ヤタの話
冒険者とケモノミミ
レニーはそこを通りがかったのは、たまたまとしかいいようがなかった。
崖下にあたる岩場で隠れるように少年が倒れていた。
全身ひどい怪我だった。ところどころ衣服が破れて痛々しい傷がむき出しになっている。呼吸も浅く、「ひゅーひゅー」といった呼吸音が聞こえるくらいだ。
少年の容姿で最も特徴的なのは頭から生えている「耳」だった。三角形に近い、獣の耳だ。それとは別に、通常の人の耳もある。ざっくり切られた赤みがかった茶髪が、人の耳にかかっている。
おそらく耳が四つあるわけではない。そも、「獣人」という存在はおとぎ話の中だけだ。というのも、ただの人を「獣人」と勘違いして伝達されたからだ。今の少年のように獣の耳を模したものを装備している冒険者もいなくはない。少なくとも、現在において生まれながらにして獣と人の間のような身体構造と知能を持つ種族はいない。獣の魔物で人型である、というのはまた別の話だ。人語を解さないからこそ魔物であり、害をなすからこそモンスターと呼ばれる。
ただ、少年の獣の耳は装備にしてはやけに生々しい感じがする。よく見れば月の光を反射する瞳も、獣のような瞳孔をしており、呼吸をする口から見える犬歯は人にしては鋭いような気がする。
爪も尖っていて、狐のような尾も、尾骨付近から生えている。
少年は布を羽織り、腰のヒモで締めてまとめたような紺色の服を着ていた。ズボンは、灰色で足に向かうほど幅広になるもので、靴はサンダルのようなものを履いている。
レニーの生活している地域とはだいぶ違う服装をしている。まぁ、レニーが東に進み続けた結果であるのだから、文化圏の異なる場所にたどり着いた証左のようなものなのだが。
屈み込んで顔を覗き込む。
「目、閉じれる?」
顔を確認しながらマジックサックを地面に置く。明らかにレニーの言葉に対して反応し、少年は目を閉じた。
「うん、意識はあるね。動けそう? 無理なら二回目を閉じれる?」
二回、目を閉じる。
「オッケー。ポーションかけるから覚悟してなね」
マジックサックから一番高価なポーションを取り出し、全体的に少年にかける。体を濡らすことはあまり好ましいわけではないが、大怪我をしている場合は出血を止めたり、痛みを和らげる助けになる為、急ぎの場合はひとまずポーションをかける。飲めるとも限らないからだ。少年は身を震わせ、痛みに顔をしかめたが、どうしようもできない。ポーションの効果が効くことを祈るしかない。
風向きを確認しつつ、マジックサックから小さな折りたたみ式の焚き火台出して、展開する。四角形の皿に四本の足がついた金属製のものだ。多少の悪環境でも焚き火が行える。そこに小さな薪と着火剤を放り込んだ。薪は非常時用のものであまり長くもつものではない。
レニーは火の魔法が刻まれた木片に魔力を注いで火を発生させると着火剤に当てる。火が消えないことを確認し、立ち上がった。
「枝を探してくる。火があれば魔物も好き好んで寄ってこないはずだ」
レニーはミラージュを引き抜いて枝を探しに向かった。
○●○●
火をくべながら、レニーは少年の様子を見る。あたりは夜の帳が降りようとしており、暗くなり始めたところだ。
顎の付け根の下あたり、右の首部分に手を当ててみたが熱感があり、脈が早い。どこか骨折しているかもしれない。夜になれば影を十全に使えるため、スキルで影のベッドのようなものをつくり、移動させていくことが最も安全な方法だろう。
通常の回復魔法やポーション等では自然治癒よりも回復を早める程度で、即時回復とはなかなかいかない。かなり高位の回復魔法を扱えるか、希少なポーションを持っているかであれば話は別だが、レニーは回復魔法を使えるわけでもないし、そんな希少なポーションは見つけられてすらいない。
少年は冒険者であるのは間違いない。手に鏡のように磨かれた刃を持つ鉈を握っているし、視線だけ動かして周りを警戒しているようだった。
荷物はどこかで失ったのかない。
「にげ」
先ほどから余裕がなさそうに何度も口を動かしていた少年がやっとという感じで声を出した。
「逃げろ」
ポーションの痛み止めの効果が聞いてきたのか、少年が呟く。低めの、鋭い声だ。
「怪我人置いて逃げろって? 冗談」
「……火はまずい。奴が来る」
……奴?
「悪い。喋れるようになるまで、あんたに口出しできなかった。だけど、まだ間に合う」
何かここらで魔物でもいるのだろうか。
「奴は新鮮な人のにおいを嗅ぎつける。火は目印にしかならない。だから」
喋った刺激で痛みが走ったのか、少年が苦悶の表情を浮かべる。
「逃げ、ろ」
――夜が啼く。
ガサガサと、カァカァと。
遠くでナニカの叫び声が響く。
レニーは静かに立ち上がると、ミラージュとクロウ・マグナを引き抜いた。
「奴は、一人じゃ無理だ。おれには構うな」
震える声で、逃走を促される。
レニーは呟きながら、叫び声の方を見る。
巨大なナニカが大地を蹴る音が響く。木々が揺れ、すすり泣く。
体が勝手に強張るのが、自分でもわかった。
――そして。
夜が、襲ってきた。
「ブラックバート」
レニーは敵の姿を確認せず、ただ正面から飛び掛かってくる影に反応して、上空に跳んだ。体をひねり、クロウ・マグナと持ち方を変えたミラージュを影へ向ける。
「クルゥーシファイ!」
巨大な黒い錨が影に突き刺さり、拘束する。レニーは着地すると、脇目もふらずに少年に駆け寄り、影の女王に捧ぐのスキルで影のベッドを生成するとそれで少年を持ち上げた。影の上でベッドを滑らせながら少年を運ぶ。そしてレニー自身も走って逃げだした。
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