冒険者と苦しみ

 久しぶりに現役時代の装備を引っ張ってきた。オレンジ色を基調とした丈の短いジャケット、黒のインナー、脛の部分が南瓜のように膨らんでいる白のズボンに、竜が地を食らうようなデザインの黒いヒール――そして、拳から前腕まで覆っているガントレット。全て希少な素材でつくられた一級の装備品だ。


 髪を後ろでまとめ上げ、気を引き締める。肩から斜めにマジックポーチを下げ、森の中を進む。


 ルミナがスカハの偽物にやられたときは一刻も早くモートンを連れていくための手続きで忙しくて引っ張り出す余裕はなかったが、今回はベルセルクという相手もはっきりわかる状態なこともあり、真正面からでも戦えるように持ってきた。


 逃走は、考えていない。


 地図を確認しながら、レニーが戦闘した地点を目指す。


「レニー、くん」


 拳を握りしめながら、フリジットは呟く。


 知っていたはずだ。いつかこうなる可能性は十分にあるということを。経験していたはずだ。彼は重傷を負ったときもあるし、死にかけたときもある。だから、無茶をやらかして死ぬときが来たっておかしくはないのだ。


 無茶をしなくとも死ぬ。それが冒険者だ。いつ不幸シニガミが降ってきて殺されるとも限らない。冒険をするというのはそういうことだ。


 フリジットの経験から言って、レニーは生きてはいない。右腕が食われている形跡があったことから、食われている可能性だってある。


 それでも生きていてほしい。そう願いながら道を進んだ。




  ○●○●




 ルミナは酒場の席に座って、エールを飲む。


 とんでもなく、苦くて、おいしくなかった。なんでいつもこれを飲んでいたのかわからないくらいに。


 でも、苦く感じる理由はわかる。


 レニーがいなくて、生きているかさえわからなくて――気分がノらないからだ。


 救援に行った頃はてっきり終わっているものだと思っていた。なんだかんだ敵を倒していて疲れ切っているレニーを運んで、それで終わり。


 ルミナよりレニーは弱い。けれど、それでもレニーならいつでも何とかしているだろうなんて、そんな安心感まぼろしがあった。


 ――あるわけ、ないのに。


 冒険者はいつだって死と隣り合わせでひょんなことで死ぬなんて、いくらでもあるのに。


「随分暗い顔してるわね、天下のジャイアントキリングさんが」


 視線を向ける。

 水色のボブカットの小柄な女性だった。


「……ロミィ」


 トパーズパーティーの「リンカーズ」。その紅一点だった。誘導者インデューサーという、未来を予測して味方の動きをサポートしたり、バフをかけるロールになっている。以前レニーとダイナドラゴを討伐していた。


 ルミナ自身も稀に助っ人に入ることがあった。最初は糸目の槍使いであるリーの勢いについていけなかったが、返事は適当でいいと知ってからはあまり気にしないで済むようになった。


「何かあったの?」


 レニーが今行方不明であるのは、ギルド所属の冒険者とギルド職員の一部しか知らない。すぐに公にするといらぬ混乱を招くこともあるからだ。ゆえに、言いたくても言えない。


「……ない」

「そ」


 ロミィは顔をルミナの耳元に近づけて、囁く。


「ところで。ワタシ、最近新しい占い習得したんだけど練習台になってくれない?」

「……気分じゃ、ない」

「カード、選ぶだけ。お礼はするから」


 普段はあまり食い下がることのないロミィが珍しく誘ってきていた。ロミィの顔を見る。


 占いに誘うにしてはやけに真剣な顔をしていた。


「……ボク。きっとつまらないよ?」

「いいわ。ところでこのエールは飲んでいい」

「……うん」


 ロミィはルミナが一口だけで飲んでいなかったエールのジョッキを掴むと一気に飲み干した。ガン、とジョッキを置き、息を吐く。


「じゃ、行くわよ」




  ○●○●




 ロミィが借りている宿の一部屋に案内される。最低限、寝室として機能する程度の部屋だ。


 テーブルのイスにルミナを座らせて、ロミィはベッドに座る。小さな棚の上にアロマキャンドルを置き、火をつける。


 ほんのり甘い匂いが、部屋に広がった。


「防音の魔法かけるわね」


 さっと短杖を振るって魔法を発動させる。


「あぁ、テーブルの方向いといて」


 ロミィには背中を向ける形になるが、ルミナはそれに従った。テーブルの上に裏面のカードが何枚も置かれる。


「適当に一枚選んで」


 言われるがまま、一枚カードを選ぶ。すると魔法で浮遊して、ふらふらとロミィの下へ向かっていた。


「えーっと……どれどれ……ウワ」


 露骨に嫌そうな声が漏れる。何か悪い結果でも出たのだろうか。


「で、何かあったの」

「さっきも言った。ない」

「それは言いたくないこと? 言えないこと?」


 ルミナは無言で返す。


「はぁん、言えないことね。なるほど」

「……わかるの」

「レニーほどじゃないけどね。というかワタシの方が得意なはずなんだけど……どうなってるのカレ」


 嘆くような呟きだった。


誘導者インデューサーっていうのはね。戦況を俯瞰する必要があるの。相手の動きはもちろん、味方の動きも予想しなきゃだわ。繊細なの」

「凄そう」

「凄いのよ。味方の想いにかけ離れ過ぎた誘導は行動の齟齬を生んで、死を招くもの。心情を読み取るのも仕事だわ」


 だから、と。ロミィは続ける。


「だからワタシ。レニーのこと、嫌いなの」


 思わぬ吐露に、ルミナは言葉が出なかった。


「信頼はしてるわ。好意と信頼は別だもの。仕事では頼れても、プライベートでは仲良くなりたくないわ。そういうカンジ」

「どう、して?」

「簡単よ、嫉妬」


 端的に、あまりにも単純な答えだった。


「最初組んだ時。カレ、ワタシに合わせたの。誘導者インデューサーをサポートするつもりかって、イライラしたわ。あと、ワタシたちはまだトパーズなのに、ルビーに上がっているのもだし、メリース相手の早撃ち勝負で勝ったり負けたりしてるのもそう。おかしいのよ、そもそも勝ち負けを争えるのが」

「でも、それは」

「わかってる。カレなりに生きる術をきわめて、ワタシみたいな心理を読み取る技術を磨いたことも、早撃ちだけとはいえ、メリースと渡り合えるほどになったのも。だから嫉妬なの。ローグにプライドを傷つけられたって、勝手にキレているだけ」


 ルミナはロミィにそんな感情が渦巻いていたことに驚いた。気持ちはわからなくもない。自分が磨いていた技術を、ずぶの素人がかじりましたみたいな顔で並んできたら苛立ちを覚えるだろう。ロミィにとって、それがレニーだったというだけの話だ。


 ただ、リンカーズでいつも楽しげにしているロミィがそんなことを思っているとは考えたことさえなかった。


 盛大なため息が聞こえる。


「さ、ワタシは秘密を話したわ。ルミナはどうする?」


 優しげな声で聞かれる。


「ルミナはワタシの秘密を他人に漏らさないでしょ? ま、レニーもなんとなくわかってるだろうし、ワタシの心情知ったからって何か変わるわけじゃないだろうけど」

「話さない」

「なら、ワタシもここだけの話にするわ。だから、吐き出しちゃいなさい。等価交換ってやつ」

「……どうして、気にかけるの」

「引退したら占い兼お悩み相談室でもやろうと思って。その練習。いつもはレニーがいるけど、今いないでしょ。だから心配なのもあるわ」


 ルミナは黙り込んだ。


 何かを考えていたわけではない。胸に絡まって詰まったものを吐き出すべきか、吐き出さぬべきか、体で戸惑っていた。


 ロミィは特に催促することもなく、それで終わりとばかりに話さなくなった。おそらく、ルミナが帰ると言えば普通に帰してくれるだろう。


「大事な人。死んだかもしれないっていうとき、どうしたらいい?」


 心のもやを吐き出す。


「まだ死んだわけじゃないの」

「うん」

「そ。ワタシは泣きまくったわ」

「泣きまくった?」


 さも経験したかのような返答に、ルミナは疑問を抱いた。


「従兄が冒険者だったの。気のいいお兄さんって感じで……好きだった。ある日突然死んだって知らされて、葬式があって。ずっと泣いたわ」


 悲しげに、なつかしむように、ロミィが語る。


「……ごめん。嫌な事、思い出させた」

「ううん。ワタシが冒険者になった理由だから、大事なことなの。少しでも従兄みたいな人を出さないように、サポートする冒険者になるって」

「素敵、だね」

「ありがとう。だからルミナ」


 名を呼ばれて、振り返る。ロミィは両手を広げていた。


「泣けばいいと思うわ。生きてたら笑顔で迎えられるように。生きてなかったらもっと泣けるように。準備しときましょ」


 その言葉がルミナに刺さった。水で満たされた袋を針でつつかれたように、涙がこぼれだす。


 そんなルミナを、ロミィは優しく抱きしめた。


「……ひぐっ、うぅ……レニー。れにぃ……」


 縋って、ただ泣く。泣き続ける。


 子どものように。


「いやになるわよね。こうならないように強くなったっていうのに。どうしても、限界があるんだもの」


 ロミィはただひたすらに、頭を撫でてくれた。

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