処かにあって確信が持てているわけではなかった。

「しかし、なんで機動隊がいるのかね。交通警察じゃだめなのか」

「国家権力の見せしめさ。屈してはいけない」

 サッチャンはおでこの汗をハンカチでぬぐいながら僕の目を見て言った。

「多田さんはこういうデモによく参加されるのですか」

「いいや、今日が初めてなんだ。日野君に誘われてね」

「多田さんって、こういうのに参加するようには見えませんけれどね」

 彼女は何でも率直にものを言うようだ。

「そう、自分でも良く分からんのだ。もともと僕は制服派で、どちらかというと体育会系に見られているからね。二年生までスポーツ刈りにしていたし、現に今も剣道を遣っている」

「へー、そうなんですか。でも今回よく参加されましたね」

「僕は左翼思想家でも何でもないんだ。ただ、新聞の北爆の写真を見せられてね。あれは許せないと思った。二十数年前の日本と同じだ。それと、まったく同じことをアメリカは繰り返している。これには反対しなければいけない」

 日野が口を挟んだ「それでいいんだ。参加することに意義があるんだ。オリンピックじゃないけれどな。理論は実践から生まれるんだ」

「僕のクラスに沖縄県民がいてね、子供の頃からヤンキーゴーホームと叫んでいたそうだ。まだ沖縄の戦後は終わってないね。ところで、サッチャンは成田へ行ったことがあるかい?」僕は日野に聞かれたことと同じことを聞いてみた。

「ええ、何度も」

「何度も?何度も行っているんだ」

「そうよ、何度もね」と言って彼女は左腕の白いシャツの袖を大きく捲って見せた。

 目の覚めるような白い二の腕の肌に、青い内出血の跡が入れ墨のように浮き出ているのを見て僕は唖然として言葉を失った。そしてコップ酒に口を付けながら、ふと山路亜希子のことを思い出した。ワンピース姿で微笑んでいる愛らしい顔が現れた。彼女にはこの真似は出来ない。いいや、たとえ出来たとしても絶対にさせたくない。それにしてもこの細い腕がよくも折れなかったものだと変に感心してしまった。

「そのとき、ヘルメットは被っていたの?」

「ええ、もちろん被っていたわ、でも腕だから」

 やっぱり彼女は日野と同じ過激派なのだ。女闘士なのだ。豪いものだと僕は感心した。それにしても、僕は今日、始めて機動隊を目にしたけれど、彼らに日野やサッチャンが遣られたかと思うと、日野のよく言う国家権力と言う言葉が妙に現実味を帯びてきて、暴力では絶対に勝てない相手に立ち向かう、女闘志、サッチャンには敬意を抱かざるを得なかった。

 サッチャンはモツ焼きを食べる時、いちいち割り箸で食べる分だけ串から外していて、女らしい一面を覗かせていた。

 僕たちは冷のコップ酒を何杯かあおった。日野は鬱積したものを吐き出すかのように、饒舌に学生会執行部や大学批判をしていたが、僕は話題を変えた。

「日野君、君は、就職はどうするんだ」

「今は考えられない」

「考えられないって、しなきゃしょうがないだろう。もう夏休みに入ったし、遅くなるぞ」

「そんな個人の利益よりも、今なすべき学内問題を優先すべきだろう」日野は僕を睨んで言った。

「そんなこと言うなよ。就職のために大学に入ったとは言わんが、しかし、就職しなければ僕らの将来はないぞ。卒業してからどうする積りだ」

 僕は日野の何処か地に足の着かないニヒリズムなところに不安を覚えていた。

「サッチャンはどうするの。まだ三年生だけど」

「私、まだ決めていないけれど、どこか就職するわ」

「実は、そう言う僕も、まだ就職先を決めていないんだ」

 学内紛争とか反戦運動とかに気を取られてつい、自分のことが疎かになっていることは否めない。他人の心配をする以前に僕自身が憂鬱を抱えていたのだ。皿の上にモツ焼きの串だけがきれいに並べられた。サッチャンは酒と一緒に水を頼んでいた。僕はもう、割り切れない感情を吞みこむように、飲むほどにピッチが上がっていて、ほろ酔い加減をとっくに通り越して、頭の中まで険しく酔っていた。日野も同じで、口数も減り、その目は宙に浮いて虚ろに青く鈍い光を放っていた。

 僕ら三人は渋谷駅で解散した。日野が別れ際に僕の手を取り、酔っ払った怪しげな呂律ろれつで「頑張ろう」とだけ言って帰って行った。その言葉は、日野自身に向けられているようにも思えた。


               (九) 


 夏休みの八月初旬、サークル連合会は富士五湖のひとつである山中湖の湖畔でリーダー研修会を開催した。サークル連合会と言うのはサークルの運営母体で、サークルを統括し、サークルの予算配分やこうした合宿などの企画運営をしている。

 前に出てきたサークル委員会とは異なる。サークル委員会はサークル責任者たちの有志の集まりで、A助教授問題を解決するために結成された任意団体である。

 今回の夏季リーダー研修会はサークル連合会の主催によるもので、参加部員数は大体、百名ぐらいである。

 旅館に到着してからオリエンテーションが始まるまでの間、僕は湖畔を散策してみた。山中湖の湖面はガラスのように滑らかで、赤富士の全容を鏡のように映し出し、岸辺に寄せるさざ波は、亘る風に吹かれて一重二重となって足元の玉砂利を黒く濡らしては、また、返っていく。富士を前にして、そんな波と玉砂利の織り成す悠久の自然を、僕は時間が止まったかのように暫らく眺めていた。そこには都会での学生生活のしがらみから解放された一時いっときの平穏な安らぎがあった。

 旅館に戻り、オリエンテーションの後、各自の部屋が割り当てられた。それぞれの部屋では部員の自己紹介から始まり、リーダーの役割、学生の自治、大学の自治などについての意見交換が行われたが、研修といっても半分はレクレーション気分である。

 大広間での全体会議ではフリートーキングでみんな好き勝手な意見を述べ合った。

「部活において先輩の指導に頼るだけでなく、一人一人が主体的に考え、主体的に行動することが求められているのではないか」この主体的という言葉がこの頃、良く使われた。

「ところで、A助教授の問題はその後、どうなったのか、誰か教えてくれないか」

「教授会の決定は変わらないそうだ」

「学生会執行部は何やってんだ」

「部室の問題ですけど、一サークル一部室に出来ないでしょうか。今の状態ですと部室としての機能を果たしていません」

「その問題はもう何年も前から出ている問題で、連合会として学校側に申し入れをしてきましたが、実行される気配がありません。今はサークル委員会の方でも取り上げているみたいですけれど」

「問題は他にもある。来年度の新入生から授業料が上がるということだけれど、皆はどう思うか。僕たちに学校側から何の説明もないが、それで良いものだろうか」

 会場からパラパラと拍手が起こった。

「君の言う通り、何故、値上げをするのか学校側に説明を求めるべきだ」

「それは、サークルの問題ではなくて学生会が遣るべきことではないか」

「進学率が年々高くなっているから、教員の増員、校舎の拡張などが必要なのだと思う。大学経営のことに学生が立ち入ることは出来ないと僕は思う」

「国庫の助成金の事も考えるべきではないのか」

「そういう事は国会で言え」と、誰かが野次やじを飛ばす。

「今でも高額なのに新入生が可哀そう」

「僕らに直接、影響しないからと言って、後輩のことを考えた場合に値上げには賛成できない」

「さんせい」の掛け声と同時に何カ所から拍手が起こった。

 今まで学校側は学生の要望を何一つとして聞こうとしてこなかった。学生の知らない所で学生にとって不利益な条件がどんどん推し進められているのではないか。学校側に対する不信感が、或いは失望感が部員たち個々に抱いている心の闇の中に、それは確かに芽生えていた。

 結論を求める会議ではないので意見集約されることなく、尻切れトンボのようにして終わった。

 夕食後、大広間で余興が始まった。

 最初に楽器と譜面台を持って登場したのがマンドリンクラブの三人だ。ざわめきを遮るかのように大広間に拍手が起こり、そして直ぐに静寂が訪れた。マンドリンとマドラーが女子でそのうちのマンドリンが山路亜希子だ。ギターは男子であるが僕の知らない顔だ。

 日本調子の「さくらさくら」からはじまり「禁じられた遊び」で拍手がおこり、いくつかの曲が演奏され、エンディングに「帰れソレントへ」と続いてまたまた拍手が沸いた。

 彼らが退場すると客席の中から、ショドーブ、ショドーブの掛け声に煽られて登場してきたのが書道部の女子だ。「いろはのいの字はどう書くの」学生たちの掛け声に合わせ、後ろを向いて、“尻文字”を書くのだが、恥ずかしそうにもじもじと尻を動かす品のない遊びだ。これは芸でも何でもない。

 次に登場したのが詩吟部の僕だ。

 紋付き袴に白鉢巻を締めて、右手には抜き身の日本刀を引っ提げ、カセットテープから流れる音楽に合わせて颯爽と登場した僕は、剣舞「白虎隊」を舞った。これにはみんなシーンとして咳払い一つせずに見てくれた。最後の「花も会津の白虎隊」のところで、鶴ヶ城を仰ぎ自決して倒れるシーンでは拍手喝采を浴びた。

 余興はこれで終わる予定だった。ところが、予期せぬ飛び入りが入った。

 登場してきたのが社研の長髪君である。いつもの彼の癖で、右手の拳を高くつきあげながら舞台に上がってきた。

 肩まで伸ばした長髪を無造作に手で掻き上げて、彼は何かを訴え始めた。

「さっきの全体会議でも話が出たように、来年度からの学費値上げについて、みんな真剣に考えてもらいたい」

「オーイ、やめろ、やめろ。ここでやる問題ではない」後ろの方から誰かの声がする。

「僕らは、学費値上げに反対し、大学側に対し抗議していかなければならない。サークル連合会が主体的に働きかけることによって、学生会の後押しをして全学的な意見集約を図ろうではないか」

「意義ナーシ」の声が上がるが、一方でその声も喧騒の内に掻き消され「下りろ、下りろ」の声に変わった。長髪君は自分が歓迎されていないことを悟ったのか、また、右の拳を高く掲げながら駈けるようにして舞台を降りた。

 せっかくの余興もこの乱入のためにみんな興醒めしてしまい、後味の悪さを引きずってしまった。社研の奴らは何を考えているんだ。こんな場所でアジテーションする積りか、と不快に思った部員も多かったのではないか。

 しかし、長髪君の提起した学費値上げ問題は、後々になって学生にとっても、また、学校側にとっても抜き差しならぬ事態に発展する要因となってしまうのである。


               (十) 


 夏休み明けの九月初め、僕ら百名程の学生たちは大講堂入り口の階段の下に集結した。

階段の下には手作りの立て看板が二枚並べられている。サークル委員会並びにサークル連合会を中心とした有志の集まりで、夏休みに帰省していた地方出身者も多くいる。お互いに電話で連絡を取り合っていたのだ。ただ、学生会の執行部員は誰一人としてその姿を見せていない。

 昨日降った雨が校庭を濡らし、躑躅つつじの植え込みや歩道やベンチや大講堂の広い階段までもが乾かずに濡れたままだ。今朝早くに雨は止んでいて、曇天ではあるが蒸し暑い。これから一時限目が始まろうとする時間帯で、学生たちが続々と校門を通過し、各々の教室へ向かうところである。登校して来た学生たちは何事が起きたかと、この不審な集団に目を向けて振り返り、振り返りして通る。立ち止まって、遠巻きに見ている者もいれば、立看に近づいて繁々と眺めている者もいる。我々の方を指さしながら立ち話をしている者もいて、キャンパスに不穏なムードが漂った。

 立看は日野たち社研グループが、夏休みに部室に籠って密かに製作したものだ。赤く塗られたベニヤ板の上に「A助教授不当解雇撤回」「一サークル一部室の獲得」「学費値上げ反対」などの文字が太く真っ白な色で躍っていた。その字形は見かけない書体で、誰かが「ゲバ字」と言っていたが、四角張った太い線で、如何にも闘争を掻き立てるような風情がある。

 日野はヘルメットを被り、立看の前に立ってハンドマイクを握った。

「今日のぉ~この抗議集会にぃ~賛同して集まってくれたぁ~多くのぉ~学生諸君にぃ~連帯の挨拶をいたします・・・」

 誰かが「意義なーし」の声を掛ける。

「僕たちわぁ~当局のぉ~如何なる弾圧に対してもぉ~、またぁ~、右翼学生のぉ~如何なる暴力に対してもぉ~屈することなくぅ~不屈の精神を以ってぇ~闘わなければいけない~・・・」

 僕は日野の言葉に呼応するかのように「オー」と雄叫びを上げた。

「この看板に掲げた通りぃ~学校当局のぉ~不当な弾圧に抗議しぃ~僕たちの要求を~貫徹しなければならない」

 次に日野の後輩、子分と言ってもいいのかも知れない長髪君が、彼もまたヘルメットを着けてマイクを握った。

「僕らは今ぁ~、この学内で起きている諸問題についてぇ~、一つ一つ解決していこうではないか・・・」

「意義ナーシ」の声が掛かる。

「それはぁ~、第一にぃ~A教授の不当解雇撤回でありぃ~、第二にぃ~サークル活動におけるぅ~部室の問題でありぃ~、第三にぃ~学費値上げの問題である。これらの問題解決のためにぃ~僕らは一致団結してぇ~抗議集会を重ねて~いかなければならない~。」

 と、その時である。またもや暴徒が乱入してきたのだ。

 五、六人の暴徒は皆、黒ズボンに白の半袖シャツ姿だ。どう見ても体育会系の学生のようである。みな手にした木刀を振りかざして、集団に襲い掛かり、或いは立て看板を破壊し、狂人のように木刀を振り回した。この時、武器も持たずヘルメットも被っていない無防備な学生たちが大勢いた。彼らの中には手にしていたカバンなどで防御を試みる者もいたが、いいように殴打されるだけで、四方に散って逃げ惑う学生たちの悲鳴と怒号が晩夏の曇天に木霊した。

 倒れた学友を助けようとして腰をかがめた僕はヘルメットを被っていなかった。嫌な予感がして横を振り向いたところ、地面の上に白いスニーカーと黒のズボンが迫って来た。僕は咄嗟に頭を下げたところ、木刀が飛んできて僕の右肩を殴打した。僕はガクッと右ひざを落とし、しまったと、思ったその時である、ピーッピーッと笛が鳴った。暴漢たちはその笛を合図に瞬く間にどこかへ消え去っていってしまった。この笛を誰が吹いたのか、その所在は今もって不明のままである。

 この事件の一部始終を学生課の窓越しからジッと見守っていた男がいた。学生課長である。彼は自分が指導した右翼学生たちの働きを自分の目で見届けていたのである。同時に頭の中では、まるで自分の犯した罪の意識を拭い去るかのように、自らの正当性を擁護していた。

「これもやむを得ん。過激派よ、思い知ったか。俺の言うことを聞かないからこういうことになるんだ。お前らが学則違反を繰り返せば繰り返すほど、今度は俺の首が危くなるんだ。これに懲りてもう集会などやるんじゃないぞ」

 彼は学生たちが木刀で頭を叩き割られている光景をまばたきひとつせずに冷酷に見つめ、逃げ惑う学生たちの様子を窓越しからつぶさに観察していた。

「違法集会は学校にとっては一種の暴力だ。暴力には暴力を以ってして何が悪いか」

 学生課長は教育の現場にいる人間とは凡そ思えない、獲物を狙うトラやライオンのような野獣の眼差しを僕らに向けていたのだ。更に自己弁明の論理が続く。

「私は彼らに木刀を持てとは言っていないし、ましてや暴力を勧めたことなど一度もない。ただ、学則に違反している過激派を糺さなければならんことを、彼らに教えただけだ。彼らは体力も有り、優秀な学生であるから私の気持ちを忖度そんたくしての行動であって、学校が関与しての暴力沙汰ではないのである。元来、国家が左翼思想を否定しているのであるから、学校がこれを否定することは自然のことである。過激派は過激派で正しいことを遣っている積りだろうが、我々こそが国家が保証する正義なのである」

 いつの間にかキャンパスには野次馬が集まり、最初の集団より何倍もの数の集団に膨れ上がった。直ぐに救急車が呼ばれ五人の学友が病院へ搬送された。

 救急車が去った後も、興奮冷めやらぬキャンパスは、しばらくの間騒然としていたが、やがて水が引くように学生の数も疎らになって、中には絶望の余り授業を受けずに帰ってしまった学生まで出た。

 病院に搬送された五人のうち二人が重傷を負っていた。一人は、社会学科の三年生であばら骨の骨折及び内臓破裂の重傷で、緊急手術が行われ一命は取り留めたものの、全治三か月と診断された。もう一人は、哲学科の四年生で頭部数か所の裂傷で十五針を縫う大怪我を負いこれまた全治二か月の重傷であった。

 教室に移っても、みな恐怖に青ざめて授業どころではなくなった。中には授業の代わりに討論会が開催されたクラスもあった。

 破壊された立看が片付けられて、皆が去った後の雨上がりの濡れた路面には、痛々しくも赤黒い血痕が絵具を流したようにひと際、鈍く光沢を放っていて、恨みの証としてその痕跡を留めていた。

 学生が学生を襲う。何故なのだ。昨日まで試合があればグランドで声援を送ってきたのは僕たちではないか。武道館で試合があれば行って応援してきたのは僕たちではないか。スポーツマンが何故、暴徒と化すか。そこには一概に、体育会系としてはくくれない、体育会系に右翼暴力団が混じっているに違いなかった。だとしたら、一体、誰が動かしているのか。

 僕たちは警察に被害届を出したが捜査は曖昧のままで終わってしまった。学校側が捜査に協力しなかったに違いない。学生たちの不信感が募るばかりだった。学校が何処か尋常ではない、みんながそう思った。


               (十一) 


 翌日の昼休み、キャンパスに千名の学生が集結した。

 昨日きのうの暴行騒ぎで一般の学生たちも黙ってはいられなくなったのだ。今までは、学科クラス内で話し合いが持たれたり、情報交換が成されてはいたものの、具体的に行動を起こすまでには至っていなかった。ところが、昨日の暴行事件の詳細が学生間に電光石火のごとく伝わって問題意識が相当に高まっていた。特に病院送りにされた社会学科や哲学科のクラスでは重たい空気が澱んでいた。

 昼休みの時間になって教室から学生たちが続々と出てきた。

血痕の残った路面を確認しながら初めは十人程度であったのが、五十人になり、百人になり三百人にと、どんどん膨れ上がって、とうとう千人近い学生が、男子女子を問わずキャンパスを埋め尽くした。その集団の話し声は校舎などに反響して、竹林に群生する雀のさえずりのように辺りを賑わしていた。

 僕たち主要なメンバーを除けば、みな自然発生的に集まって出来た集団で、おのずと学校に対する抗議集会の意味合いを醸成していた。

 僕らは昨日の轍を踏むまいと、ヘルメットと角材軍団の数を更に増やした。そのヘルメット軍を取り巻くようにして応援の男子学生はもとより女子学生までもが駆けつけてくれたのである。集まった学生たちを危険にさらすことは出来ないと思った僕たちは、集団の外回りの要所、要所に角材を持った見張り役を立てた。

 女闘志、ヘルメット姿のサッチャンがハンドマイクを手にして大講堂の階段を五段ぐらい上がってみんなの方を振り向いた。

「ここに集まられたぁ~多くのみなさん。昨日さくじつわぁ~右翼暴力学生によるぅ~破廉恥な暴力事件によってぇ~多くのぉ~負傷者を出し、殊にぃ~二名の学友わぁ~重傷で入院しました。そのあたりに血痕が残っています。学内においてぇ~このような暴挙を許して良いものでしょうか。私たちわぁ~学校当局の不当な扱いについてぇ~抗議していかなければなりません。私たちの手でぇ~学内の暴力に抗議しぃ~民主化を勝ち取りましょう」

 集団が波のように畝ってウォ―と地鳴りのような響き声を上げた。次に日野がマイクを握った。

「学生会執行部わぁ~学校側の手先となってぇ~僕たちのぉ~抱えている問題を何一つとして解決しようとしないばかりかぁ~このような事態を見てみぬ振りを決め込んでいる。従ってぇ~僕たちは今の学生会執行部を見限りぃ~ここに新たに闘争委員会を結成したいと思う」

 集団はまたウォ―と雄叫びをあげ、拍手の波が風にたなびく稲穂のようにうねった。

「ありがとう。闘争委員会の代表をぉ~詩吟部部長でぇ~国文学科四年生のぉ~多田昭平君にお願いしたいと思う」

 その途端に、また、千人もの群衆の雄叫びと拍手の波がゆれた。

 僕はヘルメットを被り日野の横で聞いていた。

 学校側との対決姿勢が鮮明になった今、次に起こるであろう暴力事件を想定するとき、身震いするほどの恐怖に鳥肌が立ってくる。今まで、サークル委員会並びにサークル連合会のリーダー的役割を担ってきた僕が、闘争委員会の代表になるのが順当なのかもしれない。辺りを見回しても他に適任者は見当たらない。大体、日野は表に立たない男だ。公安に目を付けられている男の用心深さと彼の戦術は黒子に徹することだ。僕は日野に踊らされている。ずっと前からそれは分っていた。日野と付き合い始めたころからそれは分っていた。僕は彼の戦術に乗った振りをしていればいいのだ。いつの日か決別の時が来る。

 全員の拍手で迎えられた僕は日野からハンドマイクを受け取った。

「諸君。これで闘いの火蓋は切られた。好むと好まざるとにかかわらず、君たちと共に今ここに戦うことを宣言する」

 ウォーと歓声が沸き上がった。その時、集団の後ろに見える樅ノ木のこずえから一羽のカラスが音もなく飛び立つのが目に入った。一方、学生課長は数人の職員を伴い、大講堂の陰に身を隠すようにして、為す術もなく腕組みをしたまま、この光景に見入っていた。

「諸君。この闘いはイデオロギー闘争ではない。卑劣な暴力に屈しない正義の闘いなのだ。昨日、入院した二人の学友の弔い合戦でもあるのだ。そして僕たち闘争委員会は三つのスローガンを掲げる。一つにA助教授不当解雇撤回、二つに文化サークルにおける一サークル一部室の獲得、三つに学費値上げ反対である」

 喚声の嵐の中で、僕は両手をかざししてみんなの声援に答えた。反逆の狼煙は既に上がった。もう後戻りはできない。


               (十二) 


 それからというもの、大講堂の階段の下には、雨の日も風の日も、残暑厳しい日照りの日も、毎日のように学生が集結した。少ない時でも三十人ぐらい、多い時は百人を超える学生が集まるようになっていた。もちろん女子学生もいる。みんな、あの時の路面に残された血痕を怒りと無念の象徴として見つめ、今は薄く変色しているにもかかわらず、その箇所だけは踏みつけないようにしていた。集団の中には暴力学生や右翼暴力団の襲撃に備えてヘルメットを被り角材を用意してくる者などが現われ、次第に武装学生の数も膨れ上がり、あたかも決起集会の様相を呈してきた。特段、闘争委員会から呼びかけたわけでもないのに、学生たちの共感が自然と集団を形成させたのである。それは暴力に対する怒りの発露であり、学校側に対する不信感と懐疑心とが芽生えたことの証左でもあった。

 僕は闘争委員会の代表として「やー、お疲れ、お疲れ」などと激励に回りながら、くれぐれも暴力集団には注意をするようにと喚起を怠らなかった。

 ヘルメットの数も日に日に増えて、護身用の武器を隠し持つようになった。角材ばかりではない、或る学生は杖術用のじょうとか、ある学生はヌンチャクとか、またある学生は鉄パイプとか、そして剣道の防具である胴を巻いてくる学生まで現れるようになった。聞いてみると高校時代に古武道を遣っていたとか、空手四段がいたり、柔道三段がいたりと、数ある学生の中にはいろんな得意技を身に付けている者が居ることが分かった。スポーツや武道はなにも運動部ばかりのものではない。運動部に所属していなくても、学校にはいろんな猛者もさがいるもので、頼もしい限りだ。

 そういう僕も実は剣道二段で、町道場で今も稽古を続けている現役だ。僕のカバンの中には緊急時に備えて短い木剣を忍ばせてある。使わずにいられることを願うばかりだが、代表になってからは何度も危ない目に遭っている。

 この間も学校からの帰り道、駅に向かっていたところ、後ろから追いついてきた黒服が先回りして僕の行く手を遮った。この黒服は応援団の三年生で団長の腹心である。僕のよく知っている男だ。僕の顔を見るなり足を肩幅に開いて直立不動の姿勢を取ると「オッス」と勢いよく声を発してから腰をくの字に折り、血走った上目遣いで生意気にも上級生の僕を威嚇した。

「何だお前か、俺に何か用か」

 咄嗟に僕は先輩モードに切り替え、ヤクザっぽく眼付けしてくる相手の目を見据えた。気配を感じて振り向くと五、六人の団員が一様に腕を後ろに組んで、僕を取り巻くようにして直立していた。全員一、二年生だ。学生服が新しく見慣れない顔ぶれだから直ぐ分かる。

 この中堅リーダーは顎を引いた不動の姿勢をとりながらも、四年生の僕に食って掛かった。

「オッス、先輩、先輩は学校に喧嘩を売るつもりですか」

 気合の入ったこの団員は、鼻筋高く色よく日焼けした顔、その鼻の下に口髭を蓄え、切れ長の一重瞼に五分刈りの頭、どこをとっても先鋭的で精悍な面構えを見せている。僕は以前からこの男を来年の団長候補と見ていた。

 僕は彼の目を離さず、肩の力を抜いてさり気なくバッグの留め金を外した。

「喧嘩を売ってんのはどっちだ。俺たちがいつ手を出したか」

「何で学校に盾突たてつくんですか」

「何でだと。おい、学校をよくするために決まっとるだろう。ただすべきところは糺さねばならん。それはお前らも同じだろう」

 彼ら応援団は、スポーツ競技の応援団であることはその通りなのだが、同時に学校当局の応援団にもなっているのだ。母校のためなら命も捨てる。日野に言わせると学校の飼い犬ということになる。

 僕は三年生の時から詩吟部の部長をしていたので、今の応援団長とはその頃からの顔見知りである。当時は同じ学年と言うこともあって、二人で何回か駅前の焼きとり屋で飲んだこともある。団長と言っても恐れるに足りない。酒飲んで喧嘩の話ばかりする奴で、右翼団体とは何処かで繋がっていると思っていた方がよい。

「先輩、あまり遣りすぎないようにしてください。俺たちも止められなくなります」

「分かっとる。学校の出方しだいだ」

「オッス」と言って彼はまた腰をくの字に曲げた。同時に後ろの黒服もそれに呼応して「オッス、オッス」と気合を入れた。

 僕は先輩の貫録を見せつけるために、軍隊の将校がするように黙したまま、挙手の答礼を以って返した。

 大事に至らなかったのは、僕が彼ら応援団と同じ黒服族であったからである。夏でも学生服を放さない同族なのだ。つまり制服組なのである。左翼からすれば最も嫌う体制側の匂いがするのである。それに僕が四年生であったことも事件にならなかった理由である。応援団には昔から四年生を「神」として奉る、嘘のような温かい伝統がある。

 また或る日のこと、大講堂の階段の下で、多くの同志たちと座り込みをしていた時である。空手部やアメリカンフットボール部などの先鋭部隊が僕を取り巻いて挑発してきた。

 中には僕の知っている学生も二人、交じっていた。僕たち学友の多くはGパン姿が多い中で、学生服姿の僕は異色な存在に見られ、運動部と見間違えられることもしばしばであった。だから僕は外見からすると左翼から狙われても右翼から狙われる筋合いはないのである。血走って僕を挑発してきた彼ら運動部と外見的には同類なのである。

 彼らは僕の学生服姿に戸惑いの色を見せながらも、でかい図体ずうたいを体当たりせんばかりに擦り寄せて挑発してくる。そもそも彼らは、僕ら『要注意人物』の行動を封じ込めるように当局より指令を受けていて、その任に当たっているだけなのだ。

 ではそのリストはどこから出ているのかと言うと学生課とか学科の研究室あたりから出ているのだ。僕も何度か指導教授の注意を受けたことがある。

「君もあまり余計なことを考えずに、自分の将来のことを考えたまえ」

「俺に心配かけて寿命を縮めるようなことはしてくれるなよ」

 ごもっともだと思うが、僕は教授に反抗する積りは毛頭ないから、大人しく頭を下げた。教授も雇用されている身、人知れずプレッシャーを感じているようであったが、僕の言い分も聞こうとせず、やはり誠意の無い対応には失望させられた。

 彼ら運動部は学生服姿の四年生に迂闊には手を出さない。日常的に階級的世界に身を置いているから、規律というものをわきまえているのだ。

 僕は上級生の威厳を以って言ってやった。

「おい、この血痕を見ろ。遣られた学生は今も入院しているんだぞ。お前らが遣ったのではないのか」

 最前列にいた顔見知りの二年生は、顔を真っ赤にして否定した。

 そんなわけでこの時も大事には至らなかった。僕らが恐れているのはこれら運動部の連中ではないのだ。僕らが脅威に感じているのは、彼らに隠れて襲撃してくる暴力団の存在なのだ。右翼だか何だか知らないが、とにかく金で買われた暴力団が当面の我が方の敵となったのである。

 暴力だけを目的とした連中が大学に出入りしている。そのこと自体が重大な問題なのだ。大学の秩序を彼らに売り渡した奴が何処かに居るとしたら、それは大学自治の危機を大学自らが招いていることに他ならない。

 言ってみれば、警察機動隊も同じである。時と場合によっては国に買われた暴力団と化すことも在りうることを、一方で僕らは考えておく必要がある。成田闘争における日野の頭の包帯と脇腹の内出血のあと、サッチャンの左腕などを思い出してみると、あながち見当違いではあるまいと思う。

 そのころ日野とサッチャンはぼろ家のアジトにこもって宣活動に励んでいた。

 僕はあのアジトにはあれ以来一度も行っていない。不思議と日野も誘ってこないのだ。もともと僕は人に隠れてこそこそすることが嫌いなたちで、たとえそれが学則に反することであろうとも、世間を憚らずに堂々としていたいのだ。日野はそんな僕の気質を見抜いていたのだ。僕も日野の遣ることについては何も言わない。日野には日野の考えがあってのことだと思うから、僕がとやかく口出しはしない。お互いに正義のために戦っているのだ。

 しかし、そうは言っても僕と日野とでは『正義感』についての感受性が根本的に違う。

 彼の究極の正義は資本主義社会の革命的打倒にある。そこに議会制民主主義の入る余地はない。何といっても暴力革命なのである。彼は毛沢東の信奉者なのだ。彼は彼自身、毛沢東のイデオロギーに共感していると思っているようであるが、僕から言わせれば実はそうではなくて、彼は彼自身の中で神格化している毛沢東の信者になっているのだ。つまり彼は教祖、毛沢東その人を、イデオロギーを超越した神と崇めた。信ずるものは強い「機動隊といえども我ゆかん」である。彼の懐にはいつも毛沢東語録が経文のように収められている。

 僕の正義はそうではない。僕の正義は善悪による正義だ。哲学的、道徳的、社会的な価値、その善を正義と呼ぶ。絶対的正義はこの世になく広義の社会的正義としてとらえている。正義感の視点から見れば資本主義社会を肯定することも、また否定することもない。つまり、資本主義社会は善悪の規範を以っては語り得ない、正義でもなければ悪でもないのだ。ここのところが日野とは違っていて、彼との一線を画す所以ゆえんだ。僕は今、大学紛争で彼と手を組んでいるが、根底のところで引かれた一線をいつまでもピンと張って、緩まないように冷静に見守っていなければならなかった。

 学内にビラが貼られ、ビラが撒かれた。実に巧妙な手口で行われ、彼らが職員に咎められたり、暴力を受けたりしたことはないのだ。ビラは学生の目に触れ、そして読まれた。職員がそのたびに慌てて剥がしにかかる。そして一部の運動部が駆り出されるのだ。情宣活動のテクニックは日野の右に出る者はいない。ビラの内容は、民主化とか体制とか右翼暴力団などの当局批判の文字がやたらと使われている。その印刷された文字がまた、実に堂に入って手慣れたものである。こんなに堂々とした字を書けるのは日野しかいない。僕の書く明朝体の優しい字と違って、まさしく情宣用の字だ。升目全体を大きく使った四角張った字で、いわゆるゲバ字という書体だ。紙面全体に闘争心むき出しで、誰が見ても過激派の仕業と見抜かれてしまう。黒子に徹していた彼も、学内デモ以来、既に表舞台の扉を開けていたのである。


               (十三) 


 部室で僕たち詩吟部は十月に迫った学部際で開催する詩吟大会の打ち合わせをしていた。

 そこへ一年生部員が入ってきて、外に山路さんという女子が来ていると僕に告げた。部室に部外者を入れることは無かったので、僕は廊下へ出た。突き当りの窓明かりの下で彼女は白いワンピース姿にショルダーバッグを肩から吊るし、マンドリンケースを両手に下げて立っていた。

「やあー、こんな遅い時間までいるのかい」

「えー、いま練習を終えたところなんですが、詩吟部の窓が明るかったので、ちょっと寄ってみたんです」

 午後五時を過ぎた夕暮れ時だ。彼女の所属するマンドリンクラブの部室はこの下の一階にあるのだが、狭い部室では演奏の練習はやらない。空いた教室を借りてやっているのだ。

「詩吟部も学部祭の準備で忙しいでしょ。それに闘争委員会のこともあるし」

「そうなんだ、ここのところ帰りはいつも遅い」

「噂で聞いたんですが、今度、学校との大衆団交があるんですって」

「そう近いうちにね、その前に学生会を何とかしなくてはいけない。執行部を封じ込めないと」

「先輩、私に何かできることはありませんか」

 彼女は以前と同じようなことを言ってきた。

 彼女が集会に集まったりしているのを僕は知っていたが、それだけで十分であった。亜希子さんにサッチャンと同じ真似はさせられない。ワンピース姿のお嬢様には無理があると、僕は自分で勝手に決め付けているのだ。どだい僕の周辺は危険が多い。彼女を危険な目に合わせるわけにはいかない。一緒にいるところを襲われでもしたら、守ることなどとても出来ない。僕は暫らく沈黙した。

 彼女は近づいて、黙っている僕の目の奥を離さずに見つめた。彼女の瞬きもしない瞳の小さな黒い点の周囲を煌めいて囲うようにして、放射線状に広がる褐色の文様が明るくきらめいていた。

 音もなく、風もなく、香りもない、全ての外界が僕の中から消え去って、一人、彼女の目の中にある丸くて透明な褐色の文様を、左右交互に見比べていた。その二つの文様は僕を捉えて左右に動いた。僕はどこか宇宙の果てと思われる神秘の世界に引き込まれていくように我を忘れた。僕の心拍だけが確かな時を刻んでいる。

 僕は彼女の下げていた両方の二の腕を柔らかくつかみ、ゆっくりと顔を近づけた。息ずかいを感じたのだろうか彼女は静かに目を閉じた。彼女の濡れたような唇に、自分の唇をかすかに触れてみた。亜麻色の髪の匂いがして僕は我に返った。生ぬるい恋慕の情に首までつかり、一瞬と雖も闘争心を忘却させた悪魔の誘惑に僕はたじろいだ。

 彼女を『要注意人物』のリストに載せるわけにはいかない。彼女を少しでも危険から遠ざけるために、僕はただ黙っているほかなく、黙っていることが彼女への答えであった。

 その翌日、僕らは闘争委員会の活動を開始した。

 キャンパスに座り込んでいた千人もの集団が立ち上がったのだ。ヘルメットと角材で武装した戦闘部隊を先頭に立て、その後ろに四列縦隊の隊列を組んだ。僕は先頭をいく戦闘部隊に加わり、日野とサッチャンは後列のデモ隊に入った。包帯を巻いた長髪君も参加していたし、亜希子さんの姿もあった。彼女は長い髪を束ねてGパンを穿いていた。みなヘルメットを着用していた。

 戦闘部隊の後ろで、デモ隊は腕を組みジグザグ行進を始めた。運動会のムカデ競争のように直ぐにリズムを掴んだ。何組かのムカデの塊ができて、その後に何百名とも知れない学友がぞろぞろと続いた。

 先頭集団の誰かがホイッスルを吹きシュプレヒコールを叫んだ。

 ピッピッピッピ、ピッピッピッピ「A助教授解雇はんたーい」後ろの隊列が「A助教授解雇はんたーい」と復唱する。

 ピッピッピッピ、ピッピッピッピ「部室を増やせ―」また後ろの隊列が「部室を増やせ―」と復唱する。

「学費値上げはんたーい」「学費値上げはんたーい」ピッピッピッピと笛を鳴らし、ジグザグ、ジグザグ、ジグザグ、ジグザグ、靴音を鳴らし、リズムを刻んでシュプレヒコールの波が続く。

 デモ隊は巨大な怪獣のように、うねり、うねりながら中庭を埋め尽くし、その熱気は残暑の熱と溶け合って更に興奮の渦を巻き起こした。噴水の落ちる水音も聞こえず、ここE大学文学部のキャンパスはあたかも戦場と化したのである。

 デモ隊も然り、それを遠巻きにしてみている学生諸君も然り、何故このような事態に陥ったのか、学校中がこの光景に忘我のやるせない悲しみを共有していた。学生不在の学校経営に一矢を報い、反省を求めなければ我が大学に歴史的な汚点を残す。今、立ち上がらなくてどうするか。少しの懐疑と多くの使命感をもって、僕たちは立ち上がった。

 ジグザグ、ジグザグ靴音を鳴らし、ピッピッピッピ、笛を鳴らして僕らの闘いが始まったのだ。

 やがて、ハンドマイクから聞き慣れた声が聞こえて来た。学生課長だ。学生課長がハンドマイクを手にして僕たちを制止しているのだ。僕らは誰も聞かなかった。勝手に言わせておけ。山は動いたのだ。最早、手遅れである。こうなっては誰も手を付けられない。

 こんな状況であるから授業どころではなくなった。教室はガランとし、教授も浮かぬ顔で講義に入れない。学生たちを制止してみるが、嵐に傘を突き出すようなもので何の役にも立たなかった。

 しかし一方で、この事態を苦々しく思っている学生も大勢いる。一刻も早く授業再開に戻せと願っている学生も多い。闘争委員会に賛同はしても授業を妨害する権利はないと思っている。特に、四年生にとっては卒論もあるし、就職もある。あと数か月の事で将来を棒に振ることは出来ない。それは僕らも同じなのだ。世の中には止むに止まれぬということもある。自己犠牲を美徳と考える学生もいるのだ。

 最早、授業どころではない。僕たちデモ隊は学生課長や他の職員たちを尻目に、やがて銀杏並木通りを出て商店街へと繰り出した。隊列を崩さず整然と駅まで歩いた。驚いた街の人たちは不安げな様子で僕たちを見送っていたが、中には顔見知りの商店主などがいて、事の次第は兎も角として「頑張れよ」と声をかけてくれた。或いは、以前、日野たちが街頭で配ったチラシを見ていて凡その見当はついていたのかも知れなかった。


               (十四) 


 九月二十一日、大講堂において学生総会が開催された。

 総会は全学年の学科クラスから選出された代議員によって構成されている。しかし代議員でもないのに学生服姿の黒服が大講堂の後ろの席を占領し、特に先鋭的な行動部隊は後ろの壁を背にして、まるで混んだ映画館の立ち見のようにひしめいていた。彼らはオブザーバーとして参加しているのであるが、実のところ当局の命を受けていて、不遜の輩を暴力的な圧力によって抑え込もうという魂胆なのである。

 僕らはこの総会の開催に当たって、前々から周到な準備をしていた。先ず議長は三年生で詩吟部の後輩を推薦した。彼は闘争委員会の主要なメンバーの一人で詩吟部だけに伸びやかな声が持ち味である。そして会場の要所、要所に闘争委員会の息のかかったメンバーを五人ずつ塊にして配置した。

 僕も会議場のやや後ろの方の真ん中あたり、議場全体を見渡せる位置に座って、ほかの学生たちと同じように会議の始まるのを待っていた。実は僕もオブザーバーなのだ。代議員はクラスに三名しかいない。

 そこへ三、四人の黒服が前の方から肩をゆすり、大股で歩きながらこちらへ向かってくるのが見えた。僕は立ち上がろうか、このまま座っていようか躊躇した。どちらにしても殴られるに違いないと思った。ここに木剣は持って来ていない。ガタイからしてあいつらは空手部か拳法部だろう。それ程大柄ではないが素手では勝ち目がない。詰め寄ってきた先頭の黒服が座っていた僕に向かって「おい、お前」と挑発を仕掛けて来た。その時だ、間髪を入れずに、隣に腰かけていた僕のクラスメートが「おい、暴力か」と低いがしっかりと言い返した。思わず横を見ると彼の目が鋭く光って黒服を睨み返していた。驚いたことに、たったその一言で黒服はたじろいだ。

「いや、いや、そうじゃあないんだ」などと曖昧な言葉を残して、仲間と一緒にその場を立ち去ってしまった。

 これには僕も驚いた。このクラスメートは沖縄県人でガタイもでかく、沖縄空手三段、坊主頭の前頭部に五センチぐらいの刀傷がある。

 彼の実家は沖縄県の農家であったが、戦後すぐに農地を戦勝国アメリカに接収され、今そこは米軍基地となっている。子供のころから大人たちに交じって「ヤンキー、ゴーホーム」と叫び続けてきた。

 また、地元のヤクザと渡り合ったという猛者なのである。頭の傷はその時に負ったものだ。僕が闘争委員会の代表になったころから、窮すれば通ず、のことわざあり。頼みもしないのに僕の身の安全を心配して寄り添うようになったのである。

 時間通り総会が始まった。

 議題はA助教授解雇の問題、文化サークルの部室拡張の問題、学費値上げの問題などである。

 総会が始まって冒頭、前方に座っていた例の長髪君から緊急動議が出された。動議の内容は授業拒否だ。学生たちの声に聴く耳を持たない学校側に対して勝利するためには、学校を一時的に封鎖して、授業をボイコットする、即ち学内ストライキの提案である。これを聞いた後ろの席からは激しいブーイングがおこった。またオリャーなどと恫喝するような怒鳴り声も聞こえて、議場は騒然となったが、議長がこれを鎮めた。

 学生会会長は猛然と反対の論陣を張って、これもまた議場の拍手を得たのであったが、野次と怒号の中で掻き消されていった。頃合いと見たか議長は採決に入った。その結果、拍手多数で長髪君の提案が認められ学内ストライキが決議されたのである。これを受けて学生会会長は辞意を表明し憮然として席を蹴った。その他執行部員もそれにならって席を立ったため、結局、この時点で現執行部は総辞職となったのである。

 学生会執行部の解散に伴い、闘争委員会が当面の間、学生会の運営を代行することになった。つまり次期執行部が選任されるまでは、僕が事実上の学生会会長となったのである。

 僕は壇上に上がり、学生会会長代行として懸案の諸問題の解決に向け、学校側が真摯な態度で同じ話し合いのテーブルに着くまでは、議決の通り一時、学校封鎖を行うことを改めて宣言した。幸いにしてこの日は暴力事件は起こらなかった。

 それから数日後、僕の家に大学より一通の封書が届いた。その中には学部長名で一通の辞令が入っていて『無期停学処分を命ずる』とあった。その時僕は、限りなく退学処分に近いと思った。権力の仕法とはこういうことか。だが、闘争委員会の代表までも剥奪することはできない。僕は代表として更なる決意を固めた。


               (十五) 


 総会終了後、学生会と闘争委員会との連名で学校側に対して団体交渉の申し入れをした。

その六日後の九月二十七日に学校側より回答が伝えられたが答はノーであった。

 その知らせを聞いて僕ら闘争委員会のメンバーは、直ちに学部長室に雪崩れ込んだ。驚いたのは学部長である。思わず椅子から立ち上がり目をむ(むず)いた。日焼けしたような褐色の顔、耳を被う白髪に縁なしの眼鏡、つやのある広い額に深く刻まれた皺、白髪しらが交じりの長い眉毛、その下にあるやや細目の眼光は明らかに戸惑いの色を見せて、いつもの品格のある顔が歪んだ。恐怖とも違う、怒りとも違う、それは絶望に近い、驚きの空白とでも言おうか、茫然自失して空虚な眼差しを向けていたが、それでもその立ち姿からは威厳だけは保っているように見えた。

 流石の学部長も事態の異変に抗うことも出来ず、眉間に深い皺を寄せ、怒りが込み上げてきたか色を失った薄い唇が僅かに震えた。

「君か、無礼者、勝手に入るな、部屋から出ていけ」と、上ずった声で叫んだ。

「僕たちは今からこの部屋を封鎖します。出てください」

「何を言うか馬鹿者。一体、何のためにだ。そこに掛けなさい話し合おうではないか」

「話し合うとは、どういう事ですか。今日まで我々の話し合いを全て拒否してきたのは学校側ではないですか。もう遅いです」

「そんなことはない、私は話し合いにはいつでも応じる」

 これは暴力と権力に対する戦いである。この学内闘争は、過去から現在に至る長い間、累々として積み重ねられて来た学生たちの恨み節が、地底で燃えたぎるマグマ溜りとなって、いつ耐えきれなくなって噴出させるかも知れなかったものが、今、その火口から一気に噴出させたと言うことなのだ。今ここで話すことは何もない。

「もう結構です、悪く思わないでください」

 僕は右手を高く上げて、後方に合図を送った。

 二人の学生が黙って学部長の両脇を抱えた。

「何するんだ。私に触れるな」

「学部長、これが僕たち学生会の総意です。先日、総会で決議されたのです」

「何を決議したか知らんが、こんなことをしていいと思っているのか。第一君は無期停学処分になっているはずだ。処分が解けるまで学校には来られないはずではないか。何でここにおるのか」

「お連れしろ」僕は毅然として言った。

 学部長は二人の学生に抱えられながら部屋の外へ出された。

 この時、既に百名の学生が部屋の中に入っていた。さいは投げられたのである。僕らは学部長室を占拠した。この日より、大学は全学休校となり、学校の機能は完全に麻痺状態に陥った。

 学部長室のある本館をその日のうちに封鎖した。一階の窓の鍵は全てロックし、出入り口は全てバリケードを築いた。暴力学生や右翼暴力団の侵入を防がなくてはならない。

 何度も襲撃を体験しているから、みな真剣である。机を運んでいた学生の中には女子学生も多くいた。そのうちの一人が、僕の方を振り返ってニコッと微笑んだ。おかっぱ頭でGパン姿だ。サッチャンとは様子が違う。驚いたことにそれは山路亜希子だった。亜麻色の長い髪は潔く首のところで切り揃えられ、その覚悟の程が知れた。ワンピースをGパンに穿き替え、おまけに首には手拭いを巻いていて、あの華やいだ様子はどこにもない。

「なんだ君か、誰かと思ったよ。ずいぶん見違えたね。どうしてここに」

「ええ、学部祭が中止になって練習も出来ないので、こちらで何かできないかと」

 素顔の彼女の顔をこの時、初めて見たような気がする。ぽってりとした唇はそれでも薄く紅を引いたように赤みを帯びて愛らしかった。

 本当のところ僕は彼女に危ない目に遭わせたくなかったから、直ぐにでも帰って貰いたいところであったが、こうなっては彼女の意思を尊重するしかなかった。

「そうか、それはありがとう。僕らの詩吟部も今は休止している」

 こうしてバリケードは築いたものの、僕らは本館の前で何度か襲撃を受けた。怪我人が続出してその度に、亜希子さんたち女性が薬局に走った。当初は救急箱程度であった医療品も次第にその数を増して、小さな医務室ができる程になっていた。武装部隊の昼夜に及ぶ警戒にも拘らず、大怪我を負って救急車を呼んだことも度々起きたが、不幸中の幸いと言うべきか、後遺症を伴うような重傷には至らなかった。

 ついに僕たちは校門の前にバリケードを築くことにした。全校を封鎖したのである。学部長室に籠城してから六日後の十月三日の事で、キャンパスにもいつしか秋風の吹く季節となっていた。中庭の噴水の水はあれから止まったままで、水音もなく死んだように静かであった。すっかり陽が落ちて、月影がキャンパスに忍び寄るころ、夜の静寂しじまを破って誰かが歌を歌いだした。

「起て飢えたる者よ 今ぞ日は近し・・・」

 その歌声は直ぐに仲間に伝播して、互いの絆を確かめ合うように、肩を寄せ合い合唱となって秋の夜空に響き渡った。

「覚めよ我が同胞はらから あかつきは来ぬ 暴虐ぼうぎゃくの鎖断つ日 旗は血に燃えて 海を隔てつ我ら かいな結び行く いざ戦わんいざ 奮い立ていざ ああインタナショナル 我らがもの」

 戦闘に暮れる秋の夜のひと時の安息ではあったが、しかし、同志たちの歌うこの勇猛果敢な世界の労働歌も、僕には秋の夜風が身に染みる、よんどころない青春の哀歌としか聞こえてこなかった。 

 A助教授の不当解雇撤回要求から始まってサークルの部室拡張問題、学費値上げ問題、加えて僕の無期停学処分の問題など何一つとして解決の糸口さえ掴めないまま、更に、今も重傷を負って入院している学友のことなどをかかえ事態は一層深刻化するばかりで、先の見えない泥沼の様相を呈していた。

 日野とサッチャンはせっせと立て看板作りに励んでいて、その横で長髪君も手伝っている。ベニヤ板や垂木を調達してきては真っ赤に塗りつぶしていた。その上から「不当解雇」「民主化斗争」「暴力反対」「大衆団交」などの文字が白ペンキで画かれ、校門の前に立てられた。  

 そしてまた、日野たちは駅頭に立ち、道行く人々にチラシを撒いた。学生運動に対する暴力の実態などが詳しく掲載されていて一般市民に訴えているのだ。

 校門に築いたバリケードは、教室から運び出した机と長椅子で築いた。門扉の内側に積み上げて針金で固定した強固な砦だ。外からは誰も侵入することは出来ない。常に見張り役が五、六人いて必要な場合は机を動かして通れるスペースを確保する。一種の検問所になっているのだ。

 ある時、そのバリケードのうず高く積んだ机や長椅子をめがけて外から火炎瓶が投げつけられた事があった。大騒ぎとなり皆で箒で叩いたり水や砂を掛けたりして消し止めたが、それ以来、消化器を用意した。

 男子も女子も僕たちは本館で寝泊まりした。本館から外へ出る時は、必ずヘルメットを被った。僕は常に木剣を腰に差して歩いた。襲撃は昼夜を問わず行われて、武装部隊は昼夜交代で見張りに立った。それでも学内の敷地は広く、予期しない所から塀を乗り越えて侵入してくる奴もいて、見つけると呼び笛を鳴らし角材を振りかざして撃退する。或る晩などは侵入者を発見し、みんなで協力して捕虜にしたが本学の学生ではなかった。一晩、監禁して返してやった。

 校門の外に畳一枚分ぐらいの立看が三枚掲げられていたが、籠城してから三十日目の十月二十六日の夕闇せまる頃、その立看が何者かによって火を点けられた。門兵が消火器を持って門扉を開けたところ、暴力集団が突入してきて、あっという間に戦争になった。角材で応戦したが不意を突かれた武装部隊はさんざんな目に遭った。敵の鉄パイプは武装部隊のヘルメットの上と言わず、腕と言わず、腹と言わず容赦なく滅多矢鱈めったやたらと振り下ろされた。僕は木剣で応戦した。何人かの小手を打ち抜いてやったが、不覚にも投げつけられたレンガが顔に直撃し、一瞬、目の前が真っ暗になったが、気を取り直して防戦に追われた。他にも地面にうずくまる者など負傷者が続出して辺りは修羅場と化した。騒ぎを聞きつけた応援部隊の加勢によってようやく撃退することができた。

 僕は目の下に生ぬるい感触を覚え、手のひらをそっと押し当ててみたところ、その手が真っ赤な鮮血に染まった。その時になって初めて痛みを覚えた。

 戦いの跡は悲惨であった。辺り一面にレンガの破片が散らばり、折れた角材が散乱していて、誰が飛ばしたかヘルメットまでもが転がっていた。付近の地面には赤い血痕が点々と付着していて戦いの凄まじさを物語っていた。表の立て看板の火は既に消し止められていたが、辺り一面にきな臭い臭いが漂い、如何にも戦場跡の荒廃した景色を虚しくしていた。日は既に暮れかかりキャンパスには冷たい秋風が吹いていた。

 その中にヘルメットを被って横たわったまま動かない学生がいた。僕は初め男子だと思っていたが、なんとそれは女子で、しかも有ろう事か山路亜希子だった。僕は仰天した。何で彼女がここにいるんだ。彼女がこの場にいたとは知らなかった。どさくさに紛れて気が付かなかったのは不覚であった。「大丈夫か」の問いに「体が動かない」と顔をしかめた。「何処が遣られたか」の問いかけにも返事がない。僕は彼女を抱き起そうと、かがみ込んだ時、彼女の首筋に一滴、二滴と赤いものが滴り落ちた。直ぐにそれは僕の傷口から噴き出た鮮血であることが知れた。自分の傷口を押さえるのも忘れていた僕は、彼女を動かさない方が良いと判断した。何処が遣られているか分からないからだ。僕の手には負えない。

 折しも、誰が要請したか救急車が三台、到着した。僕は真っ先に救急隊員を呼んだ。亜希子さんは二人の救急隊員によって担架で運ばれた。後の負傷者は二台の救急車に分乗した。日野も右手の甲を押さえて同乗していた。日野の隣に同じ四年生が血に染まった手拭いをオデコに押し付けていた。ひどくやられたようだ。僕の左頬も血が止まらなかった。みんな救急車の中でもヘルメットを脱ぐこともなく、そしてどの顔も一様に青ざめてうつむいて、病院へ到着したのは夕方の六時ごろである。直ぐに茨城県にある亜希子さんの実家へ電話を入れた。お母さんに事件の概要を説明して病院とその住所と電話番号を伝えた。

 それから一時間ぐらい待たされて僕は左頬の傷を五針縫って、目と口だけを残して顔中を包帯でグルグル巻きにされた。日野は手首の骨折で首から白い布を吊っていた。

 心配なのは亜希子さんのことだ。看護婦に聞いても検査中でまだ言えないそうだ。身内以外は面会も許されない。額を割られた四年生も入院だそうだ。その他は僕を除いてみんな帰っていった。僕は包帯で半分ミイラのような顔になって、一人、治療室前のソファーに腰かけて待った。担当医から診断結果を聞くまでは帰れない。

 やがて夜の十時近くになって彼女のご両親が遣ってきた。ご両親は僕を見た。僕以外に誰一人としていない夜の病棟である。僕は立ち上がって深々と頭を下げた。何か不思議なものでも見るようにお父さんが近付いてきて「君が多田君か」と聞かれた。僕はお父さんの顔をまともに見られなかった。「ハイ、多田です」と、言ったきり言葉に詰まった。

「娘は?」

 僕は治療室の扉を指差して「こちらです」と、力なく答えた。お父さんがそっと扉を開けて中に入られ、続いてお母さんが入られた。

 僕はお父さんの血走った怒りに燃えた目が、少なくとも僕に向けられているような気がして、そしてそれは当然のことと受け止めなくてはならないと思いながら、その怒りの目がしばらく脳裏から消えることはなかった。

 僕は自分の怪我の痛みをすっかり忘れていた。一時間ほどしてご両親が治療室から出てきた。

「申し訳ありません。こんなことに成りまして」僕は喉から絞り出すように、やっとの思いでそれだけを言うと、また、深々と頭を下げた。お父さんはガックリと肩を落とされ、お母さんはその後ろで目を真っ赤に充血させて立っていた。

「多田君、娘に何が起きたのか、詳しく説明してくれ」

 お父さんは僕の半分ミイラのような顔の目だけを見つめて言われた。

「僕たちの大学は今、学内紛争中でありまして、バリケードを築いて籠城しておりましたところ、反対派の学生に襲撃を受けたのです」

「君のその怪我もそうなのか」

「ハイ、そうです」

「君は何でやられたのか。鉄パイプかなんかでやられたのか」

「いえ、レンガを投げつけられたのです」

「レンガを、それはひどい。それで娘は、何でやられたか」

「分かりません。角材か、鉄パイプかも知れません」

「何たることだ。娘がこんなことに関わっていようとは、こんなことになるなら東京に遣るのではなかった」

「ほんとに、申し訳ありません。それで山路さんの容態はどうでしょうか」

「重症だ。完全には治らんと担当医は言っている。どうやら脊椎を遣られたようだ。神経に達しているようで半身不随になるかも知れん。車椅子になるかも知れんのだ」お父さんは怒りを押し殺すようにそれだけ言って黙った。

 僕は絶句した。沈黙が暫らく続いた。夜の病棟に他に人影はない。壁に掛かった時計の針が午後十一時を指している。お父さんの眼差しが怒りの涙で滲んでいた。お母さんはその横でハンカチをしきりに両の瞼にあてがっている。

 車椅子だって、ああ、何たることか、豪いことになった。本当に豪いことになった。取り返しのつかないことになってしまった。僕は後悔の余り目が眩んだ。この身が一人、深い、深い、暗い、暗い奈落の底へ両手を上げたまま、クルクルと回って落ちていくような錯覚を覚えた。

 彼女が車椅子に座って泣いている姿が目に浮かんだ。そんな筈はない。あって堪るもんか。あゝ何たることだ。

「あきらめ切れん」お父さんの震える声が聞こえてきた。その時、堰を切ったかのようにお母さんの嗚咽が夜の病棟に漏れた。

 お父さんは茨城県で或る一部上場企業の役員をしているらしい。彼女は三人姉妹の末っ子だと聞かされていた。

「それで、まだ続ける気か。その大学紛争とやらを。だいたい、大学は勉強するところではないのか」吐き捨てるように、お父さんの怒りが収まらない。

 僕は何も答えられなかった。やっとの思いで「何とかします」とだけ言った。

「今度のことで、いろいろ君にも世話になったようだ。遅いから君も帰りなさい」

 僕は沈黙のまま深々と頭を下げるしかなかった。

 その後、お父さんは警察に被害届を出したようだが、学生同士の内ゲバと見做され捜査は行われなかった。ひどい話だ、これは明らかに犯罪ではないか。僕は学部長の自宅宛てに事態の詳細と抗議文を送ったがなしつぶてであった。

 今回も二人の入院患者を出してしまった。もう一人は救急車に乗るとき、血に染めた手拭いを頭に押し当てていた四年生で、彼は頭を十針縫って今も入院中だ。八人の怪我人の内、女性は亜希子さん一人だけであった。

 返す、返すも残念でならない。しかし、ここでくじけるわけにはいかない。僕らは結束を固めて更に籠城を続ける覚悟をした。それから二日後に事態は動いた。学校側から団交を受け入れる回答を得たのだ。第一関門突破だ。よし作戦会議を始めよう。


               (十六)  


 大衆団交は十月三十一日に大講堂において行われる事になった。日野は団交を勝ち取ったとはしゃいでいたが、僕は一抹の不安を感じていた。団交は初めてのことであるが、恐らく大講堂は学生で一杯になるだろう。おおよそ千人近くにはなる。そんなところで議論など出来る筈がない。学生の一方的な要求に終始するのみで、当局がノーと言ったらそれでお仕舞いだ。百パーセント、ノーとは言わないまでも十パーセントでもノーがあれば決裂だ。そうなれば解決の糸口は益々遠のき、また暴力闘争が続くことになる。

 乱闘事件があってから三日目になるが、亜希子さんは集中治療室に入ったままで絶対安静の状態である。身内以外は面会謝絶だ。身動きできずにベッドで寝ている彼女を想像する時、一日も早く決着させなければと思う。

 大衆団交は話し合う場ではなく、理事長や学部長の吊し上げの場となる。そうなればまた更なる決戦の火ぶたが切られる。彼らの退任を迫ったところで問題の解決にはならない。

 そこで僕は団交の前に事前協議に入ることを日野に伝えた。日野は猛反対をした。

「君は根本的に間違っている。大衆団交は大衆運動であって、大衆運動こそが民主化を勝ち取る唯一の方策である。ボス交渉は大衆運動に反する」

 革命は大衆運動によって実現される。毛沢東の教えだ。

 サッチャンも長髪君も日野に賛同した。ボス交渉は権力におもねる行為として忌み嫌われた。

 僕は正直言って民主化などはどうでも良かった。観念的議論はしたくない。日野もサッチャンも長髪君も、大衆運動こそがあらゆる運動の基本原則であると考えているようだ。つまり大衆運動こそが彼らの理念なのだ。

 ここで僕は初めて日野と対立した。断固として対立した。僕は団交を否定するものではないが、必ずしも問題解決の道ではないと思っている。団交はある種の実力行使だ。僕らに与えられた正当な暴力なのである。正義の冠を被った暴力である。だから伝家の宝刀を抜くことは究極の選択でなくてはならない。まだ探るべき道はある。

 団交の前になすべきことがある。それは学校側の回答を事前に聞くことだ。回答次第では団交を免れるかも知れない。

 入院患者が四人と他にも二十数名の怪我人を出している今、僕は代表としての責任を感じていた。一刻も早く終息の道を探らなければいけない。このままバリケード闘争を続け、授業放棄を長引かせていて良いはずがない。

「君らが反対しても僕は代表として一人で遣る」と言い残して席を立った。

 僕はこの時ほど、代表になったことを有難く思ったことはなかった。日野に代表をさせなくて本当によかった。

 日野が追いかけてきて条件を出してきた。

 事前協議が整わなかった場合は予定通り団交を行う。もう一つは、事前協議には自分たちも出席する、というものであった。僕は了解した。

 団交予定日の前日、十月三十日に都内のホテルの飛鳥の間にて大学側と事前協議が行われた。

 学校側の出席は、理事長、副理事長、学部長、副学部長、学生課長の五名で、学生側は僕、日野、サッチャン、長髪君、それに学生会議長の五名だ。

 僕たちは時間前にテーブルに着いて待った。

 僕はグルグル巻きの包帯は取れたものの、左目の下に厚ぼったいガーゼが貼られ、目の周りは青く内出血の痕が残っていた。瞼の腫れもまだ引いてはいない。日野も相変わらず右手首を白い布で吊っていた。

 理事長を先頭にして入ってきた学校側の五人は席に着くと一様に僕と日野に視線を送った。僕たちの痛々しい姿に言葉を失っているようだった。学生課長が開催の挨拶のような言葉を述べて、次に理事長が話し出した。

「三十日余にわたり授業が出来ない今日の状態を鑑み甚だ遺憾に思います。バリケードを築き授業を妨害することは重大な学則違反であり、いや、学則違反以上のものであり将来の我が校の歴史に大きな汚点を残すことになるでしょう。しかしながら、今日に至る経緯と学生諸君の主張を斟酌しんしゃくする時、その要望に対して出来うる限り善処し、一日も早く授業の再開を望むものであります」

 僕はまだ抜糸されていない左頬を気にしながら、頬の筋肉をなるべく動かさないように、口を半開きにして喋った。発音がうまく取れないが、それでも、詩吟で鍛えた腹式呼吸で通る声を発した。

「学部長室占拠につきましては、僕らの要望を聞き入れてもらうための止む無き手段であります。バリケードにつきましては、集団暴力に対する究極の防御策でありまして、しかしながらこれまで反対派の暴力により、重症による入院患者四名と、その他負傷者二十数名を出しております。ここまでに至った原因は当局の不誠実な対応にあると僕たちは思っております」

 理事長 「授業再開を望む学生諸君も多いと聞いている。君たちのとった行動は間違いである。反発する学生諸君が出てくることは自然の事だと思っている」

 僕 「 暴力も止むを得ないと」

 理事長 「そんなことは言っていない。飽くまでも暴力行為は否定する。そもそも君たちは何故、授業をボイコットするのか、それを聞きたい」

 僕 「僕らの要望書をもう一度思い起こして頂きたい。A助教授の問題については六月二十日に学部長より説明の機会を得ましたが、僕たちは教授会の再考を求めております。また部室の問題、学費値上げの問題などにつきましても何ら、回答を得ておりません。それに僕に対する無期停学処分についても学生会として白紙撤回を要求しております。教授会ないし理事会は誠実に検討されたのでしょうか。無視ですか」

 理事長 「いろいろな主張をするグループが居る様だが、我々は学生会を以って正式な学生の代表機関として受け止めている」

 僕 「九月二十一日開催の学生総会において、今までの学生会執行部が解散されて、闘争委員会が運営を代行することになったことはご存知でしょうね。通知も出しておりますし」

 理事長 「伺っている。だから今、こうして事前協議を開いている」

 僕 「理事長、僕らが何故、事前協議をお願いしたかお分かりですか」

 理事長 「分かっている積りだ」

 僕 「はっきり申し上げます。大衆団交をやっていたずらに理事長や学部長を吊し上げることになっては、お互いのためにならないと僕は考えております。この辺は、僕たちの中でも議論のあるところでありますが、この協議の結果如何によっては団交を回避することも可能ではないかと考えております」

 学部長 「そこで学校としても、予てから学生諸君の要望に対して誠心誠意、検討させてもらった。その結果をこれから発表しよう。よろしいかな。先ず、A助教授の懲戒解雇についてですが、学校としてはこれを撤回する積りはありません。次に、文化サークルの部室の問題ですが、これにつきましては、建築費の問題もありますことから、財務部ともよく相談しながら検討していきたい。今直ぐということではなく、近い将来に向けて検討するということです。次に学費値上げの問題ですが、来年度から実施する予定で進めておりましたが、諸君らの要望を取り入れて、今回は見送ることといたします。その後のことにつきましては、大学の事情もありますことから大学にお任せいただきたいと、考えております。最後に、ここに居られる多田君の無期停学処分の問題ですが、今行われているバリケードを全面的に撤去し、速やかに授業再開を約束できるという条件付きで無期停学処分を解除する。と、こう言う事であります。以上」

 日野 「解除というのはどういうことですか。白紙撤回とは違いますか」

 学部長 「白紙撤回ではありません。飽くまでも無期停学処分をその時点で終わらせるということですから、履歴は残ります」

 日野 「バリケードを解かない場合は、多田君はどうなりますか」

 学部長 「その場合は、無期停学処分はそのまま継続すると言うことです。或いは、場合によっては退学処分と言うことも有り得ます」

 僕 「条件を呑んだとしても、僕の処分が解かれてA助教授の処分が解かれないのであれば、今まで僕たちが主張してきたことが全く反映されておりません。僕だけが助かったとなれば、後々、司法取引をした卑怯者と思われます。むしろ、僕のことはいいんです。A助教授の解雇を解いてください。これだけはどうしても譲れません。これだけはお願いします」

 学部長 「それではA助教授が助かって、君が助からなくても構わないと言うのですか」

 僕 「ハイ、その通りです。A助教授が助かればバリケードを解除するよう努力します」

 日野が何か言いたそうに僕の方を見た。理事長は腕組みをして暫らく目をつむって考えているようであった。

ここで三十分間の休憩を取ることにして双方、別室に分かれた。

 別室に入って日野が僕に不安げな眼差しを向けて「あんなことを言っていいのか。せっ

かくのチャンスだったのに」と言って、煙草に火を点けた。サッチャンも「そうよ、多田

さんたら、お人よしなんだから。学費値上げがなくなったし、部室も考えてくれると言っ

ているし、概ね良かったんじゃあないの。多田さんさっきの話、撤回して下さい」

 僕は唇に違和感を覚えながらも、傷口と反対の方の唇で煙草をくわえてみたが、火を点けることもなく、みんなに向かって言った。

「もしA助教授の解雇が解かれれば、他の問題もさっきの条件で了解する。そして明日の団交は取り止める」と宣言した。

 日野が反対した。「今日の結果がどうであれ、団交は団交として予定通り開催すべきで

ある」と言い出した。そして「何も解決されていない」と言った。サッチャンも長髪君も

日野に同調した。後輩の学生会議長は僕に付いた。三対二で分が悪い。しかし、僕は日野

の意見に「ノー」を突き付けた。

「A助教授が助かれば団交は中止する。僕のことはどうでもいい。そしてバリケードを解

除して授業再開に踏み切る」しびれている唇を精一杯に開いて、代表であることの地位を

利用して、僕は断固として言ってのけた。

 日野は左手一本で頭の後ろを抱えていた。

 間もなく会議が再開された。

 理事長が僕らを説得するように言った。

「先ほど闘争委員会代表兼学生会会長代行である多田君が言われた通り、A助教授の解雇処分は無効とする。そして、多田君の無期停学処分はそのまま続行する。それでバリケードを解除して速やかに授業を再開すべし。以上」

 よし、これで良し。僕は心の中で自分に言い聞かせた。そして「有難うございます」と言って頭を下げて、横にいる皆を見た。後輩の議長も僕に倣って頭を下げたが、あとの三人は憮然として前を見ていた。

「これで明日の団交は開く必要がなくなりました」

 痺れの残る唇で、然し爽やかに僕は言ってのけた。それを聞いて前席に居並ぶお歴々はみな安堵の溜息を漏らした。中でも白髪を掻き上げた学部長は緊張した唇をほころばせ、尖っていたその目は俄かに優しく緩んだ。そして「バリケードは解除できるのだね」と念を押してきた。僕は「十分できます」と自信あり気に答えた。    

 会議を終えて日野は仏頂面をしていた。

 日野の考えていた戦術的な団交は消えたけれど、A助教授の処分撤回が実現されたことは、何よりも民主化闘争そのものの成果であったと評価されるべきで、そのことを僕は不機嫌そうな顔をしている日野に念を押そうと思ったが、そんなことは誰よりも日野が一番、よく知っていることなので、今更言っても仕方がない。今回の決着内容については、いろいろ議論はあるかも知れないが総括すれば、良しとしなければならないと思っている。なお心残りは今も入院を余儀なくされている四名の学友の事である。後遺症の残る重傷を負ってなお病床に臥している彼らに、僕はなんと言って報告をしたらいいのだろう。無期停学処分が解除されなかったことが、せめてもの僕の責任の取り方なのだと、彼らは理解してくれるだろうか。


               (十七) 


 翌日に予定されていた大衆団交は急遽、学生大会に変わった。

 僕は演壇の上の卓上マイクを手前に引き寄せ、冒頭、本日に予定していた大衆団交が学生大会に変更した経緯いきさつを述べた。

「学友諸君、御承知かとも思いますが、僕は闘争委員会代表として、そしてまた学生会会長代行として、今日は団交ではなく、学生大会という形に変更させてもらいました」

 会場からどよめきと抗議の罵声が飛び交った。

「先ず話を聞いてください。それは相手のある交渉事だからです。本日、学生大会に切り替えたのは、昨日行われました学校側、即ち理事長及び学部長との事前折衝において、大きな進展を見たからであります。その学校側の回答について今から説明いたしますので、諸君の了解を得たい。第一に、A助教授の解雇処分の問題についてですが、これについては白紙撤回の回答を得ることが出来ました」

 会場からウォーと歓声が上がり拍手の渦が巻き起こった。中にはピーピーと口笛を吹くものまで現れ議場は賛同の歓喜に包まれた。

「第二にサークルの部室問題であります。一サークルに一部室の要望につきましては、今直ぐにとはいかないまでも、今後、学校としてはなるべく我々の希望に沿うよう検討するということであります」

 落胆の嘆息が漏れたが、一方でパラパラと拍手が鳴るのも聞こえた。

「そして第三に学費値上げの問題でありますが、来年度の学費値上げについては見送るとの回答を得ました」

 またウォーと歓声が上がり拍手の波だ。

「しかしながら、これについては、来年度は値上げをしないということで、その先については値上げも有り得ると言うことです。とにかく来年度については学費の値上げは無いということであります」

 また、拍手が会場いっぱいに鳴り渡った。

「最後に、僕に対する無期停学処分については、僕の代表としての責任において、甘んじて処分を受ける積りでありますので了解をいただきたい。以上であります。皆さんの賛同を得たいと思います」

 議場は一時、騒然としたが、しかしその後に拍手が続いた。

「君一人の問題ではないぞー」誰かが鋭い野次を飛ばしたが、それも歓声と拍手の嵐に掻き消されていった。

 議長は叫んだ「満場一致にてご賛同頂きました。これにて閉会いたします」

 正午から始まった大会は開始から約三十分で終了した。大講堂の入り口から怒涛のように出てきた学生たちは、本館に向かう学生、校門に向かう学生、男子、女子入り乱れて走り出した。三十五日間にわたり、守り続けてきた堅牢なバリケードを撤収するためである。今日まで授業は休講となり、部活も中断され、学部祭もなくなった。今、その鬱憤を晴らすかのように、学生たちの歓喜の雄叫びが青く光った秋空の彼方に吸い込まれていくようだった。

 椅子を運び出す学生、机を運び出す学生、それを教室に戻す学生とキャンパスは祭りのような騒ぎとなった。僕の後ろから黒服が「オスッ」と言って走り抜けて行った。応援団の髭の三年生だ。他にも何組かの黒服集団が目に留まった。この時ばかりは彼らを許そう。

 暴力集団から身を守ってきた大掛かりなバリケード、本館の学部長室と入り口回り、それと校門など、その堅牢な砦も瞬く間に解体されて僅か四時間で跡形もなく消えた。

 

 翌日の十一月一日より授業が再開された。

 この日、僕は病院へと足を運んだ。僕は授業を受ける資格がないのである。無期停学の謹慎中なのだ。先ず形成外科で抜糸をしてもらった。

 鏡の中の自分の人相が他人のように見えた。腫れも引いていて、目の周りを青く染めていた内出血の痕も大分治りかけていて薄紫色に変色していたが、たった今、抜かれたばかりの糸の痕が皮膚に深く食い込んでいて、そこだけ赤く盛り上がりを見せていた。これで短髪にでも刈れば、やくざ映画に似合うかも知れないと、わざと唇を曲げて食い込んだ糸のあとをそっと触ってみた。医者は、傷痕は残ると言った。僕はその足で彼女を見舞った。

 彼女は集中治療室から一般病棟の個室に移されていて、点滴をしてあお向けになったまま動かない状態で寝ていた。僕を見るとはにかむ様に笑って迎えてくれた。そして僕の顔の傷痕を、何か怖いものでも見るかのようにじっと見つめていた。色白の顔が寝たきりの所為せいか、更に白く生気がなかった。

「どうだい具合は」と声を掛けると彼女は真顔になって、眉間に皺を寄せた。「足の感覚がないんです。両方の足の感覚が・・・」そう言って両の目に涙をいっぱい溜めた。大粒の涙が一重瞼の目の縁で水玉になって虹色に輝いた。僕は美しいと思った。

「ごめんなさい」と言って彼女はまた泣いた。薄紅色のぽってりとした唇が歪んで、涙が頬を伝って流れた。僕はハンカチで彼女の頬に伝わる涙を拭いてやった。

「有難うございます。あした、手術なんです」

「え、そう。手術するの」

「ええ、腰椎破裂骨折ということで腰骨が折れて曲がっているんです。それで神経を圧迫して・・・」

「そうか、それは大変だなあ。長くかかるだろうけど、頑張って治してくれよ。僕も暇だから出来るだけ見舞いに来るよ」

「ありがとうございます。それと学校の方はどうですか」

 聞かれて僕は思わず「無血開城」と言いそうになって慌てて口をつぐんだ。無血ではない。団交は回避されたものの無血ではない。亜希子さんも僕もそして他にも多数の掛替えのない血を流したのだから。僕らが流した血と涙を忘れる筈がない。

 僕は事前協議の内容や大会のこと、そしてバリケードを撤去して、今日より授業が再開されたことなどを手短に報告した。

 彼女は黙って聞いていたが「もう、終わったのね」とだけ寂しげに言った。

「そう、終わったんだよ」

「それで私たち、勝利したんですか」

 それは僕にも分からなかった。僕は「勝敗は神のみぞ知る」と、自分の中で呟いてみた。終わって見ると得た物よりも失った物の方が遥かに大きかった。学内紛争に勝利などないのだ。この一つの真理を悟るために僕らは果てしない代償を払わされてきたのだ。

 五階にあるこの入院病棟の病室の窓を少しだけ開けてみた。民家の屋根、その屋根の上に晴れた秋空が見える。コバルト色に輝き薄雲が羽衣のように白くたなびいているのが見える。秋、感動の季節にも関わらず、彼女は空を見ることすら叶わない。下半身麻痺の今の状況を、彼女はどのように受け止めているのだろう。将来の自分の姿をどのように思い描いているのだろうか。

 今、こうして見る秋の青空に、希望という雲は浮かんでこなかった。

「外に何か見えますか。お天気はどうですか」

「いやあ、快晴だよ。日本晴れだ。希望の空だよ」

 僕は左頬を引きつらせて、笑いにならない笑いをつくった。

 感慨深げに彼女はベッドの上で、天井を見つめながら口だけを動かした。

「センパイ、お疲れ様でした」

 この一言に僕は万感胸に込み上げて来るものがあった。今まで堰き止めていた涙腺が切れた。共に闘った者同士の思いやり。その言葉を、出来れば共に築いたあのバリケードの上で聞きたかった。一つ一つ積み上げてきた机や長椅子を、今度は二人の手で一つまた一つと解体してみたかった。

 病床で聞く彼女の無念は、僕自身の無念でもある。動かぬ身体を前にして、僕ははばかりなく悔し涙を流した。彼女が愛おしくて無念の涙は両の瞼からとめどもなく溢れ、抜糸したばかりの傷口を伝ってこぼれ落ちた。彼女の顔がぼんやりと涙で滲んだ。ついこの間まで亜麻色の長い髪をなびかせて、白い歯を見せて明るく笑っていた彼女の姿が蘇ってきて、僕の体は震えた。

「ごめん、亜希子さん。こんなことになって、みんな僕の所為せいだよ。ごめんよ」また涙が傷口を伝った。

「いいえ、センパイの所為ではないの。何が起ころうと、あのバリケード闘争は、私にとっては青春でした」と言って涙でぬれた頬を赤く染めた。


               (十八) 


 自宅待機の謹慎の身でありながら、僕は相変わらず学校に出入りしていた。

 卒論もやらず、就職活動も出来ず、ただ詩吟部の部室に入り浸っていた。勿論、ほかの部員たちはみな僕が無期停学であることは百も承知だ。僕は犯罪者か、それとも英雄か。とにかく部活の練習だけは出ていた。ところが樅ノ木の下に集まる部員の数が半減しているのだ。みんなどうしたんだ。なぜ練習に来ないんだ。

 思えば、バリケード闘争に入る前から学生たちの間ではスト決行派とスト反対派とに分かれていて、互いに反発し合っていた。詩吟部においても例外ではなかったのだ。僕ら詩吟部男子は学生服に紋付き袴が定番で、どちらかというと見た目は応援団に近い。元来、吟詠そのものが漢詩から由来しているので保守的、体制的な雰囲気を持っている。だからスト反対派も多かったのであるが、僕がスト決行派を率いる代表となったために、反対派を抑える格好になった。いざ、部活を再開してみると、いがみ合っていた者同士が、自然と足が遠のいたのである。遠のいた連中の中には賛成派もいれば、反対派もいた。

 それでも僕は樅ノ木の下に立った。「鞭声粛々べんせいしゅくしゅく 夜河よるかわをわたる 暁に見る千兵の 大牙たいがを擁するを・・・」などと声を張り上げ、自己研鑽と後輩の指導に余念がなかったのである。

 そんな僕を見て学生課長は渋い顔をして、見て見ぬふりをしていた。顔が合ったりしても、ばつが悪そうにして、でかい体を縮ませて立ち去ってしまう。学生課長の立場も分からないではないから、僕も顔を合せなかったことにしている。しかし、お互いの禍根が解けたわけではない。

 実際に、学業の面でもいろいろの所で支障をきたしているようだ。学部祭の中止も去ることながら、履修単位取得の遅れ、期末試験の遅れ、特に僕ら四年生は深刻で卒論指導の停滞、そしてなにより就職活動の出遅れだ。今は闘争の総括をする暇があったら、目の前の授業を受けることの方が優先するのはどの学生もみな同じだ。

 ところが、授業が再開されてみると様々な後遺症が出てきた。暴行を受けて、怪我を負った後遺症ばかりでなく、学生と教授との軋轢が水面下で火花を散らしていたのである。教授の助言に耳を貸そうともしないで、闘争に没頭し、挙句の果てに教授に対してその尊厳を踏みにじるような反抗的な態度を取った学生、僕もその内の一人ではあるが、それらの学生に対する教授たちの権力を笠に着た反撃が始まったのである。所謂いわゆるパワーハラスメントだ。冷たくあしらい、成績の如何を問わず、これ見よがしに平気で落第点を付けた。

 四年生の卒論指導でも、そのような学生はほとんど相手にされず、指導もされないまま「君はこの分では卒業は無理だね」などと言っておどかす。中には土下座をさせて闘争中の非礼を詫びさせたという話もある。耐えきれず、自分から中退の道を選択した学生もいるのだ。

 当時、学内紛争の解決へ向けての当事者能力を失った教授会が、闘争が終わった途端に反撃攻勢に出たのである。聖人君子に一番近い職業は、宗教家は別として、学者先生と信じて疑わなかった僕などは、そんな話を聞くたびに、その怨恨の本性を露わにさらけ出した学者先生の醜い姿に大いに失望させられたものである。そんな夜は打ち明けてくれた同志と共に安い酒場で焼酎をあおった。

 学生間同士でも軋轢あつれきはあった。もともと学内ストライキに賛成派と反対派のいがみ合いは教室の中でも顕在化していて、険悪なムードの中で授業が行われていたことは確かなことで、それが、授業が再開されたからと言って、何もなかったかのように白々しくは付き合えないのだ。

 教室において、研究室において、そしてまた部活において、様々な人間関係の修復し難い後遺症が残った。双方引分けなどと単純な構図にはならないのである。一旦、互いに憎しみ合い、傷つけ合った者同士が心から笑える日は果たして来るのだろうか。僕の頬の傷だって時間とともに薄れたりはしても生涯、完全に消えることはないだろう。

 そんな恨み節を言ってみたところで、その授業を一か月余に亘りボイコットしてきたのは、他でもない僕たち学生なのだ。

 授業よりも、卒論よりも、就活よりも、何よりも眼前の闘争を最優先してきたのは僕たちだ。悪行あくぎょうを見て素通りしない、正義を貫くこと、正義を実践することが僕たちに求められている誠意であって、そのための自己犠牲は尊いものである。そう言う風潮が学生間に広まっていた。学内紛争は一種の社会闘争であり学生の使命であるとさえ考えられた。それは成田闘争も然り、ベトナム反戦も然りであった。

 一部の学生の間では、就職活動でさえ、個人プレーとして軽蔑の対象とされたこともあった。みんなで力を合わせて押し返していた風よけの戸板を自分の個人的な理由だけで抜け出すことは、仲間への裏切り行為である。また、そのことによって日和見主義者としての烙印を押され兼ねないことを恐れた。

 それにしても、亜希子さんは何故、バリケード闘争に加わったのだろう。僕はあの時、彼女が詩吟部の部室を訪れた時、はっきりと断るべきだったのだ。「君の助けは要らない」と。僕の煮え切らない態度が、彼女の中で何かを突き動かしたのではないか。

 長い髪を切って、おかっぱ頭にヘルメットを被って来た時も、残酷な言い方かも知れないが「君には似合わない。帰れ」と、何で言ってやれなかったのだろう。その時、僕は不覚にも彼女が現れたことに少なからず喜びを感じていた。心の何処かで嬉しく思い、有頂天になっていたのだ。何と愚かな事であったか。今となっては取り返しのつかない不幸を、彼女に背負わせてしまった。誠に慙愧に堪えない。

 このあいだ、病室を見舞った時「バリケード闘争は、私にとっては青春でした」と述懐した彼女の謎めいた言葉を僕は噛みしめていた。

 彼女は僕と一緒に戦うことが出来たことを幸福に思っていたのだろうか。それはバリケードでなくても良かったことで、つまり学内紛争の価値観ではなくて、僕と一緒に居られることに幸福感を覚えてくれたのだろうか。女性としてのこだわりだったのか。そうだとしたら、ある意味、僕にも言えないことはない。僕にしても彼女にどれだけ勇気づけられたことか。彼女の存在が、存在するというだけで、ほのかな幸福感を充足させてくれたことは確かなことだ。僕は殺伐としたバリケードの中で、一輪のバラの花を見ていたのだ。

 今の僕はどうだろうか。今でも、病床にある体の動かぬ彼女に夢を見ているのだろうか。昼休み前の誰もいない部室で、僕は一人、暗くて深い物思いに沈んでいた。


 日野はその後、僕の知らない間に、僕の無期停学処分に対する白紙撤回の運動を始めた。

 彼は以前、A助教授解雇白紙撤回運動を繰り広げたように、彼の信条とする情宣闘争を再開したのだ。サッチャンやほかの同志と共にあのアジトに籠り、せっせとビラを印刷した。「多田君を守る会」「多田君の無期停学処分白紙撤回」などのビラが密かに構内に貼られ、学生たちに配られた。

 そしてまた、職員が見回り、黒服が駆り出された。火種はまだ消えていなかった。第二次学内紛争に突入するかに見えたが、然し僕は動かなかった。自分の事で騒ぎを起こすことにいさぎよしとしないのだ。それに紛争後の様々な後遺症を思うとき、本来、論理的で理性的であるはずの学問の府において、まったく真逆の憎悪と怨念の情に流された、まったく煩悩の虜となり果てた想定外の現実に、悲しいまでの切なさが僕の胸を塞いでいたのだ。

 日野は僕に詰問した。

「君は、君に対する無期停学処分を不当とは思わないのか」

「不当だか不当でないか僕には分らん。僕は元闘争委員会の代表としてその責任において、学校の処分を甘んじて受け入れる。それに、あの時の事前協議において双方で確認し合った事柄でもある。僕は僕の利益よりも信義を大切にしたい」

「学内紛争はまだ終わっちゃあいないぞ。第一、君の問題は君一人の問題ではない。学内民主化闘争の意味を忘れるな。いつから君は日和見主義者に落ちたか」

 日野は僕に顔を近づけるなり口を尖がらせて迫った。

「日野君、僕は君の友情は有難く受け入れるが、君の思想信条を受け入れたわけではない」

 日野は少し驚いたように、目を丸くして僕の顔をまじまじと見入った。見つめるその青い目が俄かに怒りへと変貌して行くのが分かった。青く光った獣の目を、しかし彼はその目を僕かららすことなくそのまま静かに閉じた。眉毛に掛かった前髪、鷲鼻に、固く結んだ唇。そして、再び日野がその目を開けて見せた時、言いようのない寂しげな、いやむしろ悲しげな色の目に変わっていた。僕は日野のあんなに生気の失せた、落胆した目をかつて見たことがあっただろうか。青い目のその奥で彼は何を見ていたと言うのか。

 それから暫らくして、日野はサッチャンと共に成田闘争へと活動の拠点を移した。僕には告げずに、師走の風が吹く頃だった。


               (十九) 


 術後三日たったので、亜希子さんの容体も落ち着いたのではないかと、僕は浅黄色のジャケットを着て病室を訪れた。

 病室の入り口のドアが開いていたので中を覗いてみると、和服姿のご婦人がベッドのそばで椅子に腰掛けていた。亜希子さんのお母さんだ。

「失礼します」と声を掛けてみたが、どうも学生服の時と違って丹田に力が入らない。お母さんは気が付かれて顔を向けられたが、何処と無く不機嫌そうに見えた。僕はもう一度「失礼します」と小声で言ってからベッドの方へ近づいた。

 亜希子さんは仰向けに寝たまま、僕に気づくと作り笑顔を見せながら、顔の前で小さく手を振ってくれた。お母さんは黙したまま椅子から立ち上がり、僕の顔をまじまじと見つめ、「あなた多田さんね。先日、お目にかかった時に包帯を巻かれていらした多田さんね」と言った。そして、「そのお顔の傷、大丈夫なの」と心配してくれている様子ではあったが、その目の色の奥には、僕を信用することができない、警戒心のようなものが潜んでいるように思えた。

「ええ、五針縫いまして、まだ、抜糸したばかりですので、傷痕が残っています」と僕はまだ治りかけの赤く盛り上がった傷口を擦って見せた。

 僕のことをどの程度聞かされているか知らないが、恐らく危険な思想家、危険な学生運動家と思われているに違いない。娘が取り返しのつかない大怪我をしたのも、みんな目の前にいるこの学生の仕業であると思われているに違いない。僕をかたきの様に恨んでいる。お母さんの疑心の眼差しが何よりの証拠である。僕はお母さんに嫌われているのだ。

「それで、手術の経過は如何ですか」二人に聞こえるように肝心なことを至って事務的に聞いてみた。直ぐにお母さんから返事が返ってきた。

「手術は成功したと先生はおっしゃって下さいましたが、足に後遺症が残るのだそうです」

「後遺症ですか」と僕は呟くように言った。以前から聞かされてはいたものの、こうして現実味を帯びてくると、胃が押しつぶされそうだ。「下半身不随」「車椅子」この地獄のような響きが僕の頭の中を席巻した。恐らく僕の顔は青ざめているに違いなかった。

 お母さんの険しい目が俄かに涙ぐんだ。僕も涙をこらえるように天井を見上げた。天井には四角く大きな蛍光灯が昼明かりの中で薄ぼんやりと弱い光を放っていた。世間から隔絶された絶海の孤島のようなこの病室に、暗くて冷たい深海のような沈黙が訪れた。

 お母さんからどう思われようとも、そしられようとも罵倒されようとも、僕に弁解の余地はない。土下座をしたところで彼女の足が元に戻るわけではなく、僕はただ、呆然として立ち尽くしているしかなかった。

 

 術後一週間して、彼女は腰に硬いコルセットを装着させられて集中治療室から一般病棟へ移った。病室は個室で、お母さんが置かれたのであろう、台の上に飾られたアレンジメントの花籠から、かすかにバラの香りがしていた。 

 病室ではベッドの上で起き上がる訓練が開始された。足がだめだから起き上がることも出来ないのだ。理学療法士に腕を支えられ、寝た状態から上半身を起こす。腹筋、背筋、腕の筋肉などを呼び覚ますように反復練習が続く。

 車椅子が用意され、ベッドから移動するのも難儀である。ベッドから自力で立ち上がれないから、助けが必要だ。白衣の若い男性理学療法士は、彼女をベッドの縁に座らせ、利かない足を揃え、彼女に抱き着くようにして抱えると、そのままくるりと半回転して車椅子の上に移動させた。

 彼女は羞恥心のためか、ためらいの色を見せた。ここで、つまずいていたのでは先へ進めない。見ている僕の方も恥ずかしくなって、図らずもこの若い療法士につまらぬ嫉妬心を覚えたが、もともと白衣に邪心はないのだ。

 彼女は車椅子に乗せられてリハビリ室に連れて行かれた。腰から足に掛けて金属製の補助器具を着けられ、つかまり立ちの訓練が始められた。もう一人の白衣の男が助けに来てくれて、二人がかりで彼女の前と後ろに立ち、体を支えるのだが、それでも立つことが出来ない。足が床に付かない状態なのだ。

 何度も試みる彼女の両目から、やがて大粒の涙がこぼれ落ちた。

 補助器具を着けてさえも立つことすら出来ない状況を思い知らされたのだろう。今までベッドで寝ていた時は切実に理解できなかったことが、実際に体験してみて、初めて自分に置かれた悲惨な現実を突きつけられたのだ。言いようのない絶望の淵を見せられたのだ。

 彼女の涙の果てに、自分の足で立ちたいと言う心の叫びが聞こえて来るようだ。僕は自分が自分の足で立っていることに、少なからず罪悪感を抱かずにはいられなかった。彼女の流す涙の百万分のひとつでも僕が引き受けることが出来たらと、僕は理学療法士の手の動き腰の動きなどの体裁きをつぶさに観察した。その技術を少しでも習得したかった。

 同じ様に両足に補助器具を装着した男性が、白衣の男に両手を引かれながら一歩一歩、足を前に出している光景が目に入った。彼女もあのぐらいになれたらどんなに幸せなことだろうと、自分の事のように勝手にリハビリの目標を先ずその中年の男性に置いてみた。

 十二月になって壁に取り付けられた木製の手すりにつかまって、つかまり立ちの練習が始まった。なかなか真っ直ぐに立つことが難しい。足に自分の意思が伝わらないのだ。理学療法士に両脇を抱えられながら、一瞬でも長く立つ。同じことの繰り返しが永遠と続けられた。歯痒はがゆく、落ち込むなと言う方が無理というものだ。毎日午前中に一時間、午後から一時間ないし二時間、単調で過酷な訓練が続けられた。

 一か月も過ぎるころ、次第に上半身の筋肉が付いてくるようになって、気持ち的にもゆとりが出てきたのか悲愴感がなくなってきて、練習にも気迫が籠って来た。

 この頃、僕は毎日のようにリハビリに付き合った。二人目の理学療法士が居なくても、僕が肩代わりすることもしばしばあって、担当療法士に重宝がられた。

 年が明け、入院してから三か月を過ぎるころには、手すりのつかまり立ちが出来るようになって、今度は、平行棒を使った訓練が行われるようになった。胸の高さまである平行棒を両肘で支えて、自力で立つ訓練である。瞬間的には立てるのであるが、足が一歩前に出ない。片足を一センチ空中に上げるのがなかなか出来ないのだ。この頃は、硬いコルセットが外され、軟性コルセットに代わっていて、少しずつではあるが前進しているのだ。しかし、まだまだ先は長そうだ。


               (二十) 


 昭和四十四年三月、学年末になって学校から無期停学処分解除の通知が届いた。

 しかし、喜んではいられないのだ。必修科目は落としているし、何よりも卒論を提出してないから卒業することは出来ない。退学するか留年するかのどちらかである。僕は親に、もう一年留年させてくれと頼んだ。学費がかさみ大変申しわけなかったのであるが、親も事情を分かっていてくれて、渋々、了解してくれた。

 亜希子さんの方はと言えば、入院してから長期療養を見込んで休学届を出していたのだけれど、通学が無理であることから、この四月から通信制に切り替えさせてもらっていた。これまでに取得した単位はそのままスライドできるので順調にいけばあと一、二年で卒業できるはずだ。

 僕は詩吟部の練習には皆勤賞並みに出ていたので、登校することに特段意識することはなかった。しかし、学校側にしてみれば犯罪人が刑期を終えて出て来るようなものだろうから、法律上は許されても、心情的には快く思うはずがないと、凡その所で覚悟は決めていた。これまでに教授らの心無いパワハラにあって退学を余儀なくされた同志諸君を何人も見てきている。

 僕は教務課で留年の手続きを終え、学生課長にその旨を伝えに行った。学生課長は殊の外快く歓迎してくれて、口元に笑みさえ浮かべていた。

 おまけに、学部長に会わせるから、一緒に来てくれという。僕は少しためらった。何せ半年前、学部長を部屋から追い出して、学部長室を占拠した張本人である僕を、学部長が快く思っているはずがないのだ。学校としては僕のような前科者は退学してもらった方が良かったのだろうと考えていた。学生課長の体に似合わない小さな目が何かを訴えかけているような、懇願しているような印象を受けたものだから、僕は断るのもいけないと思って学生課長に従った。

 学部長は僕の顔を見るなり、俄かに椅子から立ち上がり「やあ、君か」と言って、また椅子に掛けた。耳を被う白髪は以前と少しも変わらず見事に白かった。

「刑期満了になりましたので、あと一年お世話になります」と僕は社交辞令のように挨拶を交わした。学部長はにこやかに「おめでとう」と言った。どう解釈していいものか、何がめでたいものか。自分で無期停学処分にしておきながら、おめでとうもないものだと、内心、憮然としながらも、顔には出すまいと丹田に力を込めて静かに息を吐いた。

 僕は半年前の学内紛争について、謝る気は毛頭ないのだ。学部長に無礼を働いたことは事実であり、数々のルール違反を犯したのも然りである。ここは学部長を前にして謝るべきかも知れぬ。しかしだ、紛争の由ってきたる所を考えた時、元闘争委員会代表の立場からして謝ることは出来ない。それは、闘争委員会そのものを否定することになり、共に闘った同志への裏切りであるからだ。殊に怪我をした同志、退学された同志を思うとき、彼らを落胆させるわけには断じていかない。あれは戦争だった。謝るくらいなら僕は退学を選択する。

 僕は詩吟の練習の時のように足を半歩開いて不動の姿勢を保って黙っていた。

「君は将来どうする積りかね」

「はい、来年は教職課程を履修しようかと」

「そうか、それはいいことだ、頑張ってくれ。ところで、一つだけ君に聞きたいことがあるのだが」と言って学部長は前かがみになり、両の肘を机上きじょうに乗せて手を組んだ。学生課長は僕の横で起立したまま僕の横顔を見つめて動かない。

「聞きたいと言うのはね、君は君の無期停学処分撤回運動に加わらなかったようだが、なぜ加わらなかったのか、その理由を聞かせてくれないか」

「それは、僕のことだからです。僕自身の事で騒ぎを起こしたくはありません。それに、あの事前協議において僕が明言したことでもあります。僕は当時、代表としての責任を感じておりました。その責任は僕が負うべきだと考えておりました。学校の裁定に不足は申しません」

 学部長はどのように思っていたのだろうか。僕が第二次運動に加わらなかったのは、日野と絶交したからではないかとでも思っていたのだろうか。しかし、その考えはあながち、間違いでもないのだ。僕は思想信条の違いは、友情とは別次元の問題としてとらえていたが、日野にしてみれば思想信条の違いは、同志として認知できない、つまり、敵とみなさなければならない事情があったのだろうと思う。思想信条の違う友人は彼にとっては有り得ないのかも知れない。このことは、然し日野と出会った時から、僕の脳裏に貼りついて離れなかった事ではあるのだ。

 学部長はひと際大きな声を出して「そうか、よく分かった。ありがとう」と言って椅子から立ち上がり、僕に手を差し伸べられた。僕は大股で一歩前へ歩み出ると黙って握手を交わした。

 昨日きのうの敵は今日の友か、僕は何か割り切れないものを感じながら学部長室を出た。学部長は何か他に僕に言いたい事があったのではないのか、と思っては見たものの、詮索してみても始まらなかった。

 

             (二十一)


 二回目の四年生になった四月の末、授業が始まる少し前、サッチャンが教室へ入ってきて、僕にいきなり一枚の白い封筒を手渡して何も言わずに出て行った。封筒の中には歌舞伎座の入場券が一枚入っていて、必ずいらしてください、と脅迫めいたメモ書きが同封されていた。不思議に思いながらも僕はその時、日野の存在を思った。

 日野は三月に無事卒業して、江東区に在る東証一部上場企業の或る製造会社に就職した。恐らく彼が党員であることを隠した上での採用に違いないと僕は思った。彼は彼の気質からして転向するはずはない。職場においても党員活動を続けるだろう。敵から録を食み、敵を粉砕する。自己矛盾を抱えながらの彼の野望は、けだしあっぱれというしかない。

 僕は歌舞伎をテレビで見たことがあるぐらいで、特段、興味があるわけではなく、日本人なら一度ぐらいは見ておいた方が良いぐらいには思っていた。それにしてもこの意味深いみしんな入場券はいったい何なのか。これは日野の分ではなかったのか。日野と一緒に行くところを日野が急に都合が悪くなって、僕に回ってきたものではないのか。今一、腑に落ちないものを抱えながら、僕は浅黄色のジャケットの内ポケットに、入場券の入った封筒を入れて出かけて行った。

 開演三十分前に到着した。席を探し当ててみると、隣の席にサッチャンが先に来ていてニコニコして座っていた。いつものジーパン姿ではない。白のパンタロンスーツを着ていて、組んだ足元がラッパになっていた。短い髪もデパートのマネキン人形のように艶やかに黒く、唇も紅く染めていた。もともと顔立ちはいいのだ。華やいだサッチャンの姿に僕は戸惑いを隠せなかった。そういえば、サッチャンのお化粧を見たのはこれが初めてだ。

「やあ、サッチャン。今日はありがとう。ところで日野君はどうしたんだい」

「日野さんとは、卒業してから一度も会っていません」

「会ってないって。だって、君ら付き合っているんじゃないのか」

「それは学校での話です。卒業したら関係ないの」

「そんなもんかい。僕はもっと親密な間柄だと思っていたけどね」

「よしましょ、そんな話。わたし今日は多田さんとご一緒したかったの」

 舞台の演目は『お富与三郎とみよさぶろう』の世話物で、歌謡曲『お富さん』の題材にもなった話で昔から馴染み深い。子供のころはわけも分からず真似をしてよく歌ったものだ。

 開演までまだ少し時間があった。サッチャンがさり気なく独り言のように聞いてきた。

「山路亜希子さん、今、どうしていらっしゃるかしら」

「ああ、彼女はまだ入院しているよ。歩けないんだ。下半身不随でね、可哀そうに車椅子なんだよ」

「心配ねぇ。歩けるようになるのかしら。私、入院した時、一度行ったきりであれから、お見舞いに行っていないの。多田さんはしょっちゅう面会に行かれていたのでしょ。わたしも、もう一度お見舞いに行こうかしら」

「僕は、一時期は毎日のように行っていたよ。今でも行っているけどね。リハビリが大変なんだ。でも、よく頑張っているよ」

「亜希子さんしあわせね」

「えっ?」

「いいえ、何でもないの。ごめんなさい」

 こうして女らしく化粧したところを見ると、なかなかの美人だ。鼻筋は通っているし、おでこの辺りが秀でているし、いつものサッチャンの女闘志としての直向ひたむきさは、全て化粧の下に隠されている。まるで別人を見ているようだ。

 幕が引かれ、舞台はやくざな与三郎がお富をゆする場面である。

『えー、ご新造さんぇ、お上さんぇ、いやさお富、久しぶりだなぁ』

『そういうお前は』・・・・・・。

『おぬしぁ俺を見忘れたか。しがねぇ恋の情けが仇・・・死んだと思った、お富たぁお釈迦様でも気が付くめぇ、よくまぁおぬしぁ達者でいたなぁ。おい安やい、これじゃぁ一分じゃ帰られめぇ』

 僕たちは名台詞めいせりふ、名調子に堪能した。

 舞台が引けてから大通りに面した小さな喫茶店に入った。彼女はコーヒーを、僕はやっぱりハイボールを注文した。

 僕は喫茶店のマッチで煙草に火を点けた。彼女も一緒になって煙草を取り出し、自分のライターで火を点けた。二人の煙草の先から一筋の白い煙が天井にたなびいて、物言わぬひと時の甘味な時間が音もなく流れた。彼女の右手の指に挟まれた煙草の白い吸い口に、紅色に染まった唇の跡が残っているのを僕は見るとは無しに見ていた。

「君はよく歌舞伎を見に来るのかい」

「いいえ、今日が初めてなのです。一度、見てみたいと思っていたから」

「それが今日で、しかも僕と一緒か。他に友達がいるだろうに」

「私たち、こういう運動をしている者同士って案外、友達はいないのよ。特に成田なんかにいっているとね」

「そういうもんかね」

「そうですよ。ところで今日はどうでしたか。楽しめましたか」

「うん、良かったよ。あの与三郎の声の出し方、お富もそうだったけれど、たいしたものだね。詩吟の発声に通じるものがあるよ」

「そう、それはよかったわ」

「君は今でもあれかい、マルクスだかレーニンだかの社会主義思想なのかい」

「ええ、それはそうよ。でも恋のためなら、いつ転向してもいいの。恋は女の命ですから」と言って、毅然として前方を見つめたその伸びやかな首筋辺りに、あたかも獲物を狙う蛇が鎌首をもたげているような切迫した真実味があって、何処か神々しささえ宿していた。

 サッチャンは言った。

「多田さん、卒業しても、私と付き合って下さる」

 唐突な言葉に僕は戸惑った。彼女は刺激的で魅力のある女性だ。決して嫌いなタイプではない。しかし、何故だかこういう時に限って、自分でも良く分からないぐらい、僕の心の底に、亜希子さんの最近になってからの愁いに満ちた横顔が、涙に濡れたうつむき加減の寂しい顔が消えては浮かんでくるのだ。

「そうだね」と気のない返事をして、僕は彼女に心の底を悟られてしまったような、気まずい予感を覚えた。


                (二十二) 


 言うまでもなく、学内紛争の後遺症は大学人にまで及んでいた。昭和四十三年度の学年末、即ち昭和四十四年三月三十一日付を以って、理事長と学部長はその責任を問われて退任された。そして学生課長も同日付で退職してしまった。闘いの傷跡は際限がないように思われた。

 夏休みを控えた七月の或る日、新任の学生課長は、これまた新任の学生会会長を呼んで今後の学校の方針について説明した。新任の学生会会長は昨年のバリケード解除後に、新しく選任されていたのである。当時は僕の知らない男だった。

 その内容は、懸案事項であった部室の問題と学費値上げについてであった。

 現在の部室会館が老朽化していることもあって、今の二階建てを全部、取り壊して新しく四階建てに建て替えるというものだ。これにより兼ねてより学生より要望のあった一部一室を実現させると言うのだ。着工については来年度になる見込みだそうだ。

 学費の値上げについては、学校としては、当初の予定より一年遅れたけれど、これも来年度、つまり昭和四十五年度の新入生を対象とした値上げを実施するとの事である。

 これらの内容は直ぐ様サークル連合会に知らされ、僕の耳にも入ってきた。今、僕はなんの役にも付いていない。昨年の十一月に授業が再開されてから、学生会新執行部が選出され、それに伴って闘争委員会は解散した。また、同時にサークル委員会も自然消滅した。ただ、詩吟部の部長だけは今も続けている。

 部室問題は永年の課題であっただけに、多くのサークル部員たちの歓喜の雄叫びが聞こえてきそうだ。バリケード闘争のひとつの成果として、亜希子さんも喜んでくれるに違いない。工事期間中の一年間は校舎裏にプレハブを建てて、そちらに移転するそうだ。

 学費値上げについては、昨年は学生が説明を求めても学校は経営権を盾にして説明を怠ってきた。その結果、学生に疑義を持たれ学内紛争の要因になってしまった。学費は入学案内に記載される事項であって、元々は隠し立てすることでも何でもないものを、何故、学校は説明を拒んだのか。過激派とは交渉を持たぬとでも思っていたのか。

 学校としては値上げをしなければならない事情があったのだろうから、聞かれたらちゃんと説明すべきだったのだ。経営権を持ち出すまでもなく、金を払うのは学生なのだから真摯に対応すべきだった。高度経済成長期における大学経営の傲慢が招いた結果である。教授との関係においても、いわゆる三尺下がって師の影を踏まず、と言った教授の尊厳もさることながら、学生の意思をもっと尊重すべきだったのではないか。大学の自治を語る前に、大学は学生と共に在りき、なのだから。

 それらの反省からか、どうかは知らないが、今回は前年の轍を踏まぬよう、前もって明らかにしたようである。

 学生も今回の学費値上げについては、誰も反旗を翻す者は見当たらない。個人的にはいろいろな思いはあるのだろうが、昨年のような旗を振りあげての反対運動は影を潜めた。僕も敢えて反対はしない。第一、学生の要望に応えて部室会館を建て替えようとする学校の姿勢に対して、一定の理解を示し譲歩も有り得るのだ。昨年の苦い経験からも、反対の機運は盛り上がるはずがなかった。

 今はもう卒業してしまったが、日野が聞いたら何と言うだろう。学費値上げのことは兎も角として、部室拡張に伴い、学生自治を背景に部室会館の学生による自主管理を言い出すかも知れない。

 思えばバリケード解除から九か月が経とうとしている。詩吟部も五月に一年生の新入部員が入ってきて、半減していた部員数も元の数に戻っている。

 噴水池の水も夏の陽を浴びて、またいつも通りに復活している。今このキャンパスを眺めていると、如何にも平穏で、学内紛争など何処にも無かったかのように思われるのであるが、実は僕の頬の傷はまだ確かにその痕が残っているし、亜希子さんだってまだ入院している。

 あの時、亜希子さんと一緒に入院された四年生は、頭部裂傷で十針縫う大怪我を負い、一か月の入院を余儀なくされた。それより少し前に行われた集会においても二人の重症患者を出している。二人とも今は退院しているが、一人はあばら骨の骨折と内臓破裂、もう一人は頭に傷を負って十五針も縫っている。

 様々さまざまな禍根を残した、あのバリケード闘争とは僕らにとって一体何だったのだろうか。

 傷ついたのは学生ばかりではない。学校人の多くが深い心の痛手を負った。

 中でも、理事長及び学部長が退任され、そして学生課長も退職された。学生課長に自責の念があったかどうかは知らないが、いずれにしても、僕があの時、三月の初め頃、留年の挨拶に学生課長を訪れ、学部長と握手を交わしたあの時、二人とも既に自身の進退が決まっていたのかも知れなかった。そして、その事を僕に告げる積りでいて、言いそびれたのかも知れない。そんなことを思い出すと、敵対した相手ではあるが、それだけにまた、感慨が込み上げてきて言いようのない寂しさに胸が苦しくなる思いだ。

 当時、学校人は学生の主張に耳を傾けようとせず、紛争の原因を一部の過激派学生の仕業と決め込んだ。高度成長期のただ中にあって、企業の論理、即ち利益優先の経営手法が教育の場に持ち込まれた。人間を育てる筈の教育が、人間不在の教育によって、多くの不幸をもたらしてしまった。

 闘争の果てのバリケード。止むに止まれぬバリケード。学内紛争は好むと好まざるとにかかわらず、この学問の府において言論闘争ではなく暴力闘争に変貌していった。

 だからバリケードを解除した時はみんな歓喜に震えた。物事を成し遂げた時の気だるい解放感とでも言おうか、一種の満足感と言おうか、高原の新鮮な空気を胸いっぱいに膨らませて、一気に吐き出した時の爽快感とでも言おうか、とにかく一時いっときの幸福感があった。

 しかしそれは瞬時の思いであって、嵐の夜が明け、その爪痕に思いを寄せる時、一転して苦悩の闇に包まれたことを自覚せざるを得なかった。

 僕は前に踏み出すことの残酷さ、正義を実践することの虚無感に悩まされ、何とも言い様の無い脱力感に襲われた。けだしその感慨は、僕だけのものでは無かったはずである。脱力した無力感は立ち込める深い朝霧のようになって、学校中を白く覆っていたのだ。

 学内紛争に勝者はいない。誰一人として勝者はなく、敗残の兵のみが暁の光に晒された。

僕は今、一つの言葉を懐疑している。それは『実践』という言葉だ。行動を起こすことの意味である。正しいと思うことは必ずしも正義とは限らない、と言うことだ。絶対的正義というものはこの世にない。一方の利益は他方の不利益を生む。行動を起こすことの危うさの実感だ。

 ただ、暁の光に晒されて、なお確かな手ごたえを感じているとすれば、それはバリケード闘争をやってのけたという事実である。この事実は消えるものではない。相対的で不確実ではあるが、その正義に向かって打って出た事実、その勇気と情熱は紛れもなく確かなものであった。

 行動を起こすことの危うさを超越した勇気と情熱の賛歌。学内紛争における成果は問題ではないのだ。何を勝ち取ったかではない。そしてまた何が正義であったかの検証でもない。問われているのは僕たちが何に向かおうとしたかなのだ。その意気と心持が問われるべきなのだ。これが僕の総括だ。


               (二十三) 


 亜希子さんが入院してから早くも九か月の歳月が流れた。

 平行棒の筋トレを終えた彼女は「先輩、見てくださいこの筋肉を」と言って、車椅子の上で二の腕の力こぶをつくって見せた。上半身の腕と肩の筋肉がついたお陰で、車椅子への移動が見違えるほどスムースに行えるようになった。

 車椅子からベッドへ移るとき、僕は彼女に右手を差し伸べた。いつもだと僕の手を頼りにして立ち上がるのだが、この日はその手をすり抜けるようにして、自力で立ち上がることが出来た。そして腰を半回転させるとベッドの縁に腰を下ろした。僕はその仕草を呆然として見守った。顔を上げた彼女は誇らしげにニッコリと微笑んだ。思えば入院以来、彼女が見せた初めての晴れやかな笑顔であった。

 僕は感動を覚えた。つねっても叩いても感覚のなかったあの脚が、今日まで長く過酷で辛いリハビリに耐え、よくここまで来たものだ。僕は激励の拍手を送り、涙ぐんで思わず「亜希子さん」と名前を呼んでしまった。

 彼女はベッドの上で足を投げ出す格好で僕に微笑んだ。

「亜希子さん、よくやった。よく頑張った。おめでとう」僕は興奮して叫んだ。

「先輩のお陰です。ここまでこれたのも」

「おいおい、もう先輩はよせよ」

「じゃあ多田先輩、じゃあなくて多田さん。どうも有難うございました」

 二人は声を出して笑った。外は猛暑、夏雲が白く動かずに浮かんでいた。希望の雲だ。

 帰り際、僕は唐突に「亜希子さん」と名を呼んでから、緊張の余りに詰まりそうな喉の奥から絞り出すように言葉をつないだ。

「僕が卒業して、就職が決まったら、僕と結婚してくれないか」

 くつろいでいた彼女の顔から笑顔が消えた。急に恐ろしい顔になって僕を睨んだ。結婚のことは彼女が入院以来、九か月間、悩み、苦しみ、恐れ、自問自答してきた難題に違いないのだ。

「多田さん、私、こんな体だし、今はとてもお嫁に行くことなど考えられません。先行きの見通しが全く立たないから」

「だから、僕が・・・・・・」と言いかけたとき、彼女の唇が歪んだ。にらんでいた彼女の両の瞼から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。拭おうともしない涙の奥の、赤く充血した目を僕は身じろぎもせずに見つめていた。

「同情からではないんだ。僕は君の支えになりたい」

 彼女の右手が僕を遮った。

「それが結婚とどう結びつくの。多田さん、私をからかわないで下さい。もう言わないで、わたし辛い」

 言い終わると指先で涙を拭った。

「僕はいつだって真面目だよ。君のことは前から思っていたんだ。今も変わらないよ」思いもよらぬ彼女の動揺に僕は諭すように言った。


 それから三日後の八月十日、真夏の暑さの中、亜希子さんは退院した。

 水戸のご両親が車で迎えに来られた。

 病室にご両親が入ってこられ、挨拶もそこそこに、お父さんは僕に目配せすると、「ちょっと二人でお茶でも飲んでくる」と言い残して、病棟の地階にある軽食喫茶の店に連れていかれた。

 お父さんはコーヒーを、僕はいつものハイボールというわけにもいかず、今日は無理してあまり好きでもないコーヒーを注文した。お父さんはせわしなく体を乗り出すようにして「亜希子からちらっと聞いたのだが」と切り出した。僕はもう伝わったかと驚いたが内心ホッとした。結論を出すには早いに越したことはない。僕は緊張して身構えていると「まあ、気楽に聞いてくれ」と言って、コップの水をごくごくと一気に飲み干した。

「ところで、君は亜希子との結婚を考えているそうだが、それは本当の話か」

「ハイ、本当です。僕の本心です」

「そうか、だがなぁ、君はまだ若い。これから社会に出ていろいろな出会いもあるだろう。自分から不幸を背負うことはないと思うのだが」

「亜希子さんの車椅子は覚悟の上です。僕は亜希子さんのために生涯を掛けます。二人で協力すれば一人前の家庭を築くことが出来ると思っています」

「君はそう言うがな、簡単なことではないぞ。君はあれだろう。大学紛争の責任を感じての事ではないのか。それなら心配は無用だぞ」

「違います。それも全くないわけではありませんが、僕は紛争が起きる前から亜希子さんに好意を抱いておりました。ですから・・・」

「今は状況が違うぞ。生涯、車椅子生活に耐えられるか」

「どんな状況にあろうとも、僕の気持に変わりはありません」

 お父さんは僕の目を見つめながら暫し考えておられた。僕はお父さんの言いようのない醒めた目力めじからに負けまいと見返していた。

「そうか」と言って、お父さは考える人になった。ロダンの『考える人は』右手の上に顎を乗せていたが、お父さんは左手の上に顎を乗せ、もう一方の右手でスプーンを持ち、クルクルとコーヒーカップの中を回し始めた。そして、それっきり言葉を発しなくなった。

 午前中に退院の手続きを終えて、亜希子さんはご両親に付き添われ故郷の水戸へと帰って行った。お父さんの運転する車の助手席にお母さんが、その後ろに亜希子さんが乗った。後部座席には新品の車椅子が折りたたまれて置かれていた。

 僕は去っていった車の後ろから、腰を四十五度に折り曲げ、最敬礼して見送った。


               (二十四) 


 十月になって、待っていた知らせが届いた。それは教員採用の内定通知だ。僕はそのことを電話で亜希子さんに知らせ、来年の四月にはどこかの中学校の先生になっている筈だと告げた。

 亜希子さんも大変喜んでくれて、自分も今、レポート提出に追われていると言った。彼女は昨年の十月末に入院してから大学に休学届を出していたが、通学することが困難であることを知ってから、同じ学部の通信制に編入していたのである。

 三年生の終わりごろに編入したので、卒業は僕と同じ時期か、或いは半年ぐらい遅れるかも知れない。いずれにしても、彼女が毎日のリハビリをこなす中で、前向きに勉強を続けていることに安堵感を覚え、同時に僕にとっても励みとなっていた。

 その後、昭和四十五年三月、僕は留年のため一年、遅れたけれど、何とか卒業することができた。一緒に一年後輩のサッチャンも卒業した。以前、サッチャンから雑誌社の編集部に就職が決まったと聞かされた時は、他人事ではない何故か自分の事のように、肩の荷が下りたようなホッとした気分にさせられたことを覚えている。卒業して、もう、サッチャンと会うこともないかも知れない。

 四月一日、この日、僕は国語の教師として○○中学校に赴任したのである。そして、その夜、水戸へ電話を入れた。

 初め、お母さんが出られて一言二言、挨拶を交わしたが、その声のトーンが心持上がっているように感じられ、病院で見たあの憮然とした怒りのイメージが払拭されたような気がして、僕の気持ちを和ませた。

「もしもし、亜希子です。多田さんですか」

「そうです。多田です。どうですか、元気でリハビリを遣っていますか」

「もちろんです。車椅子の運転なら免許皆伝です」

 僕は今日、○○中学校に赴任したことを告げてから本題に入った。

「それでね、亜希子さん。僕はこの日を待っていたのだ。就職も出来た事だし、改めて君にプロポーズをする。僕と結婚してください」

 受話器の向こうで暫らく沈黙があった。

「もしもし、亜希子さん?」

「あっ、ちょっと息が詰まって。有難うございます。こんな私でスミマセン」

「なにも君が謝ることはないんだ。僕は車椅子の君を愛しているんだ。そして生涯、君を支えていくつもりだ」

「・・・・・・」

「もしもし、亜希子さん?」

 返事の代わりに嗚咽が漏れた。うれし涙か、はたまた悔し涙か、負い目の涙か。悔し涙も負い目の涙も、あの病室のベッドの上で、朝な夕な枯れ果てるまで流した筈ではないか。そんな涙はもう一滴もあろう筈がない。それは、うれし涙に違いないのだ。

「もしもし・・・スミマセン。わたし、うれしくて。退院してから多田さんの事ばかり考えていたものですから。本当にうれしい」

 良かった。僕は自分の確信に満足した。


 赴任先の中学校では新任の先生は僕の他に、音楽の講師の先生と二人だけだ。音大を出たばかりの女の先生だ。あとはベテランの教師ばかり。僕は新米ホヤホヤの教師だと言うのに、早速、校長より剣道部の顧問を頼まれて、断ることも出来ずに引き受けて遣っている。教科の方だけでも大変で深夜まで教科書とにらめっこをしている毎日である。

 或る日、教室で時間中に漢詩が出てきたので、詩吟を唸って聞かせたところ、生徒の受けは抜群に良かったのであるが、教頭先生に叱られてしまった。隣の部屋まで聞こえたそうだ。ゆくゆくは詩吟部を創設して漢詩と抱き合わせにして教えてみたいと思っている。

 

 教師になってから半年後の十月十日、よく晴れたこの日、僕たちは結婚式の日を迎えたのである。

 ところで、亜希子さんはこの時点で既に大学を卒業されていた。本来より半年遅れで通信制課程を修了し、九月に無事、卒業したのである。

挙式は都内にある教会で行われた。僕も亜希子さんもクリスチャンではないのに教会を選んだというのは、亜希子さんのたっての希望からなのである。それは、振袖が着られないとの理由からであった。

 教会は丸みを帯びた高い天井と祭壇の奥にはステンドグラスが厳かに光っていた。僕は黒のタキシードを着せられ祭壇の前に立った。やがてオルガンの伴奏と新婦のかつての学友たちが奏でるマンドリンとギターの演奏に合わせて大きな正面扉が開かれ、純白のドレスに身を包み、ベールで顔を覆った車椅子の新婦が姿を現した。前に進むにつれて、その後ろで車椅子を押している新婦の父親が現れた。ゆっくりと静かに僕の立っている祭壇の方に向かって歩みを進めている。参列者の歓声が沸き上がり、感動の拍手が鳴り響いた。

 新婦の乗った車椅子が祭壇の前に到着して直ぐに式場がどよめいた。彼女が車椅子から立ち上がったのだ。そして、僕の前に立った。僕も驚いた。予期せぬパフォーマンスであった。参列者から思わぬ拍手が沸き起こり、聖歌隊が歌う讃美歌も拍手の鳴り止むのを待つほどだった。

 牧師立ち合いの下で儀式も終わり、いよいよ最後の退場の時が訪れた。

 今度は僕が車椅子を押す番である。歓声と花びらが舞う中、開け放たれた扉に向かって一歩一歩這うように車椅子を押しながら、僕は今日までの長いようで短かった学生時代のことを思った。 

 今、こうして当時の傷を負いながら、僕たち二人は社会人としての第一歩を歩もうとしている。そんな感慨に浸る間もなく、僕たちは直ぐに扉の外へと出た。

 秋の空は良く晴れて、雲一つなく澄み渡り、中庭の芝生の上に咲くコスモスの花も白とピンクと紫色に輝いていて、かすかに風に揺れている。

「ほらごらん。雲一つない快晴だ」

 僕は彼女の背後から声を掛けた。彼女は晴れやかに空を仰ぎ、ベールの下から亜麻色の長い髪を揺らして微笑んだ。

「僕たちは、あの時のパトスを忘れてはいけない。僕たちの将来はこの空のようにコバルト色に燦然として輝いていなければいけないのだ」

「あの時のようにね」と彼女は言った。

「そう。あの時のように」

 僕らはあの時、闘うことの虚しさを学んだ。しかし、あの闘争に悔いを残してはいけない。これからが二人にとって本当の闘いが始まるのだから。過去を顧みて臆することなく、未来に向かって胸を張り、あの青空のように高く、高く、高らかに謳い上げていいはずではないか。僕らの青春の勇気とパトスを。

 青空に希望という雲が透けて見えた。

 後ろから誰かが僕の肩に手を置いた。

 振り向くと亜希子さんのお父さんが立っていた。

「昭平君。娘をよろしく頼む」涙ぐんだ眼で僕に言った。

「ハイ!」僕は至って元気に答えた。


 挙式後、亜希子さんのご両親からの援助で郊外に小さな家を建てた。バリアフリーの平屋建てだ。亜希子さんに二階は必要ないのだから。

 それから一年後、彼女は妊娠した。

 冬の日差しが柔らかに差し込むリビングの窓辺で、静かに育児書を読んでいた彼女は、車椅子の上から「あっ」と、小さな声を上げた。赤ちゃんがお腹の中で暴れたらしい。元気だから男の子かも知れない、と言って彼女は笑った。

 僕は彼女の大きくなったお腹を見つめながら、安らいだ束の間の幸福感に浸り、生まれてくる子供のことを想像していた。

 中学校では国語の教科の他に詩吟を教えるようになったけれども、笑うと引きつる左頬の傷の由来を生徒たちにも、他の誰にも話さないでいる。

 生まれてくる子が男の子か女の子か分からないけれど、いずれにしても将来、この子が大きくなった時、昔、お父さんが学生時代に出会った、バリケードに咲いたバラの花の話をしてあげる時が来るかも知れないと、朧げな予感が胸をよぎって、思わず彼女の顔を見た。彼女は本を支えている手と反対側の手を、大きくなったお腹に巻き付けるようにして、小さな欠伸あくびをした。


                                      了

                                      




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学園紛争・青春の傷痕 天の川 清光 @takadate3131

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