その日少年は勇者になった。

大好小夏

その日少年は勇者になった。

 



 烏はカアカアと鳴くんだよ。

 猫はニャアニャアと鳴くんだよ。

 人はワンワンと泣くんだよ。


 勇者はどうやって泣くと思う?

 勇者はね、泣いちゃいけないんだよ。

 だから勇者は人じゃないんだ。








 ある日、少年は勇者になった。

 三百年間誰も抜くことが出来なかった聖なる剣を抜いてしまった。

 その日から、彼は勇者以外では居られなくなった。





 かつて少年はただの農民だった。

 日の出と共に目覚め、デコボコの農地を耕し、僅かばかりの干し肉を食い、友と遊び、父に甘え、母と笑う。

 身なりも、身分も、教養も、性格も、容貌も、全てがただの農民に過ぎなかった。

 少年は、このまま自分はこの村で大きくなって、父のように優しく明るい男になって、母のように美しく頼もしい女性と結婚するのだと信じていた。


 最近どんどん可愛くなってきて、顔を合わせるのが少し恥ずかしいあの赤い髪の幼馴染と結婚出来たらいいなと、願っていた。

 農民としての暮らしが好きだった。

 農民としての暮らしの中に、好きなものが溢れていた。




 聖なる剣を抜ける勇者を探すため、数年に一度、国中の子供たちが王都へ集められる。

 齢が十を超えた時、少年も村の他の子供たちと一緒に王都へ向かった。

 村を出るとき、子供たちは笑っていた。村の外に広がる世界に、誰もが目を輝かせていた。少年もその一人だった。

 鍛えられた肉体を重厚な装備で包んだ護衛の軍人を見て、誰もが憧れの視線を浴びせた。幼馴染もその一人だった。

 大人たちは心配そうだった。だが、きっとこの旅が子供たちを成長させると信じて、笑って送り出した。少年の父母もそうだった。




 王都に辿り着くまでに、護衛の軍人が四人死んだ。


 子供たちが乗る馬車を狙って襲ってきた魔物に一人が殺された。少年の幼馴染を守ろうとして、その腹を牙に貫かれて死んだ。

 守られた幼馴染は震えていた。軍人の血を顔に浴びて、涙を真っ赤に染めていた。

 それ以来、気が強くてお転婆だった幼馴染は、いつも少年の陰に隠れているようになった。ギュッと服の袖を掴まれて、少年は何も言えなかった。彼女に笑っていて欲しかった。


 もう一人は病にかかって死んだ。魔物との交戦で脚に負った傷から菌が入り込み、体が腐って動けなくなった。

 彼女をこのまま連れて行くと、子供たちに病がうつるかもしれない。置いていくとしても、あのケガでは碌に動けない。救援が来るまでに獣に食われる。彼女の警護に人員を割いてしまえば、子供たちを守ることが出来ない。


 殺そう。


 少年が用を足そうと天幕を出た時、深刻そうな顔で話し合う軍人たちを見てしまった。

 精悍で怖くさえ感じられた彼女たちは皆、沈んだ顔をしていた。泣いている者もいた。

 次の日、護衛の軍人が一人減った。子供たちが彼女は何処に行ったのか聞いても、軍人たちは教えてくれなかった。


 少年は馬鹿ではなかった。

 村の外は恐ろしい場所だと初めて知った。戦うことは怖いことだと初めて知った。

 王都につくまでに、後二人が死んだ。




 王都は子供たちが想像していたよりも何倍も大きく、広く、美しかった。

 旅に怯えた子供たちも、生まれて初めて見る噴水や、絢爛な王城、そして王城の背後にそびえる巨大な聖樹を見て、次第に笑顔を取り戻した。

 以前のようにふるまうことは出来なかったけれど、幼馴染は少年と一緒に聖樹を見上げて笑った。

 少年は彼女の笑顔を見れて嬉しかった。

 笑い声と一緒に揺れる赤い髪を見るのが好きだった。

 



 王都の中心の大広場に、聖なる剣が刺さった小さな丘があった。

 選ばれし勇者は聖なる剣の声を聞き、破魔の力を以て魔王を倒す使命を持つ。

 誰もが知っている言い伝えだった。

 丘の下から見上げる剣はとても小さく見えて、案外格好良くないやと少年は思った。


 少年が聖なる剣の前に立っても、剣の声は聞こえなかった。鈍い光沢は村で使っていた鉈の刃に似ていて、こんなもので魔王を倒せるのかと、少年は不思議だった。


 この剣で魔王を倒せるのなら、勇者さま。

 さっさと倒して、幼馴染を笑わせて。


 少年は願った。

 

 剣を握っても声は聞こえなかった。

 力を込めて抜こうとしても聞えなかった。


 少年は聖なる剣を引き抜いた。

 けれど、声は聞こえなかった。






 その日から、少年は勇者になった。

 勇者以外ではいられなくなった。


 少年が剣を抜いたあと、それを見ていた全ての人が膝をついて祈った。


 ああ勇者様。

 憎き魔王を滅ぼしてください。


 何が起こったのか理解できていない少年を置いて、あらゆる人が祈りを捧げた。

 幼馴染の少女も泣いていた。

 少年は、もう彼女と会えないのかもしれないと思った。

 

 少年は慌てる近衛兵たちに王城へと連れて行かれた。

 女王ですら少年に祈った。

 少年は混乱し、恐怖した。初めて会う大人が、この国で一番偉い大人が、自分に向かって頭を下げている。目の前の現実を理解できなかった。

 女王の側に立ち、少年を憎たらし気に見つめる中年の騎士の視線の方が、少年にとっては安心できるものだった。



 その日から、少年は勇者になった。

 精鋭ぞろいの近衛騎士に交じって、やったこともなかった訓練を重ねた。


 勇者のくせに体力が無いと、日が昇ってから沈むまでひたすら走らされた。水を飲むことも休むことも許されず、意識を失ってもなお走らされた。


 戦場では碌に食べれないこともあるからと、ある日の食事は全て無しになった。


 見上げるような背の高い大人たちに、訓練だからと何度も木刀で殴打された。


 こんなことで音を上げるなと、一日中叱責され罰を受けた。


 怖くてたまらなかった。

 戦いたくなんてなかった。

 泣きたかった。

 けど、泣きそうになると直ぐに頬を殴られた。


 全てあなたを強い勇者にするためだ。


 髪を振り乱し、怒鳴りながら拳骨を何度も打ち付けてくる騎士団長の姿は、とても悲しそうだと少年は思った。

 騎士団長も、女王も、あの日剣を抜いたときにいた誰もが悲しんでいる。


 誰もが勇者を求めている。


 家族を失った人がいる。友を殺された人がいる。愛する人を救えなかった人がいる。

 勇者になって誰かを救おうとして、出来なかった人がいる。

 少年は、王都までの道中なぜ軍人があんなにも命がけで子供たちを守ったのか、分かった気がした。


 誰もが未来を求めている。

 誰もが救いを求めている。

 誰もが勇者を求めている。

 皆、可哀そうだと少年は思った。

 

 その日から、少年は泣かなくなった。





 勇者には才能があった。騎士団での生活の中で、埋もれていた才能が見つかった。

 剣を抜いてから四年が経って、騎士団の中に少年に勝てる相手がいなくなった頃、勇者は旅に出ることになった。魔王を倒すための旅だ。


 王城の大広間で、勇者は女王から旅の仲間に挨拶をするよう言われた。

 女王の指差す先には、魔法使いと、僧侶と、戦士と、シーフがいた。

 勇者は、彼ら一人一人と話をする時間を下さいと女王に願った。




 魔法使いは理知的な背の高い女性だった。

 彼女は妹を病で失っていた。治る筈の病だったのに、薬草の摂れる森に強い魔物が出て薬が作れず、妹は苦しんだまま死んでいった。

 魔法使いの夢は、全ての病を治す万能薬を作り出すことだった。そのために魔法の研究を重ね、若くして王都の研究所の所長となった。

 だが、あの日勇者が誕生した。

 

 万能薬は私でなくとも作れるかもしれない。勇者を支援できる程の魔法を使えるのは、私だけだから。


 魔法使いは夢を諦めようとしていた。




 僧侶は慈愛に満ちた優しい男性だった。

 彼は自分の子同然に育てていた孤児たちを失っていた。危ないから入らないよう言いつけていた森に、孤児たちは僧侶に贈るための花を摘みに行って、そこで魔物に殺された。僧侶が駆け付けた時には、食い荒らされた死体しか残っていなかった。

 僧侶の夢は、子供たちが笑って暮らせる大きな家を建てることだった。子供たちが一緒にご飯を食べて、一緒に遊んで、一緒に勉強して、一緒に笑う大きな家を。そのために僧侶は節制を続けた。自分の食べるものが無くとも気にしなかった。

 だが、あの日勇者が誕生した。


 家を建てる前に世界が滅んでは堪らない。私の聖なる祈りならば、勇者の傷を治すことができる。


 僧侶は少年にパンを分け与えようとした。




 戦士は右目に大きな傷を負った女性だった。

 彼女は恋人を失っていた。共に冒険者として活躍していたが、ある時魔物の群れに囲まれてしまい、眼を切りつけられて動けなかった彼女を守って死んだ。

 戦士の夢は、恋人の仇をとることだった。全ての魔物を倒して、全ての魔物の元凶である魔王を倒して、恋人に会いに行くことだった。そのために彼女はひたすら戦い続けた。

 だが、あの日勇者が誕生した。


 彼のお墓に、行けないんだ。私を守ってくれた彼に、私は何も返せていないから。全部終わったら、私の方から会いに行く。私の膂力なら、勇者を守る盾になれる。


 戦士は死に場所を探していた。




 シーフは、赤い髪をしていた。

 シーフは大切な友達を失っていた。幼い頃から一緒に居ることが当たり前で、大人になったら結婚したいとさえ思っていた友達を、ある日唐突に失った。

 シーフの夢は、友達と家族になることだった。いつかまた会えるかもしれないと信じて、隣に立てるだけの力を求めた。魔法の才も祈りの才も戦闘の才も剣の才も無かったけれど、せめて少しでも友達のために、とシーフの技術を磨いた。

 あの日、勇者が誕生した。


 結局、友達の隣に立てる程の力を手に入れることが出来たのかは分からない。けど、シーフの技術で、勇者の旅の力になれるから。


 シーフは泣いた。




 勇者は四人の仲間一人一人と言葉を交わした。

 そして、女王にこう言った。

 魔王は僕一人で倒します。








 勇者は魔王を倒した。

 たった一人で、人々の涙の元凶を打ち滅ぼした。


 世界は歓喜に溢れた。

 民衆は歌い、笑い、酒を飲んで平和を称えた。

 軍も騎士団も、自分たちの役目が一つ消えたことを心から喜んだ。

 魔物に脅かされることのない新たな世界の訪れを誰もが歓迎した。


 女王は安堵した。


 魔法使いは研究を再開した。


 僧侶は家を建て始めることが出来た。


 戦士は恋人の墓に向かった。




 最後に勇者と言葉を交わした赤い髪のシーフは、まだ、泣いていた。








「勇者は、あらゆる人を救うヒーローなんだ。


 病気で苦しんでいる人たちがいれば、薬草を手渡して助けてあげるんだ。

 今にも魔物に襲われそうになっている人がいれば、魔物を退治して助けてあげるんだ。

 大切な人を目の前で無くしてしまいそうな人がいれば、その人の代わりに勇者が手を伸ばすんだ。

 誰もが勇者を求めてる。

 勇者は皆を救うんだ。


 誰一人だって悲しませてはいけない。

 救えなかったやるせなさで剣を握る人を、一人でも生ませちゃいけない。

 誰かを守るために誰かを切り捨てようとする人を、一人でも生ませちゃいけない。

 誰かを守るために自分の命を投げうつ人を、一人でも生ませちゃいけない。

 自分の子供に会えなくなって嘆く人を、一人でも生ませちゃいけない。


 ……うん。そうだね。でもね。


 出来っこなくてもやらなくちゃ駄目なんだ。

 やらなくちゃいけないんだ。

 僕は勇者なんだから。

 聖なる剣の言葉なんて今も聞こえないけど、僕は勇者だ。

 僕がやるんだ。


 皆が悲しんでる。

 三百年間ずっと、毎日、何処かで誰かが泣いているんだ。

 魔物のせいで誰かが死んで。

 魔物に誰かが殺されて。

 魔物のせいで死にたくなって。

 魔物のせいで、傷ついて、戦わなくちゃいけないんだ。


 戦うって、凄く怖いことなんだよ。

 そんなこと、しちゃ駄目だ。


 ……分かってるよ。


 みんなと一緒に戦った方が、魔王は確実に倒せるって。

 その方が安全だって。

 でも無理だよ。戦ったら、誰か死んじゃうかもしれない。

 死んじゃったら、魔法使いさんは妹さんのために薬を作れなくなっちゃう。

 僧侶さんは大きなお家を建てられない。

 戦士さんには、僕、お墓参りに行ってあげて欲しい。


 シーフさんも、……友達に会えなくなっちゃうよ。

 

 ごめんね。

 どうか君には笑っていて欲しい。

 

 

 みんな、心が泣いてるんだ。

 僕は勇者だ。

 泣いている人がいるなら、その涙を止めてあげなきゃ。

 だから魔王を倒さなきゃ。

 魔王を倒して世界を救うんだ。

 誰もが勇者を求めてる。

 勇者はすべての人を救うんだ。


 ――僕は勇者だ」



 泣いちゃいけないんだよ。





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