第6話 いとしいとしその日々

それがどれほど難しくても、きっと僕はこの手を離すことが出来なかったんだと思う。


「蛇。身体は大丈夫?」

「あなたはすぐに心配しますね。私は人の身ほどやわではありませんよ?」

「それでも、蛇に何かあったら嫌なんだよ」


そう言って蛇の身体を抱き締めた。その胎は微かに膨らんでいる。

僕と蛇の愛の結晶。人と神の合いの子。

優しくて蛇を必ず守ってくれるような、そんな子に育って欲しい。

僕はずっと一緒には居られないから。

彼女をどうか、守る存在が欲しかった。

もちろん、純粋に蛇との子は欲しかったけれども。


「早く大きくなって欲しいね」

「十月十日も待てないのですか? あなたは」


呆れたような声だが、その蛇苺のような瞳は柔らかで優しい。

愛おしい蛇。ずっと守っていきたい蛇。なのにどうして僕は人間なのだろう。

僕が人間だから蛇と出逢えたのだとしても、彼女と共に歩めない時間が憎い。この脆い身体が憎い。

蛇は「そこが人間の愛おしいところなのですよ?」と少し前に言っていたけれども。


「蛇。お前はいつか他の男を見るのだろうか」

「どうしてそう思うのですか?」

「蛇の生きる時間はうんと長いから。だから僕は怖いんだよ、お前と別れるその日が」


いや、きっと。


「別れるその日よりも、お前が他の男の元に行く方が、僕には怖い」

「……お馬鹿さんですねぇ」

「もう。僕は本気なのになぁ」


蛇を抱き締めていた体勢から少しずつ身体をずらし、蛇の膝の上に寝転んだ。

蛇はその白い細指で僕の髪を梳いた。

優しい手つきはどこか眠たくなってしまうようなもので。

ああ、ずっとこの時間が続けばいいのになぁ。

ずっと、こんな時が続いて、いつかまた命の果てで輪廻を巡った時に蛇と出逢えたなら。

そんなことを夢想する。


「ね、蛇?」

「なんですか」

「僕のこと、どう思ってる?」


そう言ったら蛇はきょとりとした顔をして、そうして眦を柔らかく細めた。


「大事で、大切な方ですよ」

「……もう。僕が欲しい言葉がそうじゃないの分かっているくせに。でも、今はそれで誤魔化されてあげる」

「ふふ。あなたもなかなか強情ですね」

「神を娶ったんだよ? 言霊がどれだけ大事か分かっている。だからこそ、言って欲しい」

「その魂が、繋がれるだけだと言うのに」

「そうして欲しいって言ってるんだけどなあ」


でも、蛇は決してその言葉を言わないんだろうなぁ。

蛇が蛇である限り。何があっても。

僕を大事に想っていてくれているからこそ、言わないのだ。

その言葉が呪いに変わると知っているから。


「蛇」

「はいはい。私の旦那様はとんだ甘えん坊さんですねぇ」

「そうだね、お前にだけだけどね」

「……私のことが邪魔になったら、構わず切り捨ててくださいね」

「蛇? どうしてそんなこと言うの?」


どうしてそんな悲しいことを、覚悟した眼差しで言うのだろうか。


「僕は、決して蛇を離さない。決して」

「あなたは、本当にお馬鹿さん」


へにょりと眉根を歪めて、蛇は仕方がないとばかりにそう言った。






幸せな日々はどこまでも続くものだと思っていた。

子供も生まれたら三人で暮らすものだと思っていた。




なのに、どうして。




子供諸共、蛇が贄にされなければいけないのだ。





その日、僕は初めて人間を殺めた。

蛇を助ける為とはいえ、子を助ける為とはいえ。

この手は血に塗れた。

きっと優しい蛇のことだから、蛇はずっと自分を責めるだろう。

でも、もうなんでも良かった。

蛇が生きて、傍に居てくれるなら。



もう二度と、笑いかけてくれなくても。

もう二度と、優しい声音で話し掛けてくれなくても。



蛇を失うかも知れないと。

あんな思いをするくらいなら、どうでも良かった。



たとえ地獄に堕ちて業火に焼かれ続けても。

僕は永遠に、蛇を、蛇だけを想う。

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いとしいとし神縛り 雪片月灯 @nisemonoai

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