第4話 傷

 あの日以来、小鳩は銀座街を通らなくなった。彼女の音だけを耳で拾いながら、罪悪感を引き連れて駅に向かう。今日も演奏していた。あとどれくらい、聞いていられるだろう。あの音が聞こえなくなった時、私は、何者になっているだろう。考えるだけで恐ろしくなった。


 次の日、音が聞こえなかった。シフトの終わり時間はいつもと同じ。少し離れた通りからでも聞こえるはずの彼女の声は、街並みに蔓延はびこる喧騒の群れに消されてか聞こえてこない。


(今日はやってないのか。)


 あの、彼女が?。腕掴まれても振りほどき、言葉を突き立て脅した、あの彼女が?。


 小鳩は耳を澄ませた。聞こえない。


 少しだけ近づいてみた。聞こえない。

 

 いつもの帰路に立ってみた。聞こえない。


 いない。


(はは、なんだよあいつ、一年とか言ってたくせに。一か月もしないでいなくなってんじゃん。何が『私の音を止めるなら、殺す。』だよ。結局は金の落ちる下に行くのかよ。イラストで飾って、指示通りに歌って、それがお前の言ってた音なのかよ。)

 

 ほんとに、何なんだよ。


「もっと、聞かせろよ。」


「ほんと口が悪いな、あんた。」


 小鳩は勢いよく振り返った。ショートブーツのヒールが溝に引っかかり、慌てて手を振るも空しく空を切る。


「大丈夫か?」


 握られた手は思いの他硬く、冷たかった。小鳩は起き上がれずに膝を折り、そのまま石床にへたり込んだ。


「なんで、いるの。」


「ここでギターを弾くから。」


「違う、何でいなかったの。」


「いるだろ、ここに。」


 話がかみ合わない。ああ、少し喜んでる自分が恥ずかしい。


「だから!いつもならもう演奏してるのに、なんで今日はいなかったのかって、聞いてるの!解れ!。」


 ぶちまけた。最近こんなんばっかだ。全部言い終えると薬が抜けた様に冷静になる。へたり込んでおいてよかった、俯いても、自然だ。


「ちょっと、散歩してた。」


「散歩?あんたが?」


「気分転換くらい、誰だってする。」


 彼女はいつも場所に座りこみ、ギターケースを出し始めた。


「聞いてく?」


「…聞く」


 あと一年。あと一年で、彼女はいなくなる。あと一年で、小鳩は社会に出る。通勤電車の中で、彼女の声をかたどる何かが現れて、この時を思い出すだろう。その時、私が涙を流さないように、今はただ、あなたの音で掻きむしる。



 



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慰み者は歌い手とたがる 黒神 @kurokami_love

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