第3話 仕返し

 

 「なにこれ」


 小鳩が差し出したビニール袋を一瞥する。


 「この前、変なこと言ったから。その、謝罪と手土産。」

 

 彼女は中身を確認した。


 「お茶にのど飴にゼリー、プリン、ヨーグルトって、私は病人?」


 「何あげればいいか分からなかったの!。だから喉にいいものって思って、でものど飴ぐらいじゃ全然足りないし、じゃあ体にいいものをって買い込んだらそうなったの!」


 文句あるか!っと吐き捨てた。


 あたふたする小鳩を見てか、彼女はくすくすと口元を抑えて笑った。声を抑えようと努めたが無理に止めようとして咳き込んでいる。初めて見せた、彼女の内側に触れられた気がして、小鳩は柄にもなく嬉しくなった。


 彼女はお茶を蓋をかちりと開け、一口飲んだ。すると、鼻をスンスンと鳴らし、何やら嗅ぎまわる様子で袋の匂いを嗅いだ。彼女が手招きし、小鳩が少し屈んだところで首筋に鼻を寄せた。相変わらず、突然距離を詰められるのは心臓に悪い。


 「臭くない。」


 「わかるの?」


 つい先日変えたばかりの無香料が効果覿面なのにも驚いたが、若干値段は張っただけの価値があったことに小鳩は嬉しくなった。


 「ああ、無味無臭でいい。ところてんみたい。」


 前言撤回、お金はどぶに捨てたらしい。


 「バカにしてる、それとも喧嘩売ってる?」


 「私は好きだよ。」

 

 ところてん。


 「それで、今日も聞いてく?」


 「…うん。聞きたい」


 「随分素直。じゃあまず一曲。」


 ジャカジャカジャカジャカ、ジャカジャカジャカジャカ。

 

 小鳩は残りの曲を全て聞き終えるまで動かなかった。縛られる圧迫感から解放され、荒々しい音楽が今は心地よい。彼女の視界に、音楽の一部に成れた気がした。


 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 「ねえ、聞かないの?」


 彼女がギターを仕舞う様子を見ながら、小鳩はポツリと呟いた


「何を」


「…この前、変なこと言った時の事。」


「ああ、別に。」


「そっか…」


 彼女は楽器を仕舞い終わると袋からハチミツ飴を取り出した。二つまとめて封を切り手のひらにのせたので、小鳩は小さく手を前に出した。


 パク。


 彼女は二つとも自分の口の中に入れてしまった。小鳩は呆然とし、差し出した手を引っ込めるのを忘れていた。彼女は味気なさそうに飴を転がすと小鳩の手に気付き、不思議そうな表情を見せた。小鳩の顔と手を何度も行き来するうち、ようやく状況を察したのか、彼女は自分の膨れた頬をつついた。


「ほれ?」


「そう、それ。もういいけど。」


「聞いて欲しいの?」


「いや、べつにもういいって。」


「そっちじゃないくて、さっきの。」


 さっきの、とは『いつまでこんなことをしているのか』と言った質問に対してだろうか。彼女と会話を成立させるのには根気がいりそうだと思った。小鳩は少し悩んだが、手土産の補填だと思って話すことに決めた。


「時々、何のために生きているのか分からなくなることってあるでしょ」


「ない」


 話の腰を折られた。小鳩は無視して続ける。


「お母さんが死んでからずっとお父さんと二人暮らしだった。お父さんは夜通し働いて私を育ててくれたけど、酒癖が悪くって。本人は立派に育て上げたつもりなんだろうけど、今でも夢に見て、腕を搔きむしる。賭け事をしないのは救いだったけど、私は中学を卒業するまで朝ごはんを食べなかった。中学生って付き合い悪いと煙たがられるから、少しでも何かある時のために貯めておきたかった。高校はバイトして、深夜もこっそり働いた。私は勉強が得意な方じゃなかったし、私立の大学は学費が嵩む。有償の奨学金含めても、大学在学中の学費と家賃なんて到底足りなかった。」


「今の仕事もそれが理由?」


 小鳩は頷いた。


「でも結局、親から離れたい以外の理由を持ってなかった私には、それからの生活どうすればいいか分かんなくなっちゃった。サークル入って高い服買って彼氏作って真面目に勉強も頑張ったりして、どれもすぐに飽きちゃった。あれだけ苦労して、期限付きの自由を借金して手に入れたのに、やっとスタートラインにたっただけなんだって気づいたら、もう、よく分かんなくなっちゃった。」


 しゃがれた声しか出なくなって、話すのをやめた。これ以上は惨めだと、小鳩の中の何かが告げていた。口を小さく噛み、痛みを痛みでごまかす。こうすれば一時的に涙を押し留められることを、小鳩は小学生で知った。


「今いくつ。私二十はたち


「…二十一」


「私は大学行ってない。楽器店でバイトはしてるけど、ギターのメンテ代稼ぐのに仕方なく。路上ライブしてるのはお金がないから。前はバンド組んでライブハウスでも何回かやったんだけど、みんなやめちゃった。」


「どうして?」


「知らない、興味も無かったし。」


「あんたって、ほんといい性格してる。」


 らしい、とは思った。和気藹々わきあいあいと友達を囲んで語らう場面は想像できなかった。


「一年後、私は会社契約してそこの所属歌手として歌う。顔出しせずに、イラストレーターの描いた絵に合わせてMVを作っていくらしい。多分、だから。MVが解禁されたら身バレに繋がる行為は一切禁止するらしいから、ここでのライブもそこで終わり。だから、期限付きって意味では同じかもね。」


「なに、それ。」


どうにもならなかった。急速に加熱さえれた感情は小鳩の手を離れ暴れだす。


「同じ、同じって言った?冗談でも笑えない。期限がくれば借金だけが残る私と、期限がきても先が約束されてるあなたとじゃ全然違う。私は、何にもなくて、自分から、見つけてもらわないと、いけなくて、それなのに、なんなんだよ、なんで、そんな、恵まれて、ああ、駄目だ、ヒスってる、気持ち悪、私。」


 一頻りひとしき暴れた感情は取り返しのつかないほど荒れていた。乾いて、ささくれ立って、ぼろぼろだった。


 彼女は珍しく何も言わなかった。胸ぐらを掴まれて憎まれ口でも言われると覚悟していた小鳩は拍子抜けだった。帰りの電車の中で一人、イヤホンを取り出そうとしてポケットにハチミツ飴が二つ入っていたことに気付いた。いっぺんに口に入れる。溢れる甘さが、また感情を刺激した。

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