終わりの話
冒険者と少女
暗闇の中の森で、少女は月を見上げていた。
『森の中にあの子を捨てましょう』
涙が流れる。
『このままだと飢えてしまうし、あの子気味が悪いのよ』
夢だと思いたかった。聞かなかったことにした。愛されていないと、そう感じていいても、どこか。どこかで自分は娘なのだと、想われている。
信じたかった。
『魔物を殺したのよ、あの子。何かあって誰か殺すんじゃないかって……』
寒い。
お腹が空いた。
靴もなく、ボロ布をまとっただけの、少女。草の葉でさえ刃になる森の中で、獣に喰われるのを待つしかない。
「ヒヒヒ」
鳴き声と共に魔物がやってくる。
「……あっ」
尻もちをつき、体を震わせる。
腰の折れた老婆のような魔物……その名を少女は知らない。ローブのような黒い体毛に、白い肌。暗闇で光る瞳。肉食獣を思わせる牙に、よだれが垂れた。
ゆっくり、楽しむように、「ヒヒヒ」と鳴き声を出しながらゆらゆらと近づいてくる。長い舌を出し、少女の鎖骨から首、耳を舐める。
「ひぅ」
鳥肌が立った。ぬるい感触にザラザラとした静かな痛み。背筋をつぅっと、死が上っていく。
大口が開けられる。
冥界の入口のようにぽっかりと暗闇が広がっていた。
「あ、あ……」
目をぎゅっと瞑る。
――心の中で棘がわくような感覚がする。内蔵をじくじくと刺し貫くような感覚。
自分なのに、自分じゃなくなる感覚。心臓の鼓動が跳ね上がって、内側から
「あ、ぐぅ」
目を見開いて、魔物を睨む。
――
恐怖で冷え切った体が、怒りで熱を帯びる。
――が、目の前を閃光が走り、熱は引いた。
大きな腕が少女を抱え、魔物から離れる。そして、魔物がいたであろう場所へ振り返る。少女は己を助けた人間を見る。
月の光に照らされてはっきり顔が見えた。
女性にも男性にも見える顔立ちに、薄桃色の髪をしていてアメジストの瞳。がっしりと少女の体を右脇に抱えてくれている。
心臓が早鐘を鳴らす。
「平気……ではなさそうだね」
落ち着いた声。優しくて、温かい感じのする声音が響く。
一瞬、砂嵐に巻き込まれたかのようにその見た目がまるっきり違うように映る。
――黒髪に深い紫色の瞳に。
○●○●
パイルランダ。
木を削って作った杭を杖のように使ったり、針のような牙で狩りをし、肉を喰らう魔物の名前だ。
老婆のような外見だが、人の言葉は解さない。
「立てるかい?」
少女が戸惑いつつも頷く。
レニーは抱えていた少女をゆっくり下ろす。そして守るように前に立った。
パール冒険者で対処可能な、弱めの魔物だ。すぐに倒せる。
「すぅ」
クロウ・マグナに手をかけ、精神を集中させる。
「ヒヒヒ、ひひ」
人の笑い声に聞こえる鳴き声を響かせながらゆらりゆらりと近づいてくる。
魔弾を撃った。
先の尖った筒状で、回転を加えた魔弾。
早撃ちで放たれたそれは正確にパイルランダの眉間を突き抜ける。
「ホヒ!?」
頭から後ろに倒れ、そして血溜まりをつくる。パイルランダ自身、何をされたかわからないまま絶命しただろう。なにせ、音を置き去りにしている。
「ふぅ」
だいぶ特殊な魔弾形状でも早撃ちの速度で撃てるようになってきた。練習の賜物というやつだ。
……
レニーは少女に振り返る。歳は十前後だろうか、やや幼く感じる。ボロ布を着たような格好で、素足のせいで細かい傷が多く見られた。
ざっくり切られた黒い髪に、生気を失っている紫色の瞳。髪はボサボサで身なりはまともではなかった。骨に肌が張り付いたようなほっそりとした体をしている。
レニーはマジックサックから皮袋、ポーション二本、布と包帯、マントを取り出す。
ゆっくり座って少女と同じ目線になるとポーションを差し出した。
「飲みな」
瞳が揺らぐ。
「薬だ。傷を治すためのね」
戸惑いがちに受け取られる。少しポーションを見つめてからおそるおそる飲み始めた。
エレノーラのつくった味の良いポーションだったおかげか、すぐに飲み干す。
「空ビンはもらうよ」
空ビンを受け取り、皮袋に入れる。
「右足あげられるかい?
少女は右足をあげてくれる。二本目のポーションを布に染み込ませ、右足を軽く吹いてから包帯を全体に巻く。足首のあたりで結んで、固定する。
「はい、反対」
左足も同じようにし、使用後の布を皮袋に入れる。残ったポーションと、皮袋にマジックサックに入れた。
「おしまい」
レニーは立ち上がって、マントを少女に巻いた。
「寒いだろうけど、村に行ったほうが良さそうだね。この近くにあるし……」
村、と聞いて少女がぶるっと肩を震わせる。
「きみ、家は?」
「……ちかく」
俯いて顔に影ができる。
「親はまとも……だったらここにいないか」
格好もろくでもない。捨てられたのか。
「うーん、クリスと同じ孤児院でいいか」
戻るまでに日数がかかるが、仕方あるまい。服装も整えてあげなければろくに旅もできないだろう。
「ぼくはレニー・ユーアーン。きみは?」
「ウタハ」
「綺麗な名前だ。ぼくは冒険者でね。ギルドに戻るんだけど、ついてくるかい? 良い孤児院を知ってるんだ」
ゆっくり間を空けて、丁寧に話す。
「きみみたいな子を保護したことがあってね。ギルドと同じ城下町だから、ぼくも月一で様子を見に行ける。合わなければ言ってくれれば別の場所も考えてあげられる。だから、帰る場所がなければ、孤児院に連れてはいける。どうだい?」
ウタハは静かに、戸惑いがちに頷いた。
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